ヒューマンカインド/Brightness of life
猫山英風
ー序章ー
第零話 新硫黄島にてⅠ
――2089年 6月――太平洋 新硫黄島
火山帯特有の硫黄の霧が、辺りに立ち込めている。膝丈ほどの草木しかない痩せた土地。本来なら人も動物もいない静かな島だが、この日の夜はそうではなかった。沖縄本島の5分の1ほどのその島は、銃声と怒号が鳴り響く戦場となっていた。そして今、岩陰で銃弾から身を隠す2人の人物がいる。
「まったく、奴さんどれだけこの島に武器を隠しているんだろうねぇ?さっきから15分も打ちっぱなしじゃないか。」
泣き黒子をもつ長身の青年は、弾線の先にある機関銃をにらみつける。
「ばっ、隊長、危険ですってば!」
小柄な女性がその青年の肩を慌ててつかんで引っ張ると、彼の鼻をかすめるように、一発の弾丸が流れていった。
「おお、危ない危ない。板橋君、ありがとう。」
「山田隊長、もうちょっと緊張感を持ってくださいよ!こんなんじゃ命がいくらあっても足りませんって!」
「ははは、悪い悪い。」
男は笑いながら命を救ってくれた部下に謝った。それを見た彼女ははぁ、と1つため息をこぼし、額に手を当てる。
この25になろうという若手の隊長の下に配属されて3年。任務に出る度に、こんなやりとりが二人の間で交わされる。そして男がその子供のような無邪気な顔で謝る時は、たいてい“余裕だ”と思っている時だった。
「たしかに山田隊長はあんなの余裕かもしれませんが、見ていて心配です。そしてそのへらへらした態度はイラッとします。もっと自分のことを大事にしてください。」
彼女は短い髪を逆立て、つかみかかるように男に言う。
「いや、そんなことないってば板橋君。君のおかげで僕は毎回助かっているよ?さっきだって引っ張ってくれなきゃ風穴があいていたし……」
「じゃあ、もーちょっと、シャキッと、ビシッと、緊張感、ってのをですね!」
「いたい、いたいって、耳引っ張らないで!ちぎれちゃう!いや、そんな大きな声出さなくてもきこえるってば。」
「だったらもっとしっかりしてくださいっての。」
男の耳に言葉をねじ込んだ彼女は、また1つため息をつくと、隊長に尋ねる。
「それで、山田宗次隊長はこの状況をどのように打破するおつもりで?」
「うーん、そうだねぇ。」
宗次は目を細め、鷲のように鋭い眼を光らせる
「敵は坂の上に7人。機関銃を打っている人物が前方に2人。同じく機関銃を持った二人組が11時の方向にいる。彼らは東側にいる僕らのチームを威嚇射撃している。そしてその間に剣を持った奴が1人と、スナイパーが2人だ。
機関銃で僕らを足止め、本命はスナイパーによる狙撃ってところか。僕らの部隊全員がここを突破するには、とにかく機関銃を打つのをやめてもらわないといけない。が、距離がありすぎて手榴弾は届かない。かといって岩陰から出ようとすると――」
「スナイパーの狙撃にあうわけですね。」
「そゆこと~」
相変わらずのんきな口調で言う隊長に、板橋は眉間の皺をさらに寄せる。
「わわわ、怖い怖い。そんな怖い顔するとかわいい顔が台無しだよ~」
「そんなこと言ってる暇があったら早く打開策を教えろ優男!」
板橋が宗次の襟をつかんで怒鳴りつけると、彼は穏やかにごめんごめんと二言続けて謝罪し、そしてこう付け加えた。
「ま、だからここで板橋君の出番です。」
「はい?」
「スナイパーの狙撃と弾丸の雨を防ぐ手段がこの岩しかないから、この岩を
親指で岩をつつく仕草をした後で宗次は彼女ににっこりと笑う。その甘い表情は、後輩である彼女の力を信じて“お願いごと”をするときの顔だ。いつもこの先輩は……!と、内心怒りが湧きだしながらも、この顔を見てしまうと断ることが出来ないのが、板橋美穂という人間であった。
「あー、もう!またそれですか!ひきょーですよ!」
「あはは。わるいわるい。」
「任務から帰ったらおごってもらいますからね!駅前のパフェ!」
「うんうん。おごるおごる。」
「生クリーム追加ですからね!生クリーム!」
「OK、OK」
にこにこしている先輩を横目に、板橋はスナイパーの死角になるようにして岩陰から一歩離れる。そして、彼女は自らの肉体の内側へと意識を集中させ始めた。
熱が体の外から中へと侵入し、心臓がひときわ強く打つ。
そしてその鼓動が指の先にまで伝わったのを感じ取った瞬間、
「身体強化!」
彼女は叫び、両手を岩に押し当て力をこめる。
ずしり、と鈍い音がした。
板橋は岩が地面から離れて動くことを確認すると、5尺もある長刀を構えた宗次にむかって叫ぶ。
「いきますよ、隊長!」
「ああ、いこう!」
機関銃による長時間の打ち込みに、ついに岩が崩れたようにスナイパーは見えたのだろう。男は口元に不敵な笑みを浮かべ、現れてくる敵の頭部を探す。
ところがである。
頭が現れるどころか、崩れたと思った岩が突然動き出し、しかも次第にスピードを上げて坂を駆けあがってくるではないか。自然現象に逆らう、明らかにおかしな動きをする岩にスナイパーは戸惑い、目からスコープを外す。そして状況を確認すると、男は叫んだ。
「
「おうおう、やっぱり君の能力は便利だねぇ。身体能力全ての飛躍的向上『身体強化』。特に『怪力』は目を見張るものがあるね。僕もその能力がほしかったなぁ。」
「いや、隊長は隊長でスゴイ能力持ってるでしょ!ってかそろそろつくんで、しくよろです!」
彼女は自分の歩数を確かめながら岩にぴったりとくっついてくる宗次に言う。おそらくあと20歩も走ればスナイパーの死角は消える。そうなれば、すぐさま脳天に風穴があくことになるのは目に見えている。だが――
「ここです!」
彼女の叫びとともに高い金属音が夜空に響く。スナイパーが板橋に向けて撃った弾丸を、宗次が刀で弾き飛ばしたのである。
「!!」
スナイパーは一瞬何が起きたか分からなかったが、すぐに“別の能力者”によって弾丸が防がれたのだと理解した。常人が今の一撃を防げるはずがない。
男は次弾を素早く装填する。長年培ってきた殺しのプロとしての勘が、ターゲットの次の出現場所を特定する。
そう、この距離ならスコープのいらない20mくらい先に――
しかし、その弾丸は放たれることはなく、男の視界は激痛とともに歪み、暗闇へと落ちていった。
「すまないね。僕の能力は身体強化の中でも、より“素早く動けるようになる”っていう『俊足』なんだ。君が銃を撃つよりも、僕の方がちょっとだけ速かったかな。」
山田が愛用の短刀についた血を振り払うと同時に、トマトを握りつぶしたような音が暗闇に響いた。彼が音のした方を振り返ると、機関銃ごと敵を岩で押しつぶした部下が、自分を見ていた。
「大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫です。」
板橋は隊長の問に返答しながら、山田宗次という男の強さを再確認する。彼は弾丸を弾き飛ばした後にそのまま敵陣へ突入し、スナイパーを
強い――などというレベルではない。瞬きをする間もない刹那の時間で、彼は5人の敵兵を抹殺した。誰をどのように殺すのか、その優先度の判断に加え、確実な致命傷を与える無駄のない武術。齢30に満たない若者が見せる、死神のようなその強さを見る度、彼女はいつも背中に寒気を覚えた。
「――二刀流の剣術家が、刀を投げとばすってのはどうなんですか?」
「いやいや、これも戦術だよ。」
敵兵に投げつけた長刀を持ち上げ、刃の状態を確認しながら宗次は答える。刃こぼれがないことを確認すると、刀を鞘に納めて動かなくなった敵兵の前にしゃがみこむ。
「ふぅむ。随分と装備が軽装だね。防弾チョッキも50年以上前の日本警察が使っていたものと同型だ。そして――武器が少なすぎるな。何丁か拳銃を持っているかと思ったが、それもなしと……妙だね。」
「機関銃の射手も、他に武器を持っていませんでした。」
板橋は背後の遺体を気にしながら、端的に報告する。
宗次は険しい表情で敵兵が所持していた短剣を持ち上げる。それはまるで紀元前の青銅器を思わせるような青錆が付いた剣で、刀身も歪んでいた。とても22世紀を10年後に控えた時代の武器とは思えない代物である。
「やはり妙だな。いくら何でも装備が旧時代的すぎる。日本軍能力者特殊部隊に入隊してから早6年、こんなことは一度もなかった。これは、まさか――」
宗次はいつになく暗く低い声で言いながら、思考を巡らせる。
と、そこに板橋の緊張した声が走った。
「隊長。3時の方向より敵襲です。敵兵は目視で10名。準備を。」
板橋の言う方角には、周囲に倒れる兵と同じような軽装備な男たちが、確かに暗闇の中を走ってきていた。
「やれやれ、まだ戦うのかぁ。」
宗次はわざとらしく一度苦笑いして見せると、すぐさま顔を引き締まらせる。その瞳は猛禽類のように敵を見据え、白銀の剣先がその視線の果てへと向けられる。
「じゃあ、――戦闘開始だ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます