第32話 なぜだか夏休み早々海へ行く。(6)

               ◇◇◇◇◇


「いやぁ、おいしかったね」

「あれで一杯六百円じゃ安いよね。串焼きも三百円くらいだったし、結構良心的かも」


 日陰に入っていても噴き出るような汗を拭って、俺はかおりと海の方へ目をやった。


 出汁がよく利いていたラーメンとうどんを時々シェアしながらも食べ終わり、今はテントから持ってきた浮き輪に店の外で空気を入れている最中だ。


「午後は浮き輪でぷかぷか流されてればいいかな」

「そうだね。海に入ってないと暑すぎて危ないよ。あっ、あれ、すずちゃんたちじゃない?」


 浅瀬で中野さんの入った浮き輪に亮が捕まるようにして、二人が仲良く波に流されているのを見つける。


「おーい。すずちゃーん! 神木くーん!」

「さすがに気づかないんじゃ……」

「ほら、気づいてるよ!」


 二人に目を凝らしてみると、彼女の良く通る声が聞こえたのか、大きく手を振り返していた。


「はい、おまたせ。これで最後だね?」

「はい! ありがとうございます! ほらそうくん、私たちも行こっ!」

「ちょっとかおり、走ると危ないって」


 かおりの浮き輪にも空気を入れ終わり、俺は彼女に手を引かれて走り出す。


 海の家から砂浜へと続く下り坂。視線の先には青い空、蒼い海、そしてかおり。


「……ねえ、かおり」

「うん?」


 俺は思わず、立ち止まった。


 確証はない。


 でも、俺は前にもここに来たことがある。そんな気がした。


「昔、ここに一緒に来たことある?」

「うん、あるよ」

「やっぱりそうか……」


 一瞬、抜け落ちていたはずの記憶の断片が垣間見えた。


「なにか思い出した?」

「うーん……思い出せそうで思い出せないというか、なにか引っかかってるというか」

「そっか」


 それ以上はなにも思い出せずに、今度は歩いてテントに向かう。


 財布を置いて、浮き輪を持ったかおりと一緒に海に入ると、亮たちがこっちに寄って来た。


「そういえば茜は?」

「一緒にいたんじゃなかったのか? さっきから見てないけど」

「私も見てないかな」


 かなづちなのを気にしてる茜のことだ。海には入らないで、どこかで日光浴でもしているのかもしれない。


 家族連れが多いこの海水浴場なら、若い男に絡まれたりすることだってないだろうし。


「まあいっか。かおり、ちょっとあそこの浮島まで競争しようよ」

「いいよ! じゃあ行くよ~。用意、スタート」


 かおりの合図で、砂浜から少し離れたところぷかぷかと浮かんでいる人工的な浮島に泳ぎ始める。


「おっしゃ、俺らも行くか!」


 俺らの後に続くように、亮と中野さんもスピードを上げた。





「――はぁ……はぁ……」

「俺たちの勝ちだぞ奏太。あとでジュース奢りな」

「お前、二人はずるいぞ……」


 浮島に一番に到着したのは、亮と中野さんだった。


 浮き輪に入っている中野さん自身も足で漕いでいるのに、その後ろについた亮がさらに勢いをつける。

 息ぴったりの協力プレイだった。


「いや、それにしてもお前遅すぎだろ。クロールなのに浮き輪の藤宮と大して変わらないし」

「うるさい。昔からあんまり得意じゃないんだよ」


 やはり血は争えないのか、俺も泳ぎはあまり得意じゃない。


 小さい頃はスイミングスクールに通っていたので一応四種目を泳げるようにはなったけれど、タイムを計るとなると話は別だ。

 壊滅的に遅い。


「はぁ! ビリかぁ」


 俺に少し遅れてゴールしたかおりが、悔しそうに浮島に上がる。


「こっから見ると、やっぱりここの砂浜って狭いね」

「そうだね。茜ちゃんも見当たらないなー」


 かおりが浮島の上に立ち上がって砂浜を見渡すが、茜を見つけることはできない。


「本当、どこ行っちゃったんだろうね」


 結局、それから一休みしてテントまで戻っても、茜の姿はどこにもなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る