報復のマリーゴールド
小鉢
第1話 はじまりの朝
「おい! 休むな! 働け!」
兵士は叫ぶとライフルを逆さに構え銃床で幼女を殴りつけた。
小さな軽い身体が宙を舞い地面に叩きつけられる。
「おい、やめとけ」
別の兵士が、乱暴な行為をたしなめる。
街の郊外は、人で溢れていた。
ライフルを背負う多くの兵が行き交い、汚い身なりの奴隷達は、荷物を運んだり、塹壕掘りやレンガ積みにと男女問わず休むことなく動いている。
「ちっ、灰色鼠の奴隷を庇うのかよ」
眉間にしわを寄せ地面に唾を吐くと、離れた場所で先程の幼女がフラフラと立ち上がった。
この辺りの空気は淀み、大地に生えた草の色が濁って見える。
「あれに、同情かよ、どうかしてるぜ」
乱暴な兵士は、悪臭に耐えかね鼻をつまみ、蔑みの視線を同僚の兵士に向けた。
フケまみれのべっとりとした髪、垢と埃まみれの身体は汚れた灰色に染まっている。
背格好から幼女だと推測できるが、正に、灰色鼠と呼んだ方が相応しい姿。
彼女は、身の丈の倍はある荷物を軽々と持ち上げ、大小様々な灰色鼠達の集団の方に向かっていた。
「あれが、人かよ……、化物め……」
灰色鼠の一生は定められている。
奴隷として働き、そして死ぬ、ただそれだけだ。
それでも、教育などとは縁遠い彼らは、その運命を疑問無く受け入れ、本能に従い生きる為だけに、昼はよく働き、夜は欲望を満たす為、性行為にふけ、子を増やす。
魔力適正が高く、一度は、世界を支配したこともある一族の末路がこれだ。
彼らの愚鈍さに、帝国に敗れた時の己の処遇を思い、兵士は身震いをした。
「帝国の奴ら、攻め込んで来たら、ぶっ殺してやる」
「ああ、その為の準備だ」
冷静だった兵士は、作業を急かす為、灰色の奴隷達の足元に銃弾を放った。
奴隷達は、小さな悲鳴を上げた。
高校の入学式、その来賓席で老人は胸に手を当て、自らの鼓動に耳を傾けていた。
ドクドクドク、力強い音、指先の血管が収縮するのを感じる。
この世に生を受け、休む事なく続く営み。
その血流に混じる彼女に思いを馳せ、微笑み、ついには憎々しく思い表情を引き締めた。
背広姿の若い男性が目立たぬよう注意を払いながら老人に近づき耳打ちをする。
入学式の司会が困り顔で老人に視線に送ると、彼は頷き、「手短に済ませるから大丈夫」と引き止める男性の手を振り払い壇上に向かった。
「学院の創立者、ウェイン=ライト国政議長より、ご祝辞を賜ります」
「入学おめでとう、そして一つ訂正をさせてもらおう、私もこの学院の卒業生で、君たちの先輩だ。だから、私は創立者ではない、ただ、帝立魔法学院から国立に名前を改名しただけだ」
ウェイン国政議長の言葉を聞き司会は両腕を交差させ発言の撤回を求めた。
それを無視し、ウェインは話を続ける。
「そう、改名しただけだ。昔から学院の自由な気風は変わらないし、実力主義で貴族以外の平民も入学出来た。階級社会だった今から七十年前の帝国時代にも自由は存在したのだよ」
ウェインの祝辞は近年、過激さを増していた。
「年寄りの感慨はこれだから困る。もう少し立場を考えて頂きたい」
司会は腕組みをし小声で不満を呟いた。
「マリーゴールド、黄色の小さな可愛らしい花の名前。私はこの言葉を聞くと、ある女性を必ず思い出す。私がこの手で断罪し処刑した
壇上の両袖から黒服の男達が飛び出してくる。
「下がりなさい! 君たちでは、到底、私には敵わない」
ウェインが手をかざすと黒服達は尻もちをついた。
「新入生諸君、改めて入学おめでとう。今から、最初の授業を始めよう! リズ=ローズウッド、【報復のマリーゴールド】と呼ばれた彼女の罪と功績を包み隠さず教えてあげよう!」
入学式の会場、大聖堂の全ての扉が一斉に閉ざされ静寂が支配する。
「どうせ、外は嵐だ。しばらく、私の話に付き合っても損はしないさ」
そう言うと、ウェインは柔和な表情で語り始めた。
「リズ=ローズウッド、彼女はここの学生だった……」
学院から少し離れた場所に閑静な住宅地がある。
空は厚い雲に覆われ、街路樹は激しくその身を揺らしていた。
ひどい嵐、稲光が世界から色を奪い、後から遅れてついてくる轟音がそれを締めくくる。
暴風は口笛を吹きながら空気を切り裂き、雨粒が窓にぶつかり弾けると大きな音を奏で部屋を揺らす。
少女は、ベットから飛び起き目覚まし時計を見て絶望した。
「やだ! これ、壊れてるんじゃないの?」
沈黙は罪とばかりに目覚ましを壁に投げつける。
そして、昨晩、寝付けないので全ての音を遮断する【静寂の結界】を張ったのを思い出し、床に転がった目覚ましをさらに蹴飛ばした。
「根性無しっ!!」
目覚ましなら結界を破るぐらいの気迫を見せて欲しいものだ。
「急げば、まだ間に合うかしら?」
パジャマを脱ぎ捨て前かがみでブラのホックを止める。
「遅刻だよ、バカ」
頭の上で小動物がやかましい。
「入学式は始まったばかりのはずよっっ」
もうっ! 猫なら語尾にニャーとか付けたらどうなのよっ!
使い魔の黒猫を叩こうとするが避けられた。
「いたっ」
コツンと頭を叩き、背後ではベットの上にフワリと黒猫が降り立った気配がした。
「ホントッ、生意気な奴! もっと私を敬いなさいっ、クロ!」
物心ついた頃から一緒にいる使い魔には、大いに不満がある。
ちっとも役に立たない!
使い魔とは、もっと便利な存在なんじゃないの?
「なら、ちゃんとした名前を呼べよ!」
語尾はニャーなの!
可愛くない!
部屋の扉が開いた。
「ノックぐらいしてよ、着替え中よ!」
「なら、悲鳴を上げなさい」
「そうよ、女の子が下着姿で仁王立ちは良くないわ」
「お母さん、ちゃんと起こしてよ! お父さんは、早く仕事に行って!」
ブラウスの袖に腕を通し、髪に櫛を入れ寝癖を整える。
髪が長いとやっぱり面倒くさい、やっぱり、バッサリと切ろうかな……。
「お父さんの仕事は休みになったのよ」
「あっ、じゃぁ、入学式は延期?」
ラッキー!
「入学式はやってるぞ、さっきまで議長の祝辞が中継されてたからな」
なら、起こしてよ! バカッ!
「お父さんにバカって言いぐらいだ、議長の名前ぐらい覚えてるよな、リズ」
「おじいちゃんでしょ、お父さんのバカッ」
これだからお父さんなんて大嫌い、バカバカバカ!
「ウェイン=ライト、政治に興味が無くてもこれぐらいは覚えて置きなさい、ねぇ、母さん」
「おじいちゃんにも興味無いわ、ねぇ、お母さん」
制服を着込み、姿見の鏡でくるりと身体を回しながら確認する。
よし! 美人、美人!!
「リズ、こっちに来なさい」
お母さんは、そう言うと、私の前髪をいじり、カチューシャを付けてくれた。
「おでこ……」
俯き加減で恥ずかしさを紛らわす。
額が広いから、前髪を上げるのは好きじゃない。
「自信持ちなさい、断然、可愛いわ、世界一よ! 抱きしめちゃうっ」
ギュッとされながら、私は大好きなお母さんの甘い香りに包まれた。
それにしても、お母さんのおっぱい大きいな……、私も成長するのかな……、でも、それはそれで色々面倒くさい気もする。
「子供ぽくない?」
お母さんの腕から解放されたので気になることを聞いてみた。
「世界一の……」
お父さんが抱きついて来たので腕を伸ばし抵抗した。
寄るな! 汚い!
「大丈夫よ、美人、美人」
お母さんの言葉を聞きながら、ローブでしっかりと身を包み愛用のホウキを呼び寄せる。
「今日は、欠席したら? 外は嵐よ」
「お母さん、これぐらい大丈夫よ。それに、皆んな出席してるんでしょ?」
「多分、出席してるのは寮の子たちじゃないかしら?」
窓の前に立つと背中からお母さんの返事が聞こえた。
魔力を放ち両開きの窓を開く、一気に風が流れ込む。
部屋がメチャクチャだ。
使い魔の黒猫が肩に飛び乗って来た。
あら、珍しい、いつもは部屋で一日中ゴロゴロしてるのに。
「風を防ぐ結界を張ってから窓を開けなさい!」
お父さんは、うるさいなぁ。良いじゃん、急いでるんだから、バカッ!
「ごめんなさい、部屋の片付け、お願い! じゃあ、行ってきます!」
ホウキに跨り嵐の中に身を乗り出した、これぐらい平気、私は魔術の才能だけには自信があるんだから!
「もうっ、困った娘……、気をつけるのよ!」
お母さんの声が聞こえ、稲光が視界を奪う、同時に雷鳴が私の意識を奪い去ったのを感じた。
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