#8 贖罪

 保健室でハルを拒絶して以来、僕は再び自室に引き籠るようになった。扉越しに兄に何度か話しかけられたが、僕は寝ているフリをした。

「今日でちょうど一か月か」

 意味もなくスマホを眺めていると、突然高橋から電話が掛かってきた。無視するつもりだったが、通話ボタンに指が触れてしまったせいで電話が繋がってしまった。

「秋草が刺された!今すぐ学校に来い!」

「はあ?なに言ってるんだよ。そんな嘘、誰が信じるかよ」

「嘘じゃねえ!いま氷室先生が秋草を保健室まで運んでくれているから、お前も早く学校に来い!お前の大事な人なんだろ!」

 ハルが刺されたという事実を受け入れることは出来なかったが、高橋が嘘を言っているようには思えなかった。高橋の言葉に背中を押され、僕は家を飛び出した。

「ハル!」

 保健室の扉を開けると、高橋と氷室先生がいた。

「ハルは大丈夫なんですか?」

「それが・・・・・・」

 氷室先生がハルを保健室に運んだ後、養護教諭である兄を捜しに部屋を出た。その後、兄を連れて保健室に戻ると、ハルが姿を消していたとのことだった。完全に意識を失っていたから、ひとりでどこかへ行ったとは考えにくいと、氷室先生は言った。

「いま深海先生が秋草君を捜しに行ってるよ。しばらく家を空けることになるから、留守番よろしくと伝言頼まれた」

「・・・・・・そうですか」

 しばらく家を空けるということは、兄はハルの居場所に心当たりがあるのかもしれない。ハルのために何も出来ない自分が腹立たしかった。

「くそっ、どうしてこんなことに」

「悪い。全部俺のせいなんだ」

 高橋はズボンのポケットからスマホを取り出すと、僕にある動画を見せた。元々、僕に見せるために撮影していたものだと彼は言った。



 スマホの画面にハルと横山が映し出され、その後、ハルの手中に収められたスマホにフォーカスが当てられた。はっきりとは見えなかったが、漫画を必死に取り返そうとする佐賀内を殴ったり、本を燃やしたりする横山たちの姿が映っていた。

「これ、横山君たちが佐賀内君をいじめていた証拠動画。他にもあるよ。どこかの誰かさんが沢山撮りためてくれていたからね。佐賀内君、大事な漫画を何度も君に駄目にされて、さぞ辛かっただろうね。その度に渚が買い直してくれていたこと、本当は知っていたんだろ?」

「いきなり校庭に呼び出しておいて、正義のヒーローごっこかよ。胸糞悪い」

「佐賀内君はともかく、どうして渚をいじめるの?」

「はっ。理由なんてどうだっていいだろ。単にあいつが気に食わないだけだよ」

「気に食わないからと言って、階段から突き落としてもいいと思ってるの?人殺し呼ばわりされて、どれだけ渚が傷ついたと思ってる?」

「佐賀内が死んだのは、あいつのせいだ。人殺しを人殺しと呼んで何が悪い」

「深海君は人殺しじゃない!」

 液晶画面の片隅に別の人間の姿が映る。首から上は見えなかったが、聞き覚えのある声だと思った。

「お前ら、本当にうぜえ。もういい。二人まとめてぶっ殺してやる!!」

 横山はズボンから小型のナイフを取り出すと、彼らに向かって突進した。男を庇ったハルがナイフで腹を刺されたところで映像が途切れた。

「深海君」

 誰かが僕の名前を呼んだ。振り返ると、そこには死んだはずの佐賀内が立っていた。

「お前、どうしてここに・・・・・・?」

 呆然とする僕の隣で、高橋が頭を深く下げた。

「佐賀内のこと、今まで黙っていて悪かった。事情を話すから、落ち着いて聞いて欲しい」

 高橋はそう言うと、僕と佐賀内をイスに座らせた。



 佐賀内と高橋は家が隣同士で、学校の外では交流があったらしい。

 佐賀内がいじめられている時、高橋は教師や彼の親に助けを求めようとした。だが、証拠がないから無理だ、誰かが標的になることはよくあることだと言われてしまい、真剣に取り合ってもらえなかった。

 いじめの証拠を集めることに必死になっていた高橋だったが、佐賀内が自宅の近くで飛び降り自殺をしようとしているところを偶然目撃し、佐賀内に自殺をほのめかす動画をクラスLINEに載せるように提案した。実はあの日、高橋も教室の中にいて、僕が気絶している隙に撤収したようだった。

 始発の電車が来るまで近くの公園で寝泊まりしていたが、例の動画を見た誰かが、学校や警察に連絡したせいで佐賀内の自宅に連絡がいき、佐賀内の母親は自分の息子が死んだと思いこんでしまった。僕を「人殺し」だと罵った後、自分の息子が生きていることを知った彼女は、佐賀内が生きていることを学校の限られた人間にしか話さず、そのまま退学手続きを行ったとのことだった。

「どうして今まで生きていることを黙ってた?」

「学校に通うのが辛くて自殺するぐらいなら、いっそこのまま死んだことにしてしまって通信制の高校に通うことにしたらどうかって、俺が言ったんだ。いじめがあれ以上過激になることも怖かったし、第一、あんな動画載せたら普通に考えて学校に通いづらいだろ」

「それはそうかもしれないけど」

「あの時、佐賀内は本気で死のうとしていた。だから、俺は佐賀内に言ったんだ。自殺をほのめかす動画を見たお前が、佐賀内を助けに来るかどうか賭けをしようってな。もし深海が助けに来なければ、自殺すればいい。だが、もし深海が助けに来たら死ぬまで自殺するなと。佐賀内はお前が来ない方に賭け、俺は来る方に賭けた。もしお前が来なかったら、その時は俺が自殺を止めるつもりだったけど、お前は佐賀内を助けに来た。だから、こいつはこうして生きている」

「お前、馬鹿じゃないの?僕が来る保証なんてどこにもないのに」

「そうだな。でも、お前は佐賀内を助けに来た」

「・・・・・・なんでそんな試すようなことするんだよ」

「今まで隠しててごめん。秋草が刺されたのは俺のせいだ。お前が人殺しと呼ばれている理由や佐賀内が生きていることを秋草に話さなければ、秋草が刺されることも、連れ去られることもなかった。悪いのは全部俺だ」

 高橋が机に額を打ちつけて、僕に謝罪した。

「やめろよ。お前のせいじゃないだろ」

「だけど、だけどさ」

 高橋の身体がぶるぶると震えていた。こんなにも取り乱している彼を、僕は今まで一度も見たことがなかった。

「そうだよ、圭。圭だけが悪いわけじゃない。僕も同罪だよ」

「そうだよな。お前だって、ハルを止めることが出来たはずだ」

 正面に座っている佐賀内を睨みつけた。

 僕は佐賀内が憎かった。自殺したように見せかけて、ひとりだけ避難した彼を許せないと思った。

「深海君のことは圭から聞いていた。だからといって、僕が生きていることを君に明かそうとは思わなかった」

「じゃあ、どうして今頃になって明かそうと思った?」

「君のことを助けてやって欲しいと、秋草君に頼まれたからだよ。自分の命よりも大事な人だから助けて欲しいと言われた時、昔、君にしてもらったことを思い出したんだ」

 そう言いながら、佐賀内は服のポケットからボイスレコーダーを取り出した。

「これ、秋草君から君に渡すように頼まれたものだよ」

 佐賀内からボイスレコーダーを受け取ろうとすると、彼の手が一瞬強張るのが見えた。僕は彼に伸ばした手を引っ込めた後、佐賀内を見た。

「僕のこと、今でも憎いか?」

 佐賀内はほんの少し間を空けてから「分からない」と答えた。きっと、それが彼の本心なのだろう。佐賀内は僕の手を掴むと、自身の手の中にあった機械を僕に渡した。

「それじゃあ、帰るね」

 佐賀内が席を立ち、保健室を出て行こうとした。

「待って」

 僕の声に反応して、佐賀内がぴたりと立ち止まった。

「ありがとう、生きていてくれて」

 佐賀内は小さく頭を下げると、そのまま静かに部屋を出て行った。

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