sideN ~演説~
「やはりこの騒動には、アナタも噛んでいたのね」
そう言ってニコはキレンの脚を取ると、ドレスに集まる群衆の前で叩き伏せた。ドレスには地下の殆どのゴキブリ達が集まっており、二大怪物の帰りを今かと待ち構えていた。
突然の出来事にキレンは身体よりもまず頭が付いていけないようだったが、彼は自分の背に乗っかるニコを見た。
「わ、私が噛んでいただと? それはどういう意味だ」
「とぼけても無駄よ。アナタが過激派連中と仲良くやっているのは、ここに来てからずっと見ていたわ。やけに話が広がっていると思ったら、アナタのせいだったのね」
「急に来たと思ったら、一体何の──」
「だからとぼけても無駄だっての。同じ事を二度も言わせないで頂戴」
そう言ってニコは、彼を抑える力をぐっと強めた。最初はバタバタと抜け出そうとしていたキレンも、彼女の尋常ではない体力と意志に気圧され、次第に目を泳がせ始めた。
「彼女から伝言を預かっているわ。『貴方をここまで追い込んでしまった原因は私にもある。当たるなら地下の皆ではなく、私に当たって欲しい』だそうよ」
「まさか、副リーダーから?」
「ええ。アグニから全て聞いてるわ」
そう言うとキレンは黙り込み、それを眺めているドレスの連中も釣られて黙り込んだ。
アグニら穏健派が新アジトを探していた時、彼女はキレンから話があると言われてシロヒゲにある旧第二アジトへと向かった。
一時はネズミに奪われた福星軒だったが、連中は一匹残らず駆除されたようで、久しぶりに訪れたアジトはどこも顔が写り込む程に磨かれていた。
だが人間によって手入れされたにしては、不思議にも侵入経路に難の苦も無かった。普通は人間の駆除業者が入れば外からの侵入経路を炙り出され、蓋をされる等の対策が施される。
もしやと思った時には遅かった。アグニの脚元には強い粘着力を持ったシートが敷かれており、完全に身動きが出来なくなった。見れば自分の他にも多くの同胞達や、ネズミまで捕らわれている。
運が悪かったのはアグニが捕まった瞬間、福星軒の人間がそのシートの成果の確認に来た事だ。人間は死骸の列が貼り付けられたシートを見て嫌悪の表情を浮かべ、その中で唯一生きてもがくアグニに目を向けた。
普段からしてやられ続けた怒りがそうさせたのか、人間はアグニを無理矢理シートから引き剥がした。激痛の中でアグニの身体の幾つかの部分がシートに引き千切られ、人間は彼女を煮え滾った油の中へと放り込もうとした。
間一髪でアグニは鍋に落ちる寸前に滑空して地下へと逃げ延びたが、身体はもう死を待つばかりにボロボロになってしまった。
アグニから訊いた事を話すと、キレンは表情を白黒させた。
「それが何だと言うのだ。まさか私が副リーダーを、罠にかけたとでも言うのか?」
「まさにその通りよ」
「だが証拠が無い! 私は福星軒に罠が仕掛けられている事など知らなかった。証拠も無く私をこんな、裏切り者の犯罪者扱いする気じゃないだろうな?」
「……確かに、残念ながら証拠は見つかってないわ」
「そうだろう? そうだろう!」
そう語ったキレンの目は覇気を取り戻し、自信に満ちていた。恐らく証拠を残さないよう、幾重にも策を講じたのだろう。取り囲むドレスの連中も既に熱狂を忘れ、今はニコとキレンのやり取りに注目している。
キレンは周囲を見渡すと、ハキハキとした通る声で喋り出した。
「皆の衆、聞いていただろう? このゴキブリかも碌に分からぬ歪な少女は、憶測だけで私を裁こうとしている。無実のゴキブリが手前勝手な理由で裁くなど、まるで人間のようではないか!」
キレンがそう言った途端、ガラリと周囲の空気が変わった。集まった殆どのゴキブリがニコへ不信な視線を寄越し始め、口汚いヤジが飛び始めた。
きっと彼はこうした風に、同胞達を扇動していたのだろう。手前勝手な侮蔑には慣れたつもりだったが、これ程までに大勢の同胞達から攻撃された事は無かった。
一つの罵声が飛ぶ度に、呼吸が乱れていくのが分かる。ニコは心の中に置いて来た筈の不安と恐怖が、じっくりとせりあがって来るのが分かった。
だがニコは一つ息を吐くと、強い眼差しで彼を見た。自分の相棒は追い詰められた時、こうして気持ちを切り替えている。真似してみると不思議と落ち着く感触がし、彼の孤独の一部を垣間見た気がした。
「確かに証拠は無い。でも、動機なら分かると言えばどうかしら?」
「動機だと? 何を言ってるんだか……」
「とぼけても無駄と言った筈よ。アナタと違って何度も言うのは嫌いなの。アグニからしっかりと訊いてるわ」
その言葉にキレンの目に訝しみが宿る中、ニコは静かに言った。
「それで、彼女のどこが好きだったの?」
その言葉にドレス中のゴキブリが一瞬静まった後、一気にざわめき出した。ゴキブリ同士の異種族恋愛に周囲は盛り上がり始め、集まっていたリヴィング・フォシルの穏健派も過激派も皆呆気に取られた。
アグニの話では、アジトからベルムが立ち去った辺りで彼から切り出されたという。「前から好きだった」、「君を必ず幸せにする」、「種族は違うし子供も作れないかもしれないが、死ぬまで傍にいたい」。そんな事を延々と語られたという。
誰かに恋されるなど生涯で一度も無かった彼女は照れと迷いが生じたが、自分の右腕が組織の一大事にそんな事を言った事に腹を立て、丁重に断ったという。
その時の彼女はフラれた彼がどれだけ傷つき、愛情を憎しみに転移させたかなど分かる由も無かった。
「この馬鹿げた騒動も、全ては自分をフったアグニへの仕返しのつもりかしら? 騒動の割にやる事が小っちゃ過ぎるわね」
「そ、そんなの
「嘘だと思うなら彼女に訊いてみなさい。今の彼女なら誰が相手でも詳細を話してくれる。それに、何をそんなに否定するのよ?」
「私が……、私があんな不足のヤマトの雌を好きになる訳がないだろう?」
そう語ったキレンを見た途端、ニコの中に強い怒りが沸き上がった。
彼の目は本気だった。前はどうかもしれないが、今は本気であんな女を愛する訳がないと思っている。その姿がワモンゴキブリなだけに、余計に怒りが込み上げる。
「自分が助かる為なら、自分が愛した女性すら売るのね……。フラれたアナタが自分を罠にはめた事も、過激派に寝返った事もアグニは全て気付いていたわよ?」
「な、何が言いたい?」
「ここに居る皆と比べれば地下の暮らしもまだまだ短いけれど、私はアナタほど下劣なゴキブリを知らない」
そう言ってニコはキレンの背から離れると胸を上げ、自分を取り囲む全てのゴキブリを見下ろした。ニコの言葉にキレンだけでなく周囲も黙り込み、じっと話を聞き続けた。
「例え種族違いの常識外れの恋であろうとも、誰が誰を好きになるかは自由の筈でしょう? 私達は何も、子孫を残す為の種と土として産まれた訳じゃない。この世界でただ自由に暮らし、与えられた日々を謳歌する為に産まれてきた筈よ! それなのにアナタは自分が助かる為に愛を棄て、強者に縋り付き、確固とした歩みすらも棄ててしまった。そんな意志の無い生き方は、生きていると呼べるものなの?」
そう叫ぶ彼女の言葉を、ゴキブリ達はただじっと眺めていた。喧騒を忘れ、混乱を忘れ、人間への恨みすらも忘れて今、地下に住む全てのゴキブリが陽の当たる彼女を見た。
「アナタはこの世界に負けたのよ。
その言葉を引き金に、キレンはがっくりと項垂れた。
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