#3.2 再会
家に避難した後、僕と転入生は雨に濡れた荷物を乾かす作業に取り掛かった。タオルで荷物を拭きながら、転入生をちらりと見た。僕のことを知っているような発言や、この家の鍵を持っていること、彼は一体何者なのだろう。
「あのさ。お前、名前は?」
頭にタオルを掛けたまま、転入生が僕を見た。
ブラウンの髪に緑色の瞳。彫刻のように美しい肌。まるで人形みたいだと思った。
「僕の顔を見ても思い出せない?」
「中学・・・・・・は違うな。小学校、いや幼稚園か?ごめん、思い出せない」
「じゃあ、ヒント」
彼は床に置いていた本を手に取り、僕に手渡した。白地の表紙に赤色の刺繍が施されているカバーを見て、僕は目を疑った。それは十年前、入院した日に貰った日記帳だった。
「お前、ハルなのか?」
ハルは何も言わず、ただ静かに頷いた。
「そんな、嘘だろ。だって、お前・・・・・・」
後ろから肩を叩かれ、びくりとした。振り向くと、死んだはずの兄が立っていた。
「お風呂が沸いたから入っておいで。雨に濡れたままだと風邪ひくよ」
「でも」
「大丈夫。心配しなくても、僕たちはここにいるから」
兄の笑顔を見た瞬間、訳もなく涙が零れた。僕は慌てて浴室へ逃げ込み、扉を閉めた。ひとりになった途端、全身の力が抜け、その場に座り込んだ。
◆
シャワーを浴び、新しい服に着替えていると、誰かが扉を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、ハルだった。
「渚の部屋に案内して欲しいんだけど」
「それは構わないけど、他に空いている部屋が・・・・・・」
ふとハルの手に視線を移した。彼が掴んでいる小さな紙を見て、息を呑んだ。
「渚」
リビングの方から兄の声が聞こえた。
「お腹、減っているだろう?何が食べたい?」
返事に困っていると、ハルが僕の服の裾を軽く引っ張った。行くな、と彼の目が僕に訴えかける。
「兄さん、ごめん。夏バテ気味だから、今日はもう部屋で休むよ」
「そう。無理しないでね」
兄の少し寂しそうな顔を見るのが辛くて、僕はハルを連れて自室へ向かった。
◆
ハルが僕に見せた紙には、『お兄さんを信用しないで』と書かれていた。僕が自室の扉を閉めると、ハルはベッドの上に座り、僕もベッドに座るように促した。
「ねえ、渚はいま彼女いるの?」
恋バナをするために二人になったのかと呆れていると、ハルはポケットからメモ帳を取り出し、ボールペンを走らせた。
『君のお兄さんはTellmoreによって生み出されたAIロボット』
「ロ・・・・・・」
彼は手にしていたペンでメモ帳を二回叩き、筆談しろと僕に訴えかけてきた。二人きりになったのだから問題ないだろうと思っているのは、僕だけのようだ。
「久しぶりに会えたんだ。友達の現状を知りたいのは当然じゃない?」
「そ、そうだな」
「それで、いま彼女いないの?」
「いない」
『生前の記憶は一部消去されている』
「女友達も?」
「いないよ」
『おそらく彼は、自分がロボットだと気づいていない』
「じゃあ、男友達は?」
『だから迂闊に彼を刺激しないで』
「・・・・・・いない」
机の上にあったシャーペンを取り、ハルが書いた文章の下に文字を書きこんだ。
『お前も』
「どうして友達を作らないの?」
『Tellmoreロボットなのか?』
「必要ないから」
ハルの手が微かに強張る。視線を上にあげると、彼はなぜか笑っていた。
「渚。「ない」以外の答え方、知ってる?」
「馬鹿にしてるのか?」
僕が睨むと、ハルはケラケラと笑った。
「馬鹿になんかしてないよ。安心して。これからは、僕が渚のそばにいるからね」
「うるさい。疲れたから、もう寝る」
部屋の電気を消し、ベッドに倒れこんだ。続けて、ハルも同じベッドで横になった。暗い部屋でベッドの軋む音が部屋に鳴り響く。
「渚。十年前、あの病室で約束したこと覚えてる?」
「約束?」
「僕たちは死ぬまでずっと友達。男と男の約束」
病室での出来事は断片的にしか覚えていないが、確かにそのようなことを言った記憶がある。
「・・・・・・覚えてる」
「思い出した、の間違いでしょ?」
「悪かったって。十年前のことなのに、よく覚えているな」
「覚えてるよ。渚は、僕のはじめての友達だから」
頭の上に手が置かれた。続けて、わしゃわしゃと髪を撫でられる。
「子供扱いするな」
「違うよ。昔、渚にしてあげたかったことをしているだけ」
彼に頭を撫でられながら、ハルから別れを告げられた日のことを思い出した。ハルを最後に見た時、すでに首から下が自分の意思で動かせない状態になっていた。
これはきっと、僕が見ている都合の良い夢なのだ。だから、ハルや兄が登場してもおかしくはない。
「ハル。そのまま頭を撫でて。お願いだから、そばにいて」
「わかった。約束する」
このまま死ねたら、どれだけ幸せだろう。そう思いながら、僕は意識を手放した。
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