第13話 統合失調症陰性期 初期

あやと別れる最後の日に、味わった、生まれて初めての精神の崩壊。

本当に突然世界が反転した、それまで気にもしていなかった、様々な生活音や話し声、咳払い、意識していなかった、暗号のような記号や数字、単なる道路標識等だと思うのだが。それら全てが、僕に襲いかかってきた。

被害妄想というのは、まさにこのことだろう、罰という意識を反転した世界が収まった頃に感じていた。

千を数多の女性たちを裏切り続けてしまった、罪と罰、あやのお仕置きは、ひどく短時間で済んだ、それにそもそもあやのせいではない。

このまま、大人しく日本に帰って、何食わぬ顔をして千と共に生活をしておけばよかったのかもしれない。

あやと別れてからインドの聖地を再び回った。正常と闇を行ったり来たりしながら。


ある日、気分がひどく塞ぎ込んでいた時に、世界が反転した。

このままでは、いつか襲われてしまう。そう思い込み、ドミトリーから空港近くの高級ホテルに変えた。

ちょうどクリスマス、僕はあやに電話をかけた。意外そうなあやの反応だった。

「かけてくれたんだ」とあや。

いくつかのやりとりをして、メリークリスマスと告げて、電話を切った。

カルカッタから、バンコクへと飛ぶ便に乗り、インドを後にした。


バンコクで偶然もちくんと再会。

盛り上がり、北京ダックを食べて、カンボジアを目指す。


希世美と出会ってしまう。

反転する世界のことなど忘れてしまい。

カンボジア人の少年を傷つけるまで、希世美に夢中になった。


僕と希世美は日本へと帰国した。

大阪の下町で同棲を始めた。


タイにいた頃から、世界は闇に変わり、僕を責め続けた。日本に帰れば大丈夫だと思った。しかし日本でも、ラーメン屋でラーメンを食べていると、隣の男の咳払いが耳に障る。生まれて初めての経験だ、自意識過剰なわけではない、実際に気に障るのだ。

囁き声や、食器の当たる音。布の擦れる音、足音、全てのノイズが、気に障りヒステリーを起こしそうになるが、それよりも、恐怖心が優ってしまう。

性欲に任せて、希世美を抱きしめ。

くるくると世界は残酷に回り続けて。

そんな日常を幾度も転職しながら、半年は続けた。

混乱の中、あっちゃんのことを思い出す。

[きよみちゃんか、ウチか、どっちかにしてや]

僕は仕事で草むしりをしながら、あっちゃんと一緒になれたら幸せだと、感じてしまった。

それからの転落の速度は加速した。

半年たち、希世美に別れ話をしてしまう。

希世美の瞳から大粒の涙が溢れ出した。


希世美を大阪に残して、僕は1人母の遺してくれた横浜の団地へと住居を変えた。


千とは、希世美と同棲するときに、別れ話を切り出した。

千は僕に聞いた「私のこと好きだった?」

僕は考え込んでしまい。

答えられなかった。


今まで、彼女がいない期間の方が短かった。


横浜で僕はようやくひとりぼっちになった。


それでも何回か希世美が来てくれた。

ある日原宿のクロムハーツで希世美と僕は指輪の交換をした。

また、僕の誕生日に希世美はカレンシルバー のバングルをくれた、しかしおかしくなってしまっていた僕は、横浜の海にバングルを捨ててしまった。希世美とあっちゃんを天秤に乗せてしまっていたのだ。

横浜では、希世美と僕はクリスマスもしたし、花火も見たし、餃子パーティーもした、迷っているのにもかかわらずに、屋久島の安房川で抱き合い、縄文杉を見て、宮之浦岳を登頂して、頂上でコーヒーを沸かして飲んだ。

あれから、20年経ち今でもひとりぼっちの僕の心には、希世美やあっちゃん、あやのことや千時に数多の女の子たちが住んでいる。とても特別な存在だ。


希世美と別れを選んでからは、世界は反転しなくなった。しかし、落ち着きを取り戻してから、希世美と再会して、しばらくすると、世界は残酷に変わった。

それを恐れて、また、あっちゃんを選び取り、希世美と別れを繰り返していた。

(One life one woman)インドの青年の一言が頭の中を回る、僕は器用に希世美と心の中のあっちゃんを行ったり来たりしていたが、潮時が来た。

希世美と出会って4年くらいたった頃、希世美に会いに大阪に舞い戻った。

しかし、定職にも付かずにいた僕にとうとう希世美が愛想を尽かした。

ついに希世に振られた。


インドから帰国して、4年の間に僕は庭職を起業したり、新しく74年式のハーレーダビッドソンを買ったり、妄想から母の遺してくれた団地を破壊し尽くしたりしていた。


わけもわからず1人インドにも行った、

バラナシでサドゥーに何をしに来たのだ?

問われた。


ゴアで全財産をすられて、妄想から半狂乱になっていた僕を、インドのごつい男が殴りつけた。一発で意識と歯を失い。そのとき片目が見えなくなり、耳も聞こえなくなった。

僕はそのとき一度死んだのだと思う。

バグワン(神さま)と、他のバックパッカーにそう囁かれ続けていると、妄想して、とにかく苦しんだ。梵と自我の世界を行ったり来たり。梵(世界)は、時に僕を苦しめ続けた。

全財産やら、カードが詰まっていた、財布をゴアのローカルバスですられて以来、僕はしっかり行き詰まっていた。

幸いズボンの下に巻く、パスポートホルダーの中に残り2万円程の現金が残っていた。

毎日パンをかじり、ネットサービスから希世美にeメールを送った。まだ、希世美に振られる前だったので、なんとか日本からインドの銀行に10万円送金してもらった。

3週間ほど待ち、バンガロールの空港から、成田まで直行した。成田では、日本円を持っていなく、その上イミグレーションで持ち物検査に引っかかり、レントゲンまで撮られた。しかし京急線の駅員さんに、ルピーしか持っていなく、その上ルピーは日本では換金出来ず、インドで財布をすられて、日本円がないことを相談したら、快く屏風ヶ浦駅までの切符代をくれた。有難かった。

日本に戻るとすぐに希世に逢いに大阪まで行き、借りていた10万円を返した、そして、愛し合った。

爽快から曇天へ、繰り返し繰り返し、僕の心は回転していた。

爽快な時は、物凄い自己肯定感、万能感、ドーパミンによる物凄い快感。太極拳をジムで習っていた時、体に雷撃が流れたような快感もあった。

曇天の頃は塞ぎ込み、幻聴、リアルと変わらない音量や声が、1人道を歩く時や、1人風呂に浸かっている時に、不意に聞こえるのだ。

幻も見た。部屋でぼけっと横になっていると、気がつけば、見たこともあったこともない、女の子の家にワープしたのだ。

心臓があまりのことに早くなった、驚いたその瞬間、僕は自分の部屋に戻っていた。

認知症の方などは、稀に部屋の中がトイレに見えて、用を足してしまうことがるらしいが、僕の脳味噌もまた、同じ現象を見せたのだろう。

突然街の、高架下の陸橋のたもとにワープしたような体験もあった。

まだ、病院にかかる前の記憶は未だに断片的だ、時系列がバラバラだ。希世とハーレーの旧車に乗ってアクアラインを超えて、マザー牧場に行ったことや、大阪に住んでいた頃不意にあっちゃんに逢いに行き、キスをしたことや、横浜の団地を悪魔たちの囁きに操られるがままに破壊し尽くしたこと、混乱の中インドに一人行ったこと。太鼓庭園の親方として頑張っていたことなど、途切れ途切れの記憶は未だに回復しない。

一度目の入院は、仕事の休み時間昼飯を食いに、商店街へ心友と一緒に、仕事を手伝ってくれた、史(ふみ)と行った時のことだ。

僕は妄想から暴れ出し、通行人を突き飛ばした。気がつけば、精神病院だった。

7ヶ月入院した。入院中の記憶はない、ただ、誰かに心の中に住むあっちゃんを奪われると思い込み、怯えて、そして威嚇しつづけていた。

退院後しっかり、足が弱ってしまい、2キロくらいしか歩けなかった。

二度目の入院はやはり妄想に支配されて、横浜のバス停でバスを待っていた、老人を押し倒してしまった。そこから神戸に向かい、あっちゃんの声を聞いた気がした。

[自首せなあかん]

僕は神戸の交番へ行き、横浜で暴動を起こしたと告げて、涙を流した。

たしか、須磨の病院だったと思う。

やはり記憶はない。期間も季節も覚えていない。入院前に神戸の六甲らへんの商店街を歩いていたことを覚えている。

三度目の入院は、横浜の家を壊し尽くして、住むとこを失い、東京のタクシードライバーになった。薬なしで1年は頑張った、しかし一週間一睡もできなくなって、幻覚、幻聴、妄想でタクシーの寮の壁に穴を開けて、夜逃げをして、東京のホームレスになった。寒い冬を越えて、春、僕は通行人の自転車に乗ったおばさんのカゴを少し潰して、警察に捕まった。留置所に20日拘留されて、精神鑑定を受けて、八王子の恩方病院へと移送された。

過去の記憶も曖昧だ、おそらく統合失調症と診断されたのは、この頃だったのではないかと、思う。

タクシードライバーをやっていた頃から僕の心にはあっちゃん以外に希世美やあやが棲むようになっていた。いや、30人の女性たちが、

恩方病院から長くお世話になる。多摩病院に転院した、経緯は覚えていない。

多摩病院で始めて本格的な、薬を使った治療が定期的に始まり、自分が病気だと認めたくない僕は、造園工として八王子界隈の植木屋を転々とした。

そんな、30代を過ごした。

妄想に包まれるがままに。

尚、千葉の志津にあるタクシー寮に暮らしていた頃、親友の円ちゃんが、ホグホリックというチョッパーのアトリエでメカニックとして働きはじめたので、そのお祝いに、76年式のショベルヘッドのシングルクレイドルのチョッパーを買った。

自分で買う4台目のモーターサイクルだった。

あすかパールバティ号と名付けた。

しかし、病気とともにいたので10年くらいは所有していたのだか、1500キロくらいしか、乗れなかった。

永久会員ギタージムの権利を50万で手に入れられる(当時は、)J's ギタージムという、吉祥寺にある、ジムの会員になるために、チョッパーは69万円で売り払った。

いつか、成功したら今まで乗ってきた全てのチョッパーを買い戻そうと思っている。

そしてまた、ハーレーや、トライアンフのメカニックとして、一からメカを学び、自分で組み上げられるようになったら、またチョッパーに乗ろうとおもっている。

最近と過去が入り混じってしまって、すいません。

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