黒き森の魔女

@Diqen

魔女集会で会いましょう

それは、ある静かな夜のこと。

黒々とした森の上、星々の囁く空の下

一人の魔女が箒に乗って、悠々飛んでおりました。

「おや、何か聞こえるねェ」

とがった耳をぴくりとさせて、魔女は森へと降り立ちます。

それは古い木のうろから、わんわん響いておりました。

くらい暗い闇の中、白くやわらかな包みが一つ。

静かな夜には似合わぬ産声を、必死で上げておりました。

「捨て子かい」魔女はにやりと笑います。

「普段なら掻っ捌いて、鍋にぶち込むところだけどね」

しわだらけの顔をさらに歪めて、ヒヒヒと静かに笑います。

「今宵は月も見ちゃいない、魔女の気まぐれに感謝しな」

箒の先に赤子を吊るして、魔女は空へと昇ります。

昏く、静かな夜でした。


捨て子だった男の子は、すくすく健やかに育っていきます。

そうしてそれから、二十と少しの夏と、同じだけの冬が過ぎ。

しかし次に訪れたのは春ではなく、膿んだ疫病みの季節でした。

熱にうなされ血を吐いて、終には髪も抜け落ちて。

ひとり、またひとりと腐ったように死んでゆきます。

あるとき誰かが言いました。

「魔女のしわざだ」


黒き森の奥深く、ひっそりと暮らす魔女の小屋は

今は、ごうごうたる喧騒に包まれています。

かがり火のはじける音、思い鎧のぶつかる音に、軍馬の嘶き。

そして、恐怖に駆られた騎士たちの叫び。

「黒き森の魔女を殺せ」「疫病をもたらす悪しき魔女を」

殺せ、殺せ、殺せ。

ひときわ大きく声を上げるのは、いちばん立派な鎧兜の騎士でした。

その後ろから、のそり、と。おおきな影が一つ。

丸太のようなに太い腕が、まるで子猫のように造作なく、

ひょい、と騎士の体を持ち上げます。

あわてて落とした剣が地面にぶつかり、きぃん、と高く鳴ったのを最後に、

あたりはしんと静まります。

奇妙に思った魔女は扉を開けて、外の様子を伺いました。

「よう、ばあさん。お客さんかい」

ばたつく騎士を掲げたまま、大男は魔女に尋ねます。

かれはいつか魔女が拾った、小さな小さな捨て子でした。

「まさか。騎士様に御呼ばれするほどえらかないよ、あたしゃ」

ヒヒヒ、と魔女は笑います。

「お引き取り願いな、これでも忙しいのさ、こっちはね」

魔女はばたんと扉を閉めて、小屋の中へと入ります。

大男は、ゆっくりと騎士を降ろして言いました。

「だ、そうだ。黙って帰っちゃくれねぇかい」

あっけにとられていた騎士たちでしたが、言葉を思い出したように怒鳴り始めます。

われわれは、国を疫病から救うためにここに来た。

疫病をもたらす悪魔の手先、黒き森の魔女を倒すために。

邪魔立てするというのなら、貴様も——

「娘さんは、元気かい」

大男が訪ねると、それまで威勢よくまくし立てていた騎士の顔が、さあっと青ざめました。

構える剣の切っ先も、ふるふると震えだします。

「ああいや、ちがう。あんたが思ってるような意味じゃねぇ」

大男はあわてたように首を振ると、こぶしほどの巾着袋を一つ、騎士の前に放ります。

「こうして来るような人たちなら、入用なんじゃねえかと思ってな」

大男は優しく言いました。

「薬だよ。朝と晩、日に二回。温めたミルクと一緒にとらせな」

騎士は驚いたように顔を上げ、おそるおそる袋を拾いました。

「味は悪いからな、嫌がるかもしれん。砂糖があればいいんだが」

「ま、そのへんはあんたの仕事だ。きちんと飲ませりゃ、七日のうちにきっとよくなる」

騎士は男を見上げ、震える声で尋ねます。

「ほ、本当か」

「もちろんさ。黒き森の魔女に誓って」

大男は白い歯を見せて、にぃっと笑いました。

「だけどもし、あんたたちが」

一転して低く、低く、冷たい声音で。

「そのばかげた考えを、まだやり遂げるつもりなら」

獣のように、残忍に。男は騎士たちをにらみました。

騎士たちが思わず後ずさると、調子を戻して男は言います。

「悪いことは言わねえ、やめときな。あの人は、あんたらの手にはおえないぜ」

ふっと気を抜いた騎士たちに、手を叩いて男は言います。

「さ、さ、帰りな。早いとこ薬を飲ませてやれよ」

すっかり勢いもくじけ、どうしたものかと戸惑う騎士たちに、

いちばん立派な鎧兜がげきを飛ばします。

「我々の目的は達せられた、疫病は必ずや鎮まるだろう」

「全軍退却、これは凱旋である」

騎士をまとめて追い立てて、自分はしんがりをつとめます。

「この礼は、必ず」

「いらねぇよ、放っておいてくれ」

ぶっきらぼうな男の言葉に、騎士は困ったように唸ります。

「しかし——」

「そうだな、それじゃ」

「近々さっきの薬を卸しにいくからよ、話をつけておいてくれると助かるわ」

ひらひらと手を振る大男に、騎士は再び、深く頭を下げました。

「——かたじけない」


最後の一人を見送ってから、大男は小屋へと入っていきます。

「ついこないだまで、ぴいぴい泣いてたと思ったのにねえ」

ヒヒヒ、と魔女は上機嫌で、彼を迎えました。

「いつの間にか、いい男になったじゃないか」

からかうように言う魔女に、男はおどけて返します。

「いやあ、さすがに、ばあさんはちょっとな」

「思い上がるんじゃないよ、あたしに釣り合おうなんざ、千年早いね」

しわだらけの顔のおく、細い目をさらに細めて、魔女はヒヒヒと笑います。

「いい加減町に降りて、ちょうどいい娘を捕まえなって、そう言ってんのさ」

大男は困ったように目をそらして、曖昧に笑います。

「……千年経ったらな」

コホン、と大きく咳払いして、男はあわてて話を変えます。

「作業場借りるぜ、ばあさん。残りの薬を仕上げねえとな」

どたどたと慌ただしく、大きな体を揺らして、男は作業場に入っていきます。

魔女は愉快そうに見送ると、ヒヒヒ、と静かに笑います。

「ああ、まったく、ほんとに」

ヒヒヒ、と笑う声にのまれて、その先は言葉になりません。


「おっと、もうこんな時間だ。あたしはちょっと出てくるよ」

「妹たちののろけ話を聞いてやりに、ね」

聞かせてください、あなたたちのご自慢の、子供の話。

それでは、どうぞ——魔女集会で会いましょう

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒き森の魔女 @Diqen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る