短編集です

やまかわあいこ

迷子の辿り着いた先


私は方向音痴だが、迷子になっても慌てないという特技を持っている。

世の方向音痴はきっと、大半がこんな呑気者ではなかろうか。


喫茶ピノキオは、藪の中に建っている。赤茶色の苔むしたレンガ造り。アイビーの蔦に覆われたカッコいい廃墟だな、と初めて訪れた時は思った。

よくよく周りをぐるりと歩いてみれば、正面玄関にはOpenの看板と、ホワイトチョコレイトみたいなドアがあった。

乾いたドアベルを鳴らして足を踏み入れると、床板のパイン材が軋んで味わい深い音がした。

ここだ、そう思った。

赤いバラとかすみ草がわんさか大きな花瓶に挿してある。頭上にぶら下がったペンライトはべっこう飴みたく優しい明りを照らしていた。

革張りのレモン色したソファは腰を沈めると、もう戻ってこれないような愉快な心地にさせる。

店主はいないのか、と見回したら、髭のあたりに白髪が混じった、ちょうど祖父くらいの男性が白いシャツに青いエプロンという出で立ちで煙草をくゆらせて奥に居た。


「ドリンクなんにする」


新聞に目を落としながら言われたので、私に訪ねたことを把握するのに時間がかかった。


「えっと、アイスコーヒーで」


ようやく告げると店主は新聞を置いてグラスたっぷりの氷をざくざくにしたアイスコーヒーを目の前に出した。


「ランチする? ピザトースト、絶品だよ」


無愛想にそう言った店主に、逆らえない空気を感じた。結局、ピザトーストが目の前にやってきた。


無言で立ち去った店主は新聞にまた戻り、煙草を吸っている。よく見れば彼はロッキングチェアに揺られていた。


金持ちの道楽だろうか。正直、やる気がないようにしか見えない。


ピザトーストの端切れを齧ったら、無愛想な店主のことも、道に迷っていた自分も全て忘れた。

金持ちの道楽なんかじゃない味がした。

チーズとトマトソースとピーマン、玉ねぎ、ウインナー、そんなものが乗っているだけだろうに、これはたまらない。なにかの間違いじゃないのか、と思うほどに旨い。あの店主が作ったとは思えないほどきめ細やかな味わい。まろやかでスパイシー。


夢中で食べていたら、店主がそっとアイスクリームの皿を持ってきた。

何事かと見れば、やはり無愛想で無表情な店主が、

「あんまり旨そうに食うからよ。やるよ」

そう言った。

私は感激のあまり、

「本当に絶品でした」

と笑って見せたら店主は口の端を少し上げて照れていた。


「え? 帰り道がわかんない? なんだよお前さん、迷子かい。家はどこだ」

会計の際におずおずと訊ねると、店主は地図を書いて渡してくれた。

「それ見てわかんなかったらよ、もう一回ここに戻ってこいよ。そんでまた珈琲でも飲んで、そしたらまた地図書いてやるよ。わっはっは」

豪快なジョークと笑い声に励まされながら、なんとかして家に帰れたから、次はこの地図を頼りに喫茶ピノキオへ行くと心に決めたのだ。

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