第キュウ尾【夏まつり、嫉妬のモフモフ】
蝉達の大合唱も終演、夕暮れ時を過ぎた頃、
今夜は夏祭り、——結愛は綺麗な藍と空色の浴衣を着てご満悦。目も眩むような笑顔を咲かせる。
「リョウヤ君、どうですか? 可愛いです?」
「結愛ちゃん、とても似合ってますよ。それに青系統の色は着痩せ効果も相まってダ——」
「えいっ!」
「ゔっ……」
結愛の小さな握り拳が涼夜に、——
「キュッキュキュー!」
「ほら、キュウちゃんは可愛いって言ってるのです。リョウヤ君は一言多いのです! 女の子の気持ちをちゃんとですね——」
結愛の激論は続く。涼夜はそれを笑顔で、全身で受け止めた。必死に女の子の扱いたるものについて語る結愛の可愛さに我慢の限界が来たキュウは、指を立てて得意気に語る彼女の立派な頬を愛でる。
キュウに揉みくちゃに撫でまわされながら、結愛は涼夜を流し見る。その五歳児とは思えない妖美な視線から目が放せなくなった涼夜だったが、ふと我に返り頭を小さく振る。
「はは、冗談ですよ。結愛ちゃん、とても可愛いです。今日は楽しみですね」
「はい! ねぇ、キュウちゃんも来るんですよね?」
「姿は消して、ですが、共に行きましょう。くれぐれも、他のお友達には内緒ですよ? 本物のエモフレがいるなんてバレたら大変ですからね」
「わかったのです。約束です」
あの日、あの夜、——夕陽の綺麗な帰り道で笑い合ったその日から、結愛の止まっていた時間は動き出した。これが結愛の本来の姿。
結愛は大人びた顔立ちではあるが、子供らしく良く笑い、良く泣く、そんな女の子なのだ。
しかし、一年前の夏の終わりに事件が起きた。それは高遠涼夜と結愛の母、——西岡結衣の結婚披露宴の直後に起きた。当時、結愛は四歳。結衣の連れ子だった。結衣は、未婚の母だった。
涼夜は彼女に似てきた結愛に、心奪われ、言葉を失っていたのかも知れない。良く笑い、良く泣く、とても感受性が高く、少し不思議ちゃんな愛する
「リョウヤ君? ボーっとしてないで行くのです」
晴れ着姿の結愛が頬を染め催促する。思いを巡らせていた涼夜の意識は現実に引き戻された。
笑顔の結愛の隣には、笑顔のキュウがいた。
彼は笑った。精一杯、心情を悟らせぬように。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
夏祭りの会場は夢咲第二保育園。
毎年恒例のお祭り行事が今年も開催された訳だ。
先生達は忙しそうに園庭を走り回る。その中に永井明日花の姿も見てとれた。明日花は結愛と涼夜に気付き、両手で運んでいた焼きそばソースの袋を地面に置き手を振った。
濃い目のピンクがベースの浴衣に身を包む彼女は、額に汗を浮かべながら結愛の元へ。
「こんばんは、結愛ちゃん。青い浴衣、とても可愛いよ〜」
しゃがみ込んだ事により、行き場をなくした豊満なソレが形を変える。ここ、夢咲第二保育園の夏祭りは毎年先生方の浴衣姿も拝める。その姿で働くのは大変だろうが、園児の父親達には需要がある模様。帰宅後、一悶着あるかも知れないが。
明日花は結愛の頭を優しく撫でる。結愛は少し恥ずかしそうに肩を竦めたが、とびっきりの笑顔をお返しした。
「センセも可愛いのです」
「いや〜ん、ありがとう結愛ちゃん〜! はっ、涼夜く——高遠さん、今夜は楽しんでって下さいね」
「え、あ、はい。大変そうですね永井先生。良かったら運ぶの、手伝いましょうか?」
「えっ、ラッキー……じゃなくて、い、いいんですか〜?」
明日花はその少しばかりつり目がちな瞳を煌めかし涼夜を見上げた。涼夜の身長が高いのもあるが、彼女自身大きな方ではなく、自然な上目遣いが完成する。
「勿論ですよ、結愛ちゃんもいいですよね?」
「……結愛はお友達と遊んで来るのです。加奈ちゃんが向こうで呼んでいるのです」
結愛はそう言って涼夜の手を振り解き、二人に振り返る。
「わかりました。運び終えたら一緒に店を回りましょう」
「わかったのです。はっ、加奈ちゃーん、今行くのですー!」
「転ばないように気を付けて下さいよー」
「結愛はそんな簡単に転ぶアンポンタンじゃないのです、バカにしないでくださいリョウヤ君」
結愛はそう言って小走りで去っていく。二人は瞳を瞬かせクスリと笑った。
「高遠さん、本当に良かったですね、結愛ちゃん」
「はい、本当に」
「まるで、新しいお母さんが出来たみたい……」
「え?」
「あ、何でもありませんよ? それじゃあ〜、高遠さんにはこっちの重たい方をお願いします」
「そんな、両方とも持ちますよ」
「高遠さんなら、そう言うと思いました」
明日花は大量の焼きそばソースを詰め込んだ袋を涼夜に手渡した。涼夜は両手でそれを持ち、「行きましょうか」と促した。
二人で祭りの装飾を眺め歩く。明日花はほんのりと頬を染め隣を歩く涼夜を盗み見る。
「なんだか、デートみたいですねっ」
「えっ?」
「いやですね〜、冗談、ですよ。こうして浴衣を着て男の人と歩くなんて経験、あまりなくてつい。高遠さん、あれからもうすぐ一年ですね」
「はい……」
「あの、気持ちは……す、少しは気持ち、整理出来ましたか? そ、そんなに簡単な事じゃないってわかっているのですが、どうしても気になって」
「……気持ちの整理、ですか。それは多分、私が死ぬまでつく事のない整理ですよ、きっと」
明日花が立ち止まる。
涼夜は振り返り首を傾げた。
「そうですか。それにしては最近、楽しそうだな〜って」
明日花の目線は遊具で遊ぶ結愛に向けられている。
「少しだけ、嫉妬」
「永井、先生?」
「あ、すみませんっ! さ、結愛ちゃんを待たせてもいけないので、行きましょう!」
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
ソースを運び終えた涼夜がその場を去ろうとした時、明日花が彼を呼び止めた。
「あ、あのっ、高遠さん」
「はい、何でしょうか?」
「あ、ありがとうございました。おかげで筋肉痛にならずに済みそうです。あ、あの、そのお礼と言ってはなんですが……コレを」
彼女が差し出したのは手のひらに収まる程の紙切れ三枚だった。映画の無料券だ。
「お、親の仕事の関係でたまに手に入るんですよ〜。夏公開の獲物フレンズザムービーセカンド、これで観れちゃいます」
「そんな、悪いですよ」
「一人で三枚も使えないですし、結愛ちゃんの笑顔復活記念にってずっと思ってたんです」
「それは喜ぶと思いますが。それなら永井先生の分、この一枚はお返しします。これは永井先生が好きなものを——」
「じ、実は〜、私もエモフレ、大好きなんですよね。でも、エモフレを一人で、しかも三十路前の女一人で見に行くのも……なんて」
明日花は小さな身体にそぐわぬ胸を寄せる。涼夜の眼鏡が若干の角度をつけた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
涼夜は映画の無料券を手に園庭を歩く。遠い目をした涼夜に突如として激痛が走る。
「痛っ!」
(キュ!)
キュウが涼夜の耳に噛み付いた。涼夜は一人大声をあげ噛まれた耳を手のひらで押さえた。
「な、何をするんですか……」
(キュン!)
「何を怒ってるんです? あ、お腹空いてきたんですか?」
(キュー!!)
「痛っ、ちょ、キュウ! いたた……」
痛みに耐えながら結愛の元に辿り着いた涼夜。結愛はお友達と一旦別れ、出店をまわる事に。
大方まわり終えた涼夜達は椅子に座り焼きそばを食べる。結愛はフランクフルトを小さな口で必死に頬張る。キュウは涼夜の隣で黙っている。
涼夜は思い出したかのように、明日花に貰った映画の無料券を取り出し、結愛に事の経緯を説明した。
「センセと一緒に、エモフレの映画です?」
「あ、はい。でも、結愛ちゃんが良ければですが、どうします?」
「結愛はエモフレ、見たいのです!」
「そうですか。なら、永井先生にそう伝えておきますね」
「はい!」
こうして後日、永井明日花の誘いで獲物フレンズザムービーセカンドを観に行く事が決定した。
家に帰った結愛はシャワーも浴びずに眠ってしまった。キュウが着替えさせ寝室へ。
部屋に戻って来たキュウは、頬を膨らませ涼夜をじっと見つめる。
「キュウ、どうしたのです? 何だか機嫌が悪いみたいですが」
「キュ……」
キュウはノートパソコンの前に座った涼夜の隣に腰を落ろすと、無言で彼の肩に頭を預けた。
涼夜は少し驚いたが、彼女がすぐに小さな寝息を立てた訳で。
「人混みに疲れたのですかね」
後ろのソファーにキュウを寝かせてやった涼夜は再びパソコンに視線を移す。
そんな彼の首に両手で巻き付くキュウ。
「君は、あの人に良く似ているね。とても明るくて、誰よりも寂しがり屋で。キュウ、ありがとう。結愛が笑ったのは、君のおかげです」
キュウは応えない。
今日もまた、夜が更けていく——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます