引きこもりだけど、外にゾンビがうろついている

飯来をらくa.k.a上野羽美

第1話「引きこもりだけど、外の様子がおかしい」

まぶたが開かれるその直前まで悪い夢を見ていたというのが、冬だというのにシャツを湿らせた汗で分かった。灰色みがかった天井は淡い日差しのおかげでなんだか明るい色に見えている。

 夢の内容は一瞬で彼方へと飛び去ったが、何かに追いかけられていたのはなんとなく覚えている。大方殺人鬼とか、ゾンビとかなんか、そういう感じのやつなのだろう。夢の中の自分は自分じゃなくて他の誰かだったことも思い出した。そのまま寝ていれば自分はそのまま他の誰かのままだったのかもしれない。


 寝ぼけ眼をこするでもなくもう一度目を閉じてから「んん」と喉を鳴らして現実の自分に戻る。

 奥村大智。十七歳、高校二年生……だった。去年の春過ぎから登校拒否をして、それから半年が経っている。高校中退、最終学歴は中卒。詰んでるなぁ。本当に夢の中の誰かに戻してくれ。


 そんなこんなで半年も経てばすでに昼夜逆転生活は体の奥底まで染み込み、取り返しのつかないことになっていた。もう普通の生活には戻れない。晴れて社会不適合者の出来上がりだ。将来のことを考えると深い闇が訪れて塵に返すのももはや得意技である。


 体を起こして周囲を見渡す。この布団と目の前の小さなテーブルと、空間だらけのクローゼット。一番充実しているのは勉強机の上のチカチカとネオンのように怪しく点滅するゲーミングPC。他は言いようのないこざっぱりとした部屋。引きこもりと言えば枕詞のように「オタク」という言葉がつくが、アニメ鑑賞でも趣味にしてれば今こんな生活をせずに友人と慣れあっていたはずだ。

 普段とは違い、電気が点いていないのにもかかわらず明るい室内を見るに今日は珍しく日の高いうちに起床したようだった。時計を見ると短い針が頂点に来ていて、普段は熟睡している時間だった。布団から這い出ようと体を動かす。まるでさび付いたブリキのように関節の動きが鈍い。カーテンを開けようとあげた頭はすごく重い。

 空一つない曇り空だ。太陽はもちろん見えないのにもかかわらず、久々の外の光に目が眩んだ。


 どうしてこんな時間に目が覚めたのだろうと昨日の記憶を探る。


 昨日……というか今日はいつものように陽の出始める明け方に寝たはずだ。そしてまたいつものように日暮れに目を覚ましてネトゲに明け暮れるはずだった。

 ……ということはまだ夕暮れになっていないのに目が覚めただけか。


 起き損か。ため息とともに再び布団にくるまってさっさと寝ようと目を閉じるも、頭の隅にある違和感がぐらぐらと揺れている。

 ……何かを忘れている。そういえばと揺り起こした頭の中で一度起きて時計を確認したら午後三時だった記憶が見つかった。

 確か母親の「買い物に行ってくるね」という声で目が覚めたのだ。


 つまり……昨日は丸一日寝ていたのか……別に社会規律を守らなければいけないような生活はしていない。学生をやっていた頃だったらさぞ絶望していたことだろう。なぁ、一年前の俺。お前はここまで堕ちたぞ。


 一日食事を摂らなかったのでさすがに空腹なのだろう。というのも起きがけは別に空腹でもないのだがこれがあと少し経つと立ってもいられないほどのレベルに達する。そうなる前に糧を貪る。これ必勝法。

 冷たい廊下をスリッパも無しで素足で歩く。時間が時間なので「ちべたいちべたい」と独りで冗談めかすくらいで済むが深夜や早朝にかけて、場合によっては刺すような痛みをもってこの廊下は柔らかな足へ不意打ちを仕掛けてくる。スリッパはおそらく下に置き忘れたのだろう。ゆっくりと乱雑に重心を足に預けながら階段を下りる。


 ふと、家の中がとても静かなことに気づいた。普段は母親の観ているワイドショーの音がリビングからかすかに聞こえてきそうなものだが自分の足音以外何も聞こえない。今日はどこかへ出かけたのか?案の定リビングは薄暗く、耳鳴りがするほど静まり返っていた。


 冷えたフローリングを素足で歩くのが今になって堪えたのでストーブに火をつけ、悴んだ手足を温める。テーブルの上には何もなく、冷蔵庫を開けても残り物らしきものはなかった。


「ああくそ、なんも残してないのか」


 幸い戸棚にはストックしてあるシリアルがあったので牛乳をかけずにそのままぼりぼりと食べる。


 部屋に響くぼりぼり音、もとい咀嚼音。なんだか居心地が悪いので興味もないワイドショーをBGMにするためにテレビをつけた。

 そうして部屋に響くのは咀嚼音と砂嵐の音。……なんだ、映らないぞこれ。


 薄型テレビの両端を叩いてみたが当然のごとく無反応だ。自分のオヤジ臭い行動に情けなくなる。


 結局シリアルを食べ終わるまでにテレビは点かなかったので、温まりかけた部屋からストーブを切ると共に去って、自分の部屋に戻ってブランケットにくるまりながらネトゲを開始する。寝て起きて食べてネトゲ。人生にこれ以上を求める必要はない気がするのだ。


 ログインして数分も経たないうちにある違和感に気づく。


「今日過疎りすぎじゃないか……?」


 というか自分以外にプレイヤーが見当たらない。おいおい、こんなことってあるのかよ。

 ネットはきちんとつながっている。他のネトゲをプレイしても同じような有様だ。人っ子一人いない。


 マウスから手を離し、口を半開きにしたまま仰け反ってから数十秒。ふと、2chのまとめサイトで読んだ話を思い出す。さっきまで普通に生活していたのにいつの間にか誰もいない異世界へと入っている。そんな話だ。似たような経験をした人が複数いたことから興味を抱いた内容だった。とうとう俺も流行りの異世界入りを果たしたのかもなぁと鼻で笑いながら外の景色を眺めた。

 話には世界が真っ赤に染まっていたとかなんとかって書いてあった気がする。さっきも軽く空の様子を眺めたからそんなことはないと思うがもしかしたら異世界の兆候的なものが……


「……は?」 


 自分の家から数十メートル先にそれはあった。というか、いた。それはもう異世界の兆候どころではなかった。

 見慣れたアスファルトの道路の上で血まみれで人が倒れている……のならまだ救急車を呼べば済んだのだろう。これだって尋常ではない光景なのだが、問題は倒れている人の隣に座り込んでいる人だ。助けを呼ぶでもなく、人工呼吸をするでもなく、負傷者の腕を一心不乱に食い漁り、露出した骨にまで齧り付いている。


「は」


 クエスチョンマークすらどこかへいった。


 食人嗜好カニバリズムの殺人鬼が白昼堂々犯行に及んで、こともあろうに道路の真ん中で欲求を満たしているのだとしたら俺はとんでもない光景を目の当たりにしているわけだが、そんな「とんでもない光景」がぶっ飛んでしまうくらいに、とんでもない光景が食べる人と食べられている人の周りに広がっている。

 閑静な住宅街の狭い道路がどういうわけか珍しく通行人でにぎわっているが、彼らはそんな光景を目の当たりにして、悲鳴を上げるでもなく、通報するでもなく、全く気にも留めずに行く当てもないように彷徨っている。


 異世界……?冗談じゃない。ものすごく既視感のある光景だ。でも実際にこんなことがあるわけないじゃないか。幾度となくテレビの中で見かけたあの場面が目の前に繰り広げられている。


 これは現実か……?


 まだ夢を見ているのかと頬を引っ張るなんてアニメや漫画でしか見たことない確認方法を取ってみたが、痛かった。


 認めたくない、そんな現実を頭の中で整理して的確な言葉で表現するならこうだ。


「引きこもりだけど、外にゾンビがうろついている」 

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