ヤスミと頼子と真夜中に……《一気読み版》
シイカ
ヤスミと頼子と真夜中に……
真夜中の電話というのは、概ね、良い話ではない。
「……そう。あの子、死んじゃったんだ」
頼子にとってヤスミが亡くなったと知っても、それは実感がわかない情報だった。
だから『ヤスミ』ではなく『あの子』で『亡くなった』じゃなくて『死んじゃった』なのだ。
今となっては、ヤスミの苗字も、名前が、どんな字を書くのかすら思い出せない。
その必要も無いからだけれど。
大学に入って二度目の夏。ひとり暮らしに慣れたせいか頼子のテンションは必要以上に上がっていた。
ちょっとでも自分が面白そうだと思うことには火遊びのリスクを充分に考えず行動を優先していた時期。 頼子はヤスミと出会った。
彼女は平均的なルックスより30点上くらいの可愛い子で、一緒に歩いていれば、それだけで、ちょっと自慢になる。
そんなタイプだったし、雰囲気や勢いに流されやすい性質でもあったので、まだ、たいして親しい訳でもないのに夕刻の城址公園をふたりで散歩しているとき、
ヤスミの意思確認無しに、いきなり抱きしめて唇をかさねてしまった。
おしとやかなキスではない。
ダイレクトに舌を絡ませる激しいやつだ。
サマードレスの上からだけど、小さくて柔らかな胸も手のひらに包んで、愛撫もした。
こういう強引な行為は女の子同士だと、大概、泣きながらのビンタを一発頬に受けて強制終了になるか、羞らいの感情を突き抜けて最後まで突っ走るかのどちらかと相場は決まっていて、賭け事に似たスリルが楽しい。
放任主義な私立女子中高育ちの頼子は、落ち着いてのゲームに慣れている。
結果は頼子の期待値以上で、ヤスミの反応は予想より遥かな魅力に満ちたものだった。
重ねた唇を、いちど離すと、ヤスミはサマードレスから露出した肩で息を荒げて頼子の身体にしがみつき、さっきより深く甘く頼子の唇を求めてきた。
「……あ……ん…っ……いい!」
頼子は痺れるような快感に、噛み締めた奥歯の間から吐息と一緒に歓喜を含んだ声を漏らしていた。
いつの間にかキュロットの隙間に滑り込んだヤスミの手は、もう頼子のショーツを分けて花びらさえまさぐっている。
……うそ…? この子、すごく上手……!
ここまで来たら、もう貰ったも同然だ。
頼子はヤスミの細身な身体を抱きしめ返しながら、しばし激しく舌を絡ませてから、真剣な表情でヤスミの顔を見つめた。
確かにハッとするタイプの美形じゃない。
かと言って、この子の容姿に文句を言うなら、当の頼子は明らかに、それより少し見劣りするはずだ。
……ふふふ。丁度いい子を捕まえた。
頼子は内心に、ほくそ笑んだ。
気軽にガールハントとアバンチュールを楽しむ癖のある頼子だが、多くの場合がそうであるように、子どもの頃から、この火遊びをしていた訳ではない。
初めての経験は大学生になって最初の夏。
相手は憧れていた先輩。
細身で長身。髪はベリーショート。メタルの黒縁眼鏡が似合うボーイッシュな先輩に今みたいに押し倒されて初めてのキスを経験して、数時間後の真夜中には、殆ど全てを経験していた。丘陵の中腹。麓から伸びる細い坂道に面して頂上が城址公園。左右が空き地の静かな賃貸マンション。一人暮らしの先輩の部屋は甘い匂いに満ちた楽園だった。
裸で歳上女性に甘えること、抱かれることの心地良さ。性の遊戯から得る肉体的な快感を覚えた頼子は、短い間だったけれど憧れた先輩の彼女になった。
短期間だった関係に後悔はない。頼子は純粋に同性とのSEXを愛したからだ。
実際的な火遊び行為は子どもにできる事ではなかったけれど、頼子は幼い頃から女性の美しい容姿や裸体に強い興味と魅力を感じる性質だったから、先輩に行為の手ほどきを受けてからは留め金が外れたみたいに次々と気に入った女の子に手を出した。
そんなせいか、べつにケンカをした訳ではなかったけれど、何となく先輩とは疎遠になって、気が付けば自然消滅を迎えていた。
先輩はひとりの相手と、じっくり恋を楽しみたいタイプなので頼子が連れてきた新しいGF《ガールフレンド》を交えての3Pが4Pになったあたりで疲れてしまったのだろう。
これは確かにデリカシーに欠けた頼子が悪いと自覚はあるし反省もした。
でも、頼子の恋の冒険はとどまらなかった。
現に今も、こうしてヤスミと新しい、でも、すぐに終わるだろう恋の始まりを楽しんでいる。
恋は始まった瞬間がいちばん高揚する。楽しいし、わくわくする。
流れに任せている間にも、ヤスミの細い指先は蜜に潤った花弁を押し分けて、頼子の中に入ってきていた。
……ウッ! 深い。奥にとどきそう……もっと……!
頼子は、今すぐにでも嬌声をあげながら翔んでしまいたい快さを必死に堪えながら思った。
ヤスミの裸が見たい。この子の花弁に舌を挿れたい。ふたりでめちゃめちゃに乱れたい。
「……ねえ。大きい声を出せるトコへ行こうよ。もっと……したい。……いいよね?」
胸がはちきれそうな期待を固唾をのみながら質すと、ヤスミは潤んだ目で頼子の目をジッと見つめた。驚くほどに綺麗な切れ長の一重瞼に長い睫毛。
この時になって、頼子はヤスミの瞳が普通の子より僅かに小さいのに気が付いた。白目がちな小さな瞳が彼女の妖しい美しさを際立たせていたのか……。
艶やかな髪が無言で頷く。
ふいに突き出た桃色の舌先で自ら潤した唇が夕陽にテラリと輝いて、また頼子の唇に重なる。
私もしたい。早く連れて行って……お願い。早く……!
頼子の舌を撫でるようにからみつくヤスミの凄く甘い舌が言葉よりハッキリと同意を示すのが解る。
「じゃあ、街道でタクシー捕まえよう! 私、連泊も出来る綺麗なホテル知ってるから。……ヤスミ、泊まりOKだよね?」
たったこれだけいうにも期待と興奮で吐息混じりの自分の声にまで艶味を感じてしまう。
「もちろん大丈夫。ううん。泊まりじゃなきゃイヤ」
「寝かせないよ。いいの?」
「その為の泊まりでしょ? いいよ。寝なくても」
嬉しいヤスミの返事に思わず谷間が濡れる。
頼子は自ら湧出させた愛蜜が脚をつたう感触に軽い目眩すら覚えた。
ヤスミ。この可愛い子を一晩自由にできる!
もう一度、唇を重ね合わせると、ふたりは手を繋ぎ歩く歩調を早めて街道への坂道を下った。
ここからは少し記憶が跳んでいる。
気がついたときには、もう、ふたりとも全裸になっていて、頼子は両ひざ立ちになり、自分の両手で小さくて形の良い胸を掴み、揉みしだきながら微かに背筋を反らして喘ぐヤスミの上半身を見上げ、下腹部の薄い繁みに唇を擦り付け、充分に濡らした舌でヤスミの花弁を何度も舐めあげていた。
湿った音を聞きながら、頼子は両手にホールドしたヤスミのくびれた腰から片方の手を放し、指先を自分に悦びをくれる谷間を愛撫するために使った。
普段なら、最初の数分は「すりすり」とも「しゅるしゅる」とも聞こえる悦楽の音は一瞬で湿りを含んだ「クチュクチュ」と聞こえる愛慾の音になり、同時に頼子の喉から吐息まじりに絞りだす悦びの声が自然に漏れた。
……ハウッ…… アッ! アッ! アッ! ああッ!
苦痛にも似た快感がジワジワと下半身から上半身に這い登ってくる。
ああ。いいっ! このままイッても……。
歯で唇を軽く噛みながら、頼子は悩ましくくねるヤスミの肢体を仰ぎ見て自分の花弁に滑り込ませかけた指の動きを止めた。今、頼子はタイトロープの上に立っている。大きな嬌声をあげて頭を激しく左右に振れば快感は一気に沸騰して全身を駆け巡り、心臓と脳を裂くような快楽の大波に包まれるだろう。
……でも。
頼子はそれをあえて我慢する事で、最初の絶頂を見送った。おそらく、ヤスミもまた自分と同じぐらいの高い崖の上に立って、煮え滾る快楽の沼に身を投げ、全身が溶け落ちる快感を味わいたい衝動に追い詰められているはずだ。
だから前戯で最高に達しては勿体ない。
頼子には、ヤスミもそう思っているのが解った。
……この子、私と同じぐらいの淫乱だ。毎晩三回ぐらいはオナニーしないと安眠出来ないタイプ。この子、ヤスミとなら、今までで一番のSEXを……ううん、初めて淫乱の壁を破って、ほんとうの『けもの』になれるかもしれない。そうよ、きっと、そう!
頼子にとって淫乱は蔑みの言葉ではない。性の女神に選ばれた快楽の天使にのみ与えられる誉れの称号。
女性同士だからこそ得られる何の束縛も無い快楽の追及。ひとつでも多くの快感を探して骨まで愛し合える。
これが頼子の愛し方。
どうにもならない高揚に肩で息をしながら頼子はヤスミに言った。
「ヤスミ。獣に変身なさい」
「……え?」
「獣に変身……するのよっ!」
言い終えるより早く、頼子は自分の蜜に濡れそぼった人差指と中指をヤスミの中へ滑り込ませると、柔らかに起伏した暖かい肉壁の感触を楽しみながらその指をクルリと反転させた。
雷にうたれたような快感にヤスミは両目を見開き、まさに獣じみた嬌声をあげた。
「いやあああああ! いいっ! イイッ! いいいいいっ!」
ヤスミの両脚がぶるぶると震える。あまりの衝撃に噴出した暖かい飛沫が薄暗い部屋の照明に反射して宝石みたいにキラキラと輝きながら胸に肩に降り注ぐのを感じて、頼子も呻くように悦びの声を囁いた。
「ああ……温かい。ヤスミの身体の中で溶けて透き通った宝石。ヤスミの中に涌いた泉の水」
頼子は自分の身体を濡らして流れ落ちようとする飛沫を手のひらで素肌に摺り込み、淫靡なため息をつきながら、愛し気に濡れた手のひらを舐めてみせる。
「……おいしい。今度出るときは私の口に。ね? ぜんぶ飲んであげる」
「いやぁ……。そんな……きたないヨ」
脱力して、膝まづくようにしなりと床に付したヤスミの身体が倍速映像のようにゆっくりと仰向けに横たわる。まだ興奮が抜けきれないのか、美しくわれた腹筋がピクリピクリと蠢くさまは砂浜に打ち上げられた虹色の魚のようだ。
頼子は自分の涎に濡れた唇を舐めてからヤスミに告げた。
「あんたの身体から出たものがどうして汚いわけ? 私が欲しいの。私たちが一緒に獣になるのに必要なのよ!」
ほんの少し咎めるような口調。それでも甘い声で促すと、ヤスミは側っ方を向いたままコクリと頷き、独り言のように小さな、震える声で答えた。
「…………それじゃ、頼子さんのもちょうだい。私の身体にも一杯かけて……私も、同じコト……されたいから」
笑顔で頷き、頼子はヤスミの美しさを讃えた。
「ヤスミ。あんた、人魚姫みたいよ」
「は……恥ずかしい……」
裸体をさらしたまま、両手で顔を覆うヤスミの手首をにぎり開かせ、口中にためた愛の唾液をキスと一緒にヤスミの口に注ぐと、頼子はヤスミの身体を丁寧に抱き上げた。細長いヤスミの腕が頼子の頸にまわってふたりの裸が密着する数秒の間にも何度も唇が重ねられた。
そして頼子は抱きかかえたヤスミを、ふかふかなベッドに放り出す。
「きゃん」
微かな笑いが混じったヤスミの可愛らしい声と表情に、頼子の欲望は再び高まった。
…………かわいい。……かわいい! こんなにかわいい子、初めて…………!
短期の火遊び、気軽に終わっていい恋の冒険。
そんな、最初の思惑は、今の時点で全て白紙撤回だった。この恋は本物の愛に育つ。もう手離せない! 頼子の中で打算も理性も粉々になり、激し過ぎる愛欲の炎が我が身を焼き始めている。
――我慢できない! ヤスミは誰にも渡さない!
歓喜に心臓が踊り、胸が苦しい。硬くなった乳首を頂く胸を自分の手でゆっくりともみほぐしていく様子を横たわったヤスミに見せつけてから、頼子は彼女の身体に覆いかぶさった。さっき掴んだ細い両手首を、今度は少しだけ乱暴にヤスミの頭が乗った枕の左右に固定する。まるでレイプのような体位だけれど、両腕を開かれ自由を封じられてあらわにになった胸の美しさは理性もモラルも吹き飛ばすほどの魅力に満ちて、硬さを増した乳房の先端を口に含むとヤスミの身匂と甘酸っぱい汗が混じって強い甘味に顎の付け根が痛くなる感覚を覚える。
食べてあげる……。あんたを、ぜんぶ。
頼子は、もう半分以上も獣になりかけていた。
……ヤスミ。綺麗。かわいい。乳首を食いちぎりたい……ヤスミの子宮に吸い込まれて、溶かされて細胞になってヤスミと混ざり合いたい。血肉になりたい……!
支離滅裂で不条理な妄想が駆け巡ると脳から濃厚な性欲があふれ出してくる。
それと同時に頼子の奥からも熱い飛沫があふれ出しヤスミの肌を艶やかに濡らした。
「ウウッ……ウウウッ」
「あっ。……暖かい。頼子さんの。きた……。お願い! 早く胸に摺り込んで! 濡れてる肌を舐めた舌でキスしてよ! 早くゥ!」
ヤスミの『おねだり』が頼子の心を燃え上がらせた。
「ウッ! ウッ! ウウウッ!」
激しく腰を振り、繁みと繁みが擦れ合う感触に陶酔しながら、頼子は最後の一滴まで愛のスコールをヤスミにふりかけた。
その出口が快感でジンジンと痺れる。
液化した宝石みたいな露に濡れたヤスミの肌をめちゃめちゃになめまわすと、それを味わう間も惜しんで頼子はヤスミと唇を重ね、その舌をヤスミの口中に差し入れて溶けろとばかりに絡みつかせた。
「美味しい。これ、私と頼子さんの味だね。強いお酒みたいにぴりぴりする」
嬉しい言葉に理性がキレて僅かに残っていた露が噴き出て頼子の脚とヤスミの花弁に滴り落ちた。
「あうっ……! ……はぁぁぁ。ヤスミ……」
『ねえ。ちょっと。聞いてんの?』
電話口から、微かな苛立ちを含んだ声が質した。
「え? ああ、う、うん。聞いてるヨ」
頼子はしばしの間ヤスミとの関係を回想するのに気を取られて無口になっていたらしい。電話の声は、ため息まじりに告げた。
『仲よかったでしょ? これは知らせた方がいいってコトになったから、こんな真夜中に、あたしが代表して電話したんだから、こっちの身にもなってよね』
「ああ、うん。ごめん」
頼子はやはり感情の籠らない声で返事をしていた。
ふたり『けもの』になって愛しあった夜の記憶は鮮明で、それだからこそ実感がない。
ただの友だち程度に私たちの事が解るものか……そんな気持ちもあったのかもしれないけれど、とにかく実感がなかった。
『結婚するぐらい完全なレズカップル成立してるよねって話してんだよ、みんな』
『レズカップル』……頼子の胸に動揺がはしったのは、その言葉を聞いたときになってからだ。
「……え?」
頼子の声が微かに震えると、友だちは前後のはっきりしない話を続けていた。
「う……ううん。違うよ。そうじゃない」
『ホントにそうなの? あのね、それがイケナイとかってんじゃなくてね、もし、そうだったんなら、もうちょっと、それなりの反応があるんじゃないの? 恋人でしょーが?』
頼子は内心で首を傾げていた。
確かに私はレズで、今でもそうだから、それは否定しない。ただ、友だちのいう事が、およそ半分しか合っていないから返答に困った。
まして、これに関しては、結構、心にキズだった。
頼子はふたたび、あの真夜中の時間を思い出していた。
「あ、あ、あ、アアッ! またイク! あああッ!」
激しく頭を左右に振り乱しながら、いちど達したあと、ヤスミは胸いっぱいに溜めた息をゆっくりとはきながら微笑を浮かべて頼子に囁いた。
「私、もう獣に変身できそう。虎とか豹がいいけど、水牛とか似合うかな? かわいいし、頼子さんに食べられたいし」
ちょっと嬉しそうなヤスミの声に答えるかわりに、もういちど深く短いキスを交わすと、頼子はヤスミの腋の下に舌を這わせて舐めまわした。
「さあ、獣になる呪文を言うのよ。変身……って」
「……へんしん。……あ。あ、あ! そこ、いいっ! 感じる! 頼子さん、もっと抱いて! 私を犯して! 犯してよお!」
まるで唄うような叫びに、頼子もまた声に出して愛の証明を要求した。
「いいよっ。めちゃくちゃに犯してあげる! だから、私の名前も呼び捨てにして! いっぱい、いっぱい呼んでっ。お願い!」
「よ……頼子。あっ! ああ! 頼子! 頼子! 好き!
好きいいいっ!
ふたりはベッドに半身を起こし、お互いの名前を呼び合いながら、脚を交差させて貝殻を割り、ひとつになった。腰を揺らすたび花弁の擦れ合うたび、目の眩む刺激と悦びが身体を貫く。
「ヤスミ、ヤスミ、来て! もっと激しく! ンあッ!
ヤスミ! ヤスミ! 好き!好きいいい! あーっ! イク。イク、イクッ! いくゥっ……!」
はぁはぁ…はぁはぁ…はぁ…うっ…。
わずかの間にいったい何度堕ちだたろう?
7回目までは覚えているけれど、そのあとの、獣になりきってしまってからは、ずっとイッたままだった気さえした。
『狂う』って、こういう感じなのかな? ……うっ。
自分の手が自分の肌に触れただけで甘い痛みと一緒に底なしの快感が脳を貫く悦びに、頼子はビクリと身震いして、この身体には、これほどの快楽を創り出せる能力が秘められていたのかと、自身の猛り狂う性欲の深さに驚き、もちろん出来はしないけれど自らの舌と唇で愛液でびしょ濡れの花弁に愛の口付けをしたくてどうしようもない衝動に駆られた。
それが出来る四つ脚の獣が羨ましい。
ほんとうの満足。ヤスミとのセックスは、どんな美句で飾っても足りない悦楽をくれた。
この快感を知った今、飲酒や喫煙の欲求なんて時間の無駄にしか思えない。まして小説で色に例えられた性感を高める薬などは馬鹿々しくて興味も失せてしまった。
愛だ。性欲が恋に、恋が愛に進化するとき、あらゆる快楽は可能性を跳躍する。
……ヤスミ。
頼子は心のなかで愛の塊のような、その名前を呼んでみた。途端に、秘宮が熱くなり、束の間の冷静は押し寄せる性欲の波に砕かれる。
欲しい! ヤスミが欲しい! ヤスミと一緒になら今すぐ死んでもいい! 死んで結ばれるなら命なんか要らない! ヤスミになら殺されたっていい!
心の中では、そう叫びつつ、頼子は自分の胸に顔を埋めたまま、まだ興奮から覚めやらぬヤスミの頭を優しく抱き包み、自然なウェーブがかかった栗色の髪を指ですき、何度も口付けの雨を降らせる。
「ああ……ヤスミ。愛してる……」
叫びたいのを我慢して、やっとの思いで小さな声を紡いだ。
するとヤスミは、いちど頼子の胸に頬ずりしてから顔をあげ、幸せそうな微笑を見せると頼子の胸の谷間にツンと硬く濡れた舌を刺すようにたてて、先端だけを震わせながら身体ごと頭を下へ、下へ、ゆっくりと移動させはじめた。
まるでおろしたての筆のようなヤスミの舌は文字でも綴るみたいに……いや、ようにではない。舌先が頼子の素肌に文字を綴っているのだ。
「……ンッ」
新しい快感の刺激と次への期待に頼子は眉を寄せて両目を瞑る。そして、研ぎ澄ました神経でヤスミの舌が綴る文字を肌で読んだ。
ヨ・リ・コ・ア・イ・シ・テ・ル。ヨ・リ・コ。
「ううッ!」
叫びにならない声に喉を震わせ、頼子は横たわる背筋を弓形に大きく反らせてシーツを掴んだ。
文字を読み解いた途端、頼子の心臓が愛しさに弾み全身の血がたぎった。秘宮へ続く肉管から愛の蜜が溢れた。でも、それで終わりではなかった。
ヤスミ! そう叫ぼうとするより早く硬く尖ったヤスミの舌先は、筋肉質な頼子の腹筋、その直ぐ下の窪みに刺さって先端だけを蠢かせていた。
「あぁ!? そこは……!」
そこは子宮の直ぐ上。頼子の脳裏に薄いお臍(へそ)の底から皮膚を突き破って体内に入ってくるヤスミの舌が、そのまま止まることなく自分の秘宮の壁をも貫き中に到って甘い唾液を吐き散らすことで自分が受胎し、ヤスミと自分の分身、愛の結晶を身籠もる。
そんな理屈を無視した幸せの幻想がイメージされる。
「あ……あ……ヤスミの子ども……産む……! ヤスミも……私の赤ちゃん……孕んで……!」
脳がとろけるような快楽に溺れながら出鱈目な願望は声になって唇から漏れた。すると窪みの中で硬さを増した舌先がひきぬかれ、微熱を帯びたようなヤスミの艶声が聞こえた。
「うん。いいよ。私、頼子の子どもなら産みたい。痛くても平気。ふたりで可愛い女の子作ろう。……私、頼子を妊娠させる! いいよねっ? いいんだよねね?! 今なら舌から精子を出せそう! 膣の中にいっぱい! 出て! お願い! 私に精子出させて!」
ヤスミの舌が下腹部の谷間から滑り込んでくるのを感じながら、頼子は祈るように胸に両掌を組んで叫び返していた。
「孕ませて! 私、ヤスミと結婚したい! もっと奥まで入れて! 膣に、なかに出して! 出してええ!あああ! ……いくっ、イクッ、いくうう! ……ハウッ!」
そう叫んで股間に埋もれたヤスミの頭を抱きしめたとき、頼子の意思が弾け飛んだ。
気を失うほど強烈な快感が思考を停止させたらしく、次の記憶はヤスミの美しい裸体を優しく抱きしめているところから再開されていた。
『もしもし。ちゃんと聞いてる? メモとった?』
受話器越しの無粋な声で頼子は我に返った。
「あ。ごめん。突然だったから、実感がないっていうか、考えがまとまらないっていうか……」
つっかえつっかえな応答に、友だちのつく盛大な溜め息。そして、ほんの少し苦情混じりな、それでも頼子を励まそうとする誠意は感じる声は促す。
『あんたがドライな性格なのは知ってるけどね。『元』が付いても恋人だったんだからさ。……あんたとはセフレ程度までしか発展できてない、この、あたしからしたら羨ましい相手だったんだぜ。せめて泣いてあげなよ。今じゃなくていーからさ。それったって供養の一種だと思うよ』
「……セフレ…って。私は、そんな……」
頼子は、ちょっと慌てて取り繕ろうとしたが、自称・セフレの彼女はピシャリといった。
『ハイ。カッコ付けないっ。……こっちはこっちで、あんたの彼女になるつもりでエッチしたんですからね。……惚れてるから抱かれたんだぞ。そんな場面でだね、先に寝ちゃったアンタが、寝ぼけて違う子の名前呼びながら、あたしに抱きついてきた日にゃ、コレは敵わないな……って思うのが自然っしょ? 恋敵ですヨ、恋敵。その憎っくきカタキの訃報を伝える役を引き受けたのはね、彼女が、アンタの、ずっとこだわった元恋人だと思えばこそなんだかんね!』
話がヘンな方にズレてきた。
そういえば、あなたは『私の彼女』なお方でしたよね。しかし、寝ぼけて名前を間違えるなんて、あまりに失礼なヘマをしたもので、それを責めなかった南ちゃん。あなたは偉い。私はクズでございます。
「……ごめんね、南ちゃん。私が悪いよね」
頼子ことクズの私がしおらしくスマホに向かって頭を下げている気配を声から感じ取ったのか、友だち以上で彼女未満な南ちゃんの声が、ちょっぴり優しくなった。
『ま、まあ、解ってくれたら、それでいいヨ。はあ……。結局さ、何だかんだ言って、あたし、あんたに惚れてんだよね。諦めがつかないっていうかさ。あ。心配しないでね。こういう機会に次のデートの約束を取り付けたり、今、電話エッチ誘ったりするほど無神経じゃないからさ、あたしも』
南ちゃんはハキハキと宣言した。
ルックスは良い。身体の相性も。何よりカラッとした性格を考慮したら、南ちゃんって頼子には勿体ないくらいの世話女房タイプなのは充分に解っている。だから関係を明確にできないままセフレ状態が続いているのだ。ただ、頼子にはヤスミという恋人がいて、その特別な位置だけは動かせない。
実際、ほんとうの遊びでSEXをしたぐらいで「私が彼女でございます」みたいな態度になる図々しい子は容赦なくバッサリ切り捨ててきたのが頼子だった。
秘密のレズビアンクラブでしりあった子たちだけれど、南ちゃんは、格別準カノ。他の友だちとは扱いが違って当然。それをみんな承知しているから、元カノの訃報を知らせる死神みたいな役を押し付けられたのだと予想はついた。
『とにかくさ。彼女のお墓があるお寺の場所は伝えたからね。……あとは、あんたの思うようになさいな。それで気が済むようにして、落ち着いたら、その、あたしを………クッ! ………ごめん。アンタの声聞いてたら我慢できなくて、バレないようにオナニーしてたんだけど……えへへ。今、イッちゃって… …』
可愛い少年声。吐息まじりの照れ笑いが、頼子にも、内緒の悪戯を白状する余裕を与えてくれた。
「謝らないで。私も、南ちゃんの声を聞きながら……してたから。う。今……イ……クッ……!」
つかの間の沈黙。
電話越しに、お互いの息づかいがだけが聞こえた。
『……ふう。結局、ヤッちゃったね、電話エッチ。なんか、頼子先輩に申し訳ない気分』
「……え? なんで?」
『だって、そうじゃん。いくら亡くなって三年だって、それを知らなかった、あたしたちにとっては、今夜が御通夜なんだぜ。御通夜に来てだな、実質、若後家さんになったアンタと、こっそり電話エッチなんてだね、安っすいレディコミじゃあるまいし……』
いや。違う。そうじゃないんだよ、南クン。
私が『何で?』って訊いたのは、何ゆえに、ここで先輩の名前が出てくるのかって話なのだ。
おまけに先輩の名前と私の名前が混じっちゃってるし。頼子は私。先輩は違う人だよ。名前は……。あれ? なんで忘れてるんだ、私。SEXするときも『先輩』って呼んでたから、名前を呼び慣れないのは確かにそうなんだけど。やだ。ちょっと待って。なんだか名前と配役がシャッフルしてんじゃない?
頼子は一瞬の混乱に狼狽した。まだ28歳。いくらなんでもボケるには早過ぎる。まずは冷静になろう。
「あ、あのね、南ちゃん。ちょっといいかな?」
『なあに? さっきの電話エッチがノーカンとかなら却下だゾ」
違う、違う! 電話エッチはいいんです! 実際、お互いに欲情しちゃって、気持ちよくイッたわけだし。
いや、そうじゃなくてねーーー
「あ、あのさ。亡くなったの、間違いなくーー」
ヤスミなんだよね? ……微かに上ずる声で質そうとすると、南ちゃんはキッパリと答えた。
『そう。頼子先輩。アンタが処女を捧げた元恋人』
その答えに、頼子は絶句してしまった。
「……………」
間違いだ。絶対、どこかで話が行き違ってる。
『……できたら墓前に参って泣いてあげてね。あたしは嫉妬したりしないからさ。……ふう。大事な要件は以上ね。あ。そうそう』
南ちゃんはクスッと笑うと、件の少年声で囁く。
『エヘヘ。さっきの、素敵だったヨ。……大好き。そんじゃ、またね。ちゅっ』
声のカタチがハートになりそうに爽やかキスの音が聞こえて、通話は終了。南のばか。こういうカッコつけた事を平然とするから、こっちも諦めがつかないんじゃないか!
浮気。先輩の事もあるけれど、ヤスミに対して申し訳ない気持ちがツライ。まだ訊きたい事や確かめたい事がたくさんあるけど、この記憶の混乱的な行き違いは自分で解決しなきゃ。
寝間着がわりのTシャツを脱ぎ捨て、一糸纏わぬ裸になって赤い絨毯に身を投げ出すと、その解放感でベッドに横たわるより気持ちが落ち着く。
布団に入るときの頼子は、いつも裸だ。
ドレッサーに脚を向けるのは、闇の帳の中でオナニーに陶酔する自分のシルエットを眺めて興奮を高めるためなのだけれど、今は謎の行き違い現象の正体を明らかにするほうが先だ。頭のモヤモヤがさっぱりしたら、そのあとに迎える絶頂も、ひと味違うだろうから、それを楽しむ準備だけしておけばいい。
――さて。何が問題なんだ?
行き違った話を整理するのは、そう難しくないはずだ。仮に、この混乱をミステリー小説に例えると、登場人物は、私、ヤスミ、先輩の3人きり。
探偵役が、私なら残ったふたりのどちらかが被害者で、どちらかが犯人に決まっているから数学的に……というか算数レベルに単純だ。
だけど、これはそう簡単にはいきそうもない。
ここで問題になっているのは、そのうちのひとりが三年前に亡くなっていたという事実。それを、ついさっき突然に知らせた私が少なからず動揺している点。加えて、3人の相互関係が、ちょっと複雑だったから、話自体が混沌としている事。あとは……。
それぞれの距離が作った時間差?
「……時間差……か」
交差させた両手のひらを子宮の真上あたりに置いて自分のお腹を優しく撫でながら頼子は真っ暗な天井を見上げて考えた。
そう。思えば私はヤスミとも先輩とも、ずいぶんと長い間、会っていない。その空白期間のうちに、ヤスミが死んじゃった……そう聞いたはずだったのに、どうしてか実感が無くて。ここを考えるには、ちょっぴりツライ記憶の引き出しを開ける必要がある。それは、頼子がヤスミとの素敵な情事を経て、正式な恋愛への発展を望んだときに遡る。
もう5年。いや、もう少し前になってしまうだろう、ヤスミとふたり、外界と謝絶されたホテルの一室で獣になって過ごした二日間。
サービスで備え置きの安いカップ麺をふたりですすり「あんまり美味しくないね」と、ふたりで笑ったあと、また、ふたりで激しく愛し合って。屋外では太陽が昇り、また沈んでいく時間の経過を時計の数字だけで判断した濃密な愛の中の、空白の一日。
ホテルの部屋から宅配のピザを注文するという、生まれて初めての小さな贅沢もふたりで楽しんだ。
このまま刻が止まって欲しい。わたしたちもろとも世界が滅亡しろ。
あの時ほど真剣に望んだのも初めてだった。
ぼんやりとだけれど、頼子の脳裏に『心中(しんじゅう)』という言葉がよぎるほど、ふたりは愛と性の快楽に溺れていた。かけがえのない幸せが、そこにはあった。
「ヤスミ。お願い! 私の彼女になって! 遊びじゃない、ほんとうに結婚して欲しいのよ。それは、いろんな障壁が一杯あるのだってわかってるけど。でもね! 法律では認められてるんだよ! お願い! 私、もう、ヤスミがいないと死んじゃうよお!」
頼子はベッドの上に正座し両手と額をシーツに擦り付けてヤスミに嘆願した。真剣だった。
でも、その願いは聞き入れてはもらえなかった。
様々あった理由は、心中まで考えた頼子にとっては摘んで捨てろ、クソでも喰らえ程度の詰まらない、あまりにもありきたりなものばかりで概要すら思い出せないけれど、切れ長の目じりから大粒の涙を流しながら、頼子の希望に応えられない事を詫びる涙声と、手のひらで顔を覆うヤスミの震える肩だけが記憶に焼き付いた。
……泣いたなあ。私も。
喉の奥が苦くなるほど、抱き合って泣いた。
結局、別れたくないという点では双方の合意が成立してヤスミは頼子の恋人になるという着地点を得たが、その結論は、実質、新しい彼女が出来た止まりの不完全な恋愛成就だったのだろう。
灼熱の炎と燃える愛の獣は、いつか終わらなくてはならない別離れの怖さを含んだ、毒蛇のように美しい有毒生物みたいな感覚に変化してしまった。
背徳感とは少し違うかもしれないけど、命をあげるぐらい惚れて愛した相手にフラれたのだから、メンタルにダメージを負うのは仕方ない。
もちろん『彼女』としてのヤスミは申し分ない子だったし、この関係を創る事が頼子の、当初の目的だったのに、何かが違ってしまった。
――温度差? あんまりバケ学化したくなかったんだけどもね。
暗い天井を見上げて、溜め息ひとつ。
じんわりと瞳が潤み、スンッと鼻を鳴らしている自分の女々しさに、ちょっと苛立ちながら、肘を枕に寝返りをうつ。忘れられない。ううん。忘れたくないんだ、私は、ヤスミのことを。……なのに。
辛い思い出に頼子の胸は擦り傷のように疼いた。
ヤスミの笑顔、肌の匂い。舌の甘みを思い出すと頼子の手、その指先は無意識のうちに、また自分の胸をまさぐり、しっとりと濡れ始めた花弁を慰め始めていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…。ヤスミ。あんたはどこへ行っちゃったの?」
暗闇の中で頼子は声に出して過去の記憶の中に生きているヤスミに質した。
彼女になってからのヤスミは、ますます美しくなり、前にもまして頼子を魅了したが、その存在は、 空気のように少しずつ透き通っていった。それは身体を重ねるたびに感じる、喪失感に似た消滅感。例えるなら温かい霧が次第に温もりを失い、ひんやりとした湿気に変わり頼子の身体に染み入ってくる。そんな儚い感覚。
それから1年ほどして、ヤスミは頼子の側から、ほんとうに自然に消えてしまった。少しずつ疎遠になっていったのかもしれないけれど。これも自然消滅というのだろうか?
「……ああ、ヤスミ。ばか。ヤスミのばか。……。ウ。わ、私はあんたが見えなくなっても、こうやって……毎晩、あんたのコトをオカズにしてるんだよ。イクときにはね……名前も呼んでるの。わかる? 私は今でもヤスミだけの淫乱恋人やめられないの……!ごめんね、ヤスミ。で…も、…これだけは、言わせて。ヤスミ! あ、愛して……あうっ!」
身体がびくんと震えて全身が微かに汗ばんで、軽くて小さな飛翔が過ぎた。ほんの少し荒い呼吸の音だけが室内に聞こえて、また、頼子はひとりになる。
そのときの陶酔と痛いほどの愛情を共有した幸福感の記憶が新しい性欲を脳に湧き出させるけれど、今は我慢して、自分の疑問と向き合わなければいけない。
何も心配ない。自分で自分の身体を愛するのは、いつでも、いくらでもできる。
頼子は毛足の長い真紅の絨毯に裸体を横たえ、両目を瞑って大切な記憶をしまってある秘密の沼に心を沐浴させた。そうして自分の艶やかな息遣いを聞きながら、あらためて最初の恋人だった先輩との記憶を辿り始めた。
三年前。既に亡くなったという先輩と私のことを。
――浪漫はあったけど。『魔法』っていうのは……。先輩にしては可愛いっていうか、ちょっと幼いコトやったよなー。
忘れてた。私はいつのまにか先輩の歳を追い越していた。死んじゃったのは三年近く前だというけど、私の中の先輩は18歳のままで、今の私から見れば10歳も歳下の子どもなんだ。まだ子どもなんだから仕方ない。だからというのでもないけれど、昔は恥ずかしくて呼びにくかった名前を……先輩は「呼び捨てにして」って、いつも言っていた下の名前を呼んでみる事にした。今は私が『お姉さま』なんだから、それもいいでしょう。
「あ、あっ! 先輩! ウッ……よ……先輩っ! ううっ!」
名前を呼ぼうとすると、指先を濡らす花弁から暖かい液体が流れ落ちるのがわかった。
人差し指と中指で分け開いた花園の中心に硬く立てた中指を人差し指と一緒に音がするくらい乱暴に激しく差し入れると、逆巻く快感の渦に飲まれる。
その瞬間、さっきまで忘れていた先輩の名前を大きな声で呼んでいた。
初めて愛して、愛してくれた先輩の名前を。
「よりッ……! 頼子先輩! 頼子おおお! 好き!大好き! あ……愛して……あっ? おちる? おちる! 堕ちるゥーー! きゃああああああ!」
鏡の中に映った自分のシルエットが妖しく仰け反り激しく頭を振るのを見遣ると、全身を針で刺すような甘美な刺激が容赦なく襲ってきて、思わず歓喜の悲鳴をあげてしまう。
同時に快感の激流に溺れながら大声で呼んだ先輩の名前に驚き、瞑っていた両目を見開き瞬いた。
頼子!? 私の名前じゃない。なによ、ソレ。私と先輩が同じ名前だったってわけ?
そんな馬鹿なことがあるはずないでしょう! そうだ。私はまだ先輩が死んでしまったなんて思っていないから混乱してるのよ。さっき電話で南ちゃんに聞かされるまで、私は、いつも通り記憶の中のヤスミと愛し合ってる最中で急ブレーキのショックを受けたし。
あり得ない話だけれど、仮に、私と先輩の人格が二分割同一だったとしても、片方が死んじゃってるなら、今、先輩をオカズにオナニーをしてる私は誰なわけ? やっぱり頼子は私だよ。でも……先輩の意識とか魂が私の中に入って私になってるのだとしたら、どうだろう?
頼子は落ち着いて考えた。
――そう。よく漫画とかにある恋人同士の人格が入れ替わるってヤツ。ああいうことって絶対にあり得ないのかな? この身体は頼子先輩の。私の容姿は先輩に生き写し。双児姉妹以上に頼子そのもので……。
いや。ほんとうに、そうか?
確かに私はメタルの眼鏡をかけるけれど、コンタクトの方が圧倒的に多い。背も高くないし、髪だって先輩みたいなベリーショートじゃないではないか。
――何よ? ぜんぜん似てないじゃん。それじゃ似てるって……性格が?
二重人格っていうなら解るけど、同じ性格がふたつあって容姿が似るのは、ちょっと無理があるような気もするけれど、まあ、あるとして、記憶や経験のまでというのはクローンだってあり得ないのは科学的なデータが証明してるじゃない。……でも。
科学や理屈では説明のつかない不可能をいとも簡単に可能する方法で、それが出来てしまったから、物理的にはふたりでも実質的にはひとりの人間がいる……そんな説明の付け方ならある。
……それが『結婚の魔法』。
頼子は自らが導き出した答えに微かな戦慄を覚えた。
冗談かタチの悪い創り事。人によっては……たぶん、これが大多数の共通見解に落ち着くのだと予測は容易いけれど、私は神経あるいは精神の病気または障害を抱えた人だということになるんだろうし、それを否定したら、そうでなくとも、もっと深刻な病気にされてしまう事ぐらいは冷静に判断できる。他に無理矢理な説明をつけるなら『性癖』だろう。
つまり、慌淫(こういん)ともいうべき淫乱な発情を私の深層心理が自己嫌悪していて、それを善意に肯定するため偽りの個性を演じる虚言癖の一種という解釈。あくまで『癖』だから異常まではいかないので、私は自分を『ちょっと変わった性癖の持ち主』という事にして他人の詮索を回避するための言い訳に使用している。実はこれこそ虚言なのだが、他に他所から見てヘンなところがない以上は仕方ない。嘘は嫌いだけれど自己防衛のためだ。
ほんとうは誰も知らない秘密の真相があるのだけれど医学的にも科学的にもアウトだし、それが証明できたとして、無粋な研究の材料になるのは御免だ。
――あの魔法の儀式。あれが今の私を生み出したの? ……ああ。それなら私になる前の頼子先輩。真実を教えて。
頼子は左の手首に愛蜜に濡れた中指と人差し指を、そっとあててみた。もう傷痕すら残っていないけれど先輩と私は、ここで心までひとつになった。
そして思い出す。先輩と交わした魔法の儀式のこと。
「手首、切るの? これで?」
頼子は震える小声で先輩に訊いた。
アロマキャンドルの炎が揺らめく仄暗い空間の中で先輩がコクリと頷く。
「そう。切るの。でも、深く切っちゃダメよ。血が出る程度に肌を裂くだけ。傷が残らないように気を付けてね。そう。私が先にやってみせるから、見て覚えて」
落ち着いた声で、そう告げると、先輩は浴室から持ってきた小さな安全カミソリを自分の左手首のの上にあててスッと横に滑らせた。
剃刀が動いた後に一拍遅れて、傷というよりミリペンでひいたような細く小さな線が浮かび上がったかと思うと、それはやがて切れた皮膚から滲み出た先輩の血だと認識できるまで、たっぷり三十秒はかかった。それほど浅く小さな傷だった。
「ね? こんな風に。怪我にしちゃダメ。これ、破瓜の血と痛みを意味する儀式だから。幸せを感じる痛みと血じゃないといけないの。わかる?」
「う……うん。」
頼子はコクリと頷くと、先輩がしたように、右手首に剃刀をあてて、そっとうごかした。痛みは殆どない。どちらかと言えばヒンヤリと冷たい感じだ。
痛みだけをいえば、指先が自分の子宮口に届いたときのほうが何倍も痛かったし、出血量にしても、たぶんそうだと思えた。
「……痛い?」
先輩の訊く優しい声に頼子は首を横に振って答えた。
「ううん。ぜんぜん。調理実習で指切ったときのほうが、ずっと痛かった。それに……」
「それに?」
「先輩の肌を切った剃刀で切れたんだなって思うと、なんか、嬉しい」
はにかんだ頼子の声に先輩のあつい吐息が聞こえた。
「それじゃ、いい? ふたりの傷口を重ねて」
「う、うん……ええ、ハイ」
ふたりの手首が重なりお互いの傷口から染み出た血が交じり合ったとき、頼子は軽い眩暈と甘い快感をともなった心臓の痛み、そして胸が熱くなる不思議な感覚をおぼえた。
頭の中に先輩が産み付けた愛の卵から幸せが孵(かえ)る瞬間が迫っているのがわかる。
それは先輩も同じらしくて彼女の喉から小さな嬌声が漏れるのが聞こえた。
「……う」
やがて先輩は、今までにないほどの艶声で魔法の言葉を唱えはじめた。
エコエコアザラク……響け祈りよ。エコエコザメラク……炎と燃えよ。
……そうか。先輩との関係は自然消滅じゃなかった。先輩の記憶や経験は残っているから、私は、私にも先輩にもなれた。
そう。自分でも不思議だけれど、私は頼子で、自身の記憶も先輩の記憶もちゃんと持っている。だとしたら、ヤスミは誰で、どこへ行ったの?
三年前に亡くなったのは、結局、誰なわけ?
南ちゃんは電話で最初にはっきりといっていた。
『……ヤスミさん、亡くなってたんだって。もう、三年近く前らしいよ』
おかしい。確かに、そう聞いたから、その直前まで記憶のヤスミを抱いていた私は、その事実を実感できなくて、それで……。
「えっ? ち、ちょっと待って。何で南ちゃんがヤスミのコトを知ってるの? 紹介どころか、ヤスミの話だってした事ないじゃない!」
先輩の訃報を、知らない人の名前と間違えるなんて不自然だ。でも、南ちゃんも、レズ倶楽部の友だちも、みんな、まるで私とヤスミの関係を知っているような口ぶりだった。
でも、間違えているとも、私をからかっているとも思えない。だいいち、南ちゃんは、亡くなったのは『頼子先輩』だと確認もしたから、今、こうして混乱しているんじゃないか。
そこまで考えたとき、頼子はハッとして、ある事に気づいた。
――南ちゃんって中部の生まれで、同じ言葉を関東のイントネーションと逆さまに発音することがあるけど……まさか。
頼子は南ちゃんと、方言の話で盛り上がったときのことを思い出してみた。
あれは、ふたりで洋風居酒屋に行ったときのこと。
『カレーとカレーってさ、間違えやすいよね』
『南ちゃんが注文したのは、どっちのカレーなの?』
『魚のカレーだわぁ。カレーの唐揚げ。ちゃんとオーダー入ってるか心配でかんね、あたしは。関東では発音が逆さまになるって知らなかったでねー』
南ちゃんは、わざわざ、どことなく可愛い故郷の言葉で言うと苦笑しながら肩をすくめてみせた。
待つ事しばし。運ばれてきた料理は『カレーピラフ』だった。これなら確かに『カレーの唐揚げ』と言えなくもない。
お店側も困惑した末にした出た回答事だろう。
こう来たか! ……しばらく笑って、カレーピラフは仲良くふたりで食べた。
魚の方なら『カレイ』と『イ』の部分をを強調すればいいとアドバイスしたが、本人的には『してるつもりなんだわ』……と、照れ笑いを浮かべていた。
ここに至って、頼子は久しく忘却していた先輩のフルネームを突然に思い出したのだ。
ヤスミさん……そうか。大事な事だから、南ちゃんは最初だけ先輩の苗字を丁寧に……。
やはり亡くなったのは、もうひとりの私、頼子先輩だった。確信した途端、目尻から大粒の涙が流れて頬を濡らした。
どんなに好きで互いに愛し合った人でも近況を知る術が無ければ、その生死すら知ることはなく、知った事で、その人とは、もう二度と逢えない事を実感する。
頼子は、今になって、やっとそれを実感した。
そうか。頼子先輩は、もういないんだ。私が初めて愛した人。出会ったときは他人だった。なのに肉親よりもお互いのこと事を理解し合えた元恋人は、もう、この世にいない。いや、3年前には既にいなかったのだ。便りがないのは元気な証拠……なんていうけれど、できることなら、もういちど逢って、成長した私を抱いて欲しかった。
……抱いて欲しかった? ううん、違う。そうじゃないな。抱かれたいんじゃなくて、成長して大人になった私が10歳年下の頼子先輩を抱きたかったんだ。
これが私の本音だろう。そうでなければ、南ちゃんとだけでは処理しきれない性欲をヤスミと先輩を交互に、ときには、ふたり同時にオカズにしてのエア3Pなんかして夜毎のオナニーにふけったりしない。
そう考えた途端、喪失感は激しい性欲に変わって、脳髄は今すぐに強く甘い恍惚を要求し、それを得るための行為を再開することを身体に命じる。
「はあ……っ……だ、ダメ。……くる…波がくる…あっ。あっ。欲しい! 欲しい!」
「……頼子。私があんたを犯してあげる! さあ、自分の指で花弁を開くのよ。我慢しないで溶けた宝石を漏らしなさい。せんぶ私が飲んであげるから! あんたは誰にも渡さない。私の赤ちゃん孕みなさい。妊娠なさい!」
頼子は二十歳の先輩が耳元で囁いてくれた淫靡な愛の言葉をなぞるように声に出して快感を貪った。
同性が愛し合う術の全てを教えてくれた大好きな先輩の優しい声が記憶の中から呼び掛けてくる。
なんて可愛い淫乱なの、あんたは。違う? ふふふ……嘘いいなさい。ほら、こんなに欲しがってるじゃない。あっ。いい! 私も! そうよ、子どものあんたに、私が淫乱を感染したのよ。ごめんね、淫乱、感染しちゃってゴメンね! そのかわり、私をあげる! 淫乱の楽しい苦痛から解放されるまで私を犯して!何されてもいいから!……ミンのあそこ、舐めさせて。……あんたと私は、ひとつになるのよ。……ふふふ。私たち、名前も似てるんだし、ほんとうに結婚できたらいいね。はあっ……! そう。そうよ。もっと突いて。あうッ! ……ミンは私のお嫁さんになりなさい……。
10年近い刻を経て今も鮮明に輝いている先輩の、淫語に包んだ愛の言葉。ただ、ときおりハリが飛ぶように入ってくる違和感、記憶から欠落していた言葉が気になり、頼子は自分の花弁の中に抜き差ししていた指の動きを止めた。
――なんだっけ? 付き合い始めたばかりの頃だけ先輩が使ってた……言葉? ……ええと。
自慰の陶酔を雑念で妨げることに勝る無粋と不快はないのだけれど、いちど気になってしまうと、せっかくの快感に水をさす。だから、思い出すなら早く思い出して、サッパリしてから先輩への供物を捧げよう。だって先輩がいちばん好きで喜ぶものは、私がいちばん知っているもの。
「……先輩。またあとでね」
頼子は、そう言い置くと、遠くに置き去りにさた記憶の墓場を静かに掘り返し始めた。
若い頃……といっても、まだ三十路にまでも大学時代の半分くらいの猶予がある年齢の自分にとって10年の歳月も長いとは言い難い。なぜなら、今の年齢から10年以上を遡ると頼子は経験値不足な未成年になってしまい、それ以上、たとえ半分の5年でも過去へ戻ればやっと自慰に目覚めたばかり中学生。
ほとんど、子ども。ハッキリ言えばガキなのであって、本当は興味深々、性欲盛々のくせに同性との恋愛どころか、コソコソやってるヘタな自慰にすら背徳的罪悪感を持っていた頃になってしまう。
――おー。青っ臭さっ。……ったく、恥ずかしいんだよ、中学生の私。生理の出血を『痔病』と勘違いして大騒ぎする馬鹿ガキが詰んない同人誌に参加して、やれBLだ、これは百合でございます……なんてのが笑わせるのだよ。おまえなんかに、レズビアンの何が解るんだ、なにが?
解る訳ないだろ。相手は15歳の子どもだよ。
あまりにも口汚ない罵り方に心の声が自重を促すけれど、憎い相手は昔の自分なので容赦がない。
――もう。まったく。あれが、将来、作家業に就けるって言うんだから世の中、間違ってる。頼子先輩も頼子先輩だよ。あんなだった私に、優しく丁寧に句読点の位置からピリオドの打ち方まで教えてくれちゃってさ。こら、青ガキの私。先輩に感謝しろってんだ!
……いや。感謝はいつもしてるな。
自分で青臭い自分にキレている場合ではない。
こうやって関係ない事に気を取られて、話が逸れるから何度も原稿を書きなおすはめになるのだ。
冷静になれ。馬鹿ガキの私は、もういない。
……よし。冷静になったぞ。
そうだ。そもそも私の創作技術は、先輩が教えてくれたんだ。先輩の好きな表現や言いまわし、得意なフレーズも、みんな私の中で生きていて、それを職業として自分の独立した生活を守ってる。
いろいろダメな私に、どうにかだけど食べていける技術も貰ったんだ。
……ああ。私の中に先輩がいる……!
そう思うと、胸が熱くなって、頼子は涙が出るほどの愛おしさに自らの両腕に自身の身を抱きすくめて、深く熱い吐息をついた。
先輩は、子どもの背伸び遊びに毛がはえた程度だった私の文才を、誰よりも早く、高く評価してくれた師匠でもあった。パソコンのキーボードを叩く頼子の肩に軽く顎を乗せ、ときにはマウスを動かす手に手を重ねて、頼子が新しい文章を紡ぐたび、嬉しそうに頷き、頬ずりもして、良い文が書けると『うん! 名文! どんどん上手くなるね。ハイ。ご褒美』……そう呟きながら頬に優しくキスしてくれた。
――ご褒美を貰うのが嬉しくて、私、信じられないぐらい頑張っちゃったんだよなぁ。たまにヘタなもの書くと『メッ! こういう事書いちゃあダメ! あとでお仕置きだよ』って。ふふふ。お仕置きとか言って、ご褒美と内容が同じか、もっと気持ちいいコトされるんだもんね。いっぱいお仕置きのときは『かわいい』って言いながら。いっぱいご褒美のときは『愛してる』って。
気がつけば、頼子の両頬は唇を濡らすほどにあふれて、舌の先で舐めると海の水みたいに甘塩っぱい。
「ああ。先輩、先輩! 好き! 好き! 愛してる!」
気がつけば頼子の指先は、いつの間にか、泣いているかのように濡れた花弁の奥深くまで呑み込まれ、もう片方の手のひらは胸のふくらみを激しく揉みしだいていた。
「はぁ、はぁ……SEX…大好き。先輩と同じぐらい大好き。あ、ダメ! 止まらない!でる! 出る!」
頼子は眉間を寄せ唇を噛んで絶頂の衝撃を全身に浴びる瞬間を迎えるための準備を整え終えつつあった。そしてそれは、いや、それも先輩が教えてくれたSEXの頂点。『けものになる呪文』の詠唱によって思考の安定を失い愛情の火薬を炸裂させる魔法。
そのときは突然に訪れる。
「ウッ…出るゥゥ!」
頼子は勢い激しく頭を左右に振りながら、弓形に大きく反り上がって震える腰に制御不能な無重力感を覚え、開ききった花弁から微かに高い水音をたてて湧き出る温湯が手首までを洗い、腰のラインをつたって絨毯にしたたり落ちていくのを感じた。浮いた腰の下は、もう愛の湿地になっている。パシャリと湿った音をさせて浮いた臀部を着地させると、両手のひらに握った乳房をこねるように揺すりながら何波も続けて襲いくる悦楽の波に身体を転がし、先輩の声と口調を真似た獣の呪文を唱え続けた。
「……変身…。私は獣。世界で一番いやらしい淫乱の雌豹。先輩……ヨリコが感染してくれた淫乱は、もう、手の施しようがないの。脳がいやらしく爛(ただ)れてる…あっ…またイク。ああ! もっと、もっと女とセックスしたい。女が欲しい!あ! 堕ちる!」
瞬間。稲妻が走るような快感が電流のように頭から足の爪先までを貫き、子宮の中で爆発する。
それは無限に生まれては、弾け消えて、またうまれてくる泡のような快楽の連鎖。悦楽の地獄と表裏一体の天国。快楽の天使に変身した獣はさらなる悦びと等価の愛情を得なければ己の存在を維持できないことを承知しながら、そのリスクを棄てられない。
――そうよ。だから私は性の狩人になった。快楽の天使でい続けるために。矛盾かもしれないけれど愛し過ぎた先輩を、もっと愛するためには先輩より淫乱である必要があった。他の女を抱くたびに、先輩への純愛を更新できる事を知ったから……。
「……ふう。我ながらインモラル文芸してるよなあ。いやらしすぎっていうかね。普段書いてる作品よりも、こっち方面の方が合ってんじゃないの?」
嵐のような快感と興奮がピークを過ぎて、頼子は少しだけ冷静さを取り戻していた。
そうだ。先輩と出会ったのは大学の文芸サークルで、その実態が秘密のレズビアン倶楽部だったわけだが、その伝統は古く、聞けば1970年代のなかば頃には今と同じスタイルだったという。あえて『今』と表現するのは、現在も後輩たちがよろしくやっていて、OGを含むレズビアンのネットワークが健全と機能しているからだった。6歳歳下で準彼女の南ちゃんと知り合えたのも『
矢隅先輩。つまり、頼子先輩だが、そのサークルのホープ的な人で、文章が上手く、文芸雑誌や投稿サイトのコンクールに参加しては、しばしば名門文学賞の最終選考まで名前が残ったり、投稿サイトの月例賞など、小さい賞を何度も獲得していた。
「あたし程度じゃプロは無理だよぉ」
そんな風に苦笑する謙虚な人でもあったけれど、その先輩から受け継いだ技術は、ちゃんとプロの業界で通用しているのだから、やはり先輩には本物の文才があったのだろう。
だからこそ――。
……そう。だから私は憧れの先輩の名前にあやかったペンネームで名門文学賞にチャレンジして、今、読むと、まだ少し未熟だなって解る、それでも一生懸命書いた作品が佳作入選したのをきっかけに作家の道に進むことを決めたんだ。その筆名が……
『
『ねえ、この筆名。なんて読むの?』
黒縁メガネが良く似合う美人の初代担当さん。苦笑いするから、私、胸を張って答えたんだ。
「あ、あの……暴走族、ちょっとだけやってましたから。『
我ながら無理があると思ったけれど、先方は柔軟に対応して、いい落とし所を見つけてくれた。
『まあ、拘りも有ろうし、さりとて筆名は看板だから読みやすい方が良いし。音の響きは悪くないから、どう? いっそ全部ひらいて『ひらがな』にしてしまっては』
『よし。きまった。それじゃ、キミのことは『ヨリコくん』って呼ぶね。ハハハハハ。何だかどっちが上でどっちが下か解りにくいけど、そういうのも珍しくていいんじゃないのかな!』
この瞬間から私の、名前は『ヨリコ』になった。
自分で自分の両肩を抱きしめて泣いていると、突然に電話が鳴った。
時刻を見ると午前2時。
相手は、南ちゃんだった。
……南? また、何かあったの?
「南ちゃん。どうしたの?」
『起きてた? ……良かった。ねえ。今から部屋に行っていい? ううん、絶対に行くかんね!』
「えっ。い、いいけど。今どこにいるのよ? あんたの部屋でしょ?」
『違う。玄関の前。いいなら開けてよ』
「はあ?! ち、ちょっと待ってっ」
裸のまま起き上がり、玄関のドアスコープに目を近づけるとスマホを耳にあてたまま、オリーブ色のミリタリ鞄を袈裟懸けしたトレンチコート姿の南ちゃんが、ほんとうに、ドアの前にいたので、ヤスミは驚いた。
……うそ。マジで来てる。
ヤスミは慌ててインターホンの受話器を取ると外にいる南ちゃんに告げた。
「びっくりしたあ。今、開けるから早く入って!」
こっちは裸だけど、訪問者が南なら問題ない。チェーンを外し、ドアを内側へ引くと、南ちゃんは、まるで仔犬のように玄関に滑り込むなり、裸のヤスミに抱きつき、唇を重ね、舌を絡ませた。
銀縁の丸眼鏡にキャラメル色の長い三つ編みを揺らして舌を動かす南ちゃんの身体を抱きしめると、コートの下に服を着ていないのがすぐに解った。
「……下着。付けてないんだね」
腰のすぐ下を撫でながら訊くと、南ちゃんはコクンと頷き、ため息まじりな甘い少年声で答えた。
「うん。どうせ、すぐに脱ぐんだし。ひと通り、鞄の中に詰めてきた」
……はあ。何て積極的な。ここまで来る途中で痴漢にでもで出くわしたらどうすんのよ? ホントにばかなんだから。ばか南。
そう思った瞬間、ヤスミの花弁が蜜を流す。
「あたしさ、スミ姉に淫乱、感染されたんだ。責任とって……くれるでしょ?」
可愛いくねだる少年声に応えるかわりに、ヤスミは南ちゃんのコートを脱がせ「ばか。ばか。南のばか」と呟きながら何度も深いキスを繰り返した。
「……淫乱、感染しちゃってゴメンね。私、責任とる。……ほら」
ヤスミは、いわゆる、つるぺたボディの南をじっくりと目で眺めてから、ほんとうにペタんこな胸に実った乳首を口に含み、その甘味を楽しむ。
裸の身体に、まだロングブーツを履いたままのアニメキャラっぽい南の姿を見て、さっき、いちど落ち着いたはずの性欲は一瞬て充填されていた、それも南の美しさと健気さが、ヤスミの心に愛の嵐を巻き起こす。
「こんな夜中に。タクシー代、かかったでしょ?」
「ううん。でも終電過ぎてたから自転車で来ちゃった。どうしてもスミ姉に会いたかったんだよぉ」
それを聞いてヤスミは目を瞬いた。1時間以上はかかる夜道をひとり自転車をこいで走っている南ちゃん……南の姿を思ったら、その健気さと愛しさに目が潤み、涙が頬をつたった。
「……ばか。そんな無茶して。もう、しばらくは帰さないからね!」
優しい声で囁きながら南の裸体を床に倒してブーツを履いたままの両脚を少し乱暴に開くと綺若草を綺麗に剃り落とした桜色の貝をヤスミの舌が舐めあげる。
「うっ……気持ちいい……これをされたかったの。あ…あ…。……ヤスミ。いい。このまま、あたしを犯して!」
「もちろんよ。めっちゃめちゃに犯して、愛してあげる!」
ヤスミは微妙な舌の動きを少し強め、仰向けになった南の裸体を、それこそ舐めるように鑑賞し、肌の匂いも楽しんだ。
……綺麗。なんて綺麗なの。
妖精。天使と表現するより南の美貌には、そちらが似合う。
しばしば「ハーフなの?」と訊かれ、繁華街を歩いていると欧米かららしき外国人観光客に、道順や、お店の場所を訊かれて……。
「お、おー。ソーリイ。ミー、キャノント・スピークイングリッシュなんだがね。ビコーズ・アイム・ジャパニーズガール・ハア。あたし、英語、よう、せんでかんわぁ。tier,more,tier……ハァ」
……と。テンパって危なげな英語に焦った中部訛りが混じった謎の言語で答える様子や、カートゥーンのキャラみたいにコミカルな表情がたまらなく可愛い。でも、セックスに陶酔しているときの南は、果てしなく美しい妖精そのもの。快感に抗って、さらに強い快楽を求めようとするときに見せる苦悶のそれにも似た眉間のすじ。性欲に任せて絶え間なく紡ぎでる少年声の淫語。達したときに反り返る綺麗な背中を破り、透き通った蜻蛉の羽根が生えてもおかしくないほどの変身は普段とのギャップでさらに彼女の魅力を高める。今もまた……。
「スミ姉! 開いて! 裂けるぐらい開いてあたしの中を見て! スミ姉になら、何されてもいい! 妊娠させて!
声で答えるかわりに、ヤスミは固くした舌を南の中深く差し込みながら、南の味に既視感を覚えた。
……これ、先輩の味? でも、最近、も味わった。ヤスミが私なんだから、城址公園で私が押し倒したのは……南ちゃんだったってわけ?
そう思った途端、すべての疑問は氷解した。
そうだった。最近『百合ブーム』だとかで、取引先の版元さんやゲームメーカーから複数のオファーがきたので、無理を承知で、ぜんぶ受けてしまったのだ。
二十四時間。部屋に引きこもって小説を書く、モチベーション維持のため激しいオナニーをする、また小説を書くの繰り返し。頭の中はレズで一杯。
食事は片手で食べられる、コンビニのおにぎりやらブリトーやらで済ませ、ラストスパートの頃にはゼリーパックで瞬間栄養補給。平均的な仮眠が三時間程度。
これで身体に良い訳はないが、全部こなせば、その売り上げは一ヵ月間で百万円を少しオーバーするのだから、お世辞にも売れっ子ではない『やすみよりこ』にとって、こんなチャンスは滅多にない。
創作というのは、筆者ひとりが登場人物全員になりきって描かないとリアリティが出ない。
だから、いちどに十数人を相手に脳内乱交パーティー状態になる訳で、途中に仮眠をしたりすると夢と現実の境界線が曖昧になることもある。
いちばん大事な発想だって無限ではないから、当然、実体験も引っ張り出して、さも創作でございますを装う訳だ。
この実体験だが、実際の順序通りに思い出すのではないから、時間や時期が前後して、まるで記憶のモザイク状態になる。
魅力的な女性たちが奔放に、かつ、美しく愛し合うインモラル小説も、その楽屋は惨憺たる無粋の極みなのだが、それでも女とSEXの摂取過多に胸もお腹も壊さないというのだから、我ながら、これも才能なのだろうと『やすみ』の自覚を取り戻した頼子は呆れつつも納得した。
……淫乱レズの底なし沼だな、私も。……と。今のフレーズ使えるな。ええと、どの作品の何処に配置すればいーんだ?
このような無茶が一週間続いて、期日通りに作品の脱稿、納品を済ませた時、もう頭はフラフラ、目先はクラクラで、シャワーを浴びる余裕もなく全裸のままベッドに倒れ落ちて爆睡半日。
その睡眠途中、たかぶった神経がオナニーを要求したので、すぐにイケる宝物として大事にしていた『頼子先輩』との思い出の配役をシャッフルして、自分は先輩に、自分の役に、現・恋人の南ちゃんをあてた妄想をオカズにして、あと、ちょっとで絶頂に達っそうというその時に、さきほど……といっても、まだ数時間前だけれど、南ちゃんから『先輩が亡くなった』という衝撃的な電話がかかってきたものだから一時的な記憶の混乱が起きて、今に至ったのだろう。
タネと仕掛けの辻褄が合えば、それほど怖いものではない。そうだ。この前、南ちゃんと愛し合ったのは、締め切り地獄が始まる数日前。
そんなに昔の話ではなかったのだが、創作用に作っておいたシチュエーションが淫靡な妄想の装飾として取り込まれてしまったのだ。
……あっちゃあ。ダメだねえ、私も。これじゃあ夢野久作の小説もびっくりの記憶混乱じゃんか。
南ちゃんが達する嬌声を聞き終えて、半分満足すると、ヤスミに戻った頼子は室内灯の豆球がつくる幽かな黄色い灯りの中にスッと立ち上がってドレッサーの姿見に映った自分の裸体と容姿をはっきりと確認した。
栗色のウェーブがかかったセミロングの髪。睫毛の長い大きな両目。なぜか困ったように見える下がりぎみの眉。
そんな歳でもないのに、しばしば『ロリBBA』とからかわれる小さな胸、ぽっこりとしたお腹も、どれひとつとっても宝塚系でボーイッシュだった頼子先輩には似ていない、女の子然とした自分が、ちょっと困惑したような表情で鏡の中から、こちらを見ている。
「……ははあ。ヨリコ先輩になりきって、自分で自分を犯してたってワケか。混乱しとるなあ、私も。……淫乱の混乱」
そう小声で呟くと、ついでに、しようもない駄洒落が浮かんで、ヤスミはクスクスと笑った。
すると、いつの間に背後に立ったのか、南ちゃんの温かい両手が、ソフトボールより少し小さなヤスミの胸を、ふんわりと包んでいた。
「ん…………」
乳首に触れる指の感触が、また性欲を刺激した。それも、愛情をたっぷり含んだ濃厚なやつだ。
「スミ姉。鏡を見ながらひとりでオナニーなんてズルいぞ。……ねえ。するなら、一緒にしようよォ」
『スミ姉』。南ちゃんが専用にしている自分の呼び名。『ヤスミお姉ちゃん』だから『スミ姉』だ。
そう呼ばれている自分は、もう既に南ちゃんを『カノジョ』と呼ぶには相応しくないほど愛していた。
……南ちゃん、ううん。南は、ミナミが今の私の恋人。この娘になら、私を全部あげられる……!
だから、吐息まじりの声でヤスミは囁き、妖精みたいなミナミの身体を抱きしめた。
「ミナミ。愛してる。あんたと一緒なら、私、いつ死んでも良いよ」
「……あたしも愛してる。……ヤスミ。大好き……!
南ちゃん……恋人と交わす。優しく甘くキス。そのキスは、ちょっぴり涙の味がした。
かくして、ヤスミの心中で記憶の整理と清算が完了し、作家の『やすみのよりこ』はSNSに『疲労回復のため全休中』とだけツイートして携帯の電源もネットも切断し、恋人とふたりきりの数日を過ごした。
それから南ちゃんの押し掛け同居が完了するまで、それほどの時間はかからなかった。
もともとサッパリしていて実家とも縁の薄い断捨離性質なミナミは住所変更など、ヤスミにとってはチンプンカンプンな法的手続きをサッサと済ませ、もともと頼子先輩の部屋だった、丘陵中腹の古いマンション。
現・ヤスミ宅の共同世帯主となった。
同居者がひとり増えた訳だから、何かと物入りもあったが、幻覚をみるほど頑張って稼いだ百万円強の印税や原稿料も、おおいに役立った。もう、ええとこ、新婚生活である。
しかし、一緒に暮らし始めて、ヤスミが驚いたのは、ミナミの生活能力の高さもそうだが、その創作センスだった。
バイト兼業でヤスミのアシスタントをしながら本格的な投稿作品執筆。もちろん百合小説だ。
頼子先輩にとってのヤスミがそうであったように、ミナミは、一を教えれば十を理解し百に昇華するという、イマイチ売れないプロのヤスミから見ても天才肌だったのだ。
少しコミカルな話だが、ミナミの筆力は、いちど愛し合うたびに上達し、知識欲と天然の発想力も手伝ってか、僅かの間に、もう教えるべき技術がない……とヤスミを震撼させるほどの成長をみせたのだから驚くなというほうが無理だった。
それでもミナミは少しも増長せず、事も無げに言った。
「スミ姉がね、エッチするたびに、あたしの頭に作品の『卵』を生み付けているみたいなんだヨ。それを抱いて温めるのが楽しいの」
これは、大変な『天才』を拾ってしまったかもしれない。いや、天才だ。
それなら、私にはふたりの子どもである『作品』を産ませ、育む義務がある……! 頼子先輩が私の才能を孕ませてくれたように……。
ヤスミが、そんな使命感にかられて、頼子先輩に貰った子種をミナミの脳髄に毎日生み付けるうち、ある日、ミナミは、はにかんだように、こう告げた。
…………スミ姉。あたし、スミ姉の赤ちゃん、できたみたい。
そして、三カ月後。ふたりの頭に身籠もって、ふたりの指先から生まれた初めての子ども……作品は信じられないほどの賞賛を受けて、一瞬で南をプロの小説家にしてしまった。
その筆名は『
初版・百万部越えという、なんだか漫画のような展開に百合根党の仲間たちによる祝賀会が催され、賞賛と祝辞の中で、デビュー早々にヤスミとミナミのユニット結成と結婚も宣言。
積み上げられた見本刷りの山とアマゾーン仲間に囲まれて楽しそうなミナミの笑顔に自らも頬を緩めるヤスミは『私たちの孫だね』と、嬉しそうに囁く頼子先輩の声を聞いた気がした。
『ヤスミと頼子と真夜中に』 完
ヤスミと頼子と真夜中に……《一気読み版》 シイカ @shiita
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