第2話 転生者に必要なのは、まず体力

剛士は飢えていた。この世界に送られてからと言うもの、食事はおろか水の一滴も飲んでいないのだ。あてもなくウロウロ歩き回っている内に夜になり、すぐ朝が来た。幸い過ごしやすい季節なのか、寒暖の差はそれほど無く、体調を崩すほど凍える心配もなかったが、空腹だけはどうにもならなかった。




「水……とにかく水が飲みたい。何か使える知識はないのか?」




自ら書き起こした本の中からサバイバルの項目を探したが、水を得る方法はたった数行しか書かれていない。藁にもすがる思いで食い入るようにその項目を見て見ると、朝露から飲料を得る方法と書かれたページがあった。




「マジかよ! タイムリー過ぎるだろ! 俺ってやっぱり天才かもしれん! え~と、なになに?」




朝露で飲み水を集める方法――まず綺麗な布をひざ下に巻き付けます。そして朝露に濡れる草むらを歩き回り、湿った布の水分をペットボトルなどの容器に絞りましょう。これで喉の乾きも無くなるよ! 良かったね!




「出来るかボケェ!」




思わず持っていた本を地面に叩きつけ、何度も何度も踏みつける。一体自分は何を考えてこんな事を書いたのだろうかと、剛士は頭を抱えたくなった。一年間通して情報を手当たり次第書き込んだのは良いが、読み返す事をほとんどしていなかったのを今更ながら思い出したのだ。




「お、落ち着け。まだ慌てる時間じゃない。もう一つ方法が書いてある……!」




尿から飲み水を得る方法――①地面に深い穴を掘り、水を受ける容器を中央に置く②容器の周りにオシッコする③大きなビニールを穴にかぶせ、容器の真上が少し下がる様に周囲を石で押さえる④昼間の日照時間に太陽によって尿が土から蒸留されて、容器の中に水が溜まる⑤飲め。




「ビニールなんか持ってねーよ! あああああ! 何考えてんだ俺は!」




頭を掻きむしったところで何の解決にもならない。そんな剛士が一人見悶えていたところ。彼に声をかけてくる人物が現れた。




「おいお前、そこで何をしている?」




ハッとして顔を上げた剛士が見たのは、鉄製の鎧に身を包み、腰に剣を差した騎士の姿だった。騎乗しているため剛士からは見上げる程高い位置に居る騎士は、不審者を見る目でこちらを睨み付けている。言葉が通じる事にひとまず安心しつつ、剛士は自分の行いを思い返してみた。




「何って……自分の不甲斐なさや人生の厳しさについての自問自答?」


「……訳のわからん事を言う奴だな。お前、どこに住んでいる? 仕事は何だ?」


「…………」




ここに来て、初めて剛士は自分が不審者扱いされている事に気がついた。こんな爽やかな好中年を捕まえて、犯罪者予備軍扱いとはなんて失礼な奴だ。ここは毅然とした態度で反論するべきだと判断した彼は、騎士を正面から見返し胸を張ってこう答えた。




「お手数おかけして申し訳ありませんお役人様! 俺はただの宿なしでございます! 仕事も無く蓄えも底をついたので、飢え死にするかと覚悟を決めていたところなんすよ!」


(とりあえず武器を持ってるからな。刺激すると危険だ。殴り合ったら恐らくワンパンで倒せそうだけど、鎧を着ているから今は下手に出た方が良い)




急に態度を変え、下卑た笑顔を顔に張り付けながら実際に揉み手をしてにじり寄る剛士の態度に、騎士は二、三歩後ずさる。当然殴り合いになれば剛士の方が一撃で倒される体格差なので、彼の根拠のない自信は妄想の域を出ていない。その様はまるで、見えない所では元気でも、直接顔を合わせると一言も話せなくなるネット上によく居る威勢のいい人のようだった。




「ふむ……事情はよくわからんがちょうどいい。行く当てもないなら仕事をしてみる気はないか? 実は今から山の方に向かうんでな。お前さえ良ければ仕事を紹介してやろう。最近人手不足で相談を受けていたところなんだ。食事と寝床は保障されてるから、飢え死にの心配は無いぞ」


「マジですか!? 是非是非! なんでもやりますよ!」


(このパターンだと、連れていかれた先に何か問題が起きて、それを解決して信頼と尊敬を得られるはず! そんでもって若い女の子に根拠もなく惚れられて、次から次へと嫁候補が増えていくに違いない! 最初はどうなるかと思ったけど、こっから成り上がって行くぜ!)




とりあえず命の危機が去った事で剛士は調子に乗っていた。命の危機にあって鳴りを潜めていた生来の楽観主義がにょきにょきと顔を出し、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる剛士の様子に、騎士は若干引いていた。しかし彼はこの地の治安を守る役目を持つ、いわば警察官的役割の人物。内心気持ち悪いなぁ……変なのと関わっちまったなぁ……と思っていても、それを態度と口に出そうとはしなかった。




「ま、まあとにかく後ろに乗ってくれ。馬なら一時間ほどで着く」


「はいはい。では失礼して」




何度かずり落ちそうになりながら馬の背によじ登った剛士は、まるでバイクでタンデム走行するように騎士の背中にピタリと密着し、その騎士の体に両腕を回してがっしりとしがみつく。このむさくるしい絵面なら「ねぇ、海が見たいわ!」「まかせろ!」などと言う頭の痛くなる会話がされる事は無い。なぜなら、お互い男同士密着するのが気持ち悪かったので、必要最小限の会話しかしなかったからだ。そんな陰鬱な雰囲気を振り払うように、二人を乗せた馬は風を切って走り始めた。




道中、剛士達が口を開く事は無かった。特に会話する必要が無いというのもあるが、単純に口を開くと下を噛みそうな振動が常に続いていたからだ。馬の乗り心地の悪さに辟易しながら揺られ続ける事一時間。二人を乗せた馬は目的地へと到着した。山の中腹にあるそこは見た目通りの鉱山らしく、辺りには掘り返された土や石ころなどが放置されている。




「ついて来てくれ。責任者に紹介しよう」


「は、はい……」




尻の痛みをこらえながら落馬するようにずり落ちた剛士は、痛みをこらえて今にも崩れそうな掘っ立て小屋へと足を延ばす。




「失礼、親方はいるかな?」


「おう。リッターさんか。何か用かい?」




小屋の中には六十~七十代と思われる、目つきが悪く、白髪で頭が真っ白の老人が腕組みしながら座っていた。しわだらけの顔とは違い、肉体は筋肉で引き締まっている。彼こそこの鉱山を仕切る男、その名も親方だ。本名は別にあるのかも知れないが、誰も知らないので親方で通っている。その親方は小屋の中に入ってきたリッターと、その後ろでへばっている剛士に怪訝な視線を向けていた。




「親方、前に人手が足りないって言ってただろ? 仕事も住む所も無いって奴を拾ったから、出来れば面倒見てやってほしいんだけど」


「人は足りてねえけど……そいつで勤まるのか?」




そう言ってジロジロと剛士の体を観察する親方。彼としては貧相な体格の剛士がまともに働けるのかと言う視点で観察していたにすぎない。しかし、剛士は別の意味で居心地の悪さを感じていた。




(まさかこの親父、俺の体が目当てなんじゃ……?)




親方にだって選ぶ権利ぐらいあるし、彼は男が好きだなどと一言も言っていない。そんな壮絶な勘違いをしている剛士を放置して、リッターと親方の話は勝手に進められていく。




「やってる内に慣れてくると思うよ。何事も慣れだよ慣れ」


「そうかも知れねえが……まあいいか。おい! 仕事は厳しいが、やれるのか!?」


「は、はい! できます!」


(やれるとは言えない……けど、やるしかないんだ……!)




頭が天パの人が言いそうなセリフを心の中で思い浮かべ、適当に返事をする剛士。彼とて長年社会人として働いてきた経験がある。チートでハーレムなどと言う寝言をほざく前に、まず生きるために働く必要があるのは理解していた。




「ところでお前、さっきから手に持ってるその本は何だ?」


「あ」




まるで漫画雑誌のような乱雑さで剛士が手に持っている本に気がついた親方が、彼の手から取り上げてペラペラと中のページをめくってみる。




「なんだこりゃあ?」


「何処の言葉なんだ? お前が書いたのか?」


「いやあ……まあ、そんなところです」




この世界の言語は当然日本語ではない。その為ひらがな、カタカナ、漢字を織り交ぜて書いてある剛士の書き上げたチート本を読めるはずもない。下手なタッチだ書かれた絵だけは何とかわかるが、彼等には現代日本の知識がないため、それを理解する事が出来なかった。結果、彼等がどう思ったのかと言うと――




「ま、誰にでもそう言う時期はあるが、お前の歳になってまでやる奴は珍しいな」


「いい加減こういうのは卒業した方が良いぞ? 大人なんだから」


「え? いやちょっと待って! 俺別に中二病とかじゃないから!」


「まあいいから。もうわかったから。それより仕事の説明をするからついて来い」




白い眼を向けられて慌てて弁解するも、親方達はまるで相手にしてくれず、剛士に背を向け歩き出した。向かった先は炭鉱の中。木で補強された暗い穴倉の中は非常に埃っぽく、細かい石が無数に転がっているため足元が非常に不安定な場所だ。時折すれ違う労働者はみな疲れ切った顔をしていた。




「ここで働くの? なんか想像と全然違うんですけど……」


「贅沢言うな。衣食住保証して、その上給金まで出るんだ。お前が何者かは知らんが、何をするにしても金は必要だろう? ある程度貯金できるまでここで頑張ってみるんだな」


「はあ、まあ……よろしくお願いします」


「ああ。仕事は厳しいが頑張れよ! そのうち慣れるから!」




その日から、剛士のまともな異世界生活が始まった。彼の仕事はつるはしを振るって壁を削り、転がった石を拾って外に運び出す事。その単純だが過酷な仕事は剛士の貧弱な体力で到底勤まる物ではなく、彼はすぐに音を上げる事になる。




「ブラックもいいとこだ! 暗いは臭いわ埃っぽいわ! 飯はマズいし寝床は硬い! いいところが一つもない! それに俺が解決できるトラブルと根拠なく俺に惚れる女の子はどこに居るんだ! 男しか居ないじゃないか!」




学生時代以来滅多に運動すらしてこなかった肉体にいきなりの重労働は厳しく、全身筋肉痛で体は悲鳴を上げている。手はあっと言う間に豆ができ、すぐに破けて血塗れになってしまう。それでもつるはしを振るう手を休める事は出来ない。なぜなら、サボっていた者の食事は減らされるからだった。




「おい新入り! さっさとこれ運んどけ!」




モタモタしていると怒鳴りつけられるなど日常茶飯事。時には殴られる事も珍しくはない。そこは現代日本なら考えられないような職場で、剛士は精神をすり減らしながら働き続ける。




「もう……ゴールしてもいいよね……?」


「何言ってんだ新入り! 遊んでないでこっち来て手伝え!」




スタートしたばかりでゴールも何もないのだが、そんな日々を過ごす内、剛士の肉体に変化が訪れ始めた。まず食事量が増えた。初日など水だけしか喉を通らなかったというのに、今では日本に居た頃の倍は食べるようになっている。ただ材料を焼いただけとか、煮込んだだけのマズイ料理にも関わらずだ。そして常につるはしを振り下ろし重量物を運び続けていた影響で、体が次第に引き締められていく。無駄な肉が無くなり筋肉だけが増量された結果だ。そんな毎日を過ごす内、気がつけば、剛士がここで働き始めて一か月が経っていた。




「剛士、お前もやれるようになってきたな」


「は、はい!」




初めて親方に褒められた事に不覚にも涙しそうになった剛士だったが、彼は頭を振ってそんな考えを追い出す。




(危ない危ない。何を喜んでるんだ俺は。さっさと金だけ稼いでこんなところおさらばしないと……一生ここで働く事になるぞ)




体力がつけば精神的にも余裕が生まれる。そこでようやく、剛士は自分の置かれた職場環境に改善の余地がある事に気がついた。つるはしを振るって壁を削るまではいい。ドリルも無いこの世界では人力でやるしかないのだから当然だ。だがその後はどう考えても効率が悪い。転がり出た石を木で出来た大きな入れ物に放り込んで、手で運んだり地面を引きずりながら外まで運び出していたのだ。真横に掘るだけならまだマシで、上下に段差がつけばもう最悪。ロープで結び付けた入れ物を地道に上下させるしかない。現代人の剛士から見れば、恐るべき効率の悪さだった。




「親方! 話があります!」


「……なんだ? 辞めたいのか?」




この環境で長く働くのは難しい。誰でも楽な仕事がしたいに決まっているからだ。親方もそんな事は百も承知だから、無理に引き留めようとはせず、去りたいと言うものがあれば好きなようにさせる方針だった。




「いえ、それもありますけど、今より仕事を楽にする方法を考えたんです……聞いてもらえます? もし採用なら給金の他に報酬をもらいたいんですけど」


「楽にする方法……?」




仕事は苦労するもの――と言う凝り固まった頭の人間なら剛士の提案を一蹴するところだが、幸い彼は歳の割に頭が柔軟だ。




「言ってみろ。もし本当に使える手なら、お前の望み通り報酬を出してもいい」


「ありがとうございます!」




ま、使えなくてもこっちは困らんからな――と言う小さなつぶやきなど聞こえなかった剛士が提案したのは手押し車だ。この世界に来て枕代わりにしか使っていなかった本のページをいくつもめくり、目的のページを見つけ出す。車と言ってもこの世界にはタイヤがまだ存在しないので、車輪の部分は気を丸く切り取った物を使う事になる。接続部や骨組みは全て鉄。荷物を載せる荷台部分は木製で少し耐久力に難はあるが、取り換えが出来るために鉄よりコストパフォーマンスに優れていた。それらをまとめた設計図を見た親方は、道の道具の存在にただ呻くのみだ。




「うむむ……これはなんだ? 見た事も無い形だが……」


「とりあえずしばらく休みを下さい! その間にこれを形にしてみせます!」




幸いこの職場には使われなくなったつるはしなど、余った鉄材がいくつか転がっている。時間さえかければ素人の剛士でもある程度形にする事は難しくなかった。剛士は昼夜を問わず、文字通り寝食を削って必死になって完成を急いだ。一応仕事に関わる事なので食料だけは支給されていたが、当然給金が支払われていないのがその理由だ。結局、完成まで丸三日ほどかけて、歪ではあるもののこの世界初めての手押し車が完成した。




「こりゃあ……凄いな」




当然だろう。今まで多くの人手と時間をかけて行っていた作業が、それこそ半分どころか数分の一に短縮されたのだ。その単純で地味だが効果の高い道具の登場は、何十年と同じ作業を続けてきた親方を驚かせるのに十分だった。




「大したもんだな剛士! 約束通り報酬を払ってやろうじゃねえか!」


「あざーっす!」




ドサリ――と、重い袋を押し付けられた剛士は目を白黒させる。中には銀貨と銅貨、それと小粒だが少量の金の欠片まで入っていたのだ。この鉱山の日当は銅貨が数枚だけ。今まで働いた期間を考えるといいところ銀貨が数枚程度だが、袋の中身は明らかにその何倍もの量が入っている事になる。




「あ、あの親方……これ?」


「便利な道具を作ってくれたからな。作りも単純だし、俺でも作れそうだ。あれを量産すればお前に渡した分ぐらい、すぐに回収できるって。それにお前、もうこの仕事続けたくないんだろ? 何が目的かは知らねえがそれは餞別代りだ。とっときな!」




仕事中は常に鬼のような態度だった親方の突然のやさしさに、不覚にも剛士は目元を潤ませ、深々と頭を下げる。




「あ、ありがとう……ございます」


(俺はこの人を誤解していた! 今まで絶対給料をピンハネしてるとか自分だけ美味い物食ってるはずだとか、口が臭せえんだよ死ねジジイとか思って悪かった! あんたはいい人だ!)




「なにも泣く事はねえだろう。面白い奴だなお前は!」




剛士の内心を知ってか知らずか、親方は彼を慰めるように何度も肩を叩き続ける。正直何度もたたかれて鬱陶しかったが、その痛みは彼なりの愛情表現なんだと思えば、あまり腹も立たなかったのだ。




翌日の朝、今まで寝泊まりしていた小屋の前には旅装に身を包んだ剛士の姿があった。肩には金や食料、本などが入った麻袋を担ぎ、腰には護身用のナイフまで括りつけてある。肉体労働で引き締まった体の剛士の姿は、旅慣れた人間に見えなくもない。




「お世話になりました」


「ああ。こちらこそ助かった。また働きたくなったらいつでも来てくれ。歓迎するぜ」




見送る親方にペコリと頭を下げ、剛士は山を下山する、目的地はここから一番近い村。親方に簡単な地図を描いてもらったので迷う心配は無い。初めてこの世界に来た一か月前とは違い、剛士の足取りは軽い。しばらく困らないだけの金や、そそこそこ動ける体を手に入れたのは彼に自信を持たせていたのだ。




「さあ、いよいよ本当のスタートだ。今度こそチートで金儲けしてハーレムを作ってやる。まずはド田舎に住む田舎者共の生活を改善させて最初の嫁候補の獲得だ! よーし! やってやるぜ!」




などと、最低な言葉を吐きつつ彼は前に進み続ける。浮かれた剛士の思い通りに事が運ぶかどうかは、今後の彼の行動次第だろう。

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