第13話 聖地散策
熱田神宮、本宮拝殿で幸奈は呼びかけた。呼び続けた。
(私は幸奈です。ミヤヅさん、もしいるなら返事をしてください。私にできるとこがあるなら言ってください。ミヤヅさん、私とお話をしましょう。何か話してください。何かメッセージをください。ミヤヅさん……)
幸奈は何度か繰り返し話しかけたが、特に返事はなく、変わったことも特に起こらなかった。
幸奈は頭を上げ、目を開けた。
拝殿の前には砂利で敷き詰められた広場が広がっていた。その向こうに、神様がいる本殿がある。ここ熱田神宮はその広さもあってか、本殿までの距離は結構あった。
よく見れば、さらにその奥の建物が本殿のようだ。
幸奈は改めて本殿までが遠いと感じた。これでは自分の声が届かない。心の叫びが伝わらない。
幸奈は紗央厘の顔を見て、首を横に振った。
そう、わかったと紗央厘は頷いた。
その横で千秋と百合名はまだ手を合わせ、眉間にシワを寄せて祈っている。
まるで積年の恨みを果たしたいと、呪いの言葉を吐いているかのようだった。
紗央厘と幸奈はやれやれと二人を見守った。この二人の本命は正にこれだった。
確かにここは、愛知県最大の神社だから、ご利益もきっと半端ないと思っているだろう。
この二人がここにきた最大の理由は、自分の願いを叶えるための祈願だった。
百合名が顔を上げると、続いて千秋も顔を上げた。
「あれ? 幸奈と紗央厘はもういいの? 何かいい返事はあったのかな?」
「ここでは何もなかったの。もう少し近づいてみたいけれど、この中って入れないよね。何かを感じるんだけれど、それが何かはわからないの」
一般の参拝者は、門のような拝殿の中には入れない。そこから玉砂利を敷き詰めた庭が広がり、本殿までには、さらにもう一つの門をくぐらないとたどり着くことはできない。
「そうね…… 確かにここの神様は戦いの神様のイメージが強いけれど、優しい気を感じるのよね。伊勢神宮みたいに、張り詰めていない、穏やかで柔らかいのよね」
「紗央厘って、そんなことわかるんだ。さすが裏世界のスピラーさんだわ」
そう言ったのは千秋だ。幸奈と百合名が知らないことを、千秋は知っていた。幼馴染み故の縁というやつだ。
「裏じゃない…… そのことを口にしないで」
「へいへい。それで、どーする? 中には入れないんじゃ、らちがあかないだろう」
「じゃあ、裏に回りましょう」
「うら?」
三人は紗央厘に注目した。
「そうよ、裏から参拝できるのよ。と言っても、本殿に直接参拝できるわけではないけれど、距離的には半分以下になるのよ」
幸奈は不思議に思った。裏からお参りなんかして、失礼ではないのか?
そんな疑問を察してか、 紗央厘が答えてくた。
「ここ熱田神宮はなぜか裏側に鳥居があるのよ。つまり裏口ね。恐らくなんだけど、過去に草薙の剣が盗まれたことがあって、警備を強化するために裏口を作ったとか、戦時中、空襲から剣を避難させるために裏口を設けたとか、まあ、憶測なんだけれどね」
「じゃあ早速行こうか。神様との距離が縮まれば、その分ご利益も増すということなんだろう」
これは千秋だ。今回の目的はあくまでも自分の願掛けである。そんな場所があるなら早く願掛けしたいというものだ。
四人はでかい拝殿を右に進み、角の辺から左に折れ、細い小道を進んだ。
すると、小さな御社が見えてきた。
「紗央厘、これは?」
そう聞いてきたのは、やる気満々の千秋だ。御利益があるなら何でも喰らいつきそうな勢いである。
それに水を差すわけではないが、紗央厘は淡々と言った。
「それは龍神さん。今回は関係ないわ。パス」
「龍神って、普通の神様より効果大きくない? 参ろう参ろう!」
「今回は絡み無しよ、まあ、いいけど、早くしてよ」
「紗央厘だって神様の御前で失礼じゃない。ほらほら、四人で参りましょう」
龍神相手なら、若い女性が参った方が受けがいいはずだと、千秋は思ったていたが、紗央厘はやはり乗る気がない。
ここの龍神は、キビタケヒコとオオトモタケヒという神様なのだが、これはタケル尊の部下だった者だ。
本来の龍神様ではない。そんなことは知らず、紗央厘以外の三人は、心ウキウキにお参りを始めた。
幸奈の目的はもちろんミヤヅさん探しだ。ここの神様にも問いかけてみたが、やはり何も返事はなかった。
紗央厘は、小さな御社の屋根の形状を見た。
鰹木が四本、千木は内向き。本来ならこの御社にいるのは女神様だ。でもどうして龍神などと言ってタケル尊の部下を祀ったのだろうか。腑に落ちない。
三人がお参りしている間に、紗央厘は一足先にもう一つの御社で参拝をした。そしてその後に、その奥にあった小さな池で、柄杓で水を投げていた。
三人はその姿を捉えて、興味芯々に聞いてきた。まずは百合名だ。
「紗央厘姫、それは何なのかな? 姫が率先してやるってことは、きっと凄い御利益があるってことだよね」
紗央厘はフフッと笑った。
「ないしょ。でもね、この水はとても身体にいいんだって。お肌が綺麗になる美白効果もあるらしいけれど、それは自分で確かめてね」
三人は顔を見合わせ、我先に小さな池を目指した。
石垣が三方に積まれ、その中で水が湧き出ていた。その横に由緒書きの立て札があった。
「何々? 真ん中の石に水を三回かけて、願いをする? なるほど。それはやらないとね。紗央厘が抜け掛けするなんてよほどのことなのね」
最初に柄杓を持ったのは千秋だった。今回も気合いが入っている。しっかりと真ん中の石に水をぶち当てて、しっかりとお参りをしていた。
続いて百合名が行い、最後に幸奈がした。
千秋が、涼しげに様子を見ていた紗央厘に声を掛けた。
「紗央厘はこんな場所も知っていたんだ。さすがに巫女さんは詳しいな」
「その名で呼ばないで。ここはもうメジャースポットになっているわよ。知らない方がどうかしているし、せっかくここまでやってきたのだから、並んででもするわよ。はい、次いくわよ。先は長いんだから、覚悟しておいてね」
「お。こんなのがまだまだ続くのか? それは楽しみだね」
「今回は、ミヤヅ媛とコンタクトを取るのが目的なのよ。こんなところで足止めを喰らっていては、陽が沈んでしまうわ」
「へいへい。とかなんとか言って、自分はちゃっかり水掛していたくせに」
「当然よ。だから、こっそりやっていたのに、残念だわ」
他の二人もようやく加わり、次へと急いだ。
奥はさらに細い道が続き、森の中へと進んで行った。
ここが名古屋の真ん中とは思えないくらいに静寂で、気が休まる空間だった。
空気は少し張りついているようで、独特の緊張感があった。
神の領域を歩いているのだ。空気感が違うのは、紗央厘はもちろんのこと、他の三人にも感じ取れることができた。
清々しさと、清涼感。張りはあるが、軟らかな気を感じることができた。
「そういえば、さっきあった御社は何だったの」
これは幸奈だ。水を掛けた場所の手前にあった御社だが、他の三人はお参りしていない。しなくてよかったのだろうか。
「ああ、あれはミツハノメノ神。水の神様よ。ミヤヅ姫とは関係ないから、パスしてもいいわよ」
「そうなの? でも、紗央厘はしっかり参拝していたけれど、何か特別な神様なの?」
「そうね。特別なことはない。ただ、美容と健康の神様でもあるから、私は参拝しないといけないのよ」
「……はは、私も参拝しとけば良かった……」
四人は森を歩き、もう一つある御社を無視して、さらに奥へ進んだ。
無視した御社は紗央厘いわく、あちこちの女に手を出した色男の神だからパス、だそうだ。
後で知ったが、この神様は歳神と言って、とても偉い神様だそうな。その神から生まれた御子は多すぎて、繁殖の神様としても祀られていた。確かに紗央厘が嫌うわけだ……
森を抜け、空が見えるようになり、ようやく本殿の裏側にやってきた。
しかし、高さ三メートル近い塀が外周を走り、中の景色を完全に遮っていた。
屋根がかろうじて見えたが、その下は全く見えない。そんな裏通りを歩いていると、鳥居が見えてきた。
本殿の真裏の鳥居だ。そこには賽銭箱も置かれ、ここで参拝が可能なのだと示していた。
四人は、正面の拝殿と同様に気を引き締め、真剣な姿勢で参拝をした。
紗央厘はこの地でお参りができたことを感謝し、ことの経緯を説明した。
幸奈は、夢で現れたミヤヅさんがここにいるか、呼びかけをした。
千秋は、部活の先輩の竹山に告白をし、付き合えることを祈願した。
百合名は、紗央厘とより深い関係になれることを願った。
(ミヤヅさん。ここにいますか? 私、幸奈と申します。夢でミヤヅさんが出てきて、私もミヤヅさんの心の叫びを共感しました。ミヤヅさんの気持ちが良く分かります。私にできることがあるなら言ってください。ミヤヅさん、私の声が届いているでしょうか……)
幸奈は、何度も呼びかけたが、特に返事はなかった。
その代わりに、四人の周りに先程まではいなかった、黒いアゲハチョウが、歓迎するように舞っていた。優雅に柔らかく、優しく、四人の周囲を飛んでいた。
しばらくフワフワ舞う蝶に見惚れていた四人は、蝶が頭上高く飛び、右の奥へと飛んで行くのを見届けた。
「なんだか、不思議な蝶だったね。私達を歓迎しているのかな?」
そう言ったのは幸奈だ。それに対して、別の意見を言ったのは百合名だ。
「黒い蝶ってどうなの? なんだか、私達を監視してた感じがするけど、何かの前触れとか、不吉な予感がするんだけど……」
「何をバカなことを言ってんの。あれは、ここの精霊たちが歓迎しているのよ」
「は? せいれい? マジ? いるの、そんなの?」
「神様がいるなら当然それを取り巻く精霊たちもいるわよ。百合名は私と付き合うなら、もう少しその辺のこと分かってほしいわ」
「おお! 紗央厘姫から私に対して要望が出たよぉ。これで私と紗央厘姫の絆は益々深まるというわけね。私、頑張るから」
「はいはい、頑張って。それより、さっきの蝶は良い兆候ね」
「おぉ。紗央厘姫から親父ギャグが出たよ。ちょう、ちょうしがいい証拠ね」
百合名は笑いをこらえながら答えた。
「はいはい、もう寒いから、次行こーね」
紗央厘は冷たくあしらうと、この裏の拝殿を後にした。
幸奈と千秋も苦笑し、四人はこの場を離れて、さらに奥へ進んだ。
本殿の裏側を歩くことなど、なかなかないことだったし、この特殊な場所の空気は柔らかく、穏やかさを感じ、とても心地の良い場所だった。
塀は高く本殿を見ることはできなかったが、それこそ、見てはいけないような気もした。
幸奈はこの先に続く何かに、胸を高鳴らせた。
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