虫かご

@ns_ky_20151225

虫かご

 子供の頃、コオロギを飼った事がある。近所の畑で、手を椀にして捕らえた一匹。青い蓋のプラスチックの虫かごに入れ、父に頼んでネットで飼い方を調べてもらった。



 目が覚めて、枕元のスマートフォンを見る。時計やカメラ、メモ帳などがコンパクトにまとまっているので、結局、こうなっても使い続けている。

 あれから一年。いつもと変わらぬ静かな朝。睡眠は十分足りている。伸びをして起床する。ガスを点け、湯が沸く間に手洗いを済ませる。

 コーヒーとトースト、昨夜作っておいたゆで玉子。歯を磨いて髪を整え、昨日脱いだ服をまた着た。シャツには皺がより、スラックスは裾がほつれてきているが気にしない。また取ってくればいい。次は冬物だ。


 家を出て、誰もいない道を歩く。朝の散歩。近所の公園を抜け、川沿いの土手で体操。もう残暑のかけらもなくなってこの時刻は少々寒いが、まだ上着はいらない。


 腰を下ろして水量の少なくなった川を眺める。去年はこんなに落ち着いていなかったなとため息をつく。


 今日と同じような朝だった。ただ、テレビは故障したのかまったく映らなかった。スマホで天気予報を見ようとしたが、エラーになった。舌打ちし、後で色々やってみようと思って放っておいた。

 いつものように大急ぎで仕度をしながら、頭の隅では近所がやけに静かだなと意識していたが、それほど変だと思わなかった。家を出るまでは。


 どこにも誰もいなかった。車もバイクも自転車も走っておらず、通勤通学の歩行者もいない大通りは夜明け前に止んだ雨で濡れていた。道沿いの店も空っぽだった。

 混乱しながらも、いつもの駅に行ってみたがそこにも誰もいなかった。電車も来ない。この時間は四、五分間隔なのだが、わけもわからないままぽかんと三十分程いても何も現れなかった。放送は無く、掲示板も消えていたが照明は点いていた。そういえば店もそうだった。


 ベンチに腰を下ろして待っている間、スマホに登録してある番号に片っ端から電話をかけたが回線がつながった音すらなく、SNSやサイトはエラーになるばかりだった。その時、電波を掴んでいないのに気づいた。再起動しても変わらなかった。


 無駄かなと少しためらったが、警察にかけてみた。さっきと同じだった。救急、消防と知っている限りの緊急通報をしてみたが沈黙のみだった。誰もいない駅事務所に入って最初に目についた固定電話も役に立たなかった。


 また駅を出ると日が雲間から覗いていた。大声で叫んだ。


 それから自分を取り戻すのにしばらくかかり、状況を分析できるようになるまでまた少しかかった。


 自宅で確かめてみる。見渡す限り誰もいない。人の声や活動している雰囲気はない。

 電気、ガス、上下水道は生きている。一方でネットや電話、テレビといった通信、鉄道など交通機関は死んでいた。

 一週間経っても一ヶ月経ってもそういう状況だった。しかし、すぐに気づいたが、店には商品が補給されていた。生鮮食品はいつものように新鮮で、他の食品も同様だった。服や本など品物を取ると翌日補充が入っていた。トラックなんかどこにも止まっていなかった。

 そこで実験をしてみた。商店の棚の売り物をすべてどけ、そこで見張ってみた。椅子を持ってきて座り、じっと見つめた。すると、まばたきやわずかに目をそらした隙に商品が補充されていた。

 カメラを仕掛けても同様だった。再生してみると、物はフレームとフレームの間に現れた。複数台仕掛けるとそれぞれのフレーム間が偶然一致した時に出てきた。つまり、現れる瞬間は確認できない。

 それ以上の追求は諦めた。専門店からもっと高速度撮影が出来るようなカメラを取ってきてもいいが、同じだろうと思った。


 そういう事が道路などにも起こっていた。公共の設備や家々は見ていない時に正常に補修され、清掃もされた。自分の家だけが例外で、掃除はいつも通り必要だった。


 つまり、毎日の生活はほとんど変わらなかった。独身だし、親しい友人も付き合っている人もいない。皮肉のようだが、暮らしの上では大きな変化はなかった。

 いや、時々大声で叫ぶようになった。


 それから車に荷物を積んで実家と親戚を巡った。ガソリンスタンドは生きていたし、操作はバイトしてた時の経験と置いてあったマニュアルでなんとかなった。高速は使わず、下の道だけたどる。街を近くで見てみたかった。しかし、誰もいないのはどこも同じだった。

 実家と親戚の家には事情を書いた紙や記録メディアを残してきた。これから出来る限り定期的に来るとも書いた。幸い、それらは目を離しても取り除かれなかった。


 また家に戻ってきた。実家で過ごそうかと思ったが、これから一人ということを考えると都会のほうが何かといいだろうと思ったからだった。


 考え事をしている間も、目の前の細い流れは変わらない。もう一年か、と伸びをする。最近、この自分のあり方について、虫かごの中の虫と同じだなと感じるようになった。


 そして、子供の自分を思い出す。コオロギが手元にいるのがうれしくて、いつも観察していた。絵に書き、飼育日誌もつけた。

 だが、子供は子供、ほかに興味が移り、日誌は二、三日ずつ間が空くようになり、ある日ひっくり返って死んでいるのを見つけた。

 でももう関心を失っていたのでなんとも思わなかった。死骸を捨て、虫かごを洗って片付け、コオロギの存在そのものを心から消し去った。


 今の自分は別の『子供』にとってのコオロギなのだろうか。ここは一人きりという点を除けば都合が良すぎる世界だ。


 仮にそうだったとして、虫かごの所有者が昔の自分のような子供でなければいいのだがと願う。

 今はもう、生きているだけでいいと思っている。だから、世話を忘れないでくれよと、川に向かって独り言をいい、立ち上がるといつもの日常を始めた。虫かごの中の。


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