第3話 現実は思ったより厳しく

剛士が鉱山を後にして数日、草むらに寝転がりながらの野宿で痛む体に鞭打って、彼はようやく目的である村に辿り着いていた。村の入口では一日中その場から動かず「ようこそ。ここは○○の村です」と言う変人が立っている訳もなく、剛士の見た感じでは普通のド田舎だった。




「娯楽があるようには見えないけど、飯を食う所ぐらいはあるだろ。とりあえず飯だな」




この数日、親方に分けてもらった保存食を食べていたので飢える事は無かったものの、そんな物ばかり食べていると暖かい食べ物が欲しくなるのが人情だろう。農作業に忙しい村人は、剛士の姿を見かけても特に興味を持たずに自分の仕事に没頭している。そんな村人達の脇を通り抜け、剛士はある一軒の建物の前に足を止めた。




「酒場……って書いてあるんだよな?」




鉱山で働いていた一か月、彼は暇を見つけては勉強していたので、簡単な読み書きなら出来る様になっていた。剛士は勉強の出来るお馬鹿さんなので、それほど複雑でもないこの世界の文字を覚えるのにそれほど苦労はしなかったのだ。少し埃っぽく、あまり手入れもされていないような宿の扉を開けて中に入ると、そこは小さな集会所程度の広間だった。




(宿屋兼酒場ってところか? にしては人が居ない。まだ昼前だからかな)




いくつか並べられたテーブルに村人の姿はない。栄えた都ならいざ知らず、普通の農村でこの時間帯なら酒も飲まずに働くのが一般的だろう。そんな村人達に代わって、店の奥からこの宿の店主らしい人影がゆっくりと姿を現した。




「あら、お客さんですか?」




出てきたのは五十~六十歳ぐらいの女性だ。頭に白い物が目立つ、どこか気の強そうな雰囲気を纏う女だった。彼女は剛士を目にするとそのままカウンターまで歩き、引き出しから宿帳を取り出す。カウンター自体を滅多に使っていないのか、宿帳を置いた途端に少し埃が舞い上がる。




「えーと、何泊のご予定で? それとも食事かしら? だったら今は仕込み中だからパンと水しか出せないわ」


「あ、泊まりです泊まり。宿賃はいくらぐらいですか?」


「素泊まりなら一泊銅貨一枚。食事付きなら銅貨四枚ね」




(食事付きなら鉱山の日当一日分ってところか? 田舎の割には高く感じるけど、これが相場なのかね?)




ちなみにこの世界では裕福な者以外、一日二食が基本らしい。と言う事はこの宿も朝と夜だけ食事が出ると言う事だ。思わず硬貨を入れた袋の中身を確かめる剛士。今の所持金ならしばらくこの宿に滞在したところで問題はないが、収入源を確保していないので長期滞在など論外だった。




「……とりあえず、一週間で。食事もつけてください」


「はいはい。じゃあ先払いでお願いしますね」




カウンターに置かれた代金分の銀貨と銅貨を女がいそいそと仕舞い込む。それは久しぶりの大きな収入だったのか、女はかなりのご満悦だ。さっそく食事をするため席に着いた剛士のテーブルにカチカチのパンと水を出しながら、女は断りもせず向かい側に腰かけた。その図々しさに少々面喰いながら、剛士はパンに手を伸ばす。




「お客さん、こんな何もない村にどんな用事で来たの? 商人には見えないし、冒険者でもなさそう。もしかして移住を考えてるとか?」


「あー……まあ、住む所を探してるってのは合ってますね。仕事しながら良さそうな所を見て回ってるんで」




もちろんデタラメだ。剛士の狙いは別の所にある。彼は異世界転生もののお約束であるトラブルを求めてこの村に滞在したに過ぎない。




(まずはこの村の農業を改善させる事から始めよう。どうせ腐葉土も知らないだろうし、農具も原始的な物を使っているに決まってる。それを見た若い女の子が俺の凄さに感動して惚れ込まれ、村人達からも尊敬を集めて人気者に……って寸法よ)




味も淡泊で固いパンを引きちぎりながら剛士がそんな事を考えているとは露知らず、何も娯楽の無い村に訪れた旅人が珍しいのか、女は剛士相手に一方的に自分語りを続けている。その様は正にオバちゃん。大阪辺りに居るヒョウ柄の服を着て「飴ちゃんあげよか?」とか言ってそうな人種だった。彼女は完全に生まれる世界を間違っている。




「それでね、ここから三軒隣りの民家なら空き家だから、ちょっと手入れすれば住めるようになるわ。村長に挨拶したら今日からでも住めるんじゃないの? ところで仕事は何が出来そう? 畑なら余ってるから最初は人の手伝いから始めてみたらどう?」


「そうですね……でもまぁ、村の様子を見てから考えますよ」


「そうね。それがいいかもね」




善意なのか興味本位なのかは確かめようはないが、怒涛の質問攻めを何とか躱し、剛士は村の様子を探る事にした。畑仕事をしている人達を観察してみると、特に優れた農機具を使っている様には見えない。まだまだ改善の余地があるように思えた。




「おじさん、何か用なの?」




背後から声がかかり振り向くと、そこには健康的に日焼けした二十歳ぐらいの女の子が鍬を持って立っていた。茶髪を短く切り揃え、目つきは少し鋭い。絶世の――とは言えないが、十分美人の範疇に入る外見だ。彼女は動きやすそうなズボン姿で上着の袖をまくり、足元と両手は土に汚れている。たった今畑仕事から帰ってきたばかりなのだろう。彼女は見慣れない剛士を怪訝な表情で見つめている。




「何してんの? まさか不審者?」


「いやいや違う違う! 俺は怪しくないよ! ちょっと面白い物が無いか物色してただけだから!」




慌てて弁解する剛士のセリフに女の子の視線が一気に険しくなった。当然だ。『物色』なんて言葉を使えば、犯罪者が獲物を探している様にしか思えない。鍬を構えてジリジリと後退する女の子は、いつでも逃げ出せる体勢をとる。




「いや本当だって! さっき宿についたところだって! 宿の女将さんに聞いてもらえばわかるから!」


「母さんに?」




宿の名前を出した途端、女の子の警戒が少し薄れる。相変わらず不審者を見る目には違いないが、鍬を構える手は降ろされた。




「実は俺定住できる所を探しててさ。村がどんな雰囲気なのか見せてもらってるところなんだよ。それに俺は色々と有能な男だぞ? 君達が知らないような知識でこの村の農業を改革する事も出来るんだ」


「…………」




自信満々に言い切る剛士に対して、女の子は「何を言ってんだコイツ」と言う目を向けるばかりだ。そんな彼女の態度に焦り、剛士はキョロキョロと辺りを見回すと近くの畑を指さす。




「例えばほら、コレ。今どんな方法で作物を育てているのか知らないけど、俺の知っている物を使えば今までより美味しく大量に野菜を作れるようになる」


「……例えば?」


「腐葉土って知ってるか? 森の中にあるあの黒い土だ。あれは作物を育てるのに優れた効果を発揮するから、あれを畑に持ってくれば畑の栄養になる。それと輪栽式農業って言う便利な方法も組み合わせれば、畑を休ませる事無く――」


「知ってます」


「え?」




得意げな演説を冷たい声で女の子に遮られ剛士は固まるしかなかった。まさか異世界転生ものの鉄板である農業改革の基本を、現地人がもう実践しているとは思わなかったのだ。




「え? じゃないです。なんなんですかさっきから。農業を馬鹿にしているんですか? そんな方法どこの村だってやってますよ。田舎者だと思って舐めないでください」


「……す、すいませんでした」




真剣に叱られて思わず頭を下げる剛士。改めて村を見回してみると、なるほど、彼女の言う通り家畜の数もある程度は確認できる。輪栽式でカブやクローバーなど家畜の牧草を確保していないと養えない数だろう。自分の観察力の無さに今更気がついてももう遅い。一度口から出た言葉は無かった事にできないのだ。




「……移住したいって言うなら止めませんけど、そんな甘い認識で始められるほど農業は甘くないですよ」




すっかり気分を害した女の子が、ズンズンと力強い足取りで宿の方に去って行くのを、剛士は黙って見送るしかなかない。




「……パターンならあの子がヒロイン枠なんだろうけど、第一印象は最悪だな。失敗した。にしてもこの状況からチートを活かすってどうやりゃいいんだ? 畑の改革とかは無理そうだし、また道具作りか? 何か一気に儲かる方法が見つかればいいんだけど……とりあえず宿に帰って、本を隅から隅まで読み返してみるか」




ボリボリと頭を掻き宿に足を向ける剛士。チートの知識が思ったより役に立たない現状に落ち込みながら、どうしたものかと彼は首を傾げるのだった。

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