第10話「憂う者」


 夕暮れ色の木漏れ日が延々と続く廊下に差し込んでいる。


 僅かに開いた窓からは魔法の練習に励む学生の声が聞こえており、ふわりと風が廊下を歩く女の髪を揺らした。


 ゆったりとした動作で耳元に髪を掛けると、再び手に持った書類を持ち直して歩き出す。


 女が着ている服は魔法学園の制服だが、キッチリとボタンが閉ざされた制服は如何にも彼女の几帳面さが見え隠れし、肌の露出も極端に少ない。


 そして、山なりに膨らんだ胸には五星が描かれた紋章が入っている。


 それが何を示すのかは魔法学園に在籍する生徒なら誰しも分かる事だが、彼女の周囲には誰もおらず、長い廊下を歩くのは女子生徒一人。


 女子生徒はしばらく歩くと一つの大きな両扉の前で止まり、数回控えめなノックを部屋に響かせる。


「はいはーい、空いてるから入ちゃってー」


 中からの返事を待って部屋に入ると中には一人の女子生徒だけが教室よりも広い部屋の中で一人、机に向かっていた。


 中は明かり一つ付けられていない。

 それもそのはずで、部屋の明かりを付けずとも、それに代わる物があるためだ。


 彼女の背には人の背丈はありそうな大窓が配置され、そこから入る夕日の光を光源に作業していた。


 机には数十枚はあろうかという書類の束がいくつも乗っかっており、目の前の女子生徒はその処理に追われているのは見ただけで分かる。


 部屋に入った女子生徒は静かに扉を閉めると、机の書類を見て少し考えてから「大変そうですね」と思ってもない言葉を出しては会話を開始した。


「それ、誰の所為だと思ってるの?」

「さぁ? もしかして、商国からの情報を調べもせずに鵜呑みにするや否や、一人他国まで出向いて先輩に会って来て、その帰りに面白そうな子を見つけたからってのこのこ負けて帰ってきた事ですか?」

「うぐっ! ち、違うからね。アレは戦略的撤退っていう崇高な理念に基づいた行動であって……それに悪かったって、言わなかったのは……」

「いえ、何のことだかさっぱりですが、それによって溜まりに溜まっている書類が増えても、私に文句があるとでも?」

「な、ないです……」

「だったら、さっさと終わらせてください。会長」

「……はい」


 それでも『会長』と呼ばれた女子生徒は納得がいかないのか、「だからって、増やし過ぎなんだよな……」とぶつくさと文句を言いながら手を必死に動かして書類を処理していく。


 すると、何かを思いだしたのか、「あっ」と顔を上げ、女子生徒へ意地悪い笑みを向ける。


「それで、どうだった? 私の言った通りだったでしょ? 見直した?」


 女子生徒が部屋――――『総務会』に与えられた部屋に持ってきたのはその事も含まれていた。


 むしろ、自分の目の前で書類に追われる会長は数ある報告の中でそれが一番の楽しみでもあったのだろう。


「確かに、その部分では負けを認めなくもないです」

「いつも通り、強情だね。少しは気を緩ませれば良いのに」

「むしろ、会長は緩ませ過ぎですがね。それと、これが今回の入学試験結果です。ご確認を」


 女子生徒は手に持っていた書類を会長へ渡す。

 

「……凄いよね。全科目で満点って学園創設以来、初めての快挙じゃない?」

「ですね。会長は全科目で満点は取れませんでしたから」

「う、うるさいよ。私は大器晩成型だから、問題無しなの」

「それで? 会長がこの書類を欲した理由はこれだけじゃ無いんですよね」

「実はちょっと気になる事があってねー……っと、これこれ」


 書類をペラペラと捲っていき、その中から数枚を抜き取ると、机に並べた。


 そこには、ラウ・ベルクリーノ、クアン・リンライト、ミリアの名前が記載された試験結果の紙。


 午前と午後に渡って行われた入学試験の結果が事細かく記載され、ラウに至ってはもう既に一人の教師から推薦を獲得していた。


 その彼女は魔法学園の試験官を務める教師の中で、学問の事しか興味の無い言うなれば氷のような人、という印象を多くの学生が抱いているので余計に珍しかった事で良く覚えている。


 しかも、推薦を得たのが試験中で、前々から知り合いだったとかならまだしも、ラウ・ベルグリーノとは何の接点もないと言うのだから更に面白い。


「この三人、序列に入れちゃってくれない? あと、出来れば入学後すぐに連絡を取りたいから会ってきて?」

「……今、なんと?」

「だから、この三人、総務会のメンバーに入れたいの。どうせ、上の方でもこの三人の序列入りは決まってるんでしょう?」

「確かに、三人とも筆記、魔力量、魔法戦闘技能でも全て九割越え。一人に至っては満点を叩き出していますから、序列に関しても問題はないでしょう。ですが……」

「嫌?」

「会長こそ、総務会の暗黙のルールを忘れたのですか?」

「だって、総務会に入るには早くても初等部後期か、中等部に入ってから。加えて、総務会主要メンバー全員の賛同ありの上とか、あんなの邪魔でしょ? それで過去に有能な人材を何度、他の二会に持ってかれたか」


 トントンと机を指先で叩く癖がある女子生徒は鋭い視線で呟く。


「それでも、総務会は魔法学園全生徒の上に立つ存在なのですから、そこは守ってください」

「でも良いの?」

「何がですか?」

「先輩の妹さんを他の二会に渡しちゃっても」

「…………」


 女子生徒は質問には答えず、静かに入れたお茶を飲む。


 けれど、その沈黙こそが彼女が心から賛同している訳では無いと確信に至ると、「あ~あ~、先輩に妹さんを頼まれたんだけどなぁ~」とわざと大きく声を出した。


「うぐっ、…………けほっけほっ」


 咄嗟に反応しようとして思わず飲んでいたお茶を気管支に入れた事で咳き込む。


 その際にキッと鋭い視線を向けたが、会長である女子生徒は誤魔化すように書類に向かっていた。


 行き場のない視線を伏せて落ち着くと、


「…………よ」

「ん?」

「今回だけです。それに、先輩から頼まれたのであれば無下にすることなど出来ませんから」

「よし!」


 まるで、そうなる事が分かっていたかのように会長である少女は三枚の書類に何かを書くと、別の封筒に入れ、積み重なった書類の上に置く。


 そして、何処かに行くのか制服の上着をハンガーラックから引ったくると急いで着込んだ。


「何処かに行くおつもりですか?」

「ちょっとね」

「書類をそのままにですか?」

「あっ……」

「今まで作業していたのを忘れる程の鳥頭になってしまわれたのですね」

「いや、忘れてないから! 忘れた振りをしただけだから!」

「いくらなんでもそれは無茶が過ぎるというものですが。それに、出掛けるのも良いですが、その前に二つだけ。今回の特例処置、会長の仕業ですね?」

「バレたか。でも、そのおかげで、懸念していた事も晴れたんじゃ無いの? 今日だって、会いに行けば良いのに、心配そうに窓から見つめてたじゃない」

「……次に」

「無視!? 最近、皆冷たくない?」


 その割にはなんとも思ってない顔だが、事実あまり深くは考えていないのかもしれない。


「そんなことはありません。それはそうと、もう一つ」

「本当に反応すらしないのか……」

「魔術執行会の件です。数人のメンバーが頻繁に迷宮探索におもむいているのはご存知ですか?」

「結構な事じゃん。魔術執行会なんて名乗ってはいても、一学生だからね。迷宮に行くこともあると思うけど?」

「その頻度が最近では三日に一回を超えていてもですか?」

「まさか、最近の迷宮内の異変と関係してると言いたいの?」

「調べてみないと詳しい事は分かりかねますが、どちらにしろ魔執会が何かを企んでいるのは事実かと」

「ほんと、あそこは私の胃を破壊する事しか脳にないのかなぁ!? このままだと私のぺったんこの綺麗なお腹に大きな爆弾を抱える事に!」

「そんな下らない事、微塵も考えてはいないと思いますが」

「つれないね~。まぁ、その事に関しては私の方でも調べておく。じゃあ、そういうことで、後はよろしく!」


 そう言うと会長という職務を放棄した少女は部屋を出て行き、パタパタと走る音が小さくなっていく。


 残された女子生徒は入学から数年経っても変わらぬ少女の姿を見届けると溜息を一つ付き、先程まで少女がいた机に向かう。


 そこには女子生徒が持ってきた入学試験での結果が示された一覧表と、個人に関しての記載された数十枚の書類。


 女子生徒はパラパラと捲り、ある一人を見つけると紙を引き抜いた。


 記載された名前は『リィナ』と書かれ、その評価はギリギリ七割に届いたという文。


 特記事項には今年で二回目の受験であり、前回の事件が長々と書かれていた。


「あの様な事があって。折れてもなお、立ち上がってくるとは」


 女子生徒は紙を机に置くと副会長権限として記入出来る欄に何かを書いていく。


「去年の事件は貴女に鋭く辛い牙を突きつけるでしょう」


 女子生徒は去年の事を思い返しているのか、その表情は暗い。


「ですが、貴女がこの学園で見つけるものが良いものになると信じていますよ。リィナ」


 そして、女子生徒は少女にも見せなかった笑みをふわりと見せると封筒の上に置き、部屋を後にしたのだった。

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