#12.1 偽りの愛

 玄関の扉を開けると、兄の靴が消えていた。

「こんな時間にどこへ行ったんだ?」

「まずはご自身の心配をしてください。真冬の海に入ったせいで、身体がすっかり冷え切っているじゃないですか」

 ウーティスは僕の手を掴んで浴室に直行するなり、着ていたものを次々に脱ぎ始めた。僕はなぜか見てはいけないもののような気がして、顔を横に逸らした。

「深海渚。顔が赤いようですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫だから、お前は先に入ってろ!!」

 ウーティスを風呂場へ押し込み、無心になれと自分に言い聞かせながら、砂と海水でドロドロになった衣服を脱いだ。きっとハルが女だったと知ったからだ。深呼吸してから風呂場に入ると、ウーティスがシャワーヘッドを片手に持ちながら、僕を腰掛に坐らせた。

「自分の身体ぐらい、ひとりで洗える」

「私は貴方のケアロボットなので」

 頭上からお湯が降り注ぐ。冷えきった身体に熱いシャワーが心地よかった。

「落ち着いて聞いてください。おそらく幸人は、もう二度とこの家に帰ってくることはありません」

「は?どういうことだよ?」

「Tellmoreロボットは、叩く、蹴るなどの暴力行為を受けたり、耐えられないほどの精神的な苦痛を受けたりした場合に、自動的に焼却場に行くように設定されています」

「じゃあ、兄さんは・・・・・・」

 兄を捜しに行こうとしたが、ウーティスに頭を押さえつけられたせいで動けなかった。僕の頭を洗ってくれたのは、僕を逃がさないようにするためだったのだと気づき、舌打ちした。

「無駄な抵抗はやめなさい。貴方ひとりでどうこう出来る問題ではないのです」

「じゃあ、どうすればいい!?兄さんを見殺しにしろって言うのか?」

「直に焼却場から連絡が来るでしょう。もしかしたら、幸人は処分されずに済むかもしれません」

 シャワーをかけられ、泡が排水溝へと流れていった。その間、僕はただひたすら自己嫌悪に苛まれていた。

「僕のせいだ。僕が兄さんに酷いことを言ったから」

「否定はしませんが、貴方ひとりのせいではありません。Tellmoreロボットは、複数人から拒絶された場合に焼却場に向かうようになっていますので」

「複数人?・・・・・・あ」

 遠くで電話の着信音が聞こえた。ウーティスは浴室から姿を消すと、受話器を持って戻ってきた。

『夜分遅くに失礼します。こちら、Tellmoreロボット廃棄施設の者ですが、深海様のお電話でよろしいでしょうか?』

 いかにも気弱そうな男の声が受話器から聞こえてきた。絶対に兄を死なせてはならないと、僕は受話器を強く握りしめた。

「お願いです。いまそちらに向かっている深海幸人を返していただけませんか?僕の大事な兄なんです」

『誠に申し訳ございませんが、それは出来かねます』

「なぜですか?」

『返品キャンセルを希望されるお客様も少なからずいらっしゃいますが、再度こちらに送られてくるTellmoreロボットが多いため、弊社では返却不可というルールを設けています』

「そんな・・・・・・」

 心が折れかけたその時、横にいたウーティスが顔を近づけてきた。

「レン。私からもお願いします。幸人を助けてください」

『なんだ、お前も近くにいたのか。随分とそこのお坊ちゃんにご執心なんだな』

 電話口の男の口調ががらりと変わった。彼がハルを連れ去り、焼却炉に捨てた男だと分かると、怒りで気が狂いそうになった。

「どうしてハルを殺したんですか?」

『どうしてだって?僕は自分の兄が憎かった。だから、兄が大事にしていたものは全部壊すことにした。そうだ、君にいいことを教えてあげよう。君がいま生きているのは、僕のおかげなんだよ』

「え・・・・・・?」

『十年前、死ぬはずだった君を生かす方法を君のお兄さんに教えたのも、君に心臓手術を施したのも、君のお兄さんをTellmoreロボットにしたのも、全部僕だ。僕がいなければ君は生きていないし、君のお兄さんが再び君の前に現れることもなかった。君は僕に感謝すべきなんだよ』

「なんだよ、それ」

『君は本当に何も知らないんだな。君のお父さんは、僕の兄を愛していた。Tellmoreロボットやサイボーグは、病気で身体が不自由になった兄のために開発されたものなんだ。君のお兄さんやお母さんは、そのことを知った時、泣いていたよ。何も知らずに家庭を守り続けている彼らがあまりにも不憫だったから、僕が教えてあげたんだ』

 色んな感情が駆け巡り、上手く息が出来ない。溺れているみたいに苦しい。

「あんたが、僕の家族を壊したのか」

『君のお兄さんは、とても弟思いだった。君を生かす方法を教えた時、彼、なんて言ったと思う?弟を救うためなら喜んで死ぬだってさ。笑えるよね』

 電話口から彼の笑い声が鳴り響いた。

「何がおかしい?」

『兄弟のために自分の命を捨てるなんて、馬鹿のすることだと思ってさ。君のお兄さんがそう言った時、僕は彼を苦しめてやりたいと思った。だから、彼をロボットにして君の元へ向かわせた。僕の予想通り、君は彼を拒絶した。自分の命よりも大事だった弟に拒絶されて、さぞ辛かっただろうね。君が出て行った後、僕も彼に電話で言ってやったよ。役に立たないロボは死ねって』

 Tellmoreロボットは、複数人から拒絶された場合に焼却場に向かうように設定されていると、ウーティスは言った。これで、僕とレンの二人が兄を拒絶したことになる。

「兄さんを返せ」

『悪いけど、それは無理だね』

「お前!!!」

「落ち着きなさい」

 ウーティスが僕の肩を掴んだ。落ち着けと言われても、落ち着いてなんていられなかった。

『ああ、そうだ。ハルの身体は捨てたけど、脳は切り取って置いてある。もし、まだ彼女に未練があるのなら焼却場まで取りに来ればいい。僕の気が変わって処分してしまう前にね』

 僕が言葉を発する前に電話が切れた。浴室の壁に受話器を叩きつけようとしたが、ウーティスによって阻止された。

「物は大切に」

「分かってるよ!」

 ウーティスは、浴室の扉を開け、ポカリスエットを僕に渡した。

「頭を冷やすにはちょうどいいかと思い、先ほど冷蔵庫から取ってきました。もし良ければ、飲んでください」

「・・・・・・ありがとう」

 ペットボトルの蓋を開け、液体を口に流し込んだ。怒りで上がった体温が一気に下がっていく。

「レンは以前、父さんと同じ研究所にいたんだよな。Tellmoreロボットの製作者が、どうしてTellmoreロボットを処分できるんだ?」

「彼は、巨万の富を得るためにTellmoreロボットの開発に携わっていました。彼にとって、Tellmoreロボットは金儲けのための道具であって、彼らに愛情など持っていません」

 Tellmoreロボットは人間ではない。だが、彼らにもちゃんと意思がある。そんな彼らがゴミのように処分されていると思うとぞっとした。

「深海渚。私は、貴方が焼却場に行くことに反対です」

「どうして?」

「焼却場は危険だからです。私には、命に代えても貴方を守る義務がありますので」

「僕のこと、殺そうとしたくせに」

「それとこれとでは話が違います」

「危険だったとしても、僕は焼却場に行きたい。大事な人を大事にするって決めたから」

 ウーティスは僕の顔をじっと見た後、はあとため息を零した。

「分かりました。では新幹線のチケットを予約しておきますので、貴方は明日に備えて早く休んでください」

 ウーティスが受話器を持って風呂場を出て行った。

『私には、命に代えても貴方を守る義務がありますので』

「じゃあ、お前は一体誰が守るんだよ」

 静かになった部屋で、ひとり呟いた。しばらくの間、ウーティスのその言葉が頭から離れなかった。


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