醜く、美しく。

田中 スアマ

醜く、美しく。

 間もなく世界は終わりを迎えようとしています。ですがそれも元を正せば、人類が一人の人間を拒絶したせいでもあります。私はいかにして人類が滅びの道を辿る事になったのかを知っていますので、それをここに記したいと思います。


 一年前まで、私は某国のエージェントでした。今はそこも引退し、小さな島国でひっそりと暮らしています。


 ある年、一つの小さな村で流行り病が起きました。といってもペストや虎列剌コレラの様な凶悪なものではありません。急な発熱と体の一部に鈍痛を感じるだけで、それも一週間ほど経てば快方に向かいました。


 ですがその時は皆ただの風邪だと思い、誰も事の重大さに気付きませんでした。病は村から村へ、町から町へと渡って行き、遂には海をも渡って国外へと流れて行きました。


 その時になって、誰かがやっと気付きました。この風邪は男性しか罹っておらず、しかも快方した男性は皆、不妊症状に陥っていました。


 病は恐るべき速度で渡り歩き、治療法も根絶方法も見つからず、遂には全世界の男性がこれに罹り子供を作る能力を失いました。赤ん坊から寝たきりの老人まで、一人残らずです。


 子供が産まれないという事は子孫が残せません。それが人類全員です。最初は楽観視していた人々も次第に顔を青くし、各々が人類の終焉を悟って絶望しました。


 世界中が協力してあらゆる方法を考えて治療薬を作ろうとしましたが、一向に作れませんでした。このまま人類は滅んでいくのだろうか。


 そう思った時、一人の救世主が現れました。


 その男性はなんと、ウイルスに罹患していながら不妊ではありませんでした。世界中探しても彼一人だけがウイルスを克服したのです。


 人類は皆喜びました。彼の体を調べればウイルスを根絶する方法が見つかるかもしれない。例え見つからなくても、彼一人がいれば人類は絶滅することなく繁栄出来るのです。


 私には分かりませんが、男性からすればある意味で非常に羨ましい状況だったのかもしれません。何せ自分は繁栄を司る救世主です。好きなだけ女性と愛し合う事ができ国がその状況を作ってくれる事も可能な、ポルノアニメのような状況に身を置けるのです。


 ですが当の男性、名をスズキさんと言いましたが、スズキさんはそんな状況を喜びはしませんでした。同性が好きだとか、特定の年齢層や職業の女性にしか興味を持たなかったとかではありません。彼はただ、どこまでも純粋だったのです。


 世界中の天才が集められ、彼の身体中を検査しました。それは時に激しい苦痛を伴い、普通の人なら耐えられないような羞恥に耐えなければいけない事でした。ですがスズキさんは「これも人類の為だから」と必死で耐えました。


 そんな彼を、世間は渋い顔で見つめました。彼には人類の未来がかかっています。苦痛に顔を歪めれば「男らしく無い奴だ」と言われ、恥ずかしがれば「己の責任の重大さが分かっていない」と罵声を浴びせられました。


 彼は必至で耐えました。ですが残念ながら彼の体から原因の究明は出来ず、特効薬の作成も不可能でした。


 次に国が考えた方法は、単純且つ誰もが思いついた方法でした。世界中から女性を集め、彼の子供を産んで貰うのです。


 ですがなんとこの方法を、世界中の女性が断りました。理由は簡単です。世間一般の感覚からして彼の顔は、非常に醜かったのです。世界中の女性は彼と愛し合う事よりも、科学が進歩して病気に打ち勝つ事に賭けたのです。


 これを彼は「仕方ない事だよ」と言い、にっこりと不気味に笑いました。好きで不気味に笑った訳ではありませんが、彼の顔ではそう見えてしまうのです。


 世界中の人、特に男性が彼を大笑いしました。人類存続の危機の中、世界中の女性から振られたのです。何も出来ない他の男性も少しは同情しつつも、彼を笑わずにはいられませんでした。


 私は知っています。彼は「仕方ない」を沢山言いながらも、部屋でひっそりと泣いていました。毎日毎日、世界中の誰にも悟られないように泣いていました。


 それから三ヶ月経っても、病気の根絶方法は見つかりません。ですが未だに誰一人として、彼の子供を産もうと決意する女性は現れません。中には「彼の子供を産むくらいなら人類など滅んだ方がいい」とまで言う人もいたくらいです。


 ある日彼は泣き腫らした目で部屋から出て来ると、私に言いました。


「僕に魅力が無いのは、僕が今まで自分を磨くのを怠ってきたからだ。もし今から少しでも魅力的になる事が出来たなら、一人くらいは僕を好きと言ってくれる人が現れるかもしれない」


 そう言って彼はその日から、自分磨きを始めました。ポコンと飛び出たお腹を引っ込める為に一日中スポーツジムで運動をし、大好きなごはんも止めて味気無い食事と苦い錠剤を飲み続けました。


 そんな彼を見て、世間はまた笑いました。醜い人が綺麗になろうとする姿が、人には滑稽に見えるのです。「今頃色気づいた」、「そんな事しても無駄」、「死んで生まれ変わった方が早い」などと、耳を塞ぎたくなるような言葉が毎日彼の耳に届きます。


 それでも彼は鍛えるのを止めませんでした。想像出来ますか? 毎日へとへとになるまで運動をし、美味しい食事を諦め、努力しても周りの人々に馬鹿にされるのです。私が思うに、彼でなければとっくに心は折れて諦めていたと思います。


 また三ヶ月が経つと、彼の体はとても逞しく男らしい体になっていました。まるでギリシャ彫刻の様ながっしりとしつつもハリのある筋肉。男性なら誰もが憧れるような体であり、女性なら皆一目で釘付けになるような体でした。


 ですがここまでしても、彼を愛そうとする人は現れませんでした。「どれだけ見ても顔が駄目」、「むしろあの体で余計に気持ち悪くなった」などと、更に酷い言葉が彼の元に届きました。


 世界中の医者や科学者達が特効薬を作るのに寝る間を惜しみましたが、それは彼も同じです。ですが世間の評価も、国からの評価も天と地ほどの差がありました。


 事態を重く見た国は、遂に「彼の子供を産んだ者は今後全ての生活を保障する」と言い出しました。彼と一回だけ愛し合い子供を産むだけで、一生遊んで暮らせるのです。


 これには世界中の女性から応募が殺到しました。国も大喜びです。


 これで世界は救われる。誰もがそう思いました。


 ですがその提案を、彼は断りました。何度も何度もそれこそ朝から晩までを一週間分ほど悩んだ末に、自分の気持ちを優先したのです。


 これには理由があります。赤ちゃんを作る元である精子は男性の気持ちが昂ぶり、恍惚とした時に出るものです。彼は非常に「人間の愛」を重視する人でした。もしもそこに愛が無くただ金に目のくらんだ女性が現れるようでは、自分は精子を出せないだろう。そう思ったが故でした。


 彼の気持ちに、世界中の人間が怒りました。「恥知らず」、「事の重要性が分かっていない」、「最低の人間」などと言われ続け、遂には住んでいた家に火を着けられました。


 私は燃え盛る家の直ぐ傍の山中で、彼を保護しました。私はそこで驚きました。彼はなんとそこで、美容雑誌を読んでいたのです。


「彼らは正しい。これは僕の責任だ。今度は少しでも顔がマシになるように努力する」


 そう言って彼は不気味に笑いました。私はその時初めて彼を見て、可哀想な人だと思いました。世界中を救う事が出来る人なのに醜いだけで笑われ、それなのにたった一つの気持ちも許されないのです。


 それでも彼はへこたれずに、世界を救う英雄になろうとするのです。私は彼の姿に大いに悲しみながらも、理解は出来ませんでした。


 次の日。私は彼をもっと人気の無い所へ引っ越させ、そこへ世界中からエステティシャンを呼び集めました。顔を小さくする体操、シミを目立たなくする美容薬、目元をぱっちりとさせるマッサージを繰り返し繰り返し続けました。


 その間も肉体がたるんではいけないと、彼は今までと変わりないトレーニングを続けました。気が付けば彼の自由な時間はほぼ無くなり、トレーニングと美容療法をしている以外の時間は睡眠しかありませんでした。


 私は失礼だと思いながらも、一度だけ顔の整形を勧めました。酷い事だとは分かっています。面と向かって「お前の顔は醜い」と言っているに等しいですからね。ですがその方がこんな報われない過酷な日々を送るよりも、遥かにマシだと思ったからです。


 彼は私の提案を聞くと、一度だけ深く目を閉じた後に断りました。彼はどれだけ世間から醜い醜いと言われ続けても、自分の顔を傷つける事だけは嫌だったのです。整形をして作り変えるという事は、父と母を否定する事だと思ったからです。


 彼はこの顔でどれだけ辛い目に遭っても、両親を愛していました。両親は共に美しいとは言えない風貌でしたが、互いを深く愛し合っていました。世間はそれを「おぞましい光景」と言うかもしれません。ですが二人の大きな愛を受けて育った彼は、誰よりも愛を重視する優しい人間に育ったのです。


 彼は私に向かって一言「ありがとう」と言うと、また厳しいトレーニングに戻りました。彼はもう、一日に二時間くらいしか寝る時間がありません。


 気が付けば私は涙を流していました。「ありがとう」。彼はそう言ったのです。信じられますか? これ程までに過酷な状況に身を置きながらも、私の失礼な物言いをポジティブに受け取り感謝する事が出来るのです。


 私はなんと世界は不公平なのだろうと思いました。もし彼の顔がモデルのように美しかったなら、きっと全てが上手くいっていたでしょう。ですが現実はそうではありません。彼の元にあるのは嘲笑と身勝手な憤怒だけなのです。


 それからまた三ヶ月が経ちました。見るだけで目を背けてしまうようだった彼の顔は美しいとまでは言いませんが、目を合わせても不快では無い程度にまで良くなりました。彼もまた自分の変わりようには驚き、自信が持てたようでした。


 ですがそれでも尚、彼の元には誰も女性が現れませんでした。私も不思議に思いました。確かに彼の顔はまだ醜いとは思いますが、それでも今までとは比べ物になりません。彼よりも醜い男性など大勢いるだろうと。


 理由は直ぐに分かりました。彼の「笑顔」です。あの不気味な笑顔は、顔を良くしても全ての女性が嫌悪を示したのです。「おぞましい」、「化け物のようだ」、「あの笑顔を見るだけで吐き気がする」。非情な言葉が、彼の元にまた届きました。


 今回ばかりはさすがの私も怒りました。あまりにも世間は身勝手すぎます。目の届かない場所で働く医師や科学者らには万巻の拍手と声援を送るのに、目の届く彼には雑言と嘲笑が投げられるのです。世界の終末から人々を救おうとしているのに変わりは無い筈なのに、不条理極まりないと思いませんか?


 私は彼に言う決意をしました。「もう頑張らなくていい」と。エージェントとして一番言ってはいけない言葉です。私は彼を監視し、何処へも逃げないように閉じ込める役ですから。


 ですがその言葉を言おうと彼の部屋へ向かうと、私は立ち尽くしました。


 彼は部屋の片隅に置かれた鏡で、笑顔の練習をしていました。傍らには多くの書物があります。ベストセラーのコメディ小説、世界中で人気のギャグ漫画、中には人々の笑顔の写真だけを集めた写真集などもありました。それらを見ながら彼は笑顔を浮かべ続けているのです。


 気が付いたら私は泣きながら、彼を抱き締めていました。彼はそんな私を見て、まだまだ不気味さの抜けないぎこちない笑みを浮かべました。


 更に三ヶ月が経ち、遂に彼は素晴らしい笑みを手に入れました。その笑みは見ているとこちらまで笑ってしまいそうな爽やかな笑みでした。無垢な子供のようにくしゃっとする笑みは醜さすらも良いアクセントとなり、面白い劇でも見るような気分にしてくれました。


 男らしい肉体、美しく磨いた顔、素晴らしい笑み。人間が磨けるところは全て磨いたと言ってもいいです。ここに更に彼の美しい内面を足せば、さすがにもう一人の女性も彼を嫌だと言う事は無いでしょう。


 ですが、ああ、世界はなんと残酷なのでしょう。私は神はいないのだと思いました。


 彼が笑顔を完成させた日、世界中の医師達もまた特効薬を完成させました。これによって今まで不妊に悩まされた全ての男性が機能を取り戻し、子供を作る事が出来るようになったのです。


 こうなればもう、誰も彼を求めはしませんでした。全てが元通りになってしまったのです。彼は、少しだけマシになった醜男でしかないのです。


 人々の歓喜を見ながら、彼は茫然と椅子に座り込んでいました。今までの必死な努力が全て無駄になったのです。世間では彼の事を「努力の無駄遣い」とか「英雄になり損ねた男」などと笑いました。


 その日私は、彼をベッドに誘いました。長い間彼の傍にいた私は見た目の醜さではなく、彼の心の美しさに惹かれていたのです。


 ですが彼はそれを、「ありがとう」と言って断りました。その時の笑顔は、また不気味な笑顔に戻りかけていました。


 しばらくして私の元に、任務完了の報告が来ました。人類は救われたので彼の傍にいる必要はもう無いとのことです。国も勝手なもので用済みになった彼に大金を渡すと、表彰の一つも無く家に帰してしまったのです。


 私は最後の、彼が故郷へと帰る前の日をいつでも思い出せます。世界中が喜びに満ち溢れる中でただ一人怒りに満ちていた私に対し、彼はいつまでもぎこちない笑みを浮かべ続けるのです。私が笑い返すまで、その笑みを止めないのです。本当はもう表情を昔のように戻したいのに、世界でたった一人の私の為に、彼は今までの努力を発揮したのでした。


 私はそれを察して大粒の涙を流しましたが、何か一つでも成果が無ければ虚しいのでしょう。私が笑わない事には彼も帰れないのです。私は人目も憚らず、大きな声でげらげらと笑いました。


 そうしてやっと彼も笑ってくれたのです。その時の笑みは、今までみた全ての人々の笑顔の中で一番綺麗でした。でもきっと世界中の人々は、今まで見た中で一番醜かったと言うでしょうね。


 私と彼はそこで分かれ、二度と会う事はありませんでした。


 それどころか彼はもうどこにも姿を現しません。というよりも現わせなくなったのです。


 また三ヶ月が経ち、私の元に電話がありました。彼が死んだとの報告でした。


 この一年近くを、彼は肉体の限界を超えた日々を過ごしていました。それが突然止まった時、すなわち世界が救われたと同時に彼の体は急激に疲れ始め、その結果亡くなったとの事でした。


 世界中の人々が、彼の死を悲しみました。この頃には多くの人々が子供を産んで心に余裕が生まれていたため、彼の努力を称える事が出来たのです。ですが私がその光景をどんな目で見ていたかは、貴方には分かるでしょう。


 ところで、前に神などいないと言ったのを覚えていますか? あの時は本当にそう思っていましたが、今の私は違います。


 神の裁きは、ある日突然下りました。


 彼が亡くなって一ヶ月が経った頃、ある国のある小さな村で流行り病が起きました。この病はいつか流行った病のように、人々から子供を作る能力を奪いました。


 前に作った特効薬は一切効きませんでした。また世界中で子供を作る事が出来る男性を探しましたが、今度は誰も現れませんでした。赤ん坊から寝たきりの老人まで一人残らず探しましたが、一人も出てきませんでした。


 最初は楽観視していた人々も、次第に雲行きが怪しくなりました。子供が出来ないという事は、繁栄が出来ません。つまりこのままでは人類は滅亡するという事です。


 そのうち人々は争い始めました。男は女に「何故スズキさんを拒絶したんだ」と怒鳴り散らし、女は男に「貴方だって彼を大笑いしていたじゃない」と叫びました。偉い人達も同じような事を同じように、国同士で言い合いました。


 いつの間にか国々で争いが産まれ、戦争をする国さえありました。戦争をする理由も信仰だとか土地や資源が欲しいなどではありません。ただの口論が暴力に変わり、それが武器を持ち始めただけです。言ってみれば究極まで地に落ちた、責任の擦り付け合いでした。


 このままでは人々が皆老いて死ぬよりも先に、人類は滅亡するだろう。私はベッドの上でテレビを見ながらそう思いました。今ではもうお腹が大きくて、起き上がるのも一苦労です。


 私のお腹の中には、今となっては国の宝とも言える赤ちゃんがいました。お父さんはスズキさんです。


 結局私は一度も彼とは愛し合いませんでしたが、もしもの時を考えて彼の精子は保存していました。彼も若い男性でしたので、疲れが溜まっている時は一人で自分を慰める時がありました。私はそれをそっと手に入れて保存していたのです。


 これは上司にも国にも言っていない、私だけの秘密でした。彼の偉業が白紙にされた今、もし人類が滅びに向かう時が来たら使おうと思っていたものです。言ってみればこれこそが「最後の希望」でした。


 ですが本当の事を言うと、私が一人の女として彼の子供が欲しかったのです。彼の美しい人間性と、あそこまで人々を守ろうとする博愛の種を残したかったのです。


 人工授精をして身籠った私は、アクセスの悪い辺鄙な場所にある田舎町に来ました。彼の故郷だった場所です。こんな情勢でも周りの人々はとても優しく、彼もこういう場で育ったのかと思い胸が暖かくなりました。


 今世界で産まれている子供は全て、生まれながらに子供を作る能力がありません。ですがそれはもしかしたら、私だけは違うかもしれません。彼の血を引き継いでいるこの子は、世界を救う救世主となるかもしれないのです。


 それでもこの子は、彼の血が通った子です。もしかしたら世界は、また同じ過ちを繰り返すかも知れません。あるいはこの子が大きくなるよりも前に、人類が滅びている可能性もあります。


 正直に言うと私はどちらでも構わないのです。世界が続いても滅んでも、どちらでも好きにしたらいいと思います。


 ですがこの子は別です。この子には自分の生きる道を、自分で選ぶ権利があります。父のように身を犠牲にしてでも世界を救うのか。母のように世界を見捨てるのかは、この子に決めさせようと思います。


 ですが私は時折思うのです。腹の中で懸命に動くこの子を思うと、間違いなくこの子は彼の子なのだと。



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