6-4 仙崎誠のいない夜④



 ダイニングからリビングに場所を移して、いつの間にか新たなアルコールやお菓子類などを伴って、にわかに騒ぎが大きくなり始めたガールズトークの傍でひとり、タイミングをつかみかねている少女がいた。

 それはもちろん、四女佳純。度の強い酒を一気にあおってしまったために気を失ってしまっていたが、実はすこし前から、さすがの騒がしさに目を覚ましていたのだった。


(なんか、姉ちゃんたち、楽しそうだな……)


 かといって、あの輪に混ざりたいという訳ではない。中途半端に出て行って、ともすれば話題の生贄として槍玉にあげられるのは、まっぴらごめんだ。


 話題の中心は、この場にはいない、仙崎家長男、誠について。姉妹それぞれが、誠のことをどう考えているのか、姦しくも論っている。


 うつ伏せになって覚醒の気配を押し殺したまま、佳純も、ついつい思索する。仙崎誠について。


 いまのところ、正直な感想は、よくわからない男。

 初めて会った時は、いきなり家族面をしてうっとうしいと思った。しかしそれが格好つけやポージングでないことも知った。ありがたいとは思っている。

 双葉の言うように、時折奇人めいた行為に走ることもあるが、それは、自分の知能指数と誠の知能指数が違いすぎるために理解できないのだろう、とひとり合点する程度には、誠の優秀さも認めている。

 なにせ、瞬間移動できる人間と真っ向勝負でタメを張れるのだ。そんな人間、この世にいるだろうか?


 そして思索の末、佳純が至った結論は、「優秀なのは分かったから、もうすこし自分たちレベルの人間が理解できるように、歩幅を合わせてほしい」という、考えついた佳純本人をして、思わず眉をしかめてしまうようなものだった。


(喉、渇いたな……)


 慣れない思考活動をしてしまったからか、それともお酒のせいなのか、ずいぶんと喉が渇く。が、いま動き出してしまっては、姉妹たちの恰好の標的。慎重を期する必要がある。


 そろりと、顔を机に突っ伏した姿勢から、少しずつ目線を上げていく。どうやら、いま話題の中心にいるのは、晶子であるらしい。

 すこし前までは、テーブルを中心にして話題に興じていた姉妹だったが、いつの間にやらリビングに車座になって会話に夢中になっている。


 いまならば、誰にも気付かれることはないだろう。ひっそりと、冷蔵庫へ向かって移動する。飲み物を確保して、部屋にこもってしまえば、もう捕まるまい――


「佳純ちゃん? どこに行くんですか? お手洗いですか?」


 朗らかな笑顔が、目の前にあった。

 馬鹿な! いったいどうやって!

 双葉は、佳純と最も離れた位置に腰を下ろしていたはずだ。両者の間には、ほかの姉妹たちもいたはずだ。


「佳純ちゃんだけ仲間外れで、ごめんね? でも、もう大丈夫ですからね?」


 優しい姉の笑顔――違う! よく見れば、瞳にハイライトが入っていない!


「い、いや、お酒飲んじゃったせいで、調子も悪いから、部屋に戻って寝なおそうと……」


 はし、とつかまれる右手。この程度のもの、振りほどけばいい。

 が、


(なんつう力だよ……っ)


 びくともしないとはまさにこのこと。双葉はすこしも力んでいる様子がないというのに。


「……分かったよ。ウチもあっちに行くよ。水くらいとってもいいだろ? 喉カラカラなんだよ」


 どういうからくりかは分からないが、力勝負は不利と悟った佳純。舌打ちしながら双葉に従う。


「でしたら、私が取ってきますね。きっとみんなも、佳純ちゃんのお話聞きたがってるでしょうから」


 そういいながら、双葉は佳純の手を放し、キッチンの方へと向かっていく。


(いまだっ!)


 冷蔵庫まではおよそ十歩。これだけ距離があれば――


「佳純ちゃん、みんなはあっちですよぉ?」

「――――ッ!?」


 佳純が、双葉が確かに冷蔵庫の扉を開けてるのを目視し、そして視線を再び廊下の方へと戻すと、


 そこには双葉が、先ほどと変わらぬ笑顔を張り付けて、立ち尽くしていた。手には水のペットボトルと、ビール缶。それからチーズなどのおつまみ各種。


「え……いま……?」


 我が目を疑う。目をしばたかせて、ぐしぐしこすっても、双葉が目の前にいるという事実は変わらない。しかし、この非現実感に、佳純は覚えがあった。


「はい佳純ちゃん、お水ですよ」

「サンキュー……」


 まるで、田内三年生の――


「はい、彩音さん。いくら明日が遅いからといっても、ほどほどにしてくださいね?」

「わかってるってばー。ありがとー」


 そして次にまばたきをした時には、双葉は彩音や晶子にビールを手渡していた。

 この件は、あまり深く詮索しないようにしよう、と佳純は胸中でひとり誓った。


 かくして――


 仙崎家五人姉妹が、再び一堂に会した。時刻は深夜三時。みな、思い思いの場所に座って、思い思いの体勢で、思い思いの言葉を述べる。

 きっと誠が見れば、やはりたまらず感涙にむせび泣いてしまうような光景。


「なーあやねー。あたしもちょっとビール飲ませてくれよ」

「あんた、さっき日本酒飲んでぶっ倒れてたでしょーが」

「へーきへーき。もう耐性ついたから」

「ウチはもうぜってーお酒なんて飲まねーぞ。まだ頭がクラクラする」

「子供はジュース」

「ウチを子供扱いすんな」

「お姉ちゃんも、あんまり飲みすぎちゃダメだよ? ……次は、自分で掃除してね」

「う……ごめんなさい」


 時計の針が進めど進めど、彼女たちの話題が尽きることはなく、


「まぁ、双葉ちゃんに彼氏ができたのは、妥当っちゃ妥当よね」

「私は、認めた訳ではない」

「晶子ちゃんはどうなのよ? 研究室の人とか」

「別に」

「誠さんに乳首つねられて喜んでる間は、彩音さんもお姉ちゃんも、難しいと思いますよ?」


 時計の針が進むのと同様に、酒もどんどん進んでいき、


「おぇ……う……ぎぼぢわるい……」

「…………うぷ」

「姉ちゃんと晶子、完全にダウンしてるけど、これ大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよぉ。だって、こんなに美味しいんですからぁ」

「あー! ふたねー飲んでるじゃん! あたしもあたしも!」

「ウチはぜってー飲まねーかんな」


 そして午後十二時、


「ただいまー。お、みんな家にいるのか。お土産買ってきたぞー」


 京都から帰ってきた誠が目にしたのは、


「なんか酒臭くないか? 彩音と晶子が飲みすぎたのか?」


 目を覆いたくなるような惨状であった。


 まず目に入ったのは、長女彩音。トイレに行こうとして、途中の廊下で力尽き倒れ伏している。床には吐しゃ物。


 次女晶子。なにがあったのかさっぱり分からないが、上半身裸であおむけに寝そべってる。平らかな胸部の上には、ビールの空き缶が一本ずつ置かれてる。なにかの儀式か?


 三女双葉。カクテルを手に持った姿勢のまま、固まっている。パントマイムのようにも思えるが、完全に気を失ってる。


 四女佳純。なにかを手に握ったまま眠っている。よくよく見てみると、それは掌に収まるサイズにまで圧縮されたアルミ缶。しかもそれが部屋のあちこちに散乱している。


 五女志津香。血まみれで壁に寄りかかっている。口からは血を噴いた痕。満足気な表情で安らかに眠っている。


 試しに、双葉をゆすってみたが、起きる気配がない。ほかの姉妹たちも同様で、全員が全員酒臭い。

 もちろん、部屋の状況は酸鼻を極めている。なにより、酒の臭いに紛れて、実際に酸っぱい臭いが鼻につく。


「はぁ……」


 誠が完全に言葉を失った。

 休日の午後、昼下がり。唯一無事なソファに腰かける。足元に転がっている未開封のビール缶を見つけて、取り上げる。

 すっかりぬるくなったビールを一口。そうして、誠もソファに横たわったのだった。

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