#3.2 再会

 転入生と僕が雨に濡れた荷物を拭いていると、兄が追加のタオルを持ってやって来た。

「そういえば、さっき何かを取り出そうとしたよな。あれ、なに?」

 秋草は床に置いていた分厚い本を手に取り、それを僕に渡した。

「これ、覚えてる?」

 白地の表紙に赤色の刺繍が施されているカバーには見覚えがあった。いつ、どこで見たのだろう。表紙をめくると、【これはあなたの生きた証です】と書かれていた。

「お前、もしかしてハルなのか?」

 秋草は何も言わず、ただ静かに頷いた。

「そんな、嘘だろ。だって、十年前に死んだはずじゃ・・・・・・」

後ろからぽんと肩を叩かれた。振り向くと、死んだはずの兄が立っていた。

「渚、先にシャワーを浴びておいで。雨に濡れたままだと風邪ひくよ」

「でも」

「大丈夫。心配しなくても、もうどこにも行かないよ」

 兄の笑顔を見た瞬間、訳もなく涙が出た。逃げるようにその場を離れ、浴室の扉を閉めた。ひとりになった途端、急に力が抜け、その場に崩れ落ちた。



 リビングの扉を開けると、兄とハルがソファに座っていた。

「渚、ここにおいで」

 兄がソファをぽんぽんと叩いた。それを見て、昔、一緒に遊んでくれた時のことを思い出した。

「さあ、渚。なんでも質問していいよ」

「・・・・・・これは、夢だよな?」

 兄の腕が僕に伸び、ぎゅっと身体を抱きしめられた。抱きしめられた感触はあまりにもリアルで、夢だとは思えなかった。

「夢なんかじゃないよ、渚。僕がいなくて寂しかったよね」

「もう分かったから、離して、兄さん」

 離れようとしても僕に抱きついてくる兄の身体を押しのけていると、目の前に座っていたハルが唐突に立ち上がり、洗面所に案内して欲しいと頼んできた。兄を自分から引き剥がし、ハルを洗面所へ案内しようとしたその時、手をぎゅっと握られた。くしゃっと何かが手の中で鳴り、手を広げてみると、小さな紙きれに字が書かれているのが見えた。

「ねえ、そんな暗いところで何してるの?」

 顔を上げると、リビングから兄が顔を覗かせていた。

「そうだ、渚。お腹すいたでしょ?簡単に何か作ろうか?」

 返事に困っていると、ハルが僕の服の裾を軽く引っ張った。言葉にしなくても、行くなと言っているのが伝わってきた。

「兄さん、ごめん。今ちょっと夏バテ気味で食欲ないんだ。だから、今日はもう部屋でゆっくり休むよ」

 僕がそう言うと、兄が寂しそうな顔をした。階段を上りながら、「ごめん」と心の中でもう一度呟いた。



「それで、これは一体どういうことだよ?」

 ハルから手渡された紙きれには、『お兄さんを信用しないで』と書かれていた。

「ねえ、渚はいま彼女いるの?」

「はあ?」

 そんなことを聞くために二人きりになったのかと呆れていると、ハルがポケットからメモ帳を取り出し、素早く文字を書きこんだ。

『君のお兄さんはTellmoreによって生み出されたAIロボット。』

 彼は手にしていたペンでメモ帳を二回叩いた。筆談しろと、彼の目が僕に訴えかけてくる。

「久しぶりに会えたんだ。友達の現状を知りたいのは当然じゃない?」

「そ、そうだな」

 ハルが敢えて二人きりになりたいと言った理由は分かったが、緊張で上手く話せそうになかった。

「それで、本当に彼女いないの?」

『生前の記憶は一部消去されている。』

「いない」

「女友達も?」

『おそらく彼は、自分がロボットだと気づいていない。』

「いない」

「じゃあ、男友達は?」

『だから迂闊に彼を刺激しないで。』

「・・・・・・いない」

 ペンケースからシャーペンを取り出し、ハルが書いた文章の下に文字を書きこんだ。

「どうして友達を作らないの?」

『お前は』

「必要ないから」

『何者?』

 ハルの手が微かに強張る。目線を上にあげると、彼はなぜか笑っていた。

「渚、「ない」以外の答え方知ってる?」

「馬鹿にしてる?」

 僕が睨みつけると、ハルが大声をあげて笑い始めた。

「渚。僕の前では強がらなくていいんだよ」

「別に強がってなんかいない」

「嘘。本当は寂しがりやのくせに」

「うるさい。疲れたから寝る」

 部屋の電気を消し、ベッドに倒れこんだ。続けて、ハルもベッドに倒れこんできた。ベッドの軋む音が部屋に鳴り響く。

「渚」

「なに?」

「死ぬ前にお願いごとをすると、その願いが叶うって話、覚えてる?」

「・・・・・・覚えてる」

「一緒に学校行って、一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて、一緒に寝る。叶えるのが遅くなってごめんね」

「馬鹿。なんでお前が謝るんだよ」

 僕は出来るだけ深く枕に顔を埋めた。泣いていることを必死に隠そうとしたが、ハルにはバレバレだったらしく、彼は「泣き虫なのは相変わらずだね」と言った。


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