仙崎晶子の場合
3-1 仙崎誠、避けてる?
〇
勤務先の高校が春休みに突入したので、それに併せて我々教師陣にもわずかばかりながら連休というものが与えられた。とはいえ、三連休程度のもので、初日に買い物を済ませ、二日目に家の掃除でもと思ったところ、ふだんの双葉の働きぶりのためにそれほど労する訳でもなく、最終日に至っては家でゴロ寝をする始末だった。
アイドルグループメンバーの誰々が女子高生に猥褻行為をしただの、省庁のお偉いさんがセクハラをしただの、毎度のことながら欠伸の止まらない話題を種に、よくまぁぴーちくぱーちくと騒ぎ立てられるものだなんて、遠い目をしながらワイドショーを眺めていると、リビングの扉が静かに開かれて振り返る。
「お、晶子か。こんな時間に珍しいな」
「げっ……まぁ、ちょうどいい」
兄に向かって、げっ、とはなんだ。
当の晶子は、すたこらさっさと自室に引きこもってしまうかと思いきや、ケトルでお湯を沸かすと、インスタントコーヒーをふたつ淹れて、意外にも俺のすぐ近くに腰を下ろした。
「相談があるんだけど」
晶子の方から話とは珍しいこともあるもんだ。これは俺も寝転がってる場合じゃない、正座に組み替えて表情を引き締めて、彼女と対峙する。
「ヘラヘラすんな。気持ち悪い」
「してないわ! 『正座に組み替えて表情を引き締めて』って、地の文にも書いてあるだろ!」
「地の文? もしかして電波? しかもそれで真剣な顔なんだ。不便」
「『不便』じゃねーだろ! どっちかっつーと、せめて『不憫』って言え!」
一応ガラス窓に顔を映して、本当に表情が崩れていないか確認する。
「もしかしてナルシスト? キモ」
「いちいち兄を罵らなきゃ生きていけんのか。で、話ってなんだ。改まってするってことは、学校のことか」
季節はじきに春に差し掛かる。そうなれば院進が内定している晶子は晴れて大学院生となる。それは喜ばしいことだし、協力を惜しむつもりはない。いままで通っていた大学から、別な大学の院へ進学するという風変わりではあるものの、それが彼女の選んだ道ならば、兄としてなるべく支援してやりたい。
「…………」
一方、水を向けてやったというのに、晶子は黙りこくったまま、ちびりちびりとコーヒーをすすっている。が、わざわざ否定しないということは当たらずとも遠からじ。
「学費のことなら心配すんな。俺も彩音も稼いでる」
などと大言壮語してみたものの、実際のところ、晶子が大学院へ進むとなれば、家計は一気にひっ迫する。ふたり合わせて年間一千万足らず程度の収入(賞与込)の内、半分ほどを仙崎家の蓄えとして、およそ四百万余り。そこから、六人分の生活費に加え、四人分の学費を捻出しているのだが、余剰の出ることはほとんどない。なにしろ、学費だけで二百万の支出なのだから、さもありなん。
それすらも、四人がいずれも公立ならびに国立の学習機関に通っているから成り立っている危ういバランスで、ちょっとした変化で、すぐに窒息してしまうのは目に見えていた。彩音が無理を押してでも働きづめになっていたのは、佳純の件だけではなく、晶子の大学院進学に備えてのこともあったのだろう。
進学を諦めて就職しろ、あるいは、私立への鞍替えは辞めて比較的授業料の安い国公立を志せ、と言うことは難しくない。実際、家計の人質に取ってそう説き伏せれば晶子だって肯んじざるをえない。
去年の四月早々、いまと同じように相談を持ち掛けられた時、しかし俺は、彼女の意志を言祝いだ。難色を示す彩音を口説き、好きなように研究してこいと背中を叩いた。
なにせ、「俺がかつて諦めた道」だ。
「…………」
なおも晶子はだんまりのままで、コーヒーは既に底が尽きようとしている。せめて俺の考えくらいは聞かせてやった方が、彼女も安心して研究に打ち込めるだろうと思った矢先、
「たっだいまー! 今日はこれから休み!! 明日も丸一日オフ!!! たまには夜更かししちゃおっかなー!!!!」
騒がしい声が玄関の方から聞こえてきた。
これまた珍しいことに、ずいぶんとご機嫌な様子の彩音だ。鼻歌交じりに、スキップみたいな足取りでリビングへと近づいてくる。
「部屋、戻る」
マグを手に取って立ち上がる晶子。その背中に追いすがろうとして、けれど留まった。
「あれ、晶子ちゃんじゃない。今日は大学休みなの?」
「…………」
彩音とのすれ違いざま、顔を上げようともせずに、猫みたいに足音を殺して彼女は自分の部屋へと戻ってしまった。
取り残される俺。神妙な顔付きの彩音。
「もしかして、あたし避けられてる……?」
俺は首を捻って、ヘラヘラするばかり。
明言は避けたものの、確かに、晶子が彩音と話しているところは見たことがない。というか、近くにいるところさえ見たことないかもしれない。
そういう訳で、一週間ほど、晶子の行動をモニタリングしてみることにした。院進学の過渡期ということもあってか、以前ほど研究室に入り浸ってもいないため、有意サンプルは比較的多く手に入れられたと思う。
〇サンプル1 晶子と彩音
深夜、月曜から夜明かしをみている晶子をビールを片手に眺めている。手元には双葉が作ってくれた簡単なツマミ。
そこに仕事帰りの彩音が玄関を開く音。気配がするや否や、立ち上がりリビングを退出。
〇サンプル2 晶子と佳純
夕食時、今日は双葉が珍しく外食してくるというので、俺が手料理を振るった。志津香は友達とのカラオケが長引いているらしく、彩音は仕事。
そこに帰宅する晶子。
「晩飯食べるか? 今日は俺の手作りだぞ」
「いらない」
佳純を一瞥して、すごすごと二階へと上がって行った。
〇サンプル3 晶子と志津香
夕食前、双葉がハンバーグを作ろうとしていたのに挽肉を買い忘れるというスカポンタンをかまして、腹の虫が叫んで我慢ならない俺と志津香で散々からかったところ、涙目になりながら買いに走った。その入れ替わりで、晶子登場。
「おっ、しょーねーじゃん。しゃあないから、今日のハンバーグはしょーねーの肉で我慢すっか!」
「死ね」
もはや会話すら成り立っていない。
〇サンプル4 晶子と双葉
朝、出勤前。志津香と佳純のお弁当を作る双葉の手際を眺めながらコーヒーを流し込んでいると、眠た目をこすりながら晶子が扉を開けた。
「もー、晶子ちゃん、いままで起きてたの?」
「いまから寝るとこ。双葉、コーヒー淹れて」
「寝る前にコーヒー飲んだら、熟睡できないからダメ」
「双葉のいけずぅ……」
食卓の椅子に座ってそのまま寝落ちしそうになる晶子を、双葉が引きずって自室に放り込みに行った。その間に、俺は志津香のご飯の底にたっぷりワサビを塗りたくってやった。学校で悶絶しろ。
〇結論
「お前、彩音のこと避けてない?」
今晩も今晩とて、テレビの前にかじりついて、毒舌のオカマと三枚目のアイドルを眺めている晶子に声を掛ける。肩を跳ねさせたのち、一瞬だけこちらを振り向いて、再び画面に目を戻す。
「いや無視すんなや」
晶子の隣に座ると、舌打ちひとつ、視線は釘付け。
「しかも、彩音だけじゃないよな。佳純と志津香も、露骨に避けてるよな」
ちょうどそのタイミングで番組がCMに入り、晶子はため息ひとつこぼして、
「…………なにか文句?」
「文句というか、家族なんだし。そういうのはあんまり良くないと思うぞ」
「別に問題ない」
取りつく島もないとはこのことか。とはいえ、頑固ではあるものの、家族間のコミュニケーションが円滑であることの合理性が分からないやつでもない。となれば、感情面でのつっかえがあるのかもしれない。
「三人とも、根は悪いやつじゃないことくらいは分かるだろ?」
「…………」
出た、だんまり。学校でもそうだが、こういう生徒を相手にするのが、一番手間がかかる。まだ自己主張しながら突っかかってくるタイプの方が扱いやすいというものだ。
「…………だから」
「なんだって?」
蚊の鳴くような声で、晶子がなにかを呟いた。耳を澄ましてみる。
「ウェーイ系……だから」
きょとんとした。ぽかんとした。一瞬思考が停まった。
「あー、それはつまり……いわゆるスラングのウェーイ系、ということでいいのか?」
静かに頷く。
「はっ」
「わ、笑うなぁ!」
晶子の言わんとしていることは分からないでもない。確かに、ティーン誌モデルとして生計を立て、日頃から洒落た格好で出歩き、また付き合いではあるもののパーティなんかにも出席する彩音が、その分類であることは間違いない。
しかし、人間の類別なんか、そう簡単にできるものでもない。
「あいつ、仕事以外の日はほとんど家からも出ないし、オフの日にはいつもジャージだぞ?」
ついでに言えば、専門学校時代は化粧もろくずっぽしない、いわゆる地味子だった。髪を染めたのも仕事を始めてからだ。
「彩音が苦手なのは、まぁ分かった。それじゃ佳純は?」
「…………ヤンキーこわい」
これまた思わず笑ってしまいそうになる回答。いまこそ俺はヘラヘラしているに違いないのだが、晶子といえば、番組が再開しているにも関わらずうつむいたまま。
「じゃ、志津香は?」
「ウザい」
「それは仕方ないな」
結論。言うなれば食わず嫌いみたいなものだ。
晶子は、彩音や佳純の一側面ばかり見て、まぶしいもの、おそろしいものと判断して、忌避してしまっているのだ。志津香については救いようがない。
「あれ、ふと思ったんだけど」
ここで俺はとあることに気が付いた。
「なんで俺は平気なんだ?」
彩音ほどとはいかないまでも、社会人として働き、ふだんから身なりに気を付け、また社交的な俺は、どちらかといえば(彼女の言葉を借りるならば)ウェーイ系に属するのではないだろうか。
しかし、サンプルの示す通り、そしていま実際にそうであるように、晶子は、俺が同室しても席を立つことなく、あまつさえ隣に座り、会話すら成立している。
「陰キャラ、っぽいから」
「お前しばいたろか」
「だって、髪も黒いし、整髪料とかも付けてない」
「お前のウェーイ系の基準低くない? 染髪は学校規則で禁止だし、生徒たちにワックス付けてくんなって言っといて、教師が付ける訳にもいかんだろう。俺だって、こういう仕事じゃなかったら、髪はまっきんきんのワックスべったべたよ」
「陰キャがリア充に擬態しようと必死過ぎ」
「世の大学デビューくんたちに謝れ!」
誰だってお洒落したては不釣り合いなものだし、似合っていないと周囲からあざ笑われるものだ。けれど時間が経つ内に、その髪型や服装がその人のセンスとして定着していくものなんだ。サルエルパンツだって、ふつうに履いていたら寝間着と勘違いしてしまいかねないが、大学四年間も身に着け続ければ、やがては認められるのだ。断じて俺の話ではない。
「はぁ……お前も来年度から大学院の研究室に入るんだから、人を外見だけで判断するもんじゃないぞ。一見変わり者だけど、とんでもない功績を上げてる教授なんかもいるんだからな」
かつて俺が所属していた研究室の教授も、ずいぶんな変わり者だった。一口に奇矯というと語弊もあるが、研究者として一流で、その上政治的辣腕さえも振るう女傑であった。
「言われなくても。……そのことで、相談があるんだけど」
そういえば、一週間前にも同じようなことを聞かれていたが、あの時は彩音が帰ってきたために中断したのだった。
「これからお世話になる教授に、挨拶って行った方がいいの」
意外にも、晶子の質問というのは悪く言えば平凡、良く言えば素朴なものだった。
「そりゃ行くに越したことはないけど、かといって、人によってはそれをゴマ擦りと受け取る人もいるからなぁ。ていうか、そんなの院進する他の友達に――あっ」
俺はなんてむごいことを口走ろうとしていたのか。晶子に友達なんて……いる訳ないじゃないか。外では研究室に、家では自室にこもりっぱなしで、飲み会にも参加せず、服装の派手めの姉をウェーイ系と敬遠し、素行の悪い妹をヤンキー怖いと忌避する晶子に、友達なんて……。
「おお……俺はなんて罪深いことをしてしまったのだ。神よ……」
「憐れむな、嘆くな、懺悔するな。二回死ね」
そうとなれば、やはりこの兄が一肌脱がねばなるまい。これから二年間はお世話になる教授との間にくだらない不和なんて生まれて、肩身の狭い思いなどしてほしくはない。
「ま、お前自身が行った方がいいと思ってるんなら、顔出して来い。事前にちゃんとアポは取れよ? それから、手土産には俺いち押しのどら焼きがあってだな……」
家族とのコミュニケーションに難があったって、友達がいなくたって、晶子が自分のしたいことをできるのなら、きっとそれは良いことだ。分からないところは、足りない部分は、俺や彩音が補ってやればいい。
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