薬煙売りの少女
蛇穴 春海
薬煙売りの少女
ちらほらと雪が降り始めた夜の繁華街。昼間では賑やかだったこの場所も、闇とネオンの光に包まれてしまえば息を潜めてしまう。
繁華街の隅、簡単に人の目にはつかないようなビルとビルの狭い隙間で「また売れなかった」と少女は嘆いた。コレが売れなければボロ屋で酒浸りになっている父に殴られるだろうと悟ったのだ。
少女は辺りを見渡した。唯一の所持品である籠の中のコレは家を出た時とほとんど変わりない数あった。しかし、いくら辺りを見渡してもコレを買ってくれそうな人は見当たらない。数十分してやっと人が通りかかり声をかけてみるも、まるで少女が幽霊とでも思われているかの様に無視される。数時間前から少女はそれをずっと繰り返していた。
強い風が吹き、少女の服と髪を揺らした。汚い布に空いた穴を縫ってくれる人はもういない。ぼさぼさの髪が靡く度にフケが飛び散った。少女はただ自分を抱いて寒さを凌ぐことしかできなかった。
轟々と鳴く風の中にかたかたと硬い何かが転がる音を聞いた。今まで風の音と近くの店から漏れる雑音しかなかった為に少女は音の正体が気になり、自然と音のする方を探した。
音の正体は強風に押されて転がるライターだった。ちょうど少女がいる場所へと転がってきたライターは父が使っているものと同じ、プラスチックの安っぽいものであった。
少女はそっとライターを拾い、再び辺りを見渡した。一組のカップルが遠くを通りかかったが男も女もこちらのことなど気付いておらず、ネオンが照らす一件の店へと吸い込まれていった。ライターの持ち主などいないと悟った少女はネオンの光すらも届かない程暗い路地の奥へと進んだ。
コレやライターの詳しい使い方を少女はよく知らない。けれど前に父がコレをライターで炙って煙を出していたのを見たことがあった。少女はその時の記憶を頼りに、父の見様見真似で火を着けた。案外簡単にライターの火は着き、コレを火にかざすと灰色の煙が瞬く間に少女を囲んだ。今まで嗅いだことがない強烈な臭いで少女は思わず目を固く瞑ってむせ返ってしまった。
激しく咳込み涙目で薄く目を開けるとそこには信じられないような景色が広がっていた。
ネオンとは違う、煌びやかな光が眩しい世界だった。風船が空を舞い、馬がぐるぐると駆け回る。そして大きな遊具達。そこは昔母親と一度だけ行ったことのある遊園地だった。
此処が遊園地だと気付くや否や、少女は駆け出した。メリーゴーランド、ジェットコースターの横を抜け、お化け屋敷の更に先にある観覧車まで少女は走った。小さい頃あれだけ欲しがっていた赤い風船を持ったマスコットを無視して。
色とりどりの小さな家を回す観覧車の入り口近く、簡素な受付の横に設置されたベンチで見つけた。あの頃と同じ、高い所が苦手だと言ってぬいぐるみと共に少女を待っていた。優しく笑うその姿に少女はか弱く呟いた。
……お母さん。
何も変わらない笑顔の母親は少女に向かって手を振る。少女の大きな瞳から涙が溢れた。遊園地の中を走り回って疲れているであろうにも関わらず、少女は再び走り出し、母親の胸へと飛び込んだ。
優しく少女の頭を撫でる暖かい母親の腕の中、少女は嗚咽を洩らしながら何度も母親を求めた。
お母さん、お母さん……。
朝日が照らし始めた繁華街。ネオンの光は消え忙しなく歩く人がひとりまたひとりと増えていく中、変わり果てた姿の少女を見つけたのは路地裏に住む一匹の野良猫だった。
薬煙売りの少女 蛇穴 春海 @saragi
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