10.たった一つの細工のために

 立ち昇る炎の柱。その数全部で六本。


 白玲と名乗った者の背後で揺れる炎の柱は彼女自身の身体の一部であり、正確に言い表すならば炎の尾である。


 妖狐の尻尾の本数は即ち力の強さを示す。長く生きた狐は尾が二股に割れ、力を持った妖狐となる。それが力をつけるにつれ、尻尾の数が増え、最高で九本の尾を持つに至るのだ。


 更に力をつけると逆に尻尾の数は減るのだが、そんなのはほとんど神様であると言ってよく、こんなところにいる筈はない。その事実に照らし合わせれば、目の前の敵の実力は、少なくとも妖狐の中では中級以上ということになる。


 赤々と燃える炎を視界に収めつつ、智久は冷静に相手の戦力を分析していた。


 ようやく引っ張り出した白玲の本気。まともに戦っても勝てるという自信はある。しかし、油断は禁物だ。現状、祓うに当たっての問題も未だ解決されていない。


 不意打ち気味に戦闘に持ち込まれたために、仕込みをする時間が足りなかった。今はひたすら機会を待ち、一瞬の隙を探すことに神経を注ぐ。そう決め、智久はそっと懐に隠したものの感触を確かめた。


 ゆらりゆらりと緩慢に揺れる白玲の尾の内、外側の三本がまるで蛇のように鎌首をもたげると、風を切って一直線にこちらへ伸びてくる。


 迎え撃つ与一と小次郎太がうち二本を防いだが、残りの一本が二匹の間を通り抜けた。智久は手にした札に力を込め、向かってくる炎の先端を横から弾いた。


 叩かれた部分は消滅し、炎尾は軌道を逸らされて智久の顔のすぐそばを通過する。高温の風が頬を撫で、髪を僅かに焦がした。


(これは、直撃したらヤバイかな)


 頬に残るひりひりとした痛みが、あれは危険だと警告している。


「どうした。顔色が悪いな?」


 智久の表情の変化を見取ってか、白玲が嗜虐的な笑みを見せる。


「気のせいだよ。そっちこそ目が悪いんじゃない? 歳とると大変だね。いい眼鏡屋を知ってるから紹介しようか?」


 白玲の笑みが引っ込んだ。余裕を崩さない自分の態度がお気に召さなかったようだ。無言で次々と尻尾を伸ばしてくる。それを札で払い、弾き、叩き落しながら、智久は狙い通りの反応をしてくれる白玲に感謝した。


 彼女の心の内には人間に対する恨みがあるらしく、自分の拙い挑発にも乗ってくれる。それは本当に幸いだった。おかげで、白玲は自分を叩き潰すことにのみ全力を注いでくれるのだから。


 と、休みなく続いていた尻尾による攻撃が止んだ。智久はその意味を瞬時に理解する。


(来た!)


 特大の一撃。そして千載一遇のチャンスが。


 智久は訪れるであろう今までで最大の一撃に備えるべく、札を宙に滑らせる。空中に描かれる五芒星を更にもう一度なぞって強度を増し、札を投げ入れた。


 六本の炎柱がぐわっと伸び上がったかと思うと、一斉に智久目がけて殺到する。六つの柱は縒り合わさり、螺旋の形を作り上げた。


「与一、小次郎太! 避けろ!」


 あれを食らえば彼らは一瞬で戦闘不能だ。二匹に退避を呼びかけ、尚且つ自分は敢えて受け止める構え。


 全てはたった一つの細工のために。


 炎の渦が五芒星に激突する。真正面から受け止められた炎は逃げ場を求め、熱波を撒き散らしつつ周囲へ広がった。


 視界一面が赤色に遮られ、高熱が智久の全身を襲う。炎の壁のせいでこちらからは何も見えない。だがそれは白玲とて同じこと。智久は待ちに待ったこの機を活かすべく、懐に隠していたものを背後へ、そっと放った。


 視界が晴れ、白玲の憎々しげに歪められた口元が目に映る。智久は狐面から目を逸らさず、視界の隅にちらちら見える池永彰へと意識をやった。


 仕込みは無事に完了した。あとは、彼次第だ。







 人一人がまるごと炎の奔流に呑み込まれる。なんて非常識な光景だろう。


 熱気を孕んだ風から顔を庇いながら、彰は不思議な心持ちでそれを眺めていた。


 危機感はとうに薄れ、二宮を案ずる気持ちさえいつの間にか消えている。すぐ目の前で繰り広げられている出来事なのに、どこか遠い。そんな感じだ。


 今の彰はまさしく傍観者だった。自分の手の届かない事柄をただ黙って見ているだけの立場。自然と、張り詰めていた気も緩む。


 そんな状態の時にいきなり背後から肩に何かが乗ったものだから、危うく彰は悲鳴をあげるところだった。


 いや、悲鳴は喉から出かけたが、びっくりし過ぎて声にならなかったのだ。


「驚かすような真似をしてすみません、池永さん」


 という小さな声が耳に届く。


「なんだ、何かと思ったら勘九郎か。どうした?」


 釣られて小声を返すと、勘九郎はちょっと失礼しますと断って、するりと彰の懐に入ってきた。襟元から顔だけを覗かせる様子は、周りの状況を忘れて和んでしまうくらいに愛嬌がある。


「実は池永さんに手伝って欲しいことがありまして」


「俺に?」


「はい。まずはこれを」


 勘九郎は彰の顔の前に紙切れを差し出した。


「これって、俺の持ってる札と同じやつ?」


 そういえば、勘九郎は以前に会ったときとは違い、さきほどは塗り薬の入った壷を持っておらず、代わりに細長い紙を手にしていた。


「そうです。それにこれも」


 と言ってもう一枚お札を渡してくる。


「この者、悪しき者の目に映ること能わず……?」


 彰はお札に書かれた達筆な文字を読み上げた。


「悪いやつには見えなくなるってことか? なんつうか、つくづく便利な代物だよな、これ。そんで、俺にどうしろって?」


「白玲の本体を菜央さんの身体から追い出してもらいたいんです」


「……はい?」


 あっけらかんと言い放つ勘九郎の言葉に彰は自分の耳を疑った。


「ちょっと待て! どういう――」


「落ち着いて下さい」


 慌てて説明を求めようとした彰の口に、勘九郎はぽすっと前足を置いて強引に言葉を止めさせた。


「あまり大きな声を出さないで下さい。札の効果があるとは言え、それはあくまで注意を逸らすだけの力しか持ちません。目立つことをすると簡単に気付かれてしまいます。注意して下さい。いいですか?」


 真剣な口調と表情に押されてカクカクと頷く。初対面の時とはえらい変わり様を見せる勘九郎にちょっと戸惑う彰だった。


「難しいことをしろと言っているわけではありません。そ~っと近付いてさっとお札を貼ってさささっと逃げるだけです」


「いやいやいや。簡単そうに言うけどさ……」


 白玲と二宮達の戦いに目を移す。炎の柱が乱舞するぶっちゃけありえない光景が広がっていた。


 あれに近付けと?


「無茶言うなよ。俺なんか一瞬で黒焦げになっちまうぞ」


 情けないことを言っている自覚はあるが、自分の身体能力くらい把握している。あの炎を掻い潜って白玲に札を貼り付けるのは、どう考えても自分には無理だ。


 では、他に考えられる方法といえばなんだろう。


「勘九郎が行って貼ってくるとか。ダメ?」


「与一兄ぃと郎太兄ぃが戦っている時点で、私の存在も知られてしまっています。もともと鎌鼬は三匹で一つ。長く生きたものであれば当然知っていることです」


「あ~、そうか。それじゃダメだよなぁ」


 名案と思われた提案も即座に却下され、もはやぐうの音も出ない。


「誤解なさっているようですから訂正させてもらいますが、妖狐本体ではなく、篠原さんにお札を貼ってくれさえすればいいんですよ?」


「菜央に……」


 白玲の身体は菜央の頭上に浮いている状態だ。それはつまり、炎の尾は菜央の頭のさらに上に位置しているということを表わす。


 改めて観察してみると、炎の柱は白玲の身体を回り込むようにして二宮へ伸びていっている。ということは、背後に攻撃の手は届いていないということになる。


(この条件ならいける、のか……?)


 彰の中で、いけるかもしれないと思う心と、やはり危険だと思う心がぎしぎしと鬩ぎあう。ここ一番で迷ってしまう自分の慎重さを、彰はもどかしく思った。


 そんな彰の心情を読み取ってか、


「危険が少ないとはいえ、怪我をする可能性は否定できません。ですから、池永さんが無理だと思うなら、お断りしてもらっても大丈夫ですよ」


 他にも方法がありますから、と勘九郎は申し訳無さそうに言う。気遣われている、と理解したと同時に、彰は煮え切らない態度を取る自分を腹立たしく感じた。


 自分は凡人だ。彰は自分のことをそう評価している。多少運動や勉強が出来るだけの平凡な人間だと。そう思っている。眼前で繰り広げられている非現実的な光景を見れば尚更だ。


 勘九郎は他にも方法があると言ったが、では何故それを実行しないのか。


 決まっている。この方法が最善だと判断したからだ。自分に頼ってくるというのは予想外だが、現状ではこれがベストな選択だということだろう。


(待てよ?)


 そもそも、どうして二宮は自分にこんな役割を回してきたのか。あれほど無理はするなと釘を差していたのに。


 不意に意識の網に引っかかった疑問について考察するため、彰は思考の海に没した。


 自分を頼るくらいなら、初めからさっさと退治してしまえばよかったのだ。今までのを見た限り、二宮の実力ならば油断しきっていた白玲を倒すくらい、簡単だっただろう。


 高速で回転する思考。彰は記憶に引っかかった違和感をさらに突き詰めていく。二宮の不合理な行動の裏には、恐らくだが理由が存在するのだ。


 余裕の態度で敵を挑発したり、放たれた攻撃の悉くを防いだりしているところを見ると、終始二宮が押しているように感じられる。しかし、戦況のみに目を向けると押しているのは白玲だ。


 それもその筈で、戦いが始まってから二宮は一度も反撃をしていない。身を守るための迎撃はしているが、攻撃はしない。もっと言えば、彼はその場を動いてさえいない。


(なんでだ?)


 格下の相手に対する余裕からだと考えられなくもない。実際、彰は初め、二宮が余裕をかましているのだと思っていた。


 だが、本当に二宮が優位に立っているのなら、彰に頼る必要はない。


(とすると――)


 攻撃しないのではなく、出来ない。そして敢えて相手を馬鹿にし、挑発し、余裕を見せ付けて、攻撃が出来ないことをカモフラージュしているのではないだろうか。


「なあ、勘九郎。さっきから、なんで二宮は守ってばっかりなんだよ?」


「……人に取り付いた妖怪、とりわけ意識まで乗っ取るほど深く繋がっている妖怪を祓うというのは、そうそう簡単に出来ることではないんです。引き剥がされないよう、妖怪も必死に抵抗しますから。一人の人間の腕を掴んで、二人の人間が全力で引っ張り合いをしている状態を思い浮かべてくれれば分かりやすいと思います」


「大岡裁きの代表的なアレか。なるほど、そりゃ間に挟まれた人間は堪ったもんじゃないな」


「ええ。ですから、まずは妖怪の本体を引きずり出さないといけないんですよ。妖怪自身の意思で表に出てくるよう、言動で誘い出すんです」


 二宮がやたらと白玲を挑発していたのは、菜央の身体から白玲の本体を引っ張り出すためだったということか。


「それに、下手に追い詰めすぎたせいで菜央さんを盾にされたら、厄介なことになりますし」


 勘九郎の表情が苦いものになる。


「そうか……。無理矢理に引き剥がすのが危険ってことは、菜央を人質にとられているのと同じことなのか」


 今は二宮の演技によって悟らせないようにしているが、もしも白玲がその事実に気付いてしまったら、こちらにとって相当に不利な状況になってしまう。そうならないためには、菜央の安全を確保することが先決だ、と。


「オーケーオーケー。大体の事情は把握した。危険かも、なんて躊躇ってる場合じゃないってこともよぉく分かった」


「では……?」


 少しばかり驚いたような顔で、勘九郎は彰を見上げる。


「ああ」


 頭を働かせ、与えられた役割の重要性を理解したおかげで、怯える心を押さえつけられるだけの気持ちの余裕が生まれたようだ。


「やってやろうじゃねえかよ」


 彰は強い口調で呟き、己を奮い立たせた。





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