第2尾【飼います、駄目です】


 自宅の玄関を開けると見知らぬ少女、——正確には、見知らぬコスプレ少女が出迎えた訳だが、当然、不法侵入者、または空き巣と判断された。

 涼夜は無意識に結愛を下がらせ、自らの身体で守るように立ち塞がった。

 そしてスマホを取り出す。


「ひとまず、警察を呼びましょうか」


 少女は大きな翡翠色の瞳を瞬かせては暫く考えるような仕草を見せ、何かに勘付いたかのように垂れ目を丸くした。


「キュキュキュキューキュキュッ!!」


 両手を前に出し首を大きく振る少女だが、涼夜は気にすることなくスマホの操作をする。

 その間も少女はキュゥキュゥと鳴きわめき、遂には床にへたり込んだ。大きな胸がバインと弾むが、涼夜は冷徹を貫く。


「泣いても駄目です。色々と困っていたのでしょうが、盗みはいけないことですからね。空き巣くらいならそう重い罪にも問われないでしょうし、ここは観念して——」

「——キュゥーーーーーーッ!!」


 怒涛の如くすがり付くケモミミ少女を淡然たる表情でじっと見つめる結愛はふと涼夜を見上げた。涼夜は少女を無視してスマホの操作をしている。もはや待った無しである。

 涼夜がスマホを耳に当てる。少女は泣き腫らした顔で俯き涼夜から手を離した。

 いちいち胸が揺れるが、その揺れもどこか寂しげな揺れである。


「リョウヤ君……」


 その声を掻き消すように涼夜が口を開く。


「あ、もしもし、警察の方でしょうか? あ、はい、実はですね——」

「……リョウヤ君……ねぇ、リョウヤ君……!」


 結愛の小さな声は通話中の涼夜に届かない。それならばと、結愛は声を張り上げた。


「リョウヤ君! やめてあげてください!」

「……え、ゆあちゃ、あ、あぁ、すみませんっ……その、ま、間違いだったみたいです……あ、はい、申し訳ありません……」


 涼夜はスマホをしまい膨れる結愛に振り返る。少女はと言うと、丸くなった垂れ目を瞬かせ結愛と涼夜を交互に見る。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 リビング。

 涼夜は頭を抱えてスマホと睨み合っている。

 浴室からはシャワーの音と二人の話し声。珍しく声のトーンが高い結愛。とはいえ、表情は真顔と推測される。

 結局のところ結愛の上目遣いに負けた訳だ。

「ギュー!?」

 この期に及んでまだキャラを通すコスプレ少女の鳴き声、——というより悲鳴がリビングにまで響く。涼夜は再び頭を抱えた。とにかく話を聞かないことには始まらない、そう自分に言い聞かせ、かろうじて平静を保つ。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 再びリビング。

 涼夜の正面に座るのは思春期の少女を彷彿とさせる白髪の女の子。実年齢は不詳、勿論、名も知らない。

 涼夜のワイシャツ一枚を羽織らせると、小さな身体はある一部分を除きすっぽり収まった。シャツからスッと伸びる白い脚と尻尾が妙に色っぽい。

 その横に座りお茶を飲むのは結愛。


「さて、本題に移りましょうか。まず、名前は?」

「キュゥ!」

「家はこの辺ですか? 親は? もしかして家出か何かですか? そもそも未成年ですよね?」

「キュゥ……キュッ!」


 少女は謎のポーズをとるが、涼夜はそれを無視して質問を続ける。


「それに、どうやって入ったんですか?」

「キュゥ〜?」


 白いワイシャツを着た少女は首を傾げる。すると結愛が徐に口を開いた。


「リョウヤ君、このエモフレ、本物ですよ」


 結愛の言葉に激しく頷く少女。その都度揺れるたわわな果実から目を逸らした涼夜はため息を一つついては結愛に視線を合わせる。


「本物とは、どういうことでしょう結愛ちゃん?」

「ですから、言葉のままですよ、ほらっ!」

「ギュゥゥァーーッ!?」


 結愛が少女の尻尾を引っ張る。すると少女は心底痛そうに叫び瞳に涙を溜める。


「結愛ちゃん、いくらエモフレが好きでもそれは無理がありますよ。これはコスプレです。

 はぁ、もういいですよ。警察には言わないので、お家に帰っ——」

「——飼います!」

「え?」


 黒縁眼鏡が盛大にズレ落ちる。


「飼います。ちゃんとお世話もします」

「駄目です」

「む……見て下さい、おっ○いもこんなに大きいのですよ? このエモフレ! リョウヤ君、おっ○い好きじゃないですか」

「何故それを……いや、確かにワイシャツが悲鳴をあげるくらいには大きいですが、じゃなくて、子供がおっ○いおっ○いと連呼しない」

「リョウヤ君、やっぱり見てたのですね。エッチです、サイテーです、その分厚い眼鏡の奥で何を見ていたのですか、はぁ、結愛はかなしいです」

「と、とにかくです」


 涼夜はズレた眼鏡の位置を戻しながら立ち上がる。


「会話もする気がない人を、家に置いてはおけません。ましてや知らない人です」

「キュゥ……」

「駄目なものは駄目です」


 少女は俯き肩をすぼめてしまう。それを見た結愛はフグのように頬を丸くし、少女の手を取りリビングを駆け出した。そして、


「リョウヤ君のバァカ!」

「あ、結愛、ちゃん……え、えぇ〜」


 バタン、と扉の閉まる音が静かなリビングに響く。寝室に連れて行ってしまったようだ。

 涼夜は後を追おうとしたが、

「来るなです!」と一蹴された。とはいえ涼夜の寝室でもあるのだが。

 実害は無さそうな少女ではある。それは話していて、——否、会話にはなっていないが、話していてもわかる。しかし、見ず知らずの他人であり、そもそも不法侵入者である事は明確。更にコスプレ変態の容疑もかかっているときた。


 涼夜はローテーブルの上のスマホを手に取りロックを解除した。


「やはり通報ですかね」


 涼夜は独り言を吐きスマホをローテーブルに置き寝室へ向かった。寝室の前で立ち止まり結愛に声をかける。


「結愛ちゃん?」


 返事は沈黙を持って為される。少し脳内で思考した涼夜は、意を決して部屋のドアノブに手をかけた。娘を他人には預けられないのは当然な訳で。

 しかし、


「来るなですっ!」と再び一蹴された。

 何度も言うが寝室は二人の寝室である。もう一部屋は涼夜の仕事部屋なのだ。


 気配察知のスキルで一蹴された涼夜はドアノブから手をはなす。やれやれと頭を掻いた涼夜だったが、彼女の危険度は極めて低いと判断した。軽率な判断だが、こうなった以上は仕方がない。

 言葉の通じない尻尾の生えた少女。アニメや漫画でよく見る類の生き物。

 涼夜は思考を巡らせる。

 九つの白い尻尾、白い髪に天に伸びるようにピンと立った耳。


「九尾の狐……いや、まさか……コスプレ家出少女でしょう……最近ラノベでもよく見る」


 諦めて脱衣所に到着。

 洗濯物のカゴには結愛のワンピースと可愛らしい下着、——そして少女が着ていた白いワンピース。

 涼夜はそれらを洗濯機に放り込む。ボタンを押すとドラムが試運転を開始、後、水が注がれていく。機械音と共に再びドラムが回転を始めた。

 それを確認した涼夜は手早くシャワーを済ませるのであった。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 髪を乾かした涼夜は部屋着に着替え脱衣所を後にした。廊下、寝室の前で立ち止まる。


「結愛ちゃん?」


 返事はない。更にドアノブを握る。気配察知のカウンター攻撃も無し。涼夜は扉を開けた。

 部屋にベッドは二つ。涼夜と結愛の二人分だ。

 片方のベッドの上で丸くなった結愛と、そんな天使を優しく包み込み眠る少女の姿が確認出来た。


 涼夜は二人の寝顔を見つめ、切れ長の眼を細め、唇を噛みしめた。


「…………」


 今にも漏れそうな言葉を飲み込んだ涼夜は、二人を起こさぬよう静かに部屋を出るのだった。


「……さて、今夜も徹夜ですね……」


 涼夜は自室からノートパソコンを持ち出し、リビングへ移動した。

 パソコンの電源を入れる。

 ロゴが表示され無事に起動した。涼夜の夜はこれから、——三日以内に今の原稿を仕上げなくてはいけないのである。子育てと作家の両立。

 不器用な涼夜は今、結愛と、そしてある約束の為だけに生きている。


 夜が更けていく——


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