僕らは自分を愛せない

深海 悠

prologue 遠い日の記憶

 小学校の健康診断で身体に異常が見つかった僕は、その数時間後、医師から余命半年と告げられた。転院先の病院施設の一室で待機していると、看護師長から十年分の記録を残すことが出来る日記帳を手渡された。表紙をめくると、【これはあなたの生きた証です】と書かれていた。

「ここがあなたの部屋ですよ」

 案内された病室に入った時、カーテン越しに人影が見えた。顔は見えなかったが、そのシルエットから子供だということは分かった。入院してから数日が経ったが、隣人が僕に話しかけてくることはなく、病室にいる間はずっと分厚い本を読んでいた。僕はといえば、ふとした瞬間に余命半年という言葉を思い出しては泣いていた。しばらくして、僕が泣き始めると、隣人が僕の方をじっと見ていることに気が付いた。きっと、泣き虫だと思われているに違いない。悔しさと恥ずかしさで、僕は枕に顔を埋めながら涙を零した。

 入院してから数週間が経ったある日、昼寝から起きると、ベッドの傍に見知らぬ人間がいた。自分と同い年ぐらいの見た目から、すぐに隣人だと分かった。

「あのさ、読書の邪魔になってるなら言ってよ。部屋を変えてもらうから」

「ちがう。ちがうよ」

 石のように固まっていた隣人が必死に首を左右に振った。

「何がちがうんだよ。オレのこと、迷惑なんだろ」

「迷惑じゃない。君と友達になりたいんだ」

「ともだち?」

 予想外の言葉に面食らう僕を見て、隣人はベッドから離れようとした。

「待てって。オレ、まだ何も言ってないじゃん」

「ごめん。急にこんなこと言われても気持ち悪いよね」

「気持ち悪いとかじゃなくて、突然友達になりたいって言われて驚いただけ」

 本当は、自分も友達になりたいと思っていた。そう言おうとした時、余命半年という言葉が頭を過ぎった。

「オレ、あと半年しか生きられないんだ。それでも、友達になりたいか?」

 言い終えた後、目頭がかあっと熱くなった。このままでは、またいつものように泣いてしまいそうだと思い、唇を強く噛みしめた。

「知ってる。ここに連れてこられた子たちは皆、そう」

 隣人につられて部屋の中を見渡した。空っぽのベッドが、死んでいった者たちの棺桶のように見えて、血の気が引いた。

「だったら、尚更どうして?もうすぐ死ぬって分かっているのに、友達になっても意味ないじゃん」

 隣人は半泣きになっている僕の顔を両手で包みこんだ。はじめて間近で見る緑色の瞳はエメラルドのように光り輝いていて、息をするのも忘れてしまうほど美しかった。

「ここにいるとね、分からなくなるんだ。何のために生まれたのか。何のために生きているのか」

「・・・・・・」

「色々考えて苦しくなって、もういっそ死んでしまいたいと思う時もある。だけど、やっぱり生きたいって、心のどこかで思ってる。生まれたことを後悔したくない。こんな自分でも生きていていいんだって、思えるようになりたい。そのためには、君が必要なんだ」

 隣人の目から数滴の涙が零れ落ちた。小刻みに震える手を取り、僕は静かに頷いた。

「いいよ。友達になろう」

「・・・・・・ありがとう」

 隣人の笑った顔を見て、僕は思わずぞっとした。それは、笑い方を知らない人間の笑い方だった。



 隣人はハルと言った。同い年ということもあって、僕たちはすぐに仲良しになった。看護師の目を盗んでは、ハルとの間に隙間を作り、夜遅くまでおしゃべりをした。会話を重ねていくうちに、ハルは笑顔が上手になり、僕も心の拠り所が出来たおかげで泣く回数が格段に減った。

 ハルはALSという病気らしく、徐々に寝たきりになっていった。ある時、ハルは自分が亡くなった後、海洋散骨という方法で遺骨を海に撒いてもらうように頼んでいると教えてくれた。ハルは「そうしたら、どこまでも遠くまで行けるような気がするから」と嬉しそうに話した。縁起でもないことを言うなと叱ると、ハルは笑って「ごめん」と言った。

 僕が入院してから四か月が経った頃、ハルは検査から戻って来るなり、「別れよう」と僕に言った。ハルの言葉に、僕はひどく動揺した。

「なんでそんなこと言うんだよ。お前が友達になりたいって言ったんだろ」

 僕がそう言うと、ハルは声をあげて泣き始めた。

「悪かったって。ほら、いまそっち行くから」

 カーテンを開けると、涙でぐちゃぐちゃになったハルがベッドに横たわっていた。

「泣くな。男だろ」

「渚もよく泣いてるじゃん」

 涙の匂いにつられて僕も泣きそうになった。僕もハルも、もうじき死ぬ。頭では分かっていても、やはり怖いものは怖い。

「どちらかが先に死んでも、オレたちはずっと友達だ。約束な」

 僕はハルの手を取り、指切りをした。

「死んでも友達でいてくれるの?」

「もちろん」

 棚の上に置いていた折り紙の束から色紙を一枚取り出し、鶴を折った。紙風船、紙の薔薇、紙のパンダ。それらを折っては、ハルの枕元へ置いた。

「渚、知ってる?死ぬ前にお願いごとをすると、その願いが叶うんだって」

「なにそれ?はじめて知った」

「もし本当だったら、渚は何をお願いする?」

「そうだな。来世でもお前と友達になって、一緒に暮らせますようにって祈るよ」

「一緒に暮らしてどうするの?」

「一緒に学校行って、一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて、一緒に寝る。兄ちゃんとオレとお前と三人でゲームもしたい。絶対楽しいよ」

「そんな来世が叶うなら、いますぐ来世になって欲しいな」

 ハルは泣きながら笑った。僕は無性に悲しくなって、カーテンをぴしゃりと閉めた。その日の夜、自分が泣いていることをハルに悟られないように必死で枕に顔を埋めた。

 翌朝、目を醒ますと、僕はどこかへ運ばれていた。僕が目覚めたことに気が付いた看護師は、「今から心臓の手術を受けてもらいます」とだけ言い、僕の身体を手術台の上に置いた。心臓の手術は無事に成功したが、手術を終えた後、僕は別室で待機となり、退院日まで一度もハルに会うことは許されなかった。

 母が退院手続きをしている間、ほんの数分でいいからハルに会いたいと看護師長に頼んだ。しかし、彼女は首を横に振るばかりで僕の願いを聞いてはくれなかった。僕は自分が子供だからお願いを無視されているのだと思い、母親がいる前で同じことを頼んだ。すると、母は泣きながら病院の玄関を飛び出していった。

 看護師長は、僕の目線に合わせて身を屈めた。そして、僕は兄の命と引き換えに生き延び、ハルは僕が手術を受けている最中に死んだと言った。

「あの子から伝言を預かっているわ。あなたの手術がうまくいきますように、と。あなたは亡くなった人の分まで生きなきゃ駄目よ」

 泣きじゃくる僕の頭を撫でながら、彼女はそう言った。僕は何も言えず、ただただ頷くことしか出来なかった。


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