第三章 困惑の村~ 誘惑と迫りくる術士の驚異(6)

「……そうか。ヤツはやはり、あの熱地に行ってしまったのか」

「はい。抜け駆けして申し訳なかった、死んでお詫びしたい、そうお話されていました」

 運試しの館での激闘から一夜明けた朝。

 ここは、シルクたちがお世話になった、年配の女性が暮らしている住居のほとり。

 相棒を血眼になって捜索していたあの兵士。相棒が悔いを残したまま息を引き取ったことなど、彼はシルクから伝言のすべてを聞かされた後だった。

 そんな彼は失意のあまり落胆に暮れるも、事の真相を知ることができて、どこかホッと胸を撫で下ろす様子も示していた。

「どうもありがとう。きみたちが看取ってくれただけでも、きっとアイツは本望だろう。死んでしまった相棒のためにも、俺は俺で、精一杯この闇魔界で生き抜いてみせるよ」

 その兵士は清々しい顔で言う。亡き相棒のお墓をこの地に造り、このまま村に残って、人間たちの運命の行く末を最後まで見守る、と。

 人間たちの未来は、あたしたちに任せてください。シルクはそう力強く宣言して、その兵士に微笑ましい笑顔を送った。

 お見送りのために外に出てきてくれた年配の女性、そして、兵士に見守られながら、シルクたちはこの二人と、さらに、困惑の村とも別れを告げる。

 彼女たちの目指す先とは、奇術師ガゼルが巣食っていた、あの運試しの館の跡地である。

「でも、よかったわ。あの館の小部屋の祭壇に隠し通路があったんだもの」

「きっとあの通路から、覇王三剣士がいる地へ辿り着けると思うワン」

 運試しの館に鎮座していた邪神を祭った祭壇。そこの裏側には、はるか奥の方へ通じているであろう地下道が隠されていたのだ。

 これは憶測の範疇だが、あのガゼルという魔族は、覇王三剣士がいる、さらなる奥地への道筋を封鎖する役目を担っていたのではないか? シルクたちはそんな思惑を抱いていた。

「あら?」

 シルクたちは館の跡地へ向かう途中の広場にて、穏やかな表情で瞑想に耽っている、インディアンの格好をした男性を見かけた。

 その風貌に見覚えのあったワンコーとクックルーは、お互いに顔を見合わせるなり、地べたに座り込んでいる彼のもとへ静かに歩み寄っていく。

「この村から、邪悪な気配が消えたようだ。インディアン、嘘つかない……」

 気難しそうな顔立ちだったあのインディアンが、とても晴れやかに、まるで別人のように破顔する。

 それを目撃したワンコーとクックルーはニコッと微笑んで、瞑想を続ける彼にお辞儀だけしてから、シルクのそばへと戻っていった。


 それから数十分ほど歩き続けて、シルクたちはもぬけの殻となった館まで到着した。

 激戦の末、どうにか撤退まで追い込んだ奇術師ガゼルの根城だったこの館。

 ここが廃墟となった今、もうこの村に、人間たちの私利私欲に付け込んだ痛ましい悲劇はきっと訪れることはないだろう。少なくとも、彼女はそう願わずにはいられなかった。

 館の小部屋にある祭壇の隅から、村の最奥へと通じる地下道を潜り抜けていく彼女たち。

 果たして、彼女たちを迎えてくれる大地に、探し求めていた覇王三剣士の姿は実在するのであろうか?



 シルクたちが一歩一歩越えていく地下道は、あの燃えさかるマグマに覆われていた、灼熱の熱地と隣り合わせの通路であった。

 土色の壁際こそ、熱気が伝わってくるほどの熱さだが、彼女たちはそれほど苦にならずに、その地下道の出口まで到着することに成功した。

 出口から外へ出てみると、そこには、高い塀が延々と立ちはだかる小道がジグザグに伸びており、そのせいもあってか、上空は明るいものの視界は思った以上に狭く感じられた。

 人の気配もない、塀伝いの風の音だけが耳を打つ、この閉塞感が漂う僻地。はっきり断定することはできないが、ここが困惑の村の奥地なのであろうか?

「あら……。ねぇ、水のせせらぎが聴こえない?」

 ジグザグにうねった小道をしばらく歩くと、ふと耳に入ってくるかすかな水の流れる音。

 安らぎを与える静かなる音色が、この付近に小川があることを物語っていた。

 案の定、背の高い塀が丁度終わる頃、小道の終端に辿り着いたシルクたちの目に、ゆったりとせせらぐ川の水色が映った。

 小川に架けてある木製の二つの橋。彼女たちはその一方の橋を越えていく。

「あ、姫。あそこに子供がいるワン」

 ワンコーが指し示した方角へ視点を合わせるシルク。

 そこには、まだ幼い男の子が二人、小川のほとりで水遊びを楽しんでいた。その純粋無垢なはしゃぎっぷりを見ると、ここが地獄の空間の一部であることを忘れてしまいそうだ。

 シルクたちは笑顔を振りまきながら、その二人の男の子たちのところへ近寄っていった。ところが、人見知りなのだろうか、見ず知らずの人物に驚いた彼らは、甲高い声を上げてそこから走り去ってしまった。

「わぁ、見たことのない人間が来たぞぉ!」

「大変だ、大変だぁ! 剣士様たちに知らせなきゃ」

 待って――! シルクの声などそっぽを向いて、緑に囲まれた建物へと入っていく子供たち。

 樹木に紛れるように佇む、三軒並んだ住居らしき建物。

 先ほどの子供たちの台詞や、この三軒という数字、どこか落ち着きのある雰囲気からも、ここが覇王三剣士の住まいと思わしきところだ。

 とりあえず様子を見るか、それとも、三軒連なる住居を訪ねてみるか、彼女たちはそれぞれ困惑した顔を突き合わせて相談する。

「……おい、人が出てきたコケ」

 シルクたちが逡巡としているうちに、子供たちが入っていった住居から一人の男性が姿を現した。よく見ると、その男性の後ろには、先ほどの子供たちがおっかなびっくり様子を窺っていた。

 端正な面持ちながらも無精ひげを生やした男性。スリムな体型を保護する軽量な装備、そしてその手には、一メートルほどの長さの長刀を固く握り締めている。

 それらしい身なりからして、この男性こそが覇王三剣士の一人に間違いなさそうだが、そんな彼の表情は、どこか険しく厳しさを映すものだった。

「あの、こ、こんちには……」

 元より敵意など持っていないシルクは、無防備のまま控え目に会釈をする。

 クールを絵に描いたような無表情を貫き通すその剣士。彼も敵意こそ示しはしないものの、彼女のことを冷めた目つきで見つめていた。

「キミはどこから来たのだ? ここへ見知らぬ人が来たのは、もう随分しばらくぶりだ」

「あたしたちは、苦悩の街からここまで来ました。この村に覇王三剣士がいると伺って。あなたがその、覇王三剣士のお一人ですよね?」

 剣士はコクリと頷くと、用件とは?と、シルクにすぐさま問い返してきた。

 彼女は真剣な眼差しを送り正直のままに答える。闇魔界から脱出する術、もしくは、それに関する何か思い当たる知識をお持ちではないか、と。

 闇魔界という魔族が支配する空間で、その名の通り、覇者のごとく修羅場を潜り抜けてきた彼らなら、きっと有用となる英知を持ち合わせているはず。彼女は敬意を払う剣士にそんな期待を寄せた。

 しかし、覇王三剣士であるその男性は、問いかけに答えないまま、おもむろに人工的な青空を見上げる。

「俺を含めて、我ら覇王三剣士は、人間界のとある王国の上級剣士だった。王国の富のため、王国の民のために、この命を惜しむことなくあらゆる敵と戦い続けて、我らは名声と栄誉を手に入れることができた」

 “覇王三剣士”と豪傑らしい異名で評されて、もう我らにかなう敵など存在しないと、いつしか、そんな自惚れのような自信過剰に酔いしれていく彼ら。

 人間界でいう今から数年前、彼らの王国に突如襲い掛かってきた魔物の群れ。王国の富と民を守るために、彼らは魔物討伐という名のもとに出陣する。

 その戦闘は思いのほか優勢となり、後退していく魔物たちを暗闇に包まれた洞窟へと追い込んだという三剣士たち。ところが……。そこからの深追いが悲劇の始まりであった。

「洞窟の中は、まさに魔物の仕掛けた罠そのものだったのだ。その過ちに気付いた時、我らはもう鬼門の先にある疑似空間を彷徨っていた」

 舞台こそ違えど、同じような境遇でこの地に誘い込まれた人物とこうして出会い、シルクはやり切れない同情の眼差しを向ける。

 そして、その剣士がポツリと漏らした言葉が、そんな彼女の心情をさらにやり切れないものにしてしまう。

 それはたった一言。この世界から脱出する術など存在しないだろう――。

 闇魔界に来てからというもの、脱出する術を手繰り寄せるための、度重なる魔物たちとの激闘。深く傷を負い、絶命しそうになりながら、心身とも疲れ果ててしまった彼らは、この村に安住の地を求めたのだという。

「この死する世界に来た時点で、我らは皆、任務を果たせず殉死したと同じこと。もう迷いも何もない。我ら三人は、ここで余生をともにすると誓い合った」

 人間界への帰還という夢の中の夢を思い描き、朽ち果てるまでそれを追い求めるよりも、こうして子供たちと平穏な日々を過ごした方が長生きできる。それこそが、覇王三剣士全員の選び抜いた総意なのだ。

 シルクはその嘆かわしさに眉を顰める。

 鞘に仕舞ってあった名剣を引き抜くなり、彼女はそれを覇王三剣士の弱気の心に突き立てる。

「お持ちの刀はとてもご立派ですけど、お持ちの心はとても臆病なんですね」

 その剣士もカチンときたのか、あからさまに眉を顰めた。

 それが目上の者に対する態度か? 彼の睨むような目が、そう訴えているように見えなくもない。

 彼はそれでも冷静さを崩さない。所詮は生意気な女子供の戯言に過ぎん、と。

「あなたはそれでも、覇王と称された方なんでしょうか? そんな情けない姿をお見受けしては、とても信じることはできませんね」

 その時、剣士の吊り上った目がギロリと光を放った――!

 目にも留まらぬ速さで、居合抜きした彼の刀がシルクの名剣を弾き飛ばした。

 大きな金属音が周囲に響き渡り、回転しながら落下した名剣が大地に突き刺さると、彼のそばにいる子供たちや、スーパーアニマルの二匹は、何が起きたのかわからずただ呆然と目をパチクリさせていた。

 あのシルクでさえも、気付いた時には名剣が手の中になく、疼くような痺れだけが利き手に残っていた。

「こんなに落ちぶれても、俺とて、かつては上級剣士だった身。いくら見ず知らずとはいえ、その無礼、次は死に値すると思え!」

 覇王三剣士らしく、豪傑ぶってそう捲し立てた彼は、振り抜いた長刀をそっと鞘に収める。

 彼はそばにいる子供たちの髪の毛を優しく撫でると、驚かして済まなかったと、まるで別人のように表情を綻ばせて穏やかな笑みを零した。

 ワンコーとクックルーがまだ呆気に取られている中、シルクは口を閉ざしたまま、大地に串刺しになっている名剣を引き抜くと、それを静かに鞘へと仕舞い込んだ。

「それだけの剣術をお持ちなのに、それだけの誇りも捨ててはいないのに、どうして諦めてしまうんですか?」

「諦めたのではない。無駄に生きることを望まないだけだ」

「いいえ。それは物は言いようで同じことです」

 ここに辿り着くまでの間に、幾度となく生死を分ける戦いを繰り返してきたシルク。そんな彼女を勇気付けてくれたのは、自分たちばかりではなく、この世界に閉じ込められた人たちの望む未来であった。

 誇り高き王国の上級剣士ならばこそ、もがき苦しむ人たちの心の支えとなり、最後まで諦めずに希望を捨てないことではないか? 彼女は窘めるようにそう言い放つのだった。

 言い返す文言が見当たらないのか、彼は悔しそうに口を噤んでいる。

 苦渋の顔つきとなった彼を見て、子供たちは不安がり、今にも泣き出しそうになってしまった、まさにその刹那、ふと何者かの話し声がこの場に聞こえてきた。

「その娘さんの言うこと、あながち、間違いではないだろうな」

「我らは、苦痛と死という現実に恐怖し、戦う心と気持ちを失ってしまったのだ」

 シルクたちがドキッと鼓動を高鳴らせる中、そこへ登場した人物こそ、覇王三剣士の残る二人の男性たちであった。

 彼ら二名とも、彼女の前に立つ剣士と同様に、凛々しい顔立ちながらも少し頬がこけてやせ気味だった。それでも、鋭利な目つきから放つ威圧感は、さすがに覇王と呼ばれただけの迫力がある。

 シルクが姿勢を正して丁寧な挨拶をすると、剣士たち二人はこれまた、人間らしい暖かみのある微笑を浮かべた。

「残念なことだが、我らはもう覇王と呼ばれるほどの力はない。この奥に棲みつく魔族は、もう我らの力をはるかに超えている」

「我らに残された道はもう、この村に留まり、ここに住む子供たちの成長を見守ることしかないのだ。どうかわかってほしい」

 覇王三剣士たちは儚さを物語るように、薄ら笑いしながらそう言葉を紡いだ。

 上級剣士という誇りもあり、まだ失っていない目の輝きからも、きっと忸怩たる思いもあるのだろう。しかし彼らは皆、負った傷口を広げたくないのか、もう戦いの舞台に挑むつもりは毛頭なかった。

 我らが知ることはただ一つ――。三剣士の一人がそう呟き、希望を捨ててはいないシルクに助言を授けるのだった。

「残念ながら、我らにも、この世界から脱出できる術は知る由もない。だが、それについて話をしていた人物なら知っているのだ」

 剣士曰く、その人物も幾多の難関を潜り抜けてきて、村のさらなる奥から辿り着ける”冥界橋”という地を目指していったという。

 礼儀正しさの中にも雄々しい雰囲気を持ったその人物、その名をクレオートといい、剣士らしき身なりをした若い男性とのこと。

 強敵揃いの魔族が蔓延る冥界橋だが、そこまで運よく到達することができれば、きっと出会うことになるだろうと、剣士は知り得るすべてを打ち明けてくれた。

「わかりました。あたしたち、そのクレオートという人に会うために、冥界橋へ行ってみます」

「キミたちもかなりの能力があるようだが、ここからの道のりは困難の連続だろう。とにかく、気を付けていきなさい」

 シルクは深々とお辞儀をしてから、ワンコーとクックルーとともに、困惑の村の最奥部にあるという地下道を目指していく。あどけない子供たちに囲まれて、穏やかな表情を浮かべる覇王三剣士たちに見送られながら。

 その名もおぞましい冥界橋、そして、希望へと繋がる事実を知るというクレオートという名の男性。

 覇王三剣士の果たせなかった意志を継ぎ、この世界で苦しむ人間たちを救うためにも、彼女たちは怯むことなく突き進んでいくのだった。

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