第29話 そして彼ら彼女らは演説に臨む。(6)(亮 side)

               ※※※※※



 昔から、一緒にいることが多かった。


 どこへ行くにも、何をするにも、いつも俺の後ろについてくる。すずは、そんな奴だった。


 気づいたときには、あいつのことを好きになっていた。いつからかなんてことは覚えていないけれど、あいつも俺のことを好いてくれている。それだけは、なんとなく分かっていた。


『ねぇ、亮はそのまま進級試験受けるんだよね?』

『んー、そうだな』


 初めてあいつに嘘を吐いたのは、中学三年の秋のことだった。



 エレベーター式の私立中学校から、そのまま高校へ。俺だって最初はそう思っていたさ。でも現実はそんなに甘くなかった。どんなに頑張ったって、念入りに準備したって、不幸な事故は避けられないことだってある。


 理不尽を押し付けられて、それを俺が受け入れたのは、嘘を吐く少し前のことだった。


 あいつには――すずには、勉強の才能があった。


 それはきっと小さいころからの小さい努力の積み重ねで、才能なんて言葉だけで片付けちゃいけないものなのかもしれないけれど、それでも俺にはできないことがあいつにはできて、そして両親からの大きな期待だってあいつは背負っていた。


 きっと本当のことを言ったら、あいつは俺についてくる。自分のことなんて考えずに、親と大喧嘩してでも進路を変える。


 漠然と、そう感じた。どうしようもない不安に苛まれた。


 俺のせいで、俺の一言であいつの将来に影響が出てしまうんじゃないかと、ガキなりに色々と悩んで、精いっぱい考えた。


 だから俺は、嘘を吐いた。


 きっとあいつに吐く最初で最後であろう嘘を、俺はあのとき言い放った。



               ◇◇◇◇◇



「私は――、私には、好きな人がいます」


 毎年ある生徒会選挙でも、そんなふうに演説を始めた立候補者はきっと、今までにいなかっただろう。オリジナリティ溢れる奇抜な言い出しで、すずの演説は始まった。


 会場が、ざわつく。一般生徒たちが、こそこそと話しているのが舞台袖にいる俺にまで聴こえてくる。


「私が生徒会長に立候補するきっかけを作ったのも、その人です」


 すずは会場の空気なんてお構いなしに話を進める。


「その人とは小さいころからずっと一緒で、憎まれ口をよく叩かれるけど嫌いにはなれなくて。でもちゃんと私のことを考えてくれる、そんな優しさが私は好きでした」


 すずの声は少し震えているけれど、でもきちんと芯があるように聞こえる。


 いやでも、演説内容としてはあまりに中身がなさすぎる。まだまともな本筋にまったく触れてないし、というかこんな恋バナチックな内容を先生はよくオッケー出したな。


「(ねぇ、あれって亮のことだよな?)」

「…………」


 奏太に言われて黙り込むと、ニヤニヤと気持ちの悪い笑顔を向けられた。


 言われなくたって、分かってる。

 俺はあいつの気持ちに気づかないほど鈍くはないし、だからといって焦って関係を変えたいとも思ってない。


 ただ、今はあいつの足を引っ張りたくない。あいつが俺に構ったせいで成績を落としたり、目標としている大学へ行けなくなったりするのは絶対に避けなければならない。


 そう思ったから、サッカー部に入ろうとしたすずを受け入れなかったんだ。


「私は昔から人前で話すのが苦手で、それは今も変わらなくて、ここで話そうと思っていた内容はすべて頭から飛んでしまったので、私が今一番伝えたいことを伝えようと思います」


 しれっと驚愕の告白をしたすずは、そこで一度言葉を止め、目を瞑る。


 俺もただならぬ雰囲気を察して、思わず背筋をピンと伸ばした。



 すぅ、はぁ。



 舞台袖から見ていても分かるくらい大きな深呼吸をして、すずはきっと目を見開く。


 それは、今までに見たことがないくらい、凛々しい表情だった。



「私は――」



 ――――中野すずは、神木亮が好きです。



 言葉が耳に届いて、瞬間。時が止まった。



 ざわついてるはずの会場の声も、近くにいる奏太たちの呼吸音も、すべての音がその一瞬だけ世界から消えた。



 代わりに自分の心拍音だけが、ドクンと鼓膜の奥で大きく響く。



「――いっ、以上ですっ!」


 次に聞こえた声は、それはそれは取り乱した、あいつの声だった。


 すずは早足で舞台袖に入り、俺の目の前を素通りして非常口から外に出る。


「お、おいっ! 待てって!」

「…………」


 俺を無視して歩く速度を上げたすずを追って、俺も外に出る。


 渡り廊下を通って、生徒玄関を抜けて、階段を上って。


 そのうち、もう早足ですらなくなって走り出す。



「おい!」



 俺は教室の前でようやく腕を掴み、そしてすずは向き直った。


「…………なによ」


 真赤に染まった頬。俺から逃げるように泳ぐ視線、潤ませた愛くるしい瞳。


「いや……」


 俺は言葉が喉を通らなくなって、沈黙した。




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