第10話 風神の力
「いやあ~、まったく、大したもんだ!」
宮阪老人のコップに酒を注ぎながら、鹿平は本日三度目の「大したもんだ」を口にした。
この夜、武見家では、宮阪老人と少女を歓迎してのささやかな宴会が開かれていた。
主賓はもちろん宮阪老人……そして“ミナカタ”なるロボットに搭乗していた少女である。
彼らを歓迎しているのは衣乃理、鹿平、健児、衣乃理の父の陸夫、そして、台所で料理をしてくれている母の明美である。
「いやいや、本当にすごいお手並みだったぜ」
「……どうも」
鹿平に注がれたジュースに少しだけ口をつけて、無感情に返事を返す少女。
恐らく自分と変わらない年齢であろう彼女の横顔を、衣乃理は
実際、衣乃理たちにとって、少女とミナカタの実力はまさに別次元と言えるものであった……。
「どおうりゃあああっ!」
黒い重機のバットが唸りをあげる。大上段からミナカタの頭部を狙う、必殺の一撃である。
「危ない……!」
棒立ちのままのミナカタを見て、思わず悲鳴をあげる衣乃理――だが。
「ぬ!?」
金属バットが振り下ろされた時には、すでにミナカタは黒い重機の右側面に回り込んでいた。もちろん、ミナカタには傷ひとつついていない。
「……え!?」
異口同音に驚く衣乃理と黄印。
「き、貴様……!?」
黄印は信じられないといった様子でミナカタを振り返る。恐らく、戦っている彼自身には、ミナカタがどう動いたかさえわからなかっただろう。
だが、傍から見ていた衣乃理には、ミナカタが何をしたかがわかった。
驚くべきことに――ミナカタは、ただ、歩いただけであった。
ただ、歩いただけ。黒い重機の攻撃を恐れずに、左斜め前に踏み込んだだけである。だが、その自然な動きをロボットで再現することの難しさを、衣乃理は直感的に理解していた。
事実、ミナカタの動きは、ミカヅチや黒い重機とは明らかに異なる。普通、重機が動く時には、搭乗者が操作してから動き出すまでの若干のタイムラグがある。それに、その動作もどこか機械的なものとなる。当然だ。機械なのだから。その特徴は、ミカヅチにしてもほぼ同様である。
だが、ミナカタは違う。ミナカタは速いだけではなく、動作に余計なタメやタイムラグがほとんど見られないのである。
「くおのぉっ!」
黒い重機がバットを横薙ぎに振るおうとする。
ミナカタは一歩踏み込むと、バットが振り切られないうちに黒い重機の右手を掴む。
「ぬ……あ……!? は、離せ!」
ただ手を掴まれただけなのに、黒い重機はその場に縫いとめられたように動けない。
どうやらミナカタは、単純なパワーだけでも黄印の重機を上回っているようだ。
「は、博士!? いまお助けします!」
そこへ、今まで様子を見ていた紫の重機が同様に金属バットで襲いかかる。
しかしミナカタは落ち着いた様子で黒い重機の右腕を引くと、円を描くような動作で紫色の重機へと叩きつけた。
どがっしゃあああん。
「ぬわぁっ!」
「きゃあっ!?」
紫色の重機はなんとか踏みとどまる。だが、ミナカタは先ほどまでの静かな動きとは一転し、力強い体当たりを黒い重機の背中へとぶち込む。
「ぬおおわぁっ!?」
どが、がらがああああん。
参道前の道路に、二台の重機が折り重なるように倒れた。
「あ、危ない!」
もしも道路に沿って倒れなければ、道の両側にある土産物屋が被害を受けるところだ……と思ったが、落ち着き払った様子のミナカタを見ていると、二台の重機が倒れる方向まで計算済みだったようだ。
「あ、あたたたた……」
コクピット内で頭でも打ったのか、黒い重機から黄印のうめき声が漏れる。
その背中に向かって、するすると歩むミナカタ――そして。
しゃらん。
ミナカタが初めて腰の刀を抜いた。
ミカヅチの布都御魂剣よりはやや短いが、それでも十分な長さがある。
「あっ……!?」
「……ん?」
白刃の冷たい光におののいて、思わず悲鳴を漏らしてしまう衣乃理。その声に気付いて、黒い重機が振り返る。
ぎゃりぃ……じゅざん!
一瞬の金属音と火花が散り――黒い重機は、一撃で右足部分を斬り落とされていた。
「……な、なあああぁっ!?」
「ひ、ひぇぇぇっ!?」
悲鳴をあげる黄印たち。黒い重機は足を斬られたことも忘れて逃げようとするが、当然、うまく立ち上がれない。
「は、博士! ここは私が……!」
ぎゃりぎゃり……がちゅん!
ミナカタの前に紫色の重機も立ち塞がった――が、全てを言い終えるより早く、その右腕が宙に舞っていた。
「――あ?」
がちゃん、と音を立てて地面に落ちる右腕と、それを斬り落としたミナカタの刀。それを交互に見ながら、紫色の重機は茫然と立ち尽くす。
がしゅん、がしゅん。
ミナカタが静かに歩み寄る。
「……き、きいっ!」
追い詰められた紫色の重機が、左拳でミナカタを突く。が、ミナカタは刀すら使わずに右肘でそれをはじくと、左の掌で紫色の重機の顔面を押し込んだ。
ぎしゃあっ。
顔面を押しながら足払いをかけ、紫色の重機を仰向けに倒す。
「きゃあぁ……ぐっ!」
紫色の重機の搭乗者――屋久と言っただろうか――の悲鳴が響いた。
これだけ派手に倒れたのだ。搭乗者もかなりの衝撃を受けただろう。
「……逃げるぞ、杏奈くん!」
黄印の鋭い叫び声が響いた。
見れば、いつの間にか黒い重機は両腕でミナカタの足にしがみ付いている。
ばしゅっ! ばちばちっ……!
同時に黒い重機の背中から鉄板が吹き飛び、剥き出しになった部分から火花が飛ぶ。
「……ええい、口惜しいが、この機体、貴様にくれてやる!」
そう叫ぶと、黒い重機の下からもぞもぞと這い出てくる黄印。
初めて見る黄印の姿は、ヒステリックな声から想像していた通りの神経質そうな男であった。
「ふあははははは! その重機には自爆装置がついている! あと三十秒でドカン、だ!」
「は、博士、早く!」
金切り声で叫んでいる黄印を、紫色の重機が左手に乗せて逃げ出す。
「くっ……皆さん、離れて!」
ミナカタに搭乗した少女が、初めて言葉らしい言葉を衣乃理たちに向けた。
「衣乃理、ミカヅチが動かねえなら降りて来い!」
「え? ……う、うん!」
鹿平の叫び声に応じて、衣乃理も慌ててミカヅチから降りる。
衣乃理たちは急いでその場を離れ、近くの土産物屋に逃げ込む。
「あなたは逃げなくていいの!?」
振り返りながらミナカタに向かって叫ぶと、少女の落ち着いた声が響いた。
「……大丈夫。なんとかする」
少女がそう言うと、ミナカタは刀を納め、右掌を眼前に掲げた。
ごうっ。
その動作に呼応するかのように突風が吹き、辺りを舞っていた木の葉や塵がミナカタの右腕に集まる。円を描いて舞うそれらの物体が、ミナカタの腕を囲む旋風の存在を示していた。
「……何、あれ……?」
ミナカタの右腕に集まった突風が、次第に黒い重機を包みこんでゆく。
信じがたいことだが、風は明らかにミナカタの意思に従って強さを増しているようであった。
だが、たとえそうだとしても、風の力で重機の爆発を抑えられるのだろうか?
「みんな、耳を塞いどけ! 鼓膜をやられるぞ!」
鹿平の指示に従い、両手で耳を押さえながらしゃがみ込む衣乃理。
その場にいる全員の視線がミナカタへと注がれる。
……しかし。
ぽんっ!
一同の緊張がMAXまで高まった時、黒い重機の背中から、出来の悪い人形が飛び出した。黄印の顔をデフォルメしたような人形だ。人形の下半身部分にはスプリングがついており、突き出した舌には下手糞な文字が記されている。
風を受けてゆらゆらと揺れる人形の舌の上では「騙されたか? 馬鹿め!」という文字が躍っていたのであった……。
「……まあ、ちっとばかしコケにされちまったが、勝敗は明らかだ。よくやってくれたぜ! ええと……」
鹿平はそう言いながら、少女へと視線を向ける。
「ああ、そういえば、まだ自己紹介もせずに乾杯していましたね」
そう言って、照れたように笑う宮阪老人。
「ああ、いやいや、俺もはしゃいじまって、うちの連中を紹介してなかったな」
「そうだよ、お爺ちゃん。いつ紹介してくれるかって待ってたんだから」
「このままほったらかしかと思ったぜ」
口をとがらせて鹿平に抗議する衣乃理と健児。二人が気になるのは、もちろんミナカタの“巫女”である少女のことだ。
「へいへい。じゃ、ざっと紹介するぜ。まず、こっちが俺の息子の陸夫。宮阪さんは、昔、会ったことあるよな。今は地元の弓友金属で働いてる」
「お久しぶりです、宮阪さん」
ぺこりと頭を下げる睦夫。睦夫は祖父の鹿平とは対照的に、あまり口数の多い方ではない。性格の方も鹿平には似ず、おとなしくて温厚な父親である。
(へえ……お父さんって、宮阪さん? と会ったことあるんだ……)
「で、明美さんは台所にいるから後で紹介するとして……こっちが孫の衣乃理です。さっき見てもらった通り、いちおうミカヅチに乗ってる」
「お話は聞いていますよ、衣乃理さん。突然のことで大変でしたね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「……」
衣乃理がそんな返事をしている間、宮阪の隣に座る少女は、黙って衣乃理を見ていた。
(やっぱり、あの子も私が気になるのかな?)
そう思ってにこりと笑いかけると、少女ははにかんだように目を伏せた。
たったそれだけの仕草だが、初めて少女から人間らしい反応を得られた気がした。
「で、隣の奴は健児。近所の家の子供だ」
「なんか適当な紹介だなあ」
「いいから黙ってろ。今からお客を紹介するんだからよ……こちらが宮阪さん。さっきお前らが見た、ミナカタを作った宮大工だ」
「作ったなんて、そんな。先人が作られたものを、なんとか修理しながら受け継いでいるだけですよ」
手を振って謙遜する宮阪の姿は、いかにも好々爺といった風情だ。宮大工と言っても、鹿平のような頑固者ばかりでもないらしい。
「で……そちらのお嬢ちゃんについては、宮阪さんにご紹介願おうか」
「はいはい。挨拶が遅れてすみません。彼女は諏訪(すわ)希(のぞみ)。ご存知の通り、ミナカタに搭乗する巫女です」
一同の視線が、諏訪希なる少女に集まる。希は一秒ほど黙ってその視線を受け止めていたが、皆が自分の言葉を待っていることを察してか、静かに口を開いた。
「……諏訪希です。中学二年生です」
「あっ、それじゃ同級生なんだ!?」
希が口にした言葉は短かったが、衣乃理にとっては有益な情報であった。物静かで、なんとなく周囲を拒絶するような雰囲気を持つ希と、二つ目の共通点が見つかったのだから。もちろん一つ目の共通点は、神の依代の搭乗者に選ばれたことである。
「じゃあ、学校はどうしたの?」
「……」
「ああ、今回は武見さん……君のお爺さんから協力要請があったのでね。二週間ほどお休みをもらってきたんだ」
いまひとつ反応のない希に代わって宮阪が答えた。
「あ、そうなんですか……ご迷惑をかけちゃってすみません」
「いいんだよ。希ちゃんは何年も前から巫女としての修業を積んでいるから、私たちで役に立てることがあれば力になるよ。ね、希ちゃん?」
「……そうですね」
宮阪の言葉にうなずきながら、衣乃理の顔をじっと見る希。そして、希は初めて、自分の意思らしいものを口にした。
「武見衣乃理さん……私、ミカヅチをよく見たい。できれば、巫女であるあなたの案内で。お願いできる?」
「え!? 私はかまわないけど……いい、お爺ちゃん?」
「おう、いいぜ。同じ巫女どうし、話もあるだろう。お前にとっちゃ巫女の先輩だ。しっかり学ばせてもらえ」
ミカヅチとミナカタは、鹿島神宮の前に駐機してある。衣乃理の家からなら、歩いて三分とかからない距離だ。
「じゃ、もう夜だし、俺も一緒に……」
「いえ。武見さんと二人だけで話がしたいの」
健児が同行を申し出ようとしたが、希は今までの緩慢な反応が嘘のようにぴしゃっとそれを制した。
「え……あ、そう?」
「……ま、いいじゃねえか。女同士、二人だけで話したいこともあるだろう。行ってきな。俺らは俺らで、大人同士の話があるからよ! さ、宮阪さん、飲んでくれ!」
白けた場の空気を誤魔化すように、鹿平がはしゃいだ声をあげる。
「うん……じゃ、行こうか、諏訪さん!」
「よろしく」
まるで茶道の先生のように、ほとんど上体を揺らさずに立つ希。身長は衣乃理とほとんど変わらないのに、どこか大人びた威厳がある。
(し、失礼のないようにしなくちゃ……)
衣乃理は妙な緊張を覚えながら、希を玄関へと導いた。どうもこの諏訪希という少女は、衣乃理が知っている同年代の少女たちとは雰囲気が違う。
……だが、もしかするとそれは単に、大人たちの前で礼儀正しく振る舞っているだけなのかもしれない。二人きりになれば、年齢相応に明るい少女の顔が見られるのかもしれない。
衣乃理にとって、それは予測というよりも願望であった。
(諏訪さんと仲良くなれますように……)
思わず神に祈ってしまう衣乃理。
――だが、ここは鹿島。戦神、建御雷神が治める地である。
果たして戦の神は、二人の少女の縁を取り持つことができるのだろうか……?
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