呪われ少女は不幸になりたい

こめぴ

1話 呪いの告白


 立川たちかわ 四葉よつはとはどんな少女か。


 眼鏡をかけて長い髪を一つの三つ編みにした、絵に描いたような文学少女。掴みがたいふわふわした性格の少女。あまり表情を変えない、不愛想な少女。

 いくつかあるがもっとも独特な特徴といえば、創作世界と自分の区別が微妙にできていないこと。


 はっきり言って、変人だ。


「付き合ってる相手にそこまでいうの? 水流すいりゅう君」

「自分のことをどう思ってるか聞いてきたのは四葉だろ。あと水流すいりゅうじゃない、水流みずる 夏樹なつきだ」


 あらごめんなさいと。夕日に横顔を照らされながら彼女はすこしも悪びれることなく呟いた。仕返しのつもりだろうか。かと思えばさっきから読んでいた本にまた視線を戻す。


「……一緒に下校してるんだから、今くらいは本読むのやめないか? ぶつかったらどうするんだ」

「普段からこうなのよ」

「なら普段からやめてくれ」

「私に死ねと?」


 そこまでは言ってない。そう口にするより先に彼女はまた視線を本に戻してしまう。そうなると俺は呆れたため息しか出ない。

 彼女は視線を本に向けたまま「そもそも」と続けた。


「いつもはしないのに突然一緒に帰ろうだなんて。どういう風の吹き回し?」

「先生からも話しあっただろ。最近変なことばっか起こってるって」


 曰くこのあたりで事故が多いらしい。木が倒れていたり、塀が崩れたり。そのうえ必ず血痕が残されているのだとか。しかも不思議なことにその場には死体も怪我人も見当たらないらしい。

 しかし彼女は相変わらず興味がなさそうに、「そう」と零すだけだった。


「……いやだったか?」


 恐る恐るそう尋ねると彼女はちらりと視線をこちらに向け、呆れたように息を吐く。


「別にそうは言ってないでしょう。悪いなと思っただけよ」

「俺も好きでやってるんだ」

「私が納得しないのよ。なら明日の朝は私があなたの家に迎えに行くわ。それで貸し借りはなし」

「そんなつもりじゃないんだけどな……」


 仮にも四葉は恋人だ。本当に彼女が心配でついてきているだけなのに。当の本人がずっと本を読んでいるのも不満ではあるけど。すると彼女はそれを感じ取ったのか。


「はぁ……もう、しょうがないわね」


 ため息を一つ吐き、ぱたんと本を閉じる。


「なら、ちょっとした話をしましょうか」


 また始まったと、俺はついため息をついた。


 彼女は読んだ本の話をするとき主人公を自分として語るのだ。『私は探偵なのだけれど』、『私は冒険家なのだけど』、といった具合に。

 といってもただそれだけ。

 それに、俺はその語っている時の四葉が好きだった。


「私、呪われてるの」


 俺の返答を待つことなく、彼女は続ける。


「それは――幸せになれない呪い」

「幸せになれない?」

「そうよ。だから私は、永遠に不幸でいなければならないの」

「それはまたとんでもない呪いだな」


 特に反論はしない。どうせこれは、物語の話なのだから。

 他人事なのはいつものことだ。俺からすれば、四葉の読んだ物語の話を聞いている感覚なのだから。四葉も別にそこを不満に持つようなこともなかった。


 だが今日は違った。「あら」と、少し不満そうに顔をしかめる。


「本当のことなのに」

「物語の話だろ?」

「違うわ。私自身の話よ」


 やけに強情。チクリとした違和感。そこまで主張するなんて珍しい。


 その時、ガガガガとドリルの音がした。今歩く道に沿うように見上げるようなフェンス。その向こうにクレーンが見える。


「へえ、ここ、工事してるんだな」

「話を逸らさないで」

「わかったよ……。っていうか呪いの内容が曖昧過ぎるだろ。幸せになれないなんて、なったらどうなるんだ」

「簡単な話よ。死ぬの」


 へえと口にすると、信じていないのが分かったのか、彼女は不満気に見つめてきた。

 じゃあ幸せかどうかの判断は? 死体は? おかしなことが多くて、とてもじゃないが信じられない。まるでお粗末な小説の設定みたいだ。


 彼女は頭がいい。勉強だっていつも俺が教わるし、凛とした雰囲気もある。だからかすこし彼女の嘘を暴きたくなってしまった。もしかしたら、いつもの物語を語る四葉と少し様子が違うからかもしれない。

 だからか、俺はつい聞いてしまった。


「もしそれが本当だとしたら。四葉は今、不幸なんだろ? 俺と付き合って、不幸って思ってるんだろ?」


 意地悪な質問だと、口にしてから自己嫌悪した。だが彼女はあっけからんとした様子で応える。


「ええ、そうよ」


 ヒュッと喉がなった。


「あなたと手を繋いだ時も不幸と感じていた。感じるようにしようとした。キスは……まだしてなかったわね。だってしたらきっと、幸せと感じてしまうから」


 やっぱりおかしい。彼女は今まで、創作の話に自分の現実を絡めてこなかった。だってそれはあくまで、物語の話だから。


 もしかして。もしかしてだけど。彼女の話は、本当の――


「でもね、最近幸せって思ってしまうのよ」


 彼女はそこで、足を止めた。


「あなたとラインした後、電話した後、楽しい会話をした後。そういう時に、幸せって思ってしまうの」

「……死ぬんじゃないのかよ」

「呪いで死んでも、生き返るのよ」

「ますます信じられない」

「……そう。なら、見せてあげるわ」


 すると彼女は、ぐいっと顔を近づけた。少し動けば、唇同士が触れてしまうような距離。


「な、何を――」

「んっ……」


 不意に視界が彼女の顔で埋まった。

 俺は四葉とキスをしている。そう気づくのに、数瞬かかってしまった。

 突然の展開。初めてだというのに、ムードも何もない。ただ驚いて、感触がどうのと感じるよりも早く、彼女は離れてしまう。


「お、おま、お前……!」

「あなた、なんて顔してるの。ただのキスじゃない」

「ただのキスって……!」

「そ。こんなもの大したことない、ただの粘膜同士の接触よ。……でもね、私今とても幸せよ? あなたはちがうの?」

「こっちはびっくりしてそれどころじゃないわ!」

「ふふ。そう、それは悪いことをしたわね」


 珍しい四葉の笑み。

 すると彼女はトン、と。俺を軽く押して、一歩二歩と後ずさり。


 そして四葉は、ふわりと笑う。


「    」


 何かを口にして、ぽそりとつぶやき。


「じゃあ、また明日」


 幸せそうに笑っていた――その時。



 ――ズガンッッ!!



 いくつもの鉄骨が、彼女の姿をかき消した。


「…………は?」


 あまりにも突然のことでつい間抜けな声を漏らす。

 確かに隣は工事現場だしこの鉄骨はきっとそこから落ちてきたのだろう。


 いや待て。四葉は?


 一瞬遅れて鼻を衝く鉄の匂い。視線を下げると鉄骨の隙間から流れ出した紅の水たまり。視線を下げると、そこに沈む、細くて白い指。彼女が読んでいた本が、赤く染まっていく。つまり――



 ――彼女が死んだ。



「うわぁぁああぁぁああ!!!」


 気が付けば俺は脇目も振らずに逃げ出していた。

 何から逃げようとしていたのかわからない。

 ただ彼女の呪いの話が、頭の中でこだまする。


 ちがう。ちがう。あれは、創作の話なんだ。嘘の話なんだ。


 ただ俺は無我夢中で走り続け、気が付いた時にはベッドで意識を手放していた。


 ――私を、幸せふこうにしてね。


 姿が消える直前に、彼女が発した言葉。それが頭の中で何度も響き渡ることから、必死に目をそらしながら。



 目を覚ますと次の日の朝になっていた。

 気分は最悪。なんとなくぼーっとする。


「ほら、早くご飯食べちゃいなさい。あとあんた、昨日お風呂入らないで寝ちゃったでしょ」

「ああ、うん……」


 母さんのため息が聞こえる。


 ……昨日のあれはなんだったんだろう。現実味がない。夢でも見ていたみたいだ。

 いつもより味のしないご飯と味噌汁を口に流し込んだ。


『次のニュースです』


 テレビのニュースキャスターの声。それが断片的にだが頭に入ってきた。また例の、怪我人も遺体も見つからない事故らしい。


「最近多いわねー」

「……そうだね」

「それにこれ、ここの近くじゃない?」


 ほらと母さんが指さす先に、つい視線を向けてしまった。


「ここ……!」


 そこに映っていたのは、昨日のあの道、あの工事現場だった。四葉だとわかるものとか、血痕が見えたわけじゃない。でもここは確かに昨日の場所だ。

 ふとある可能性が頭をよぎる。

 いやいや、死体がないからってそうとは限らない。そもそも人が生き返るはずがない。


 気付けば汗だくだった。シャツが張り付いて気持ち悪い。息も荒くなっている。


 彼女は死んだはず。いや、昨日のあれは夢だ。彼女は生きているはず。

 無茶苦茶な思考に嘔吐感すら感じ始めた、その時。


 ――ピンポーン。


 無機質なチャイム。それに続いてカランカランと乾いた音が鳴る。箸を落としたのだと遅れて気が付いた。


「あらだれかしら。ちょっと出てくれる? 今手が離せないの」


 わかってる。誰がいるのかなんて。

 昨日言っていたじゃないか、彼女自身が。『明日の朝は、私があなたの家に迎えに行く』って。


 いやまさか。まさか、彼女がいるはずない。


 インターホンにはカメラが付いていてる。俺は恐る恐る、そこから外を見た。


「四葉……!?」


 そこに映っていたのは、制服を着て、長い髪を一つの三つ編みで結んで、本を読んでいる――気味が悪いくらいにいつも通りの彼女だった。


 間違いない。どこからどう見ても俺の彼女で、昨日死んだはずの、立川 四葉だ。


 ごくりと喉を鳴らす。すると、不意に彼女と目が合った。


「――ッ!」


 ちがう。向こうからこちらは見えていないはず。そうわかっているのに、目が離せない。見られているような気がしてならない。


 彼女はパタンと本を閉じて鞄にしまい。


 昨日と同じように、ふわりと笑った。




 ――ね? 本当だったでしょう?

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