073-聖者の過去
【聖王歴99年 黒の月 9日】
少年は自らの生まれを呪っていた。
その理由は、彼が人の姿でありながら獣の耳と尾を持つ半獣人であったためだ。
異形の姿のせいで人間から迫害を受けた……?
いいや、彼は人間から迫害を受けた事など一度もない。
迫害していたのは――
『この半端野郎!』
狼男の少年に突き飛ばされ、彼は地面に倒れた。
『へっ、この
ゲラゲラと下品に笑われた少年は彼らを恨めしそうに睨む。
だが、一番体格の大きなリザードマンに威圧され、泣きながらその場を逃げ出した!
『ちくしょう……ちくしょうっ!!』
後ろから聞こえる笑い声を振り切るため、少年は寮の部屋に飛び込むとガチャリと音を立てて施錠し、悔しそうに枕を濡らした。
――ここはジェダイト帝国。
ジュエル大陸最大の国家プラテナの南西にある、二番目の規模を誇る軍事国家だ。
そしてこの国における正義とは「肉体的な強さ」。
つまり、強ければ種族に関係なく地位と名誉を得られるのである。
もっとも、力の弱い人間やホビット族などが他者の上へ立つには優れた剣や魔法の才能が必要となるのだが、そのどちらも"持たぬ者"……それがこの少年だった。
『ヒール』
突き飛ばされた時に擦りむいた傷がたちまち癒えてゆく。
実は彼の聖属性スキルは群を抜いており、同年代の子供達の中では……いや、この国のあらゆる聖職者よりも優れた才能を秘めている。
だが、少年には帝国で生きていく上で致命的となる「制約」があった。
『ホーリーライト!』
今唱えたのは、聖なる力を手元に集約し光弾として相手へ放つ攻撃スキルだ。
本来、狭い室内で使えばたちまち眼前で暴発し大事故を引き起こしかねないのだが、そんな悲惨な状況が起こる事はなく、彼の目の前には代わりに黒文字の天啓が現れていた。
【function call error】
その謎の羅列に何が書かれているのかは読めないものの、発動に失敗している事くらい誰にだって分かるであろう。
『なんでだよ!!』
ダンッ! と音を立ててベッドに腕を打ち付けるが、その答えは誰にも分からない。
『どうして僕だけ……僕だけなんだ……!』
ジェダイト帝国の神殿では、おおよそ六割が戦士、二割が魔術師、一割が弓手という比率で天職が割り当てられる。
これが作為的なものなのか、それとも神の気まぐれなのかは定かでは無いが、強さが正義となるこの国に適した結果であると言えよう。
残りの一割には賢者や勇者といったレア天職が割り当てられることになるのだが、その中には当然ながら「ハズレ職」と呼ばれるモノもある。
『スロウ! シールドブレイク!! ……ウェポンブレイクッ!!!』
【function call error】
【function call error】
【function call error】
上から順に移動速度減少、防御力減少、攻撃力減少のスキルである。
だが、これらのような
少年は「誰かに危害を加える事が出来ない」という制約を持って生まれてきたのだ。
そして、それはつまり彼が"ジェダイト帝国で最も弱い者"という事を意味していた。
・
・
そんなある日の事、少年はいつものように同年代の子供達に痛めつけられて傷だらけとなって歩いていると、一人の男が駆け寄ってきた。
――また殴られる!!
そう思い少年が身構えると、男は悲しそうな表情で小さな頭を撫でた。
それと同時に、それまでピョコンと立っていた犬のような耳がぺたんと下がる。
「こんな小さな子供までもが強さを求められ、傷つき辛い思いをしている……。このような国だからこそ、神のお力添えが必要なのに」
男はそう言うと、少年に手をかざしながら唱えた。
「ヒール」
暖かい光が降り注ぎ、少年の傷が癒えてゆく。
自分も同じ力が使えるけれど、同じスキルとは思えぬほどそれは優しく、まるで心まで癒されるようだった。
『おじさんも聖属性なの……?』
「あはは、おじさんはヒドいなぁ。これでも私はまだ三十前なんだけど……もしかして、そんなに老けて見える?」
不安そうに尋ねる姿を見て、少年は慌てて首を横にブンブンと振る。
『聖属性しか使えないなんて、お……にーさんも苦労してるんだね』
「苦労……?」
少年の言葉の意味が理解できない男は、不思議そうに首を傾げる。
『僕はホーリーライトすら使えない出来損ないだけど、もし使えたって強い奴らに勝てるとは思えないしさ。どうしてこんな使い道のない力を聖属性なんて大それた呼び方するのか、全然わかんないよ』
少年の言葉に、男はハッとなった。
相手をねじ伏せる力が全てであるこの国において、誰かを護る力は無価値とされるのか……!
種族が違うとはいえ、同じ大陸にある二つの国同士でこれほどまでに差があるなんて。
自らの価値観とのあまりのギャップに、男は愕然とする。
「……私の名はアインツ。君の名前は何と言うんだい?」
『え? 僕の名前は……ツヴァイだよ』
少年の名前を聞いたアインツは軽く会釈すると、ツヴァイ少年に向かって問いかけた。
「ツヴァイ君、良い名前ですね。……ところで君は、聖属性が誰からも認められ、皆が平和に暮らす世界を見てみたいと思いますか?」
『あはは、そんなトコがあれば天国だよ。今すぐにでも連れてって欲しいや』
「なるほど」
迷う事無く即答で答えたツヴァイの姿に、アインツは何かを決心した様子で彼の手を握り言葉を伝えた。
「その願い、私が叶えます!」
力強く宣言したアインツの瞳には、とても綺麗な光が宿っていた。
それもそのはず。
何を隠そう、彼こそがプラテナ中央教会の「大司祭アインツ」その人なのだから。
・
・
・
【聖王都124年 青の月 1日】
アインツと出会ってから長い月日が過ぎ、大人となったツヴァイは聖王都プラテナの中央教会で聖職者をしていた。
ちなみにアインツは帝国からツヴァイを連れ出すため国に許可を求めたのだが、そこで非常に驚かされる事となった。
というのも、本来は帝国から屈強な戦士を外部へ連れ出すには非常に難しい手続きが必要なのだが、ツヴァイは戦力としても期待できない聖属性……それも他者へ攻撃できないという"前代未聞の出来損ない"だったためか、担当官の『好きにしろ』のたった一言だけで出国許可が発行されたのだ。
そんな生まれ故郷から見捨てられたツヴァイであったが、聖王都へ来てからはめきめき頭角を現し、今や大司祭に匹敵する程の実力者としてアインツの助手を務めていた。
無論、人間以外に対して差別意識の強い聖王都……それも、最も差別の激しい中央教会において自分の正体が半獣人などと言えるわけもなく、犬のような耳と尾は決して誰にも見られぬよう隠している。
まあ、そうだとしてもジェダイト帝国での暴力的な嫌がらせに比べれば、全く苦とも思えないのだが。
「お疲れ様です、先生!」
廊下で声をかけられたアインツは、そちらに目を向けると嬉しそうに微笑む。
「やあツヴァイ君。そろそろ私は出発するのだけど、何か変わった事はあったかな」
『北街のレオナール夫妻より、娘さんの事でアインツ先生へ相談したい事があると伝言がありました』
「ありがとう。それでは、先にそちらへ挨拶してから行くとするよ」
『はいっ。今回の一件で僕みたいな迷える者が一人でも多く救われる……希望の光となるようお祈りします!』
ツヴァイの言葉に嬉しそうに「そうですね」と応えたアインツの手には一通の手紙が握られており、そこには次のように書かれていた。
【建造許可証】
ジェダイト帝国教会の建造を許可する。
ただちに計画書を提出せよ。
ジェダイト帝国への布教は中央教会の悲願だった。
何しろ「力こそ正義」という単純な上下関係だけで成り立つ世界に向けて、神という新たな頂点を定義しようと言うのだから、当然ながら反対派の圧力も凄まじかった。
そんな中、聖王都にツヴァイを連れ帰ってから二十年以上をかけて、有力議員への根回しや地盤固めに注力し、ようやくここまでやって来たのだ。
あの日、ツヴァイと出逢った事が全て運命であり、神の導きなのだと今でも思う。
「それでは私が戻ってくるまで、留守を宜しくお願いしますね」
『はい!』
そして、アインツは希望を胸にジェダイト帝国へと出発し――
「行ってまいります!」
・
・
……そのまま彼は帰ってこなかった。
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