第10尾【エモフレ、カノジョの物語】
七月二十六日、日曜日。
永井明日花との約束の日。
結愛は真っ白ワンピに小さな他所行き鞄を肩から下げている。鞄には三つのエモフレキーホルダーが揺れる。保育園の鞄から付け替えたのだろう。
「それではキュウ、留守をお願いします」
「キュウ!」
キュウは大きな胸を震わせながら、大袈裟にラジャーのポーズをとる。
しかし、二人が去った後、玄関の鍵を閉めたキュウは表情を曇らせた。リビングの涼夜の席に座り、テレビの電源を入れると、CMが流れる。
獲物フレンズザムービーセカンドのCMだ。
キュウは頬を膨らませたが、すぐに頭をブンブンと振り両手で頬をペシペシと叩いた。
「キュ! キュキュン!」
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
一方で涼夜達は、駅で待ち合わせていた永井明日花と合流。夢咲モールにも映画館はあるが、人目を気にして少し遠出をする事にした訳で。
「りょ、おほん。高遠さぁ〜ん、こっちですよ〜!」
胸元の空いた大胆なワンピース姿の明日花が駅の改札前で手を振る。水風船のような白い球体も連動して揺れる。たまらず身体を強張らせた涼夜に、結愛のひじ打ちが炸裂した。
「結愛ちゃぁ〜ん、ワンピース一緒だね〜!」
「センセ、なかなかあざといです」
「結愛ちゃん〜? 意味、わかって言ってるのかなー?」
「さ、行くのです。エモフレの為に……!」
「あ、結愛ちゃん? 行っちゃった。高遠さん、私達も行きましょうか」
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
一行は電車を乗り継ぎ目的のレジャー施設に到着。
人混みの中、仕方なく明日花と手を繋ぎ歩く結愛は少し恥ずかしそうに横を向いた。
笑顔を取り戻したとはいえ、ツンデレな性格はそのままである。そんな彼女達を、少し後ろからついて行く涼夜が見守る。
「ここです。私、たまに来るんですよ。夢咲モールだと知り合いに
「センセ、一人で映画を見るのです?」
「え、と、あはは〜、結愛ちゃんも大人になればわかるよ。誰にも邪魔される事なく、心置きなく映画を楽しみ、笑い、泣く! これぞ、フリーダム!」
「要は、一緒に行く人がいないボッチなのですね。ごめんなさい。さ、行きますよ」
一人映画について熱く語る明日花を引きずるように結愛は握った手を引く。視線は後方の涼夜に向いたが、どうやら少しばかりご立腹の様子。
結愛的にエモフレを見れればそれでいい訳で、一人映画の事など微塵も興味がないのだ。内心、要らぬ事を聞いたと後悔の念が巡っている事だろう。
無料券をチケットと交換し上映までの時間、ポップコーンに舌鼓をうち、しっかりとお手洗いも済ませる。——いよいよ入場だ。
館内用に買い足したキャラメルポップコーンを両手で大事そうに抱える結愛を先頭に入場。館内は既に薄暗く、上映前の高揚感を煽る空気が充満していた。指定された席は丁度真ん中辺り、結愛の座席に子供用の台をセットし涼夜が座らせてやると、頬を染めた結愛はジュースのストローに喰いついた。
「あまり飲み過ぎると、途中でトイレになりますよ」
「む、それは……困るのです」
「楽しみ、楽しみ、楽しみ〜、はやく〜」
子供のようにはしゃぐ三十路前の明日花に苦笑いを浮かべながら涼夜も着席。三十路前と何度も言うが、永井明日花は正直美人、いや、可愛い部類で、子供っぽくあどけない性格もまた、彼女を若く見せる。涼夜との歳の差も三つ程であり、側から見れば十分に若い夫婦とその子供に見える。
程なくして館内は暗転。
巨大なスクリーンに皆の意識が集中し、小鳥を詰め込んだ鳥かごのように騒がしかった館内は、全ての雛鳥が飛び発った後の巣のような森閑とした空気に包まれた。
スクリーンに映像が映し出される
予告が大音量で再生され、結愛は大きな瞳を煌めかせる。その隣で同じように口を半開きにする明日花。普段は見る事の出来ない、永井明日花がそこには居た。それだけ彼女は、涼夜と結愛に気を許している。いや、許し過ぎ、——それが妥当な表現か。
再び暗転、——後、
映画館のマスコットキャラクター、鬼天竺シネマ君がスクリーンに登場。鑑賞マナーの短いアニメーションが流れると、子供達の笑い声。
そして遂に、獲物フレンズザムービーセカンドの本編が始まった。
彼女が、生前、最後に残した物語——
涼夜は目を離す事なく、全てを受け止めた。
館内は終始笑顔と笑い声に包まれた。最後の見せ場では、その笑い声が嘘のように泣き声に変わり、けれどもやっぱり最後は笑顔が咲いた。
勿論、これまでエモフレを見ても笑わなかった結愛も、他の子供達ど同じように笑い、泣いた。それが何より嬉しいのは、やはり涼夜で。
「……全く、君には敵いませんね……結衣……」
視線、——涼夜に当てられた視線は、目尻に涙を溜めもの恥ずかしそうに照れ笑う明日花の視線。
永井明日花は知っている。
この獲物フレンズという物語を生み出したのが、高遠結愛の母であり、涼夜の妻だった、高遠結衣だという事を。そしてその獲物フレンズを託されたのが涼夜である事も。涼夜が公言した訳ではないが、少し調べればわかる事なのだ。超有名書籍の作者なのだから。
それでも彼女はここに彼らを誘った。
明日花の結愛を案じる心は本物で、しかし、それ以上に抑えられない感情があるのも、本当で、
「センセ、面白かったのです、ありがとなのです」
「うん、先生も思いっきり泣いちゃったよ〜。いい話だったね〜」
「ねぇ、センセは……」
「ささ、お昼でもどうですか? 高遠さん、結愛ちゃんっ!」
明日花に遮られ結愛は言葉を飲み込んだ。
涼夜は頷き「そうですね、ひとまず外に出ましょうか」と、結愛の手を握った。結愛はその手を強く、いつもより少し強く握りしめた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
昼食を済ませ、永井明日花と別れた涼夜達が帰宅したのは午後二時を過ぎた頃だった。
二人がリビングに入ると、ソファーで丸くなったキュウの姿が見てとれた。
「キュウちゃん、寝てるのです」
「……寝てますね」
小さな身体を丸め、大きな果実を抱くように眠るキュウの口からはヨダレが。いつもはピンと立っているケモミミも折りたたみ、雪のような九つの尻尾で自らを覆い眠る。その顔をじっと見つめていた結愛を眠りながら抱き寄せるキュウ。
「ふぎゅ」
「キュゥ」
結愛はキュウの胸に身を預け、溶けるように眠った。涼夜は二人にエモフレタオルケットをかけてやり、自らはコーヒーをコップに注ぎノートパソコンを起動した。
「さて、仕事ですね」
涼夜は幸せそうに寄り添い眠る二人を横目に、キーボードを打ち始める。カタカタと軽快な音が静かな部屋に響く。時計の針の音が、リズムを刻む。
少女達の寝息が、メロディを奏でる。
涼夜にとって、この上ない作業用BGMとなる。
涼夜はそっと目を閉じ、思いを巡らせた。
そして、いつしか眠りについた。
——目が覚めた時、彼を迎えたのは瞳を瞬かせる二人だった。ローテーブルの上には夕飯が並んでいて、涼夜の肩にはエモフレタオルケット。
涼夜が結愛に視線を送ると、結愛はポッと頬を紅潮させ横を向いた。
「リョウヤ君、夕飯の時間です。顔を洗ってきてなのです」
「……はえ?」
「キュー!」
——少し不思議で幸せな日々が過ぎてゆく。
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