第3尾【飼います、お世話もします】

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 勤勉な蝉達が頼んでもいないコーラスを披露する朝、涼夜は死人の如く深い眠りについていた。

 リビングのローテーブルに項垂れた涼夜の肩には薄いタオルケット。大人気アニメ、獲物フレンズ、通称エモフレのキャラクター達が可愛らしいタオルケットは結愛のお気に入り。

 寝ぼけ眼の結愛は開かれたままのパソコン画面を覗き込んだ。


「……はっ、きゅうび?」


 結愛は首を傾げた。寝癖のついた黒髪がはらりと流れる様は五歳児とは思えない程に美しく、そして愛らしい。ジト目で画面を見つめていた結愛だが、結局読めたのは振り仮名の付いた漢字とひらがなだけな訳で、


「リョウヤ君、お仕事もしないで何してたのでしょう。あ、でも、この絵……」


 結愛の視線の先には九尾の狐のイメージイラストが映し出されていた。

 結愛の瞳が煌めく。結愛は項垂れる涼夜を後ろのソファーに押し倒し、——まるで座椅子をへし折るように押し倒し、涼夜の膝の上に座ると上手にマウスを駆使する。しかし、グルグルの画面はトップページに戻ってしまう。

 グルグルとは、検索エンジンのことだ。

 検索トップページに移動したことで九尾の画像が見れなくなってしまった訳で。内心穏やかではない結愛の表情が強張る。


「ど、どうすればさっきの画面に……?」


 残念ながら結愛はキーボードまでは打てない。しかし希望はまだあった。検索履歴だ。昨晩涼夜が検索したであろう『きゅうび きつね』というワードが履歴に表示されているのだ。結愛は迷わずそれをクリックする。

 画面が切り替わり文字の羅列が結愛の眼前に広がる。画面上に表示された『画像』という文字をクリックする。

 画面は再び切り替わり九尾の狐のイメージ画像がズラリと表示された。その殆どがリアルな狐の画像。尻尾が九つの狐の画像だった。


「はわっ、き、きゅうび……」


 結愛はキッチンにいるケモミミ少女の尻尾を見やる。陽気なリズムで上下左右に揺れるソレは正に九尾の狐のソレだった。揺れる度にワイシャツが捲れて白い太ももと白桃が覗く。

 結愛は画像をクリックした。画面一面に画像が表示され、その下にその他の画像も表示される。


「……はっ!」


 結愛は見つけてしまった。

 九尾の狐が擬人化したイラストを。


「エモフレ!」


 瞳に輝きが満ちていく。所謂、擬人化少女のソレがキッチンで尻尾を振るケモミミ少女とほぼ完全に一致していた。結愛は反り返りながらも眠る涼夜の顔面に手を置きグッと立ち上がりキッチンの方へ歩いて行くと少女を見上げた。


「あなたは、きゅうびなのですか?」

「キュ?」


 少女は首を傾げる。


「エモフレ、じゃないのです?」

「キュウ……?」

「もうエモフレでいいですよね?」

「キュ……キュキュ、キュウ!」

「決まりです。あなたは今日から結愛のエモフレです。そうですね、名前は……」

「キュウ!」

「はい! キュウ。あなたはキュウです」

「キュウ〜!」


 ケモミミ少女改め、キュウはドヤ顔で宣言する結愛をギュッと抱きしめた。結愛の小さな身体はすっぽり収まり顔は谷間グランドキャニオンに埋まる。谷底で呻きながらもその柔らかさに身を委ねる結愛だったが、すぐに呼吸困難に陥り顔を上げた。


「苦しいのです、キュウちゃん……」


 キュウは、はっとした表情で結愛を解放した。そして立ち上がると鍋の火を止めた。

 味噌汁の香りがリビングに満ちると、結愛のお腹の虫がキュゥゥ、と可愛らしい鳴き声をあげる。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 リビング。ローテーブルを囲むのは寝起きの涼夜と結愛、——そしてキュウ。

 食卓に並ぶのは白米、味噌汁、だし巻き卵、そして『きゅう○のキューちゃん』だ。きゅう○のキューちゃんとは、東○漬物が製造し販売しているきゅうりを醤油漬けにした漬物である。


「えっと、こ、これは君が?」

「キュウ!」ドヤァ


 涼夜は寝ぼけ眼に映る和の朝食に驚いた。しっかり三人分用意されていることにも驚く。

 結愛のに腰を下ろしたキュウ。彼女は笑顔を浮かべ、召し上がれといった仕草を見せた。涼夜が恐る恐る箸を取ると、結愛が両手を合わせた。


「リョウヤ君、いただきます、ですよ?」

「そ、そうですね、失礼。それでは、い、いただきます」

「いただきます」


 味噌汁、キューちゃん、白米、だし巻き卵、白米、味噌汁。涼夜は無言で食べた。味噌汁の湯気で眼鏡が曇るのも気に留めず。

 一方、結愛もゆっくりだが一品一品を大事に口に含み、瞳を丸くしながら頬をほんのり染める。

 キュウはそんな二人を交互に見つめては瞳を瞬かせた。二人の食器が綺麗になるのに時間はそうかからなかった。


「……久しぶりですね……ちゃんとした朝食を食べたのは」

「結愛の焼くパンでは不服ですか、リョウヤ君。でも、とても美味しかったです。なんだかとても……な、なんでもないのです」


 凄い勢いで食べ切った二人に少し驚いていたキュウは、自らの食器に残っているだし巻き卵を二つに切り分け、それぞれの皿に。そして立ち上がるとお碗を手に取り白米をついで帰ってきた。おまけに味噌汁もおかわりを用意する。


「え、でも、それは君の……」

「リョウヤ君、君じゃなくて、キュウです」

「え……そうですか。この卵焼きはキュウの分ですよね……」


 思わずキュウという名を受け入れてしまった涼夜の言葉にキュウは首を横に振り笑顔を見せた。


「食べてもいいのですか?」と、キュウを見上げた結愛の頭を優しく撫でて頷く。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 結局、おかわりを堪能した二人と、それを見てどことなく満足げなキュウ。

 キュウは食器をキッチンへ運ぶ。


「私も手伝います」

「キュ! キュンキュン!」

「え?」


 首を横に振るキュウ。ここは任せろ、そういった表情で涼夜のキッチン入りを断固として拒否する。

 涼夜が右から攻めるとキュウは左に一歩踏み出しブロック、左から通り抜けようとすると、右側をしっかりガードされた。

 その都度、無駄におおきな双丘も揺れる。


 揺れるプルン揺れるプルン揺れるプルン——


 結局根負けした涼夜は頭を掻いて「そ、それじゃあよろしく頼みます」と踵を返した。

 ローテーブル前に結愛がペタンと座り、見事に追い返された涼夜を見上げる。涼夜は隣に腰掛け結愛の見ているパソコンの画面に視線を送る。


「へぇ、これはよく似ていますね。もしかしてあの子はこのキャラクターのコスプレイヤーなのでしょうか?」

「だからキュウは本物のエモフレです!」


 画面に映る白い髪のケモミミ少女のイラスト。瞳の色こそ異なるものの、頭のピンと伸びた耳も九つの尻尾も良く似ていた。


「キュウはきっと新しいエモフレなのです。結愛に会いに来たのです。だから飼います」

「駄目ですよ、ヒトを飼うなんて」

「ちゃんとお世話もします」


 涼夜は頭を抱えた。成り行きとはいえ他人を、しかも女性をいつまでもここに置いてはおけない訳で。ましてや飼うなど。結愛は黙ってしまった涼夜を睨み頬を膨らませる。


「それなら、やといましょう」

「結愛ちゃん、雇うなんて言葉いつ憶えたのです?」

「リョウヤ君の子供向け小説を読んでいると、言葉は自然とおぼえます。ルビのふられていない漢字は読めないものもあるのですが。この前のたんぺんも、もう少しちゃんとルビ振りをしてくれないと、結愛には読めません」

「厳しい担当さんですね……」


 涼夜は小中学生向けの小説を得意とする作家。とはいえ、結愛は保育園児なのだが。


「私の小説を読んでくれているのは嬉しいのですが、やはり飼うのも雇うのも駄目です」

「リョウヤ君のケチ」

「そういう問題ではありません。彼女にも家族があって、皆んな心配しているかも知れないのです」

「……か、飼うのです!」

「結愛ちゃん? ワガママは駄目ですよ?」

「リョウヤ君嫌い」

「ゆ、結愛ちゃん……いや、しかし、そ、そんなワガママは聞けませんよ?」

「リョウヤ君の嘘つき。ワガママを言ってもいいって言ったじゃないですか」

「時と場合によります」

「飼います」

「駄目です」

「結愛がお世話するのです」

「絶対駄目です」

「か——」

「——駄目ですよ、結愛ちゃん。ヒトを飼うなんて出来ません」

「……ぁ……ぅ……」


 言い争う二人が視線を感じ振り返ると、うら悲しげに眉をひそめるキュウの姿があった。


「……キュゥ」


 キュウはペコリと頭を下げて不器用な笑顔を浮かべ、激しく揺れる胸も気にせず外へ駆け出してしまった。玄関の扉がバタンと閉まる。閉まった扉に尻尾が挟まる。


「ギューー!?」


 短めの悲鳴だけを残し、謎のコスプレ少女は去って行った。


「キュウちゃん!」


 追いかけようとした結愛を涼夜が制した。キュウは振り返らず駆け足で去ってしまった。

 当然、結愛はご立腹である。折角会えた大好きなエモフレをみすみす手放したくなかったのだろう。大人ぶった性格をしていても五歳の保育園児、夢のような展開に胸が躍っていたに違いないのだ。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 昼過ぎ。涼夜は廊下に立っていた。


「結愛ちゃん? お昼が出来ましたよ? 朝の残り物ですが」

「……おなかすいてません」


 すっかり機嫌を悪くした結愛は寝室に閉じこもっている。この現象は高遠家の定例行事のようなもので、その間、涼夜の入室は禁じられてしまう訳だ。


「おやつもありますし、機嫌をなおしてくれませんか?」

「おやつで釣られるほど結愛は安いおんなじゃないのです。バカにしないでください」

「……エモフレの動画見てもいいですから」

「エモフ……! べ、別に見たくないです」

「そうですね……ちゃんとお昼ご飯を食べてくれたら、この前結愛ちゃんが欲しいって言ってたエモフレのキーホルダーを買ってあげます」


 暫しの沈黙、——待つこと数分。開かずの扉が開いた。お気に入りのチュニックワンピに着替えた膨れっ面の結愛はスタスタと小走りでリビングへ向かうと定位置に座る。


「リョウヤ君、はやく食べますよ」

「あ、はい……」


 苦労の末、結愛を部屋から連れ出す事に成功。

 この後、エモフレのキーホルダーを三つ買わされた涼夜だが、その甲斐あってか寝室への入室許可はいただけた訳だ。


 それから二日——

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