7-3 仙崎誠、結婚式に行ったら、絶対御祝儀分のお酒を飲んで帰ると心に決めている


 〇


 次に目が覚めたとき俺は、


「……マジか」


 ほぼほぼ完璧な、仙崎彩音と化していた。そして、原田さんの運転する車に簀巻きにして突っ込まれ、あれよあれよという間に、結婚式会場に放り出されていた。


 そういう訳で、いまに至る。


 名前も知らない、見たこともない、彩音の元クラスメートたちに、愛想を浮かべながら会釈する。こうなってしまったからには、もうなりすましを完遂しきるほかあるまい。

 もしもいまこの場で、俺が彩音の変装をしていることが暴露されてしまえば、変態の汚名を被ることもやむなしである。


「お待たせいたしました、みなさま式場の方へお願い致します」


 アナウンスにならって、できるだけ目立たないようにそろりそろりと移動を開始する。高校時代の彩音の交友関係なんて知ったものじゃないから、下手に挨拶以上の会話なんてしてしまえば、いつボロが出るとも分からない。


 とはいえ、今朝言ったように、彩音に友達は少ない。例を挙げるなら、当時、家に友達を連れて来たことなんてなかったし、学校の授業が終わってからどこかへ遊びに行くということも、ほとんどなかった。……思い出していて、悲しくなるな。

 ちなみに、今回、式と披露宴に出席する新婦の名前は、辛うじて聞き覚えがある程度。なっちだとか、なっちゃんだとか、そんな愛称を何度か聞いたような気がする。


 係員に指示に従って座席に着席し、厳かなオルガンの音に耳を傾けながら、ふと、そういえば、結婚式というものに、あまり出席したことがないことに気が付く。直近で行ったものは、大学院時代の同期であり、現在も親交のある柴田夫妻の式。むしろ、子供のころならばいざ知らず、成人してからはそれ以来だ。


 親父は二度の再婚をしているものの、晶子・双葉の母とも、佳純・志津香の母とも式は挙げていない。金銭的に難しいということはないはずだろうが、わざわざその理由を詮索するでもない。


 ウェディングドレスに着飾った花嫁が、その父親を腕を組んでバージンロードを歩く。こちらを向いて手を振る笑顔に、やはり見覚えはない。

 見知らぬ他人の結婚式をお祝いしているという奇妙さが面白いのと同時に、女性にとっての晴れ舞台である結婚式に見知らぬ他人が紛れ込んでしまっている罪悪感がやりきれない。


 讃美歌の斉唱を口パクでやり過ごし、誓いのキスを白々しい拍手でお祝いし、小一時間ほどで式自体は終了の運びとなる。これでお役御免、とは、そうは問屋が卸さない。披露宴が残っている。


 しかし、事ここに至って、俺はすこし前向きな気持ちでいた。こうなりゃ、縁もゆかりもない他人の結婚式を、心行くまで楽しんでやる。ご祝儀はさすがに彩音持ちだし、となれば、タダ酒タダ飯である。


「……と、その前に」


 つつがなく式は終了したということを、一応報告しておこうと思い、披露宴会場には直行せずに、いちど外に出る。


「おっと……『すみません』」


 出入口で、同じ式の参加者と思しき人とすれ違う。

 ひとりは、鮮やかなドレスをまとった女性。

 もうひとりは、結婚式にはすこし不似合いな、暗めの色調のドレスを着た老婦人だった。


 体のどこかが悪いのか、若い女性がご婦人の手を取って、彼女の先行きを先導していた。


「あら、その声は……仙崎さん?」


 名前を呼ばれて、振り返る。俺を呼び止めたのは、老婦人の方。

 見上げるその視線が、焦点の合っていないのが気になった。


「私、目が見えなくって。お気を悪くさせてしまったなら、ごめんなさいね」

「『い、いえ……』」


 老齢にあってなお柔らかなその物腰に、稚気を含んだその口調に、俺はどこか覚えがあった。


「お風邪を召してらして? 声の調子が、むかしとはちょっと変わったようにも思うのだけれど。それとも、私が呆けてしまったのかしら」


 記憶の糸を手繰るけれど、まるっきり思い出せなくてもやもやする。あるいは、誰か記憶の中の別人と重ねているだけなのだろうか。


「よければ、またお話しさせてくださいな。それでは失礼」


 片手でひらひらと手を振りながら、老婦人は会場内へと進んでいった。目が見えなくなると足腰も弱くなるとよく聞くが、彼女もまた、おぼつかない足取りであった。


 もうしばらくうんうんと唸ってみたが、やはり彼女に該当する人は思い当たらず、あんまり時間を無駄にしていても仕方がないから、携帯を取り出して彩音に電話することにする。


「もしもし? 式は無事終わったぞ。これから披露宴だ」

『ほんとにありがとー! 誠!! この埋め合わせは、絶対するから! 何でもするから!!』

「いま、何でもするって言った?」

『え? 言ったけど』


 彩音の言質を心の備忘録に書きとどめておく。


「そういや、ずいぶんお年を召した方に声を掛けられたぞ。目が見えないそうで、お付きの人と一緒だった」

『目が見えない……? あっ、たぶん、美原先生じゃないかな。ていうか、絶対そう。高三の時のあたしたちの担任で、その頃から目を悪くしてらしたんだけど……』


 美原先生、という言葉、海馬の中にするりと吸い込まれていき、たちまち、記憶の底からひとりの女性を浮かび上がらせてくれる。


 美原加奈子。彩音の言う通り、彼女の高校最終学年における担任教師。父親が急な出張だった時、その代わりに三者面談に出席した際、お会いしたのだ。


『美原先生が来てたんなら、なおさら行きたかったなぁ! あたしも、なっちも、めちゃくちゃお世話になったから。失礼のないようにしてよね!』

「分かってるよ。どうせあとは披露宴だけだし、話をする機会もないだろうしな」

『なっちにもよろしく言っといてね!』


 そこで通話は切れた。あっちもあっちで忙しいのだろう。


 携帯電話をバッグにしまい、披露宴会場に足を向けながら、俺は美原加奈子という女性について、すこし思い返していた。

 彼女はまさしく彩音の恩人といってふさわしい人物だろう。

 なにせ、中学生の頃、心に致命傷を負った彩音が、なんとか立ち直るきっかけをくれた人物なのだから。

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