友との再会

「アグニ、お前とはやり合いたくない」


「あら、私はそうではないわ」


 そう言って彼女が合図をすると、奥からゾロゾロと何かがやって来る気配がした。ネズミにしては小さいが、大きさにばらつきがある。


 見ればそれはツナギメで失踪したと言われていた、攫われた同胞達だった。年齢も体格も種族もバラバラな一団が、虚ろな目で俺達ににじり寄って来た。


 その中の一つに、コギタが反応する。


「あ、相棒……」


 コギタの視線の先にいたのは、若々しい雄のチャバだった。彼こそコギタの友なのだろうが、友は濁った眼でコギタを見返している。


「言ったでしょう? 宝石蜂の毒を使えば無力化するだけでなく、こうやって幾らでも意のままの兵団を作る事が出来る。ドレスのクズ達を武力で大人しくも出来るし、こちらから攻め込む事だって出来る。恐怖も何も感じない彼らならネズミやネコにだって、人間相手にだって立ち向かうわ」


「な、なんて奴だ……」


 コギタが憎しみを込めた目で、アグニを睨んだ。アグニはそれを全く意に返す事無く、じっと俺を見続けている。


「意志無き集団を相手に、意志を奪われた彼らをぶつけるというのか? アグニ、お前がやってる事はドレスの連中と変わらない事がどうして分からない? それは俺達から生きる理由を奪う、悪魔の兵器だ」


「生きる理由なんてどうでもいい。ベルムさん、貴方はノアの箱舟の話を知っている?」


「最近聞いたよ」


「なら話は早いわ。神が一掃し争いが無くなった筈の地上で、何故私達は殺され続けているのかしら? 私達の先祖は争いを再び引き起こす程傲慢だったの? それとも箱舟から降りた罰? いえ違うわ。私達はきっと舟の中にいる時から既に、全ての生物から狙われていたのよ」


「何が言いたい?」


「私達はきっと、舟から蹴落とされたのよ。生物一丸となって嫌われる運命なのよ。争いを好まなかった私達も、遂には仲間同士で殺し合うようになってしまった。今の私達には、生きている事を自然に許される世界が必要なの。この運命を変える為なら、私はどんな事でもしてみせる!」


 彼女の言葉と共に、大量の同胞達が襲ってきた。誰もが虚ろな目を浮かべ、今際の振り絞りのような腕力で組み伏せようとしてくる。


「コギタ!」


「分かってる!」


 俺はコギタに目配せすると背後へ下がり、パイプを伝って天井へと登った。連中の速度は並みのゴキブリを優に超えており、持久力の配分というものを一切考えていない。


 案の定虚ろな大群は勢いのままに壁に激突したが、激突して動かなくなった同胞を踏み台にして二軍が迫って来た。連中は俺達を殺す為だけの機械と化している。その何の光景も写さない目を見て、俺は怒りと吐き気に慄いた。


「何度も言うが、お前まで付き合う必要は無いんだぞ?」


「アンタのせいでここまで来たんだ。最後まで付き合わせてもらう」


「そうか、ならもう何も言わん」


 俺はそう言って目の前の光景を見た。虚ろな集団からは生物らしい感覚が全て奪われ、俺達を殺す為の道具と成り果てている。


 これは俺達がしていい戦いではない。この哀れな存在を産み出す毒は、俺達の世界にあってはならない存在だ。


 動ける奴は十匹にも満たなかったが、その十匹のどれもが厄介だった。見ればどいつも若さに溢れ、惨い環境を生き延びて来たであろう力強さを感じさせた。


 俺は淀みに紛れてコギタと共に逃げ回りながら、連中の姿を確認した。クロが一匹にワモンが三匹、チャバは五匹いる。その中にはコギタの友もおり、どいつも死体のような目を浮かべている。


 俺は襲ってきたクロを叩きのめすと、コギタに向かって叫んだ。


「よし。コギタ、口を開けろ!」


「は?」


「いいから開けるんだ!」


 訝しみながらも口を開けたコギタに、俺は片脚を勢いよく突っ込んだ。悲鳴に似た声をあげるコギタの口内をグニグニと捩じり回し、彼の口から手を離す。


「何すんだ!」


「いいから黙ってろ。……これは賭けだ」


 次は俺の番だ。俺も片方の脚で己の口から唾液を取り出すと、それを持って走り回った。連中の攻撃を躱しながら走り回るのは厳しく何発か貰ってしまったが、それでも殆どの壁に唾液を塗り付けた。


 途端に暗闇の中で、動きが止まるのが分かった。機械的に俺達を追い詰めていた集団が、四方八方へと逃げて行った。


 それを見たアグニが、驚愕の声をあげる。


「何……? 何をしたのよ!」


「こいつを使ったんだよ」


 そう言って俺はアグニに向かって、前脚をフリフリと振った。最初は小馬鹿にされていると思っていたアグニも、俺の脚先に付着した存在にはっと気付いた。


「離散フェロモンを使ったのね!」


「御名答」


 俺達は体内に二つのフェロモンを持っている。一つは餌場や行き先への道標として使う集合フェロモン。もう一つが危機を伝える為に使う、離散フェロモンだ。


 離散フェロモンは俺達にとって、緊急事態発生の証だ。感じ取れば全神経が強制的に危機状態にされ、逃げの一手の思考にする。これを拒否出来る奴はよっぽど神経が強靭か、神経が完全に麻痺した愚か者しかいない。


「俺とコギタの口内から離散フェロモンを取り出し、一帯に散布した。毒に洗脳された連中に効くかは賭けだったが、どうやら効いたみたいだな」


 俺の言葉をアグニは忌々しそうに聞いていたが、ふっと身体から力を抜いた。


「終わりだアグニ。フェロモン程度で無力化するような毒じゃ、俺達の世界は変えられない」


 俺の言葉に、アグニは首を振る。


「フェロモンが効いたのは毒が弱まっていたせいよ……。毒を注入する感覚を狭めれば、本当に何者も恐れないゴキブリが作れる筈なの」


「アンタ、まだ諦めない気か!」


「やめろコギタ」


 毒の有効性を語る彼女の目は、その毒でやられたように虚ろになっていた。心の中ではアグニは既に負けを認めているのだろう。


 だが彼女は諦める事が出来ない。多くを犠牲にした手前、折れる事が出来ないのだ。彼女は決して私欲の為にこんな事をしているのではなく、あくまで俺達の世界を変えようとしたに過ぎないのだ。


「アグニ、もう終わりにしよう。お前一匹で俺達の未来を背負う必要は無いんだ。何億年と続き、何兆何京の犠牲の上で出来たこの世界を、お前一匹で変えられる筈が無いんだよ」


「でも、私は……」


「親父さん達がドレスを変えようとし、それが全て水に流されても尚、お前とアグイは生き延びた。お前達は誇り高いヤマトの血と意志を受け継いでいる。これからの未来をどう生きるかはお前次第だ。過去に絶望するも未来に希望を抱くも、お前の好きにすればいい」


 一呼吸置いた後に、俺は言った。


「だが忘れないで欲しい。どれだけ残酷な世界でも、お前にはずっと傍にいた兄がいる。お前の痛みを分かち合えるニコがいる。一度は逃げ出した俺も、これからはお前の力になると誓う。お前はもう、俺達を頼ってくれていいんだ」


 そう言うとアグニはへたり込み、茫然とした表情を浮かべた。彼女の佇む闇の奥からは組織のメンバーと思われる連中の気配がしたが、連中は兵団を蹴散らした俺達に気圧されているようだった。


「終わりにしよう、アグニ。ニコをどこへやった?」


 俺の言葉に、アグニは俺を見上げて言った。


「あの子なら奥にいるわ……。あの子はとても貴重なサンプルだから」


「サンプル? 一体何の話だ?」


「あの子は私達にとって、希望にも絶望にもなる存在。……ベルムさん、私のような醜女ですら稀なのに、あんな真っ白な身体を持った子が自然発生すると思う?」


 そう言うとアグニは頭上を指し示した。


「ここの頭上には、人間の科学研究所がある。あそこは私達にとって存在してはならない地獄。ゴキブリを殺す薬品や兵器を研究、生産する、悪夢のような場所よ」


宝石蜂ジュエルワスプの毒を手に入れたのもそこからか」


「ええそう。あそこは私達を殺す為の代物が、うじゃうじゃとあったわ」


 人間が俺達を効率的に殺す代物が多くあるのは知っていたし、それが生産される場所がどこかにある事も分かっていた。だが実際にそれが頭上にある事を知らされると、さすがにいい気持ちはしない。


「だがそれとニコに何の関係ある? お前達が彼女を狙う理由は何だ?」


「……ごめんなさい。ここから先は、私には言えないわ」


 そう言ってアグニは、翅の隙間から鋭い針を取り出した。先端には体液痕の上に、神秘的な液体が塗りたくられている。


 その針を彼女は、自分の頭へと向けた。


「さよならベルムさん。またいつか、この世界が平和になったら会いましょう」


「まさか……、止めろ!」


 そう言って止めようとすると、俺とアグニの間に黒い閃光が走った。


「アグニ、そこまでにしろ」


 そう言って陰から純白と、漆黒の身体が現れた。


 そこにはニコと、俺の親友アグイがいた。

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