7-4 仙崎誠、仙崎彩音は立ち上がる


 〇


 仙崎彩音という女は、俺の血のつながった妹は、かつてヤンキーだった。母親の死んだショックから、それを認めたくがないゆえの逃避行だったのだろう。

 なんて、他人の俺が当て推量したところで仕方がない。当時の彩音がどう思い、どう考えていたかは、彼女にしか分からないのだから。


 さりとて、あの事件があってからの彩音は、傍から見ていても、憔悴しきっていた。中学を卒業できたのはまぎれもない奇跡だったし、そんな彼女が高校に行きたいと言い出したのも、また奇跡に違いないと、いまなお俺は信じている。


 そして、見事高校へ進学できたのは、かけがえのない幸運だろう。


 近くの女子高へ進んだ彩音は、表面上は快活に振舞うようになった。それが半ば演技であることは明らかで痛々しいほどだったが、そうしている内に、本当に回復してくれることを信じて、誰も何も言わなかった。


「それでは美原加奈子さん、スピーチをお願いします」


 会場のアナウンスが聞こえて、意識が現実に引き戻される。

 そうだ、いまは披露宴の最中。

 見れば、美原先生が、手を引かれながら壇上へと上っているところだった。


「ただいまご紹介に預かりました、美原加奈子と申します。彼女とは、高校生の時の担任と生徒という関係でしたが、とてもいろいろなことがあった一年だったと思います。あの時の私が、篤子さんに、すこしでも多くのことを教えられていれば、これほど幸せなことはないだろうとも、思います」


 美原先生は新婦の方へ顔を向けたまま、しかし、彼女自身が言っていたように、すっかり光を失ってしまったようで、視線の焦点はやはり合っていない。

 それでも朗々と、よどみなく読み上げられるスピーチは、彼女の人柄を表しているようだった。


 俺が彼女と会ったのは、彩音が高校三年生の時の三者面談。それぎり。

 進路を決める大切な面談とのことだったが、父親が不在で、急きょ俺が駆り出されることとなった。


 当時は眼鏡をかけた女性で、初対面で、開口一番に浴びせられた言葉は、衝撃的だった。


 お宅で、彩音さんを虐待などしていませんか。


 穏やかそうな面持ちから、鋭い語調でそんな発言が飛び出してきて、俺は面食らったものだった。


 美原先生は、彩音の空元気を見透かしておられたのだ。


 隣に座る彩音と頷き合い、事件のことをかいつまんで話すと、彼女は彩音を憐れむでもなく、もちろん、俺や父親の不監督を怒るでもなく、こんどは毅然とした口調で、こう言った。


 ですが、彩音さんもいつまでもこのまま、という訳にもいけません。


 兄妹ふたりして、ぴしゃりと叱られた気分だった。


「篤子さんには、当時彩音さんというとても仲の良いご友人がいらっしゃって。それはもう姉妹のようで」


 突然名前を呼ばれて、はっとする。新婦が高砂席で手を振ってくれているのに、鷹揚に応える。


 いまにして思えば、専門学校の在学中に、彩音がモデルという仕事について真剣に考えられたのも、あるいは、美原先生のおかげだったのかもしれない。


 なにより彼女は、彩音の性格や性質をことごとく見抜いていた。

 朝が弱いこと。ずぼらなこと。物の管理ができないこと。

 新しいことが好きなこと。好きなことに取り組み集中力は人一倍なこと。他人を喜ばせる才能があること。


 枚挙にいとまがない彩音の長所や欠点を、ひとつずつ、丁寧にゆっくりと、言い聞かせるように述べていき、そして最後に、


 彩音さん、お化粧をしてみたらどう? せっかくお綺麗なのですから。


 高校生に化粧なんてまだまだ早いと俺は思っていたし、彩音も微妙な反応ではあったが、その火種燻っていて、原田さんとの出会いで、一気に燃え広がったのかもしれない。


 その日を境に、彩音の演技は、すこしずつ本物になっていったと思う。


 なぜこんな恩人のことを忘れていたのか。確かに、十年という月日で、美原先生はすっかり老け込んでしまったご様子ではあるが、その内面は、当時となんら変わりないというのに。


「こんなおばあちゃんの話をあんまり長々としても、みなさまご顰蹙でしょうから、このくらいにさせていただきます。篤子さんのとっても大事な日に、この場に立てたことを、感謝いたします」


 美原先生がお辞儀をすると、割れんばかりの拍手が会場を包む。その拍手は、きっと誰しもが真心から自然に起こったものに違いない。花嫁に至っては、滂沱の涙を流して、彼女の下に駆け寄り、強く手を握りしめている。


 なにかひとつの作品を鑑賞し終わったあとのような、不思議な感動を胸いっぱいに覚えながらも、俺も細く長い溜息を漏らしたのだった。

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