僕らは自分を愛せない
深海 悠
prologue 遠い日の記憶
「このまま何もしなければ、一年以内に亡くなるでしょう」
小学校の健康診断で身体に異常が見つかってから数時間後、搬送された病院先で医師がそう言った。医師は母に詳しい状況を説明していたが、自分があと一年で死ぬということは幼い僕でも理解できた。
一年後には死んでいる。そう思うと、不安と恐怖で目の前が真っ暗になった。
その後、僕は母親に連れられて離島の病院へ行った。案内された部屋で待機していると、車イスに乗った白衣の男が現れ、僕に十年分の記録を記すことが出来る日記帳を手渡した。
「どんな些細なことでも構わない。君が思ったこと、感じたこと、なんでもその日記帳に書きなさい。それが、君の生きた証になるから」
看護師に名前を呼ばれ、僕は日記帳を片手に、しばらくお世話になる病室へと向かった。
案内された病室に入ると、窓から月明かりが差し込んでいた。空のベッドが数台並んでいたが、その部屋の片隅だけはカーテンが閉められていた。パラ、パラと静かに本をめくる音で、僕は眠りについた。
入院してから数日経ったが、僕と隣にいる人との接点はほぼなかった。カーテンから見えるシルエットで、僕と同い年ぐらいの子供であることは確かだったが、それ以外はなにも分からなかった。カーテンを開ける勇気も、隣の彼か彼女に話しかける勇気もなく、淡々と日々を過ごしていた。
病室での生活に慣れてくるにつれ、僕の精神は不安定になっていった。
余命一年。医師から告げられた言葉が頭から離れず、ふとした瞬間に涙を零すようになった。
その日は特にひどく、死にたくないと泣き叫び、看護師に押さえつけられるまで暴れ続けた。その日の晩、目を覚ますと、ベッドの脇に見知らぬ少年がいた。
「だ、誰?」
ブラウンの髪色に緑色の瞳をした短髪の美少年は自身の唇に人差し指を立て、「シー」と小声で言った。
「はじめまして。挨拶するのが遅くなってごめんね」
ぴっちりと閉められていたはずのカーテンに隙間が出来ているのを見て、目の前にいる彼が誰なのか分かった。
この病室に来てから一か月以上経つのに、どうして今頃になって僕に話しかけてきたのだろう。困惑している僕を見て、彼は再び「ごめん」と言った。
「挨拶をするのは、一か月以上経ってからと決めているんだ。そうじゃないと、辛くなるから」
「辛くなるって、どうして?」
「ここに連れてこられた子供たちは皆、すぐに死んでしまうから」
彼の言葉を聞き、尋ねなければよかったと後悔した。
「お前も、もうすぐ死ぬのか?」
「多分、ね。でも、君よりは長いかも」
「そう」
「うん」
部屋に沈黙が流れた。お互いに、自分の運命を受け入れる時間が必要だった。
「それでね、今日君に会いに来たのには理由があって」
彼は口をもごもごさせてから、次の言葉を吐いた。
「・・・・・・ボクと友達になってほしい」
「ともだち?」
こくんと、彼は小さく頷いた。緊張しているのか、耳まで真っ赤に染まっていた。
「・・・・・・だめ?」
「だめじゃないけど・・・・・・」
その先の言葉が見つからず、再び部屋に沈黙が流れると、彼は僕から離れようとした。
「ごめん。急にこんなこと言われても気持ち悪いよね。ごめんね」
「ちがう。そうじゃなくて、ただ・・・・・・。また、お前がひとりになった時、辛くなるんじゃないかと思って」
その時、彼の瞳がエメラルドのように光り輝くのが見えた。
「うん。やっぱり、君がいい。君と友達になりたい」
「どうして、そこまでオレにこだわるの?」
「君が優しい人だから。僕が生きる理由は君がいい」
彼の言葉がいまいち理解できなかったが、彼が嬉しそうだから、それでいいと思った。
「お前の名前は?」
「ボクはハル。君の名前は?」
「オレは渚。よろしく、ハル」
「こちらこそ、よろしくね」
その時、僕はぞっとした。彼の笑った顔が、あまりにも不気味だったから。
◆
同室のハルと仲良くなるのに時間はかからなかった。彼は読書が好きで、僕が知らないことをたくさん知っていた。話し上手で聞き上手な彼は、いつも面白い話を僕に聞かせてくれた。初対面で僕に見せた不気味な笑みは、僕が来るまで笑顔を作る機会がほとんどなかったからで、僕と笑顔の練習をするうちに上手に笑えるようになった。
ハルは身体の筋肉が動かなくなっていく病気らしく、徐々に寝たきりになっていった。それでも、彼は泣き言ひとつ言わず、僕と話す時はいつも笑顔だった。彼がいつも笑顔でいるから、彼の笑顔の裏に隠した感情を、僕は見抜くことが出来なかった。
◆
僕が入院してから半年が経ったある日。ハルは病室に戻って来るなり、「別れよう」と僕に言った。突然の別れ話に、僕は戸惑いを隠せなかった。
「どうして?なんで急にそんなことを言うんだよ」
「今日の検査で、もう後がないと言われた。ボクが死んだら、海洋散骨と言って、海に骨を撒いてもらうようにお願いしてきた」
「だからって、別に今日明日で死ぬわけじゃないだろ?別れようなんて言うなよ」
「明日からボクは別室に行くことが決まったんだ。だから、渚とは今日でお別れ」
「そんな・・・・・・」
こんなにも早く終わりが来るなんて思ってもみなかった。僕が呆然としていると、隣から嗚咽が聞こえてきた。
カーテンを開けると、涙でぐちゃぐちゃになったハルがいた。僕はハルの手を取り、指切りげんまんをした。
「別室に行こうが関係ない。オレたちは死ぬまでずっと友達だ。男と男の約束な」
僕は棚の上に置いていた折り紙の束から色紙を一枚取り出し、紙ひこうきを折った。
「これ、ハルにあげるよ。兄ちゃんから教えてもらった特別な折り方なんだ。なんと五メートルも飛ぶんだぜ。すごいだろ?」
「すごいね」
僕が笑いかけると、ハルも同じように笑った。
「ねえ、渚。もし、僕たちの病気が消えて元気になったら、何がしたい?」
「そうだな。お前と一緒に暮らしたい」
「一緒に暮らしてどうするの?」
「一緒に学校行って、一緒に遊んで、一緒に寝る。兄ちゃんとオレとお前でゲームもしたい。兄ちゃんは賢くて優しくてカッコいいんだ。すぐに仲良くなれるよ」
「渚はお兄ちゃんが大好きなんだね」
「うん。兄ちゃんはオレの憧れなんだ」
ハルは何とも言えない表情を浮かべた後、枕に顔を埋めて寝てしまった。
明日になったら、先生にハルと再び同室にしてもらうように頼もう。そうすれば、またハルと一緒にいられる。我ながら名案だと思った。その日は家族で食卓を囲む夢を見た。母親と兄とハルと僕の四人。食事の後はゲームをして、ハルと一緒のベッドで眠った。それは、とても幸せな夢だった。
◆
翌朝。目を醒ますと、僕は手術台の上にいた。僕が目を覚ましたことに気づいた看護師は、「今から手術をします」とだけ言い、僕は再び眠らされた。
難易度の高い手術だったにもかかわらず、手術は無事成功し、僕は死に怯える必要がなくなった。心臓を提供してくれる人が現れたおかげで、僕は生かされたのだと、先生は教えてくれた。だから、その人に感謝しなさいと、彼は言った。
退院日が決まり、ある程度の自由が許された僕は、ハルを見つけようと病院内を歩き回ったが、どれだけ探しても彼を見つけることは出来なかった。自室に帰ろうとした時、ふと先生の声が聞こえた。扉の向こうを覗くと、そこには先生の他に、両手で顔を覆う母がいた。なぜ彼女が泣いているのか、理由はすぐに分かった。
僕に心臓を提供したのは僕の兄で、兄は僕を助けるために自殺した。その事実を知った僕は、恐怖のあまり、病院での出来事をすべて忘れようとした。
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