2.タダより高いものはない
「え~では改めやして。長男の与一と申しやす。池永の旦那、今後とも宜しくお願いいたしやす」
しゅたっと片膝を付く与一。
「俺ぁ次男の小次郎太だ。よろしくな、池永!」
ふんぞり返る小次郎太。
「わ、私は三男の勘九郎です。よろしくお願いします、池永さん」
丁寧にお辞儀をする勘九郎。
「はあ、こちらこそよろしく」
三者三様の自己紹介に池永は力の抜けた挨拶を返した。個性的な鎌鼬三兄弟にやや押されぎみである。
この三兄弟、個性的なのは性格だけではなく、外見にも各々特徴的な差異が見受けられる。
与一はこれといって大きな外見的特徴は無いかに見えるが、よく見ると尻尾の先端が白い。
小次郎太は他の二匹よりも目つきが鋭く、尻尾の先の方、三分の二が片刃の刃物になっている。
勘九郎は手に刃物が付いておらず、代わりに両手で壺を抱えていた。尻尾の先が小次郎太と同じく刃物になっているが、それは小次郎太のものより一回り小さい。垂れ目がちな目元と高く細い声が、兄二匹に比べて頼りない雰囲気を醸し出していた。
その勘九郎だが、さきほどから彼は上目遣いで池永の顔をちらちらと窺い、目が合いそうになると慌てて逸らす、という動作を繰り返している。
「勘九郎、って言ったっけ? 俺の顔になんか付いてる?」
その動作が気になったのか、池永が勘九郎の方を向いて言った。その声は子供に尋ねる時のように優しかったが、声を掛けられた勘九郎はびくっと肩を跳ねさせ、俯いてしどろもどろな答えを返す。
「ぅえっと、その……」
図らずもその場の視線を集めてしまったことに焦っているようだ。心の準備が出来ていなかったせいもあって頭の中が混乱しているらしく、何か言おうと口を開いても言葉にならない。そんな様子だった。
「言いたいことがあるんだろう? 言ってみなよ」
ちらちらと彼が池永の顔を見ていた理由に予想がついた智久は、そう言って勘九郎の背中を押してやった。主人のお墨付きをもらった勘九郎はようやく落ち着きを取り戻し、どもりながらも池永の目をしっかりと見て言う。
「お、お怪我をしてらっしゃるようなので、よろしければその、私の薬で治療させていただきたいのですが、あの、どうでしょうか……?」
あ、お嫌でしたら無理にとはごにょごにょ、と緊張のせいで最後の方は不明瞭だった。
「そういや、結構良いのもらったからな。端から見ると酷いのか、俺の顔?」
どうやら鎌鼬三兄弟推参! のインパクトが強力過ぎて怪我の痛みすら忘れていたようである。
池永は呟きつつ自分の頬を撫でる。無遠慮に触ったため、走った痛みに顔を引き攣らせることになった。
「あ~。んじゃお言葉に甘えて。お願いします」
「はい!」
にっこり笑って元気のよい返事をした勘九郎は、胡坐を掻いている池永の太ももにひょいと乗り、抱えていた壷から白い塗り薬のようなものを掬い取る。
「あっ、ちょっと待っ……」
直前で何かに気付いた智久は制止を呼びかけるが――――
「んぼぅっ!」
間に合わなかった。
目いっぱいに掬い取った薬を顔面にべったりと塗りつけ、いや、叩きつけられた池永はなんとも間抜けな声を漏らした。
「ああ、ごめん。先に言っておくべきだったね。勘九郎の薬は良く効くんだけど、ちょっと手当ての仕方が雑なんだ」
膝をつき、服の裾で薬を拭き取りながら智久は苦笑する。
常からもっと丁寧な治療をと言い聞かせ、最近は大分ましになってきていたので気付くのが遅れたのだ。恐らく治療が認められた嬉しさで舞い上がって言いつけを失念していたのだろう。
「こら、勘九郎! お前は旦那のご友人になんという無礼を! あれほど治療は丁寧にやれと常々言っておいただろう!」
「あわわわわ……ごめんなさいごめんなさい」
「お~、今のっぺらぼうみてぇになったな。面白え。よし、俺にも一回やらせろ」
「こぉじぃろぉたぁ~。お前さんはよっぽどあっしに切り刻まれたいようだねえ? 今のあっしは鉄でも一刀の元に両断する自信が……」
「わ、分かった! いや分かりました反省してます。だから鎌で頬をぺしぺし叩くのはヤメテ!」
「はいはい。いいから君らはもう戻って」
収拾が付かなくなりそうなので強制送還に踏み切る智久。呼び出した時と同じく、三兄弟の周りを風が包み、吸い込まれるようにして彼らはカードへと戻っていった。
そして再び静けさを取り戻した小道に、ただ一つ、智久の深い深いため息が響くのであった。
「それではお時間がかかりますので、そちらで少々お待ちください」
「分かりました」
にっこり笑顔で応対する店員さんに笑顔を返しつつ、智久は並んでいた列から一歩横にずれた。
ここはスマイル0円のCMで有名な大手ハンバーガーショップである。今回に限っては、スマイルどころかさきほど頼んだメニューが全てタダになる予定なのだが。
そういうことになった理由は簡単で、智久の隣で支払いをしている池永が奢ると言い出したからだった。鎌鼬三兄弟を戻した後、池永は智久に色々と話を聞きたいから、一緒に昼飯を食べないかと誘ってきた。
その提案に、智久は最初のうちは乗り気ではなかった。半分は遠慮であり、もう半分は優先したい用事があったからである。元々、智久があの道を通ったのは趣味に使う食材を買うためだったので、先にそちらを済ませたいと思っていたのだ。
池永はなかなか引き下がらず、それでも渋る智久の心を動かしたのは池永が言った、じゃあお前の分も俺が払うよ、という太っ腹発言だった。
実際のところ、午後に済ませなければならない用事などというものはないのでそれほど急く必要はないし、なんなら明日に回しても問題はない。
しかし、智久はそれを楽観的な考えだと思っていた。おそらく自分の予定していた通りにはいかないだろうな、とも。
「ま、タダより高いものはないって言うしねぇ」
いっそしみじみとした口調で智久は小さく零した。お昼時の店内は人で溢れている。この騒々しさでは誰も智久の呟きを聞く者はいないだろう。
二人は注文の品が届くと、各自のトレイを持って窓側の席に腰を下ろした。
「いや~それにしても驚いた。ああいうのってほんとにいるんだな」
勘九郎の薬のおかげですっかり元の顔に戻った池永が、席に着くなり感嘆の声を上げる。ああいうの、とはもちろん鎌鼬三兄弟のことを指しているのだろう。
ほんの数分前に罰ゲームとも言える仕打ちを受けたのにもかかわらず、池永の顔は活き活きとしていた。まるで何の気なしに赴いた場所で思わぬ宝物を拾った子供のような表情だ。
その気持ちは智久にも良く分かる。初めて彼らを見たときは自分もとても驚いたし、否応なしに気持ちが昂ったものだ。
三兄弟のことは軽々しく他人に話してはいけないと親に強く言われていたため、誰かに話したいという欲求を抑えるのに苦労した記憶がある。
「そう、一般には知られてないだけで、ああいうのは結構な数がいるんだよね。それと、何度も言うけどこのことは他言無用だよ?」
「分かってるって。どっちにしろ言ったところで信じないだろ、誰も」
「それもそうだね」
池永は二つ頼んだチーズバーガーのうち一つ目を食べ始めた。智久もハンバーガーに手を伸ばす。それを目で追っていた池永が言った。
「それにしても少ないな。遠慮せずに、もっと頼んでも良かったんだぞ?」
せっかくの奢りだというのに、智久が頼んだのはハンバーガーとアイスコーヒーだけ。年頃の男子の昼食にしてはいささか量が少ない。
「遠慮してるんじゃないよ。さしずめ家訓ってとこかな」
「家訓? もしかして食えるメニューが決まってるとか?」
胃袋にチーズバーガーを詰め込むのを止め、池永は聞いてくる。ハンバーガーの包み紙を剥がしながら、智久は小難しい問題に向かう時のような顔で言った。
「う~ん、ちょっと違うね。なんて言ったらいいのかな」
智久が丁度良い言葉を探す間に、池永の持っているチーズバーガーは減っていく。残りが半分ほどになったとき、マイペースにハンバーガーを齧っていた智久がようやく口を開いた。
「曖昧なニュアンスでね、あんまり欲張らないようにしなさいってことなんだ」
「へえ。つまり贅沢しちゃいけないってことだよな。それってやっぱ二宮の家業、っつうのか? そういう都合?」
「うん。増えすぎた欲は身を滅ぼすから、常に自分を律しなさい、だったかな」
「はぁ~。なんか厳しそうだな、お前ん家」
気の抜けたような口調で零す池永に、そうでもないよと智久は笑って返した。
そうこうしているうちに、池永は二個目のチーズバーガーに取り掛かる。そのスピードはがつがつと称すのが相応しいくらいで、智久には池永が何かに急かされているように見えた。
早食い中の池永とは対照的に、智久はもくもくと口の中のものを味わう。アイスコーヒーをストローで啜りながら、窓の外の景色をぼんやりと眺め、そろそろかなと予想する。
「あのさ、二宮。突然こんなこと言うのもどうかと思うんだけど」
窓から視線を戻すと、改まった顔つきをした池永がいた。彼は一度、躊躇うように視線をテーブルに落としたあと、真剣な眼差しで智久を見据えてこう言った。
「頼みがあるんだ」
唐突だが二宮智久の学校での成績は中の上である。
学校の勉強と実生活で知恵が回るかどうかは別だという意見はこの際置いておくとして、つまり何が言いたいのかというと、智久の頭の回転は決して悪くはないということだ。
そして彼は物事を客観的に見る冷静さと慎重さも持ち合わせていた。あまり親しくないクラスメイトに奢ると言われて、お、ラッキー、で済ますほど単純な思考の持ち主ではなかったのである。
「頼み、ね」
驚きよりもやはりという気持ちが強かった。安さと早さが自慢のファーストフードとはいえ、二人分を合わせれば高校生の財布には少々重い負担だ。
もちろん親から沢山の小遣いをもらっていたり、バイトで稼いでいたりしたら話は変わるが、ただ話をするためだけに奢る必要はない。話をする機会ならそれこそ、いくらでも転がっているのだから。
智久はカップを静かに置いた。両肘をテーブルに付き、やや乗り出すようにして言う。
「いったい僕にどんな頼み?」
どうして自分に頼むのか、とは訊かない。他の人になくて自分にあるもの。それをつい先ほど智久は彼に示したばかりだ。ならばそれ絡みの頼みごとだと判断するのが妥当だろう。
「話、聞いてくれるのか?」
「奢ってもらってるのに、聞かない訳にはいかないよ」
池永の顔がほんの少し歪んだ。悪気はなかったのだが、彼の良心を刺激してしまったようだ。
「ごめん。今の言い方は意地が悪かったね」
「いや、いい。俺の方こそ、嵌めるような真似して悪かった」
ここであっさりと認めて謝るあたりが、池永の人の良さか。
「それで、助けが必要なのは君?」
池永は首を振った。
「いや、俺じゃない」
そこで一度飲み物に手をつけ、喉を潤し、
「うちのクラスの篠原って分かるか?」
と言って話を切り出した。
池永と同じクラスということは、智久ともクラスが一緒ということだ。幸い、クラスに篠原という苗字は一人だけなので、記憶に照らし合わせる必要もなく思い出せた。
「篠原……。それって、篠原菜央(しのはらなお)さんのこと?」
ああ、と短く肯定する池永。
特に親しい訳でもない智久が篠原菜央のことを覚えていたのには、二つの理由があった。
一つは篠原が目立つ存在だということ。明るく溌剌とした性格で、誰とでも分け隔てなく接する彼女は男女問わず、多くの人から好かれているらしい。
そして二つ目。どちらかといえばこちらの方が理由としては大きい。
「確か篠原さんって、今週は学校に来てなかったよね?」
欠席の理由が風邪だと聞いて、風邪なんか絶対に引かなさそうな人だったのにな、と意外に思ったものだ。そう思うくらいに元気いっぱいだった彼女は、ついには丸々一週間も学校を休んだ。
「あいつ、本当は風邪なんか引いてないんだ」
「じゃあ、篠原さんはどうして学校を休んでるの?」
池永の表情は硬い。
「こういうのは順を追って話すべきだよな。
俺と菜央はガキの頃からの付き合いだから、菜央の両親とも仲がいいんだ。これは菜央のおばさんから聞いた話なんだけど―――」
始めは風邪のような症状だったらしい。
体がだるい、頭痛がすると言ってきたので、学校に風邪で欠席しますと連絡し、家で安静にさせることにした。
熱もなく、夜になる頃には体調も回復を見せ、これで明日には元気になるだろうとほっとしたのも束の間。
夜中に部屋の前を通る足音で目を覚ました菜央の母親は、珍しく体調を崩した自分の娘のことが心配になった。
まだどこか悪いのだろうか。
そう思い、そっと寝室を出た。足音を追って階段を下りると、台所から冷蔵庫を空ける音がする。
どうしたの、と声を掛けようとして台所に近づいたところで母親は異変に気付いた。
「冷蔵庫の中身を一心不乱に食ってたんだとさ。まるで獣みたいに」
喋り続けて口の中が渇いたのか、一旦飲み物を口に含んで池永は続ける。
「次の日にそのことを話しても、本人は何も覚えてなかったって。本人は元気だったけど、大事をとってその日も学校休ませて。そしたら次の日からどんどん様子がおかしくなっていったらしい」
「どんな風に?」
「布団かぶったまま部屋に引きこもったり、たまに動物の鳴き声みたいな奇妙な声を出したりな。医者に見せようとして部屋から連れ出そうとすると暴れるから、もうどうしたらいいのか分からないって嘆いてたよ」
「なるほど。ずいぶんと深刻な状態みたいだね。……ねえ、その症状の中に、油揚げが食べたいって言ったり、犬を怖がったりしたっていうのはある?」
「ああ、確かそういうことも言ってたような。……もしかして」
何か心当たりがあるのかと目が訊いて来る。智久は頷いて言った。
「話を聞く限りでは狐憑きかな。しかも症状の進行が早いみたいだ」
「狐憑き? それってやばいのか?」
池永の表情が曇った。瞳が不安に揺れている。
イスに背を預け、智久は腕を組んで唸った。
「実際に見てみないとなんとも言えないなぁ。池永、君、これから何か用事とかは?」
「ない。っていうか今から菜央の家を訪ねようかと思ってた」
「そう。なら、すぐに篠原さんの家に行こう」
話を聞いたからには放っておく訳にはいかないしね、と心の中で付け足して、残っていたコーヒーを飲み干し、トレイを持って立ち上がる。慌ててそれに続く池永を視界の端に捉えながら、智久はこれからの段取りをどうしようかと思考を巡らした。
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