山田家の事情
それはとある12/31の事だった。山田一家は衝撃の事実を知ることとなる。
炬燵のぬくもりを逃さないように三重にした炬燵布団をまくしあげ、肩まで入りながら三姉妹の次女である千鶴は、お得意のマスカラも三重に盛りながら、末の妹をからかおうと、美香の髪の毛を結っている青いリボンをつついた。
「美香っていつ彼氏出来るの?」
千鶴を睨んでリボンを直す美香は、鉛筆片手に受験勉強をしながら、カウントダウンが終われば部屋に戻ろう、と心に決める。
「千鶴ネェだって今いないでしょ」
「あたしはいいの! 来年には大金持ちの彼氏作って結婚して一生左手団扇だもん」
父親の徹は新聞に顔を埋め、娘たちの言い合いを背に、五年前死んでしまった妻、陽子の写真を見やり、線香を買ってこよう、と考えている。
長女の夕里子が、「ねえ、みんな少しはおせち手伝ってよ」と嘆いて、千鶴が「ゆりネーはいつ結婚するの?」と今度は独身の夕里子をからかう。
そんな家族の団欒をしている、12:55分のこと。
「あ、年明けた」
と、誰かが言った。
「まだ5分も前よ。せっかちね美香」
夕里子が笑うと、美香は「あたしじゃないよお。千鶴ネェじゃないの?もうやだあ」とふくれっ面をする。
しかし千鶴も、口紅を塗り替えながら、「あたし言ってないよ?」と真面目な顔で鏡を見つめるのだった。
徹は、「じゃあ誰が言ったんだ? まさか」と、若き顔写真にうつった陽子の顔を見つめる。
そんなやり取りをしているうちに、テレビの中で芸人や歌手が手を叩き、カウントダウンが終わる。
「じゃあ、挨拶言ってくるな俺」
炬燵布団から顔を出し、尻尾を揺らしたのは、山田家で飼っていた猫のトラだった。
1/1、トラが化け猫だった事を山田一家は揃って知ったのだった。
トラは毛づくろいをしながら、「いつから喋れるようになったかなんて野暮だぜ、俺は最初からお前らに話しかけてたんだぜ。それを知らんぷりしてたのはお前らの方だろ。今更、話が通じるからってそう驚かれちゃ、たまんねえな」
と言った。
徹は、「よーしトラを喋る猫としてオークションにかけよう」と嬉しそうにしたなめずりし、美香は「トラって一人称俺なんだねえ」と感心して鉛筆を放り出して、千鶴は「なあに化け猫になるには早いんじゃないトラ!」と大笑いしたが、夕里子は少し困った顔で「ねえお蕎麦食べるの忘れちゃったじゃないの、どうしてくれるのよトラさんたら」と腕を組んだ。
その夜から数日も経つと、山田家ではトラが喋ることが当たり前になった。
トラが外の空気を吸い込むと、少しお腹が鳴って、ふと思いついた顔で、美香の部屋へ入る。
まだ寒いのに窓を開けて、思いを馳せたように頬杖をつく美香の髪が、冷えた風に揺れる。
「なあ美香。おかかくれよ」
トラが窓辺に飛び乗って、言うと美香は少しびっくりした顔で、トラの鼻先を撫でた。
「なんだトラか。あんた、さっき食べてたでしょカリカリ」
トラは鼻先にある美香の指をひと舐めして、「美香はそんなに隣の家のコウタが好きか? 俺がなんとかしてやろうか?」とおでこも差し出した。
美香が、いつも数ヶ月前に引っ越して来たお隣のコウタを見るため、この時間は窓辺で外を見ながら心を上の空にしているのを、トラは知っていた。
「優しいんだねトラったら。本当、猫の手も借りたいくらい、通じそうにない片思い。いいよ、おかかくらい、あげようね」
美香の手に頭を埋めて食べるおかかは絶品で、トラはしたり顔で舌を口周りにベロリと回して、「美香。安心しろ、なんとかしてやる。俺に任せとけ」と言うと、次は千鶴の部屋へと忍びこむのだった。
千鶴は、塗ったマニキュアの蓋をそうと閉めて、それから、ため息をつく。スマートフォンの画面に出てる文字に目を伏せ、ため息をつく。
「千鶴、ニボシくれ」
トラがベッドの上に乗って言うと、脚でトラの体を撫でた千鶴が、「あんた口の周りおかか臭いくせに」と笑った。
「美香はお隣のコウタが好きらしい。どうにかしてくれ千鶴」
「へーっやっと色気づいたか美香め、、」
トラは千鶴のお腹に乗って、見下ろすように千鶴を見る。
「千鶴、お前は優しい人間だと俺は知ってる。墓まで持っていく嘘の荷が重けりゃ、俺も一緒に持ってやるよ」
千鶴はおもわず涙が出て、トラを抱きしめると、喉を鳴らす猫のぬくもりと匂いに癒された。
「不倫なんてしたくなかったよ、ただ好きになった人が、既婚だっただけ。だけどあたし、二番目なんてべつになりたくないのに」
泣きじゃくる千鶴の涙を舐めとるトラのおかげで、メイクも落ちてしまった千鶴が、「ありがとうトラ」と言って、ニボシをくれた。頭からポリポリ食べ尽くした頃には、千鶴はいつものように笑っていた。
徹のそばに座ると、何も言わずしても徹は猫缶をくれて、夕里子が仕事から帰って、陽子の写真に手を合わせ、出かけていくのをトラは目ざとく見つめて、するりと誰にも気づかれない格好でついていく。
「夕里子、今日も行くのか?」
夕里子はマフラーを巻きなおし、「あらトラさんにはお見通しなのね、いつから知ってたの」と笑うが、それは影深い夜に紛れていた。
「なあ、言えばいいだろみんなに」
トラは夕里子の歩幅を計算して並んで歩く。
夕里子は少し黙って、「いいの。お母さんの秘密は私が守るのよ、長女だからね」と言って、とある施設へたどり着く。
ケンジは、陽子の隠し子で、徹の知らない子供だ。
「こんにちは、今日は寒いわね」
夕里子が通い慣れた風に荷物をかけてケンジに話しかけると、生傷の絶えない手足をのばし、ケンジはトラを指差した。「にゃあ」トラは猫そのものの声を出す。
ケンジが雑に撫でたりしながら、その日は夕里子もいつもより楽しそうなケンジとの会話が終わった。
「ついてこなくてよかったのに」
夕里子が帰り道に言うと、トラは眠たそうな顔で、「俺も山田家の長男だからな」と言った。
トラがケンジの事を家族に話したのは、それから三日ほど経った頃合いだった。
「あいつにはあわないのか? 」
日曜日、家族が全員で夕食をとっている時だった。
夕里子は黙ってトラを睨んだが、そのせいで目敏い千鶴が揶揄った。
「なあに彼氏でも出来たの?」
美香も興味津々といった風で本から顔を上げている。
徹は、複雑そうな面持ちで、そういう年齢なんだよな、と呟いた。
しかしトラは、
「違うよ。ケンジは陽子の子供だ」
と言った。
それで、夕里子がトラを箒で殴ったから、千鶴が箒を取り上げ、耳を伏せて縮こまったトラは威嚇して外へ出てしまった。
トラは屋根の上に登って、今夜はニボシもおかかも恵まれないだろうなと考えたら、物悲しくなってきた。
言葉なんて、通じなければよかったな。
ぽつりと、つぶやいて眠りについた。
それからというもの、トラは特に夕里子には近づかなくなったが、夕里子がある日トラの前に座った。
「トラさん。お父さんが言うの。ケンジくんを、引き取ろうって」
そうして夕里子は泣いた。
トラは、よくやったな、と言った。
けれどその言葉はもう、通じなかった。
トラはただの猫に戻ってしまったから、翌日には意識を手放した。
美香は隣の家に行き、インターフォンを押す。千鶴は不倫を辞めたついでにマニキュアも辞めたそうだ。徹はケンジを見て第一声に、陽子そっくりだ。と言って泣いた。
夕里子はそんな日々の出来事に、トラを思い出す。
トラは、陽子の想いを繋ぎ、そして死んだのだろうか。
もうすぐ、また年が明ける。けれど、もう猫は飼うことがきっとない。そう思った家族の中で、ケンジが猫を拾ってくるのはもう少し先の話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます