第2話 寮の名は…
俺の名前は、佐藤勇也。
どこにでもいそうな名前だが、そんなどこにでもいそうな名前の俺は今、史上最高にたじろいでいた。
その理由は…
今から俺の輝かしい高校生活を営む上で、かけがえのない憩いの場となるはずだった学生寮が、それはもうおびただしい数の霊達によって支配されていたからだ。
見なくてもいい幽霊が見えてしまう事で、俺の小・中学校生活はそれはもう悲惨で最悪なモノだった。
だからこそわざわざ地元の人間は誰も知らないような実家から遥か遠い県外にあるこの高校を受験したというのに…
あまりの遠さに、受験と引っ越し準備をするのが精一杯でパンフレットの下の方に書いてあった、寮の注意書きの部分にまできちんと目を通していなかった俺が悪かった。
俺がこの高校を受験する事にした決め手となったのが、何を隠そうこの高校が所有している寮の条件が良すぎたワケで…
入学のパンフレットにはちゃんと、
『寮は新築!先輩・後輩も関係なく過ごせる完全プライベート空間!女子にも安心なオートロック付きカードキー!あなたもこのオシャレな空間で新たな気持ちで高校生活をスタートさせてみませんか?―――ヴェルサス狩鴨』
って書かれていたハズなんだ。
その一、新築…ならばその土地がよほどのいわく付きなんて事ではない限り、事故物件なんて事はまずありえない!
その二、パンフレットに写っている建物の内装もまばゆいばかりに輝いている!
そもそも奴らはジメジメとした薄暗い場所をやたらと好む。
日当たり良好で、しかも白を基調とした壁紙と備えつけの家具には一点の曇りなしっ!
この物件なら、きっと奴らも裸足で逃げ出していく事だろう。…というかそもそもこの輝かしい建物自体に近づけないかもしれない。
もはやパンフレットの中でわざとらしい笑顔を浮かべているこの学生達の顔も、このヴェルサス狩鴨という売れないお笑い芸人かのように胡散臭いその名前すらも、どこをどうとっても爽やかで愛しくて、清々しく思えてきそうなレベルだった。
とりあえずその写真からは悪い霊気など全く感じないし、そればかりかなんとその建物の裏にあるのは由緒ある八幡宮のお膝元!
土地よし!建物よし!しかもオートロック以上に頼もしい神様からのバックアップというスペシャルオプション付き!!
かつてこんなに素晴らしい良質物件があっただろうか!
…これでやっと、霊とは無縁の普通の男子学生に戻れる…!!
そう考えた俺の頭の中では、まさにステージの中央にマイクをそっと置きながら、『普通の女の子に戻ります!』と宣言して引退するアイドルのかような自分の姿が浮かんでいた。
無論、頭の中の観客達はもちろんスタンディングオベーション。この上ない拍手喝采だ。
俺はその寮の記事を見たその瞬間から、偏差値も場所も気にせずこの高校に入る事を決めた。
…それなのに…。
「はい。佐藤さん、君の部屋は403号室。鍵はこれだから。」
今日高校の事務室でとびきり無愛想なハゲ面眼鏡姿の事務員さんから手渡されたのは、古びた小さな一つの鍵だった。
俺はその事務員さんの言葉に返事すらもせず、黙ってその場にしゃがみ込むと、カバンの中から取り出したパンフレットの内容を何度も何度も見直した。
そこには確かに、わざとらしい学生達の笑顔と共に、
『寮は新築!先輩・後輩も関係なく過ごせる完全プライベート空間!女子にも安心なオートロック付きカードキー!』
との謳い文句が。
「…あの…カードキーじゃ…ないんですか?ここには女子にも安心なオートロック付きカードキー!って書いてあるんですけど…?」
そう言ってパンフレットを指差しながら疑問符まじりに抗議する俺に向かって、事務員さんは冷ややかな表情のまま眼鏡の位置を整えながらこう言った。
「でもここに、『…なお、ヴェルサス狩鴨への入居は先着順であり、満室になり次第、近くの旧寮への入居となります。』ってちゃんと書いてあるでしょ。」
そう言って、わざとらしい笑顔の学生達の下に書いてある文字を指差す事務員さん。
「はぁぁぁ~!?こんな顕微鏡やなんたらルーペで見ない限り読めないようなちっこい字、気がつくワケがねぇだろ!!あまりに小さすぎて、線か模様だと思ってたぜ!!」
俺はパンフレットを引きちぎってしまいそうなくらいに強く握りしめながら、改めてその事務員さんに抗議を続けた。
その手はすでにプルプルと震えてしまっている。
「…とにかく、今は満室なんだから、君はその旧寮の方に入ってよ。」
「…嫌です!俺は何としてもそのヴぇ…ヴぇるすす…ヴぇるすす…」
「…ヴェルサス狩鴨。ほら名前すら噛んじゃって全然言えてないじゃない。」
再び眼鏡の位置を整えながらニヤリと笑う事務員さん。
「旧寮も古いけどなかなかいい建物だよ。建物自体は、昭和52年に建てられた物だけど、木造で意外と広いし、ところどころリフォームしてあるしね。…何より名前も言いやすい。」
旧寮の間取りのパンフレットをペラペラと見せながら、そう語る事務員さん。
ヴェルサス狩鴨のパンフレットと違って、すでにすっかりと色褪せてしまったザラザラの用紙に、ところどころ色の変わったセロテープが貼ってあるのがやたらと気になる。
あとついでに気になるのは、ページをめくる度にペロッと指を舐める事務員さんの仕草ぐらいだが…
「…その寮の名前…なんて言うんですか…?」
恐る恐る尋ねる俺に対して、その事務員さんは眼鏡をギラリと妖しく光らせながら静かに答えた。
「その寮の名は『よどみ荘』。ほら、思いっきり言いやすいでしょ。」
はじめて聞いたその寮の名は…
思いっきり幽霊が出てきそうな名前をしていた。
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