#3.2 再会

 家に避難した後、僕と転入生は雨に濡れた荷物を乾かす作業に取り掛かった。タオルで荷物を拭きながら、転入生をちらりと見た。僕のことを知っているような発言や、この家の鍵を持っていること、彼は一体何者なのだろう。

「あのさ。お前、名前は?」

 頭にタオルを掛けたまま、転入生が僕を見た。

 ブラウンの髪に緑色の瞳。彫刻のように美しい肌。まるで人形みたいだと思った。

「僕の顔を見ても思い出せない?」

「中学・・・・・・は違うな。小学校、いや幼稚園か?ごめん、思い出せない」

「じゃあ、ヒント」

 彼は床に置いていた本を手に取り、僕に手渡した。白地の表紙に赤色の刺繍が施されているカバーを見て、僕は目を疑った。それは十年前、入院した日に貰った日記帳だった。

「お前、ハルなのか?」

 ハルは何も言わず、ただ静かに頷いた。

「そんな、嘘だろ。だって、お前・・・・・・」

 後ろから肩を叩かれ、びくりとした。振り向くと、死んだはずの兄が立っていた。

「お風呂が沸いたから入っておいで。雨に濡れたままだと風邪ひくよ」

「でも」

「大丈夫。心配しなくても、僕たちはここにいるから」

 兄の笑顔を見た瞬間、訳もなく涙が零れた。僕は慌てて浴室へ逃げ込み、扉を閉めた。ひとりになった途端、全身の力が抜け、その場に座り込んだ。



 シャワーを浴び、新しい服に着替えていると、誰かが扉を叩く音が聞こえた。

「どうぞ」

 扉を開けて入ってきたのは、ハルだった。

「渚の部屋に案内して欲しいんだけど」

「それは構わないけど、他に空いている部屋が・・・・・・」

 ふとハルの手に視線を移した。彼が掴んでいる小さな紙を見て、息を呑んだ。

「渚」

 リビングの方から兄の声が聞こえた。

「お腹、減っているだろう?何が食べたい?」

 返事に困っていると、ハルが僕の服の裾を軽く引っ張った。行くな、と彼の目が僕に訴えかける。

「兄さん、ごめん。夏バテ気味だから、今日はもう部屋で休むよ」

「そう。無理しないでね」

 兄の少し寂しそうな顔を見るのが辛くて、僕はハルを連れて自室へ向かった。



 ハルが僕に見せた紙には、『お兄さんを信用しないで』と書かれていた。僕が自室の扉を閉めると、ハルはベッドの上に座り、僕もベッドに座るように促した。

「ねえ、渚はいま彼女いるの?」

 恋バナをするために二人になったのかと呆れていると、ハルはポケットからメモ帳を取り出し、ボールペンを走らせた。

『君のお兄さんはTellmoreによって生み出されたAIロボット』

「ロ・・・・・・」

 彼は手にしていたペンでメモ帳を二回叩き、筆談しろと僕に訴えかけてきた。二人きりになったのだから問題ないだろうと思っているのは、僕だけのようだ。

「久しぶりに会えたんだ。友達の現状を知りたいのは当然じゃない?」

「そ、そうだな」

「それで、いま彼女いないの?」

「いない」

『生前の記憶は一部消去されている』

「女友達も?」

「いないよ」

『おそらく彼は、自分がロボットだと気づいていない』

「じゃあ、男友達は?」

『だから迂闊に彼を刺激しないで』

「・・・・・・いない」

 机の上にあったシャーペンを取り、ハルが書いた文章の下に文字を書きこんだ。

『お前も』

「どうして友達を作らないの?」

『Tellmoreロボットなのか?』

「必要ないから」

 ハルの手が微かに強張る。視線を上にあげると、彼はなぜか笑っていた。

「渚。「ない」以外の答え方、知ってる?」

「馬鹿にしてるのか?」

 僕が睨むと、ハルはケラケラと笑った。

「馬鹿になんかしてないよ。安心して。これからは、僕が渚のそばにいるからね」

「うるさい。疲れたから、もう寝る」

 部屋の電気を消し、ベッドに倒れこんだ。続けて、ハルも同じベッドで横になった。暗い部屋でベッドの軋む音が部屋に鳴り響く。

「渚。十年前、あの病室で約束したこと覚えてる?」

「約束?」

「僕たちは死ぬまでずっと友達。男と男の約束」

 病室での出来事は断片的にしか覚えていないが、確かにそのようなことを言った記憶がある。

「・・・・・・覚えてる」

「思い出した、の間違いでしょ?」

「悪かったって。十年前のことなのに、よく覚えているな」

「覚えてるよ。渚は、僕のはじめての友達だから」

 頭の上に手が置かれた。続けて、わしゃわしゃと髪を撫でられる。

「子供扱いするな」

「違うよ。昔、渚にしてあげたかったことをしているだけ」

 彼に頭を撫でられながら、ハルから別れを告げられた日のことを思い出した。ハルを最後に見た時、すでに首から下が自分の意思で動かせない状態になっていた。

 これはきっと、僕が見ている都合の良い夢なのだ。だから、ハルや兄が登場してもおかしくはない。

「ハル。そのまま頭を撫でて。お願いだから、そばにいて」

「わかった。約束する」

 このまま死ねたら、どれだけ幸せだろう。そう思いながら、僕は意識を手放した。

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