介錯人

鈴片ひかり

介錯人

 尊厳死関連法案の成立に至る経緯は、真っ当な議論の末のものではなく行き当たりばったりの対処療法としての側面が大きかった。



 高齢化社会が加速化し、介護老人施設のほとんどは予約空き待ちが5年先まで埋まっているという危機的状態になりつつあった。


 老人たちは政府に自分たちを見捨てる気かと声を荒げ、利権と票田としての老人優遇策を推し進めている。

 その弊害としてしわ寄せの対象になるのは言うまでもなく若者だった。


 新たな増税で所得の三分の一を老人たちを介護するための財源として持っていかれてしまう。


 財務省の権益の強化と老人利権にしがみつく者たちだけが潤う中、日本の体力は餓死寸前にまで追い詰められつつある。


 働いても老人たちが全てを根こそぎ奪っていく絶望感。

 未来を見出せなくなった若者たちが相次いで集団自殺をはかる。


 出生率が低下し、自分たちの年金だけに関心がある身勝手で傲慢な老人たちによって若者はだめだ、俺たちの若い頃はと罵り追い詰めせっかく就いた職を奪っていく。


 ある沸点を超えた時点で起こり始めた現象は意外な方向にシフトしていった。



 若者たちの未来を案じ、負担をかけまいと迷惑をかけたくない。


 老人にではなく若者たちにこそ予算を付けるべきだ。という主張をする高齢者たちが声を上げ始める。


 最初は小さかった声が導き出し行きついた先にあったのは、尊厳死関連法案。



 どこの行政も官庁も規制で雁字搦めにし名実では何もできないという流れを作りたかったが、高齢者の爆発的増加はその壁をあっけなく打ち壊していく。



 介錯人の登場であった。


 尊厳死法ぎりぎり、正確には違法ではあるが強引なこじつけによる解釈によって希望者を介錯するという裏の稼業が生まれていく。



 そして今日も、一人の男性が黒塗りのバンから郊外の採石場近くに設置された高いフェンスで囲まれた施設へ通される。


 プレハブの事務室の奥で着替えを済ませたのは頭髪がほぼ抜け落ちた80代の男性だ。


「よろしくお願いします」


 深く頭を下げにきたのは上品で柔らかい物腰、真面目そうな老紳士に見えた。


「担当することになりました宗像と申します」


 既に宗像も衣装へ着替え、白い裃を身に着けた老紳士にお辞儀をしている。


 既に儀礼的な盃を持って酒を四回に分けて飲み干し、最後の食事として選んだ亡き妻が漬けたという梅干しを食したという。



 この時になり恐怖で逃げ帰る依頼者も実はかなり多い。


 今回もそうかな、むしろこのような老紳士にはそうあって欲しいとさえ宗像は思っていた。


 だが揺らぐことなくゆっくりと白屏風の前に座したその覚悟に、宗像のほうが気持ちを引き締めることにする。



 目の前の三宝には、懐紙にくるまれた短刀が置かれている。


 これも本人の意志次第ではある。


 扇腹という扇を手に取って腹に当てた時点で首を落とす介錯法も江戸時代には存在した。

 むしろこれが最も苦痛がない方法であっただろう。


 だが老紳士、来島氏は迷うことなく通常の方法を指定した。


 実際に腹へ突き刺すという行為は、常に切腹の覚悟をしていた武士であっても中々にできることではなかったらしい。



 大丈夫かなと、宗像は不安になった。

 問題なのは別の点である。


 介錯直前に慌てふためき、介錯人を罵倒し人殺し扱いするケースも今までに数回あった。


 右側から裃を脱ぎ、腹をぽんと叩いた来島はにこりと迷いのない笑みを浮かべている。



「来島さん、本当によろしいですか? ここで中止なさっても恥ずかしいことではありません。むしろここまで冷静で度胸の据わった方は稀ですよ」


「小さい頃からね、新選組に憧れておりまして。彼らのような鮮烈な生き方をしたいと思いながらも、平坦なサラリーマン人生を送ってきました」


 この語りは聞くべきだろう。いや聞かなければならない。


「でも年寄りは若者の未来を作ってやるべきであり、奪ってはいけない。だから私は宗像さんに手伝ってもらって若者の未来を助けたいと思ったんです」


「死んでほしいと思う老害連中が生にしがみ付いているのに、あなたのような高潔な精神をお持ちの方を切らなければならない」


「あははは、今のセリフ、なんだが幕末の佐幕派と討幕派の武士の会話みたいで少し胸が熱くなりました。ありがとう」


 それが合図であったかのように、来島は短刀を手に取り迷うことなく腹へ突き刺した。


「ぐぅ……くっ!」


 宗像は介錯用の刀を振りかぶり、苦痛で上体が前傾姿勢になり頸部の脛骨の隙間が広がったのを視認した。


 ふっと今お願いしますという体の震えが止まった瞬間だった。



 宗像の一刀が来島を苦痛から救った。





 見事に切腹をやり遂げた依頼者は10人中1人いるかいないかだ。

 扇腹で依頼するケースはあるが、そういう人は震えながら中止を懇願するケースが多い。


 だが宗像はそれを責めることは絶対にしない。


 いやできないだろう。


 見事に割腹をやってのける人物のほうがすごすぎるのだ。


 でも介錯後に遺族と揉めるケースは稀にある。


 だからその様子は必ず録画し難癖をつける遺族へ見せることにしていた。


 本人の誇り高い魂を汚すべきではない、これほど見事に切腹を為せる勇敢さを持った方は稀だと告げ説得をすると、大体が納得し謝罪して帰っていく。




 宗像は思う。


 既に介錯で手にかけた老人は200人に及ぶ。


 女性高齢者に対してはエンジェルプランという送り方を申請してくるケースが多い。


 孫に近い年齢の女性に、看取られながら安楽死用の薬で眠りに付くパターン。

 多くの花々に囲まれ好きな音楽と共に旅立つことを願うケースが多い。


 女性による切腹はもちろんコースにはないし、求める人はいない。



 あと数年したら介錯用剣技など無用の長物になるのかもしれない。


 このような切腹という名誉の死を願う度胸を持った日本人は消え去るのではないか?


 安楽死の薬頼りの尊厳死が溢れるのだろうか?



 今日も依頼の電話が鳴り響き、人権団体から抗議の文書やメールが大量に送りつけられてくる。


 テレビからは年金詐欺だと、年金を全額受け取れない政府を攻撃する特集番組が放映されていた。


 何故、年金保険料を支払うこともできぬほどに困窮している若者たちを取り上げないのか?


 若者の雇用こそ全てだと声を大にして活動する人々もいるが、世の中は老人たちの腐臭に飲み込まれるように緩やかに腐り始めている、そう宗像には思えていた。


 だが、その一方で苦境であるからこそ高潔な傑物とも言える老人たちや、抗い生き抜こうとする強い意志を持つ若者たちが芽吹きつつあるのも体感できている。



 世の中が腐敗と腐臭に満ちている環境は、人々の清浄な精神を育む土壌となっているとするならばこれ以上の皮肉はないと嘆息する。



 自分の生業が世を良くしているのか、悪くしているのか分からない。

 地獄へ落ちるのかもしれない。


 それでもこの仕事を続ける理由はきっと……自分が不必要になる時が来るのを待つためなのかもしれない。




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介錯人 鈴片ひかり @mifuyuid

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