異世界トライアングル

めそ

第1部 魔法の世界・ナズラ

第1話 死に際スリップ

 高い石壁に囲まれた城塞都市、ベイン。青髪のスナウはこの巨大な街の舞台として、敵国のスパイと思われる赤毛の男を捕まえようと走り回っていた。


「くっそ、しつこい!」

「いい加減諦めなさい!」


 薄明るい夜の闇に全身から吹き出る赤いガス状の生命力で軌跡を描きながら逃げる赤毛の男に対して、スナウは鎧のように纒った晴れた空のような青色の生命力で軌跡を描いていた。

 二人の速度は同程度だったが、地の理で勝るスナウが先回りし、不意討ち気味に赤毛の男の胸を殴る。スナウは殴られた反動で後ろに下がる赤毛の男の衣服を掴み、背負い投げの要領で放り力強く地面に叩きつけた。


「ぐぉ……っ!」

「さあ、大人しくしなさい」

「くそっ……少しは手加減して殴れよ」

「死なない程度には手加減しました」


 スナウは掌から出した青い鎖で赤毛を縛り、緑の信号弾を夜空に撃ち上げ仲間を呼んだ。

 赤毛はスナウの掌から伸びる生命力の鎖を噛み千切ろうとするが、まるで歯が立たないようだった。


「諦めなさい。あなた程度の練度では私の鎖には傷ひとつ付けられません」

「なら、コレはどうかな!」


 赤毛は脚を振り上げる勢いでぐるりと立ち上がり、そのまま靴の仕込み刃をあらわにしてスナウに蹴りかかる。


「ぐぇ」


 地面から足が浮いた次の瞬間、赤毛は自在に動く青い鎖によって地面に叩きつけられた。


「鎖に捕らわれた時点でなにをしても無駄で――っ!」


 呆れたスナウの表情は、その言葉が途切れると同時に驚愕したものへと変化する。

 口の端から血の玉を溢しながら、重力に逆らえず地面に倒れこむスナウ。その胸からはズルリとロングソードが引き抜かれた。


「なん……もう、一人……」


 黒い泥のような生命力をロングソードに纒わせた男は、死に瀕してもなお赤毛を縛る鎖を容易く叩き斬る。スナウから切り離された鎖は次第に霧散し、程なくして赤毛は自由の身となった。


「おい」

「に、兄さん……」

「あまり俺の手を煩わせるな」

「はい、すいません」


 赤毛はスナウを心配するように一瞥してから、ロングソードの男を追って夜の闇に消える。


「血が……足りな……」


 血液と共に抜け落ちる全身の力にスナウはもはや歯噛みすることもままならず、

 やがて、無意識のうちに行っていた生命力の糸による応急処置も間に合わず意識を失った。






 スナウが再び目を覚ました時、最初に目にしたのは日光を部屋に招き入れる天窓と、窓越しに見える青々と生い茂った木の葉だった。


「……ここは」


 とても質素な病室のようだった。妙な静けさが部屋に満ちており、スナウをなんとなく落ち着かない気分にさせる。

 それもそのはず、高い石壁のためベインに日の当たる場所はスナウの住む外縁部にはほとんどない。


 どこだここは。


 寝かせられたベッドから起き上がろうと身体を動かそうとした瞬間、スナウの脳裏に昨晩の出来事が痛烈に甦る。

 自分の胸から突き出た黒い刃。熱く焼けるような痛み。

 反射的に穴が開いたはずの胸に手を当てると、包帯に巻かれてはいたが傷ひとつ残らずに完治していた。


「…………」


 あの状況ではもう助からなかったはずなのに…。スナウは自分が死んでいないことに驚きというよりも、疑問を強く感じていた。

 おかしい。あり得ない。いったい何故?

 スナウがその疑問に答えを出せないでいると、部屋の扉が開けられた。


「あ、おはようございます」


 部屋に入ってきたのは修道女だった。水の入った桶と真新しい包帯、そして使い古されたタオルを抱えていた。


「おはようございます」


 言葉が通じたことでここが自国であると判断しスナウは安堵する。日が当たるということは、ベインの中心部だろう。


「あの、ここはどこでしょうか?」

「ここはアレッタ修道院です。治療院でもありますよ」

「アレッタ……」


 聞いたことのない修道院だった。といっても、スナウはベインの中心部についての知識はさほどないので、知らなくても不思議ではないが。


「ありがとうございます。おかげで助かりました」


 スナウはベッドから降り、深々と頭を下げた。


「ああ、傷が深いのですから、大人しく寝ていてください」

「いえ、傷なら治りました」

「はい? ……少し失礼します」


 修道女はベッドの脇に置かれたテーブルに抱えていたものを下ろし、スナウの包帯を外す。

 血の滲む包帯の下にあったのは、胸を貫く穴ではなく、傷ひとつない綺麗な素肌だった。


「これは……」

「適切な処置のおかげです。是非、私を手当てしてくれたお方に礼を言いたいのですが……よろしいでしょうか?」

「……すぐにお呼びしますね」


 修道女はスナウの血で汚れた包帯を握ったまま駆け足気味に部屋を出た。

 しばらくして、酷い隈を目の下に作った白衣の男性が女性に連れられて部屋にやって来る。彼はスナウを見るなり驚いた様子で目を見開く。


「もう動いて平気なのかい?」

「はい。あなたのおかげです。本当に助かりました。ありがとうございます」


 頭を下げるスナウに男性は困惑した表情で曖昧に頷く。


「あーいや、ボクがしたのは、止血くらいなんだけど」

「ええ。それと同時に、私になにか食べさせてくれたのですよね?」

「えっ……まあ、そうだけど……」


 男性は治療を受けながらしきりに「腹が減った」と繰り返す昨晩のスナウを思い出し、一瞬顔をひきつらせる。


「本当に、助かりました」


 スナウはもう一度深く頭を下げる。


「礼をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「別に良いよ。慈善事業みたいなもので、治療費だって――」

「治療費ですか。手持ちは……」

「ああ、ちょっと?」


 スナウは部屋を見回し、隅に置かれていた血だらけの軍服から板状の銀貨を十枚取り出す。


「すみません、今はこれだけしか持っていなくて……銀行へ行けば十分な額を支払えると思います」

「……君、どこの人間なの?」

「はい、外縁部に住んでいます。ですが、公務に就いていますので銀行が使えるのです」

「外縁……」


 男性は修道女と顔を見合わせる。そこに差別的な意志がないことを見てとったスナウは、先程から感じていた疑問をより強く感じ、顔をしかめる。


「あの、ここはベインという街の中心部……ではないのですか?」

「……ええ、ここはロレイという村の、まあ一応中心に近い場所にある修道院です」


 修道女の言葉にスナウはまさか、と手で額を押さえる。


「あの…どこの国の領地でしょうか?」

「レヴァイル皇国です」


 スナウの知らない国名だった。

 少なくとも、ベインが属するレセ国とはなんの関わりを持たない国だった。

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