捨て猫と僕

るう

捨て猫と僕

ある雨の日、僕は一人で家にいた。


僕は訳あって一人で暮らしている。家族もいないし、兄弟もいない。数少ない友達とも、そこまで仲良くなれなかった。

高校を中退し、大学には行っていない。今は、家でできる仕事をして、何とか生活している。

こういう雨が降って暗くて、昼なのに夜みたいな日。こんな日はわけもなく寂しくなって、実際にはいない理想の大親友を想像したりして、でもそんな事考えていても何も変わらなくて、悲しくて、虚しくて、泣く。静かに。音もなく。どうしてこんなに悲しい人生になってしまったんだろう。小さい時は普通の家族の中にいて、それなりに幸せだったはずなのに。


僕の人生が狂い始めたのは、高校2年生の時からだった。中学生の時は、勉強ができるほうだった。中3の時は一生懸命勉強して、少しレベルが高い高校に進学した。でも、その高い高校に受かってしまったのが問題だった。その学校の子達は、僕より遥かに高い学力を持っていて、授業ではほとんど話についていけなかった。最初のテストは、学年最下位だった。それでも諦めずに、僕は頑張って勉強をした。しかし、一年頑張っても上位どころか、中間にもなれなかった。2年生になり、学校でも家でも、大学について考えろと言われた。こんな内申で行きたい大学なんてなくて、大学なんて行かないと言ったら、周りの大人達に、何を考えているんだと呆れられた。この残酷な相対評価の世界が、僕の夢を奪っていった。努力しただけ結果が出ると言う人は、こんな僕を見ても同じ事が言えるだろうか。学校でもクラスメイトから馬鹿にされるし、大学の事があってから親との会話もなくなった。

そんな、高2の夏。1週間くらい体調が悪く、学校を休んだ。流石におかしいと思い、病院に行くとうつ病と診断された。それから僕は、自分の部屋に引きこもるようになった。学校にはテストの日だけ登校した。うつ病と診断されたその日から、親は僕を完全に無視しはじめた。1日3食ご飯をくれるだけで、同じ家で暮らしているのに、まるで別居しているようだった。そんな不幸に追い打ちをかけるように、父が経営していた小さな会社が潰れた。父はショックで、一日中家で暴言を吐いた。それに耐えられなくなった母は、家を出ていった。家がこんなふうになってしまい、僕のうつ病はますます悪化していった。ついには、部屋に黒いカーテンを設置して、太陽を見ることもなくなった。高校には完全に行けなくなり、中退した。

18歳になった僕へ、1年半ぶりに父が発した言葉は、「出ていけ。」だった。学校も行かず、部屋に引きこもっているだけなら、一人で生活しろと言われた。僕は、家が借りれる最低限のお金と、少しの荷物を持って、家を出た。その日も雨だった。昼なのに夜のようなそんな日だった。

その日以降、親を見ていないし、どこに住んでいるのかも分からない。連絡先も知らない。

僕は、なんとかワンルームを借り、ネット上でできるアルバイトをみつけ、生活できるようになった。


小さかったあの頃。まだ幸せだった時の。

パイロットになりたいと思っていた、キラキラしたあの頃の自分は、本当に自分だったのだろうか。今思うと、小さい頃の生活なんて、夢だったように思えてくる。

そんな事を考えていた、雨の音がなる今日。いつもは虚しくパラパラとなる雨の音しかないのに、今日は微かに違う音が聞こえる。猫の鳴き声だ。厚いカーテンの隙間から外を覗いてみても、暗くて何も見えない。

僕は思い切って外に出た。3日ぶりの屋外だった。鳴き声を頼りに道路を渡って、隣のアパートの駐輪場に着いた。駐輪場の横に、ちょこんと中くらいの段ボールが置いてあった。段ボールは雨でぐしゃぐしゃに濡れて、すっかり焦げ茶色に染まっていた。そっと中を覗くと、ビシャビシャに濡れた黒い猫が一匹座っていた。目が緑色のきれいな雄猫だった。僕は、猫がこれ以上濡れないように傘をさしてあげ、自分は大急ぎで家に戻った。冷蔵庫にあった少しの牛乳をほんのり温めて、お皿によそった。それを持って、また猫のところに行った。猫は静かに舌を出して、飲んだ。僕は猫にさしてあげた傘を、そのままにして、家に戻った。

この猫がどうか温かくて、優しい家族に出会えるように願いながら。


家に戻ると、部屋中がびしょ濡れで、猫一匹で大慌てしていた自分がおかしくて、苦笑いした。いつもは、憂鬱な雨の日なのに、なんだか心が軽かった。こんなに心が軽いのは3年ぶりくらいで、自分でも驚いた。今日も特にやる事がないので早く寝た。


次の日の朝10時。起きた。晴れだった。何か食べようと思ったけど何もなくて、久しぶりに外着に着替えて、1週間に一度の買い物に出かけることにした。玄関を開けると、そこには昨日の猫が、ちょこんと座っていた。僕は、素早く近くのスーパーで猫缶を買ってきた。そして、猫にあげた。猫が餌を食べているのをじっと見ていたら、自分のお腹がなって、自分もお腹が空いていたことを思い出した。僕は、取り敢えず買い物に行くことにした。いつもの何倍もの早さで、必要なものと猫の餌を買った。そして、家に戻るとまだ玄関に猫が座っていた。僕は、ドアを開けて手招きをした。猫は僕の家に入ってきた。こんな感じで僕と猫との生活が始まった。


猫の餌用のお皿、トイレ、猫が遊べるタワーは高かったので、押入れをうまく利用して作った。猫と過ごし始めてから、僕はどんどん明るくなっていった。1週間のうち3日くらいは、どうしようもなく心が真っ暗になって、布団から出られない日があったのだが、猫はその度に僕の布団のそばにいてくれた。

でも一つだけ気になることがあった。猫は、マイペースな動物だというのは聞いたことがあったが、時々甘えてくることも、あるはずである。でも、この猫は全く甘えてこないのだ。そして、決して触らせてくれなかった。でも、僕が辛いときには必ずそばにいてくれる。まるで僕の心の声が聞こえているかのように。


それからまた1週間が経った。その日は猫と出会った日以降、初めての雨の日だった。晴れの日は、猫のおかげで元気に過ごせていたが、やっぱり雨の日は駄目なようだ。僕は、ずっと布団の中にいて、泣いていた。いつもならばそばに来てくれる猫は、ずっと窓の外を眺めながら座っていた。ご飯も食べずに。猫は一日中窓の側から離れなかった。


その次の日は、曇りだった。今日は買い物の日だった。買い物をして、家に戻ってくるといつもは玄関で迎えてくれる猫は、ベットで丸まっていた。僕はなんだか悲しかった。

その日から猫は、ベットで過ごす事が多くなっていった。あんなに触らせてくれなかった体も、逃げる力がないのか、簡単に触れるようになっていた。この時点で、明らかに猫の様子がおかしいのに、僕は気づけなかった。


1週間くらい寝てばかりだった猫は、いきなり元気になった。元気になった猫は、ずっと僕の後をついてきた。僕がトイレに行くときは、トイレの前で待っている。そのくらいべったりだった。

その次の日も、また次の日も猫はずっとついてきた。やっと猫が僕に懐いてくれたんだと、嬉しくなった。そんな猫を見るたびに笑顔が溢れた。

いつの間にか、ふさぎ込む日がなくなっていた。


その日の夜は、初めて猫が僕の布団の中に入ってきた。僕はとっても嬉しくて、猫をお腹の上に乗せたまま眠った。


朝になって目を開けると、猫が冷たくなっていた。僕は信じられなくて何度も猫を揺すった。でも猫は、そのきれいな瞳を二度と見せることはなかった。

僕は一日中、冷たくなった猫のそばで泣き通した。


僕は猫を動物病院に連れて行き、死亡原因を調べることにした。

家のすぐそばにある動物病院に行き、獣医に猫を見せた瞬間、獣医の目に涙が浮かんだ。僕は状況が全く分からず獣医の事を見つめていた。獣医はゆっくりと口を開いた。


この猫は、元々野良猫だった。黒猫には真っ白のきれいなメス猫がいた。そして、子猫が3匹。幸せに暮らしていたようだった。

でも、ある雨の日、一台の飲酒運転の車によって、その幸せは一瞬にして壊された。

獣医の話によると、事故が起こったのは僕が住んでいるアパートと、向かいのアパートとの間の道だそうだ。ちょうど猫が捨てられていたところと、近かった。その事故で、白猫と3匹の子猫は息を引き取った。飲酒運転の車は、一瞬にしてこの家族の幸せを奪い、逃げていった。

その事故を目撃していた一人の女の子が、たった一匹残った黒猫を可哀想に思い、家に連れて帰った。しかし、その子のお父さんが猛反対して、女の子が寝静まったある夜、黒猫に酷い暴力を振るった。

次の朝、家の前に捨てられて死んだように動かなくなった猫を、女の子が泣きながらこの病院に連れてきたらしい。獣医は猫の体についた、ひどい傷を最善を尽くして手当して、奇跡的に一命を取り留めた。獣医も歩けるまで回復するとは思っていなかった。それくらいひどい状態だった。

でも、その傷口から入った沢山の菌のせいで、もう長くは生きられない体になっていたらしい。獣医はこの猫を病院で保護し、育てていくつもりだったが、猫を引き取りたいと強く願う人がおり、猫を渡したという。

しかし、その家に行っても猫が心を開くことはなかった。一日中ずっと窓の外を眺め、人に体も触らせなかった。引き取った人は、そんな猫の態度を理解することができず、あの雨の日に猫を捨てた。その後に、僕が拾ったみたいだ。


僕は獣医の話を聞いている間、涙が溢れて止まらなかった。こんなに心に深い傷がある子だったとは、思わなかったからだ。

雨の日に寂しそうに窓の外を眺めていたのは、家族が恋しかったから。

僕に体を触らせなかったのは、暴力を振るわれたトラウマがあったから。

全部理由があったことを知った。

でも、最後には僕に心を開いてくれて、触らせてくれた。最期の時には、僕のお腹の上で寝てくれて。僕が暗くなっている時は、自分の体調なんて無視して僕のそばにいてくれて、最後の1週間は、もっときつかっただろうに、僕の後ろをずっとついてきてくれた。僕は、そんな猫の行動に胸が一杯になって、涙が滝のように流れた。

獣医は誰にも心を開かなかった猫が、僕に心を開いたのが不思議だと言い、最後の1ヶ月、猫が幸せに暮らせるようにしてくれて、ありがとうと言われた。僕は、感謝したいのは僕の方だと言い、傷だらけの猫を救ってくれて、ありがとうと言った。僕と獣医は、夜通し猫との思い出を語り合いながら泣き、翌朝二人で猫を埋めに行った。


家に帰るとまた一人で、とっても寂しかったがもう泣くことはなかった。今までは、ずっと家に引き篭もって何もしていなかった僕は、通信制高校に入学し、勉強を始めた。その日から僕の夢は、動物保護団体に入ることになった。

僕の部屋の黒いカーテンは取り払われ、部屋には明るい日差しが差すようになっていた。


猫。大好きだよ。僕も君のように強く生きます。


今日も僕の部屋には、ノートに鉛筆を走らせる軽やかな音が響いている。

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