こいのさか
祈由 梨呑
第1話 恋のコの字も神頼み
幸奈は恋がしたかった。だから、こうやって。恋ができますようにと、暇さえあれば、ここにやってきて、お願いをしていた。
ここは、名古屋市千種区にある、高牟(たかむ)神社だ。
ここにある、古い井戸から出る水は、昔から霊水と親しまれ、多くの人に愛されていた。
参拝者も、この水を求め、遠方からやってくる人も少なくない。
ペットボトルを持参で、参拝する者は結構いたりする。
ここのご利益は、縁結び、恋愛成就、そして恋ができるというものだった。
特にこの霊水は、古い井戸の水、古井の水、こいの水と呼ばれ、これを求めてやってくる若い女性は数多くいた。
幸奈もその一人だった。現在高校一年生。十六歳、女子だ。
義務教育時代は、勉強と部活動に精を出して、恋愛などには全く興味がなかった。
不思議と異性を意識することも、なかったのである。
そして高校へ入ってみれば、昔からの友達はいつの間にやら彼氏ができたり、片思いの異性に夢中だったりと、自分は取り残された気分だった。
そんな友達を見ていると、とても楽しそうで、羨ましくみえた。
恋を知らない幸奈には、その気持ちが理解できないが、とても幸せそうで楽しそうに思えたのだった。
恋がしたいっ!
幸奈の想いは膨らむばかりだった。
勉強も部活動も其処なくこなす幸奈であったが、恋の仕方は知らなかった。
確かに、映画やドラマなどで、恋愛シーンを見る機会はあったが、俗に言う「キュンキュン」した、の意味がわからなかった。
世の女性たちは、それを観て瞳を麗せるらしいが、どういう仕掛けでそうなるのか理解できない。
他の女性にあるものが、自分には無い。幸奈はそう思っていた。
ついでに言えば、自分はそこそこ可愛くって、異性にも同性にも人気はあった。過去に異性から手紙をもらったこともある。でも、それ以上に進むことはなかった。
なぜか気持ちが、次のステップになろうとしないのであった。
焦りを感じた幸奈は、とにかく恋がしたい、恋というものを体験したかった。
ネットで見ていても、トキメキドキドキキュンキュン等の文字が随時見られる。
幸奈は、この言葉の真意を知りたかった。普通に恋する気持ちを共感したかったのだ。
何度かこの神社で恋のお水をいただき、拝殿でお参りをした。もちろん、お賽銭も毎回入れた。10円だったが……
「どうか、恋ができますように……」
と、いつもそれだけ願って、幸奈はこの神社を後にしていた。
市内の街中にあるこの神社は、比較的行きやすいため、機会がある度に足を運んだ。
そして、恋の水を飲み、持参したペットボトルに霊水を入れて、拝殿で10円のお賽銭を入れて、願っていた。
そのような日々が続き、特に何も変わらない、ある日のことだった。
幸奈はやはりここ、高雄神社にいた。
いつものように、恋の水を飲み、10円のお賽銭を投げ込み、手を合わせて願った。
恋ができますように、と。
いつもと同じように、恋を知らない幸奈は、恋ができますようにと、今日も願った。
いつもと同じはずなのに、何かが違った。
そう、一つだけ違うことがあった。
自分以外の人は、誰もいなかったのだ。
この神社の近くには、大きな総合駅があり、夕方でも結構な参拝者がいる。
特に女性の参拝者なのだが、今日に限って人っ子一人おろか、鳥さえもいなかった。
それに気付いた幸奈は、背中に悪寒を感じた。
いつもと空気感が違う。何かが違うと直感的に感じた。
その途端、急に景色が色付いた。
夕方で少し薄暗かったのだが、拝殿が鮮明に見えたのだ。
さらに正確に言えば、本来歴史のある拝殿は、濃い茶色のイメージだが、目の前にある拝殿は、白木のように真新しい木でできた拝殿だった。
そして、いつ現れたのか、白っぽい服を着た男性がそこにいた。
黒髪は長く腰までありそうだったが、バサバサのボサボサの髪は手入れをしていないのか、とても不潔に見えた。
さらに言えば、鼻の下と顎に黒いヒゲをたくさん蓄え、これも見るからに不潔そうだった。
白っぽい服は黄ばんでおり、大きな布を体に巻き付けたようなシンプルなものだった。
頭にもターバンのような布もつけている。
見るからに怪しい。顔立ちもよくみれば、日本人ではなく明らかに西洋の外人だ。
目の色だって、青いではないか。
幸奈は恐怖した。こんな人気の無いところで、外国人浮浪者と相みまえてしまったからだ。
何をされるか、わかったものではない。
その人物は、明らかに異様だった。一見、カリブに現れる海賊のようにも見えた。
男が口を開いた。
「汝、願いを言え」
幸奈は恐怖で全身が固まっていた。足がすくんで逃げることもできない。
パクパクと、かろうじて口を動かすことができたが、言葉にならない。
それに対して鼓動の動きは激しさを増した。全身が冷んやりと汗ばむのを感じる。
「……ななな、何か、ごごご用ですか?」
幸奈は震える口で、なんとか話すことができた。
「汝。願いはなんだ」
不審な男は重く静かな口調で言った。
気が動転していた幸奈は、男が言っていることを理解できなかった。
「は? なんじ? って、今6時ぐらいよ…… だったらなんなのよ」
幸奈は、少しづつ冷静さを取り戻し、明らかに不審者に見える男に答えた。
「願いは……」
「は? なんで私があなたの願いを聞かなきゃいけないよの。早くここから去らないと、通報するわよっ」
ようやく、幸奈は状況を理解した。
きっと外国人ホームレスが、この辺りを寝床にしているのだろう。
以前は、駅前にあった公園に、住み着いた浮浪者の集落があったが、最近は綺麗に撤去されている。
こいつは、その残存した、なれの果ての存在だ。未だにこのような奴がいたとは驚きだった。
「早くここから出て行かないと、警察を呼ぶわよっ」
幸奈は再度通告し、カバンからスマホを取りだした。
「汝の願いは……」
「はぁっ?! 私の願いは、あなたがここから立ち去ることよっ!」
「汝……」
「くどいっ! 今、18時3分よっ!」
「……わかった。さらばじゃ」
そう言って、不審な男は踵を返して、拝殿の扉をすり抜けるように消えていった。
幸奈は一瞬驚いたが、すでに空は薄暗い。気のせいだと思い、早速カバンから取り出したスマホで110番通報をした。
この神社に居候する不審者を通報するためだ。
せっかくのお参りも、これでパーだ。どうしてくれるのだと憤怒した。
先ほどまで動いていたスマホは、なぜか動いていなかった。真っ黒の画面は電源が落ちている証拠だ。
電池が切れたか、それとも誤って電源を落としてしまったのか。
近くに交番があるのを思い出し、そこへ通報に行こうと、出口の鳥居を目指した。
境内を出る際、せっかくだからと、恋の水をいただくことにした。まさに口直しである。
気分一転、恋ができますようにと、願いを込めて、柄杓に注いだ水を飲んだ。
いつもは、神社の境内に入り、手を清めて、その後に飲んでいたのだが、この水は特に美味しいわけではない。
しかし、いま飲んだこの恋の水は、とても苦く吐き出すぐらいにまずかった。
実際にたまらず吐き出してしまった。
「うゲゲっ! まずっ!! 何これっ! 気持ち悪っ!」
幸奈は口に付いた水を拭うと、急に目眩がして、しゃがみ込んでしまった。
……体に力が入らない。どうなってしまったの?
幸奈の体は、崩れるようにその場に倒れてしまった。
意識が遠くなる。
あぁ、だれか…… 助けて……
幸奈の意識は、まどろみの中に落ちていった。
ふと目が覚めた。
「……ぇ? 夢?」
見えるのは、真っ暗闇な部屋の天井だ。ここはよく知っている。自分の部屋だ。
それにしても、生々しい夢だった。口の中には、あのまずい恋の水の味が残っているような気がした。
全身も汗でびっしょりだ。
それにしても怖い夢を見た。神社で突然あんな不審者が現れたら、誰だって恐怖するだろう。
どうしてこんな夢を見たのか、心当たりがない。
毎日神社にいって、お参りをしているのに、全然効果がでないのに苛立っていたからだろうか。
夢占いで検索してみると、参拝したときの神社の印象で、この意味も全然変わってくるらしい。
明るい印象なら開運の兆しで、暗い印象なら今の悩みは暗い方向へ進んで行くそうな。
私が見た夢は……
夕方時だったから、薄暗かったけれど、途端に色彩が鮮やかになり、いつの間にか浮浪者がいた……
そもそも、あの浮浪者は一体なんだったのか……
今度は「夢に浮浪者が現れた」で検索をした。すると「夢にホームレスに関する夢」というのが出てきた。
人生の節目を迎えた。思わぬ金運に恵まれる。もしくは、少し対人関係で疲れている、などがあるらしい。
やはり、その時の印象で随分と意味は変わってくるらしく、自分の場合は浮浪者に対して恐怖を感じたわけだから、今の自分に当てはめると、恋に対して恐怖心があるということなのか、恋ができない自分は、他の人達とは違う存在なのか、そのことに恐怖しているのかもしれなかった。
とりあえず、夢は吉と判断した。自分に金運が上がっていても 悪いことは何一つもない。
それに伴って恋愛運も上がれば、大いに結構だし、軍資金はやはり必要だ。
時計を見たら午前三時だった。起きるにはまだ早すぎる。後の細かいことは、明日起きてから考えよう。
友達の紗央厘が、こういうスピリチュアルに詳しい。
考えても悩んでもしょうがない。今は寝る時間だ。
悪い夢ではなかったのだ。これで安心して寝られるというものだ。
神社に居候する不審者の顔が、鮮明に記憶に焼き付いてはいたが、まあ、確かに同情の余地はある。
もう少しだけ話を聞いてやっても良かったのかなと、ほんの少しだけ後悔した。
そんな些細な想いは、やがて睡魔に取って代わり、深い眠りに落ちていった。
学校の教室で、友達の紗央厘が最初に放った言葉は……
「はぁ? 幸奈、なんてもったいないことをしたのよ。その夢に現れた方は神様よ」
友達の紗央厘が、大きくため息をついて嘆いた。
「えーっ! だって、外人だったよ。髪はボサボサだし、ヒゲは伸びほーだいだったし、とても神様なんかに見えなかったよ」
友達の紗央厘は、再度ため息をついた。
「あんたさぁ。神様ってどんな方が知っているの? アニメのキャラクターじゃないんだから、若くてイケメンなんてことはありえないんだよ」
幸奈の知る神様とは、年齢20歳前後、凛々しくて厳しいけれど、優しくて女性の憧れるような存在だった。
それは、平安時代に出てくる光源氏の今風アレンジのようなものだった。
「神様って、フツーのおやじなわけ? なんだかショックだなぁ。夢も希望も無くなっちゃうよ」
「それは、幸奈が勝手に思い込んでいるだけで、世の中の神様って意外と普通の風貌なんだよ。私も見たことはないけれどね。そりゃあ、中にはきっとイケメンの神様だっているわよ。でも、日本の神様のイケメンってあまり聞いたことはないわね。勇ましいとか、やんちゃとか、優しい神様っていうのは確かにいるけれどね」
「でも、夢の中に神様が出てくるなんて、滅多にないことだから、少しだけ期待しちゃうな」
紗央厘が意地悪そうに笑う。
「あなた、神様を浮浪者とかいって、警察に突き出そうとしたんでしょう? 結果どうなるかは知らないけれど、気をつけた方がいいわよ。確かに、人生の転機の前触れってことはあるんだけれどね」
「ハハ…… そうだった。今度神社に行ったときは、ちゃんと謝ってくるね。こないだはどうもすみませんでしたって」
「そういうことなら、私も付き合うわよ。あなたに便乗して、運気をアップしてもらおうかな」
ちゃっかりしているなぁと思いつつ、この友達の提案は嬉しかった。
紗央厘は、こういうことには断然詳しいし、頼りになる存在だ。
それを聞いていた、他の二人が話に入ってきた。
友達の百合名と千秋だ。私を含め、この四人は仲の良い関係にあった。
こうやって休み時間には自然と集まって、他愛のないお喋りが止まらなくなるのだった。
「それなら私も行くよ。紗央厘なんてリア充のくせに、まだ幸福を求めるわけ?」
これは千秋だ。四人の中では一番背が高く、それ自体が本人の悩みでもあった。
170センチの身長は男子並みか、それを超える。そのせいもあってか、異性との距離を無意識に作ってしまっていた。
少しポッチャリしていたのもあってか、結構な巨乳でもあった。しかし、これもやはりコンプレックスになっていた。
異性の目線は、でかい体と胸に行く傾向で、本人のことをしっかり見てくれる異性は少なかった。
そんな事情をよく知る紗央厘も、何らかの悩みがあるようだ。
「リア充には、リア充の悩みがあるのよ。それに、永遠の幸福なんてありえないのよ。いつの日か、きっと終わりはくるものなのよ」
「あら、リア充さんは冷静なのね。私には到底たどり着けない境地だわ」
そこに、もう一人の友達、百合名が言ってきた。
「私は千明の長身が羨ましいけどなぁ。千明はマジに体を作ったら、モデルさんのようになれるのにね」
百合名は、千明と正反対で結構なチビだ。
身長は150センチを満たない。だから、千明のような長身に憧れるのだろう。それ故か、この二人は不思議と仲が良かった。
二人を足して二で割ったら、それこそ理想の自分ができるかもしれないと、思っていただろう。
その中間にいたのは、幸奈と紗央厘だ。
紗央厘の方が少し背が高く、すらっと凛とした佇まいが異性に好印象だった。
長い艶やかな黒髪は、動いていても止まっていても躍動感があり、白い小顔はなかなかの美形だった。
当然、世の男子どもは放っておくはずもなく、異性からの手紙やメールの応酬に、どう対応して良いか悩んでもいた。
他の三人に言わせれば、贅沢な悩みだ、ということになるのだが……
紗央厘は、完成された外見を持っていたが、中身はどうかと言えば、知る人ぞ知る、かなりの問題児でもあった。
そんなことはよそに、幸奈はため息をついた。
他の三人は「恋」を知っている。紗央厘以外の二人は彼氏こそいないが、恋をちゃんと知っている。「恋」というものがどんなものかを経験している。
甘くて、切なくて、苦しくて、楽しいらしい……
この矛盾に満ちた感情を、幸奈は知らない。
だから、暇さえあれば高牟神社にいって、恋の水を飲んで、参拝をしているのだ。
確かに神社で参拝はしたが、柚木菜にとって、これはおまじないの延長のようなものだった。
つまるところ、おまじないには興味があったが、神様には全く興味が無かったのだ。
そこへ、夢の中に突然神様が現れたって、わかるわけがない。
あれは、誰がどう見たって、外国人の浮浪者だ。
などと後悔しても、すでに時遅しだ。
今日は、夢であったことを詫びて、恋ができますようにと、心改めてお参りをしよう。
そう、心に誓って放課後を待ち遠しく思った。
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