プロローグ9 そして役者は舞台へ
西暦2020年9月11日 東京都中央区日本橋 日本再建党本部
「これは陰謀ですよ!」
会議室に、高い声が轟く。
ここ日本再建党の党本部では、変色海域改め国土転移災害とそれに対する政権への対応に対してどのような方針で向かっていくのかの会議が行われていた。
日本再建党(以下「再建党」)は「行動する保守」系の政治団体から転向し、他党の一部の議員などが加わることで2019年に結成された政党である。欧米諸国におけるナショナリズム政党の伸展と軌を一にしており、米朝軍事衝突以後の世論の変化や社会の分断の表面化という背景の中で急速に支持を伸ばし、小政党を飲み込みつつ拡大、米朝軍事衝突の後行われた衆議院解散総選挙で15議席を獲得した。議席数では野党第一党である左翼の社会労働党(以下「社労党」)には及ばないものの、その躍進ぶりから2020年現在間違いなく最も勢いのある党であった。
「高半政権は猛烈な勢いで海外資産を溶かしています。海外市場で円が紙切れになったこの状況下で、です。こんなもの売国以外の何物でもありませんよ!」
「はいはいどうどう」
猛り狂う女性議員の上野を、党首の高田が投げやりに宥める。
上野女史の実に「愛国的な」発言を党首である高田が宥めていることからも窺えるように、「党の方針としては」再建党は所謂「保守」ではない。「行動する保守」団体から発展したといっても、政党として旗揚げするまでの過程で、その理念は国防の重視はそのままに、過度な保守主義・国粋主義的な要素を前面に出すことをやめてより現実的な路線に、さらに世論の潮流の変化に伴い右派(小さな政府、つまり緊縮財政、支出を減らし「無駄をなくす」路線)から左派(大きな政府、つまり社会保障や財政出動など、格差是正や景気回復の為に「支出すること」を重視)へと変化していた。そして先鋭化していた再編前の左翼系野党内で現実的な意見を述べたがために孤立した者や、いくつもの派閥と思想を持つ与党内で再建党の方針に賛同した者、巨大政党である民主自由党(以下民自党)内では志を果たせないと考えた者、再建党の将来の発展を予想し立身出世を狙う者などが合流し、必ずしも一枚岩ではないながらも社会保障重視と現実的な国防政策を両立した、民自党とは異なる新しい政党として支持を集め規模を拡大することに成功した。
さて今しがた述べたように、急激な規模拡大の代償として再建党は必ずしも一枚岩ではない。その象徴の一つが先ほど声を荒げていた上野で、再建党がまだ「行動する保守」系の政治団体「日本人差別を許さない国民の会」であった頃からの古参であり、党首の高田とも長い付き合いであった。「行動する保守」団体に創設から関わっているだけあってその思想は「自国第一主義」のさらに先へ片足を踏み入れており、社労党はもちろん戦後の長きにわたって日本の政治を牽引した与党民自党をも「日本を危機的状況に陥らせる『平和主義』を放置し、弱腰外交で傍迷惑な隣国をつけあがらせてきた国賊」と見做していた。それ故に今回の「転移」騒動とそれを巡る高半政権の動きを、日本に著しい不利益をもたらすものであると強く懸念しており、それが先ほどの発言につながるのであった。
「そもそも本当に転移とやらがあるのなら、直前まで隠しておけば円で買い物もできたというのに」
一面では正しい。しかし別の党員が反論した。
「しかし上野さん、そうは言いますが海外で働いている日本人だっています。彼らの引き揚げにも時間がかかりますし、転移とやらが本当に起こるとするならばタイミングは適切だったのではないでしょうか」
世界各地で日本人は働いている。彼らは海の向こうから、祖国の経済を支えている。その彼らの引き揚げにかかる時間を考慮すれば、政府の判断を適切とするのもまた一理あると言えるだろう。
「しかしこういってはなんですが、それは大事の前の小事では?」
国家というシステムは時に、より多くを救うために少数の犠牲を許容する。確かにそういった面もあり、そしてそうあるべき場面もある。しかし。
「おいおい、私たちの生活は海外から飛行機や船で物資や資源を運んでくる人々に支えられている、それを見捨てるなどとんでもない。それにそれが暴かれた時日本という国家の存在意義そのものが危うくなる、そういう爆弾を抱えることになる。第一国民に寄り添うことを至上として支持を求めてきた私たちがそういうことを言ってはおしまいだ。原点は忘れないようにしなければ」
高田が諫める。国家の運営において、大を救うために小を切り捨てる冷徹さは重要なものではある。しかし再建党はいまのところ野党であり、それを批判することで国益のための残虐の度が過ぎぬよう牽制し制御する側である。また党そのものの方針として、高田はそうした非情をよしとはしなかった。
「何か買うにも交渉の期間というものは必要だ。それにどのみち海外資産や外貨は持っていても転移してしまえば消滅するのだから使わなければそれこそ無駄になるが、かといって使い切る勢いで溶かせばやっぱり怪しまれるし信用も落ちる。「借金まみれ」のこの国が未だに国債を発行できていたのはあれらによるところも大きいことは、お前も重々承知だろう?」
「しかし高田さん、だからこそ転移がなかった場合のフェイルセーフとして残しておくべき部分もあったのでは?」
「だからこそ高半政権は転移してもしなくても資産として使える貴金属やその他の資源を買い集めていたのだろう?」
「ですがそれも転移がなければ資産を無為に減らすだけでしょう?そもそも転移などという世迷言をどこまで信じられるものか」
「それについては私も同意見です。信じるにはあまりにも証拠が足りなすぎます」
「同感です。情報の開示も含め、もっと議論が尽くされてから行動すべきだったはずです」
「この点は厳しく政府を追及すべきです!」
白熱する場。上野をはじめ、再建党の党員の多くが未だに転移そのものについて懐疑的であった。無理もなく、この時点では転移という事象についての説明はされてはいたものの、原理原因不明、どうなるのかも具体的には不明と「説明がついていた」とは言い難い状態であった。そのため世界的にも未だに懐疑論が優勢であった。
「その通りだ。だからこそ私たちの基本方針は今後も変わらない。徹底して情報公開を求めること、その情報をもとに議論を重ねてから動くべきであることを強く主張しつづけること、それだけだ」
「わかりました。ですがこのままでは連中止まりませんよ」
「我々としても『民自党とは違う』ということを示すにその方向はよいと思います。しかしそれだけではなんとも、押しが弱くはないでしょうか」
「致し方あるまい、まさかこの混乱期に社会労働党のように法案や大臣の首を人質に取るわけにもいかない。今は国家と国民の為の行動に徹するべきだ。支持者の皆様方や国民へのアピールはすべきだが、それが我が党の信頼を傷つけるようなものであってはならない」
これ以降、再建党は情報公開を求める国民の声を背景に政府への働きかけを強め、いくつかのさらなる情報開示とオージア連合王国への説明要求を引き出すことに成功し、国内外の人々へ貢献した。
それから半年間、日本は膨大な海外資産を使い資源や食料を備蓄し、持っていないが必要な技術を手に入れ、日本しか持たないが各国が必要とする技術を可能な限り提供した。未知の惑星の映像や、生物や鉱物などの資料の調査によって、日本が未知の惑星へと転移することも、徐々に世界に受け入れられていった。一部の国の軍艦が変色海域へと突入するなどひと悶着あったりもしたが、各国の思惑が複雑に絡み合いながらも月日は矢のように流れていった。
西暦2021年3月6日 フロリダ州パームビーチ マール・ア・ラゴ
衝撃の2020年から明けて2021年3月初頭、高半総理は日本国首相として最後となる訪米をし、最後の日米首脳会談が行われた。
会談はつつがなく終わり、総理とカード大統領は大統領の別荘へと来ていた。国際社会の場において孤立しがちであったカード大統領であったが、高半総理は数少ない盟友であり、友好国の首脳同士としてだけでなく個人的にも親交があった。そのためこれが友との今生の別れと、大統領は高半総理夫妻を別荘へと招待したのだった。共通の趣味であるゴルフをするなどして短い最後のひと時を過ごした後、別れの時がやってきた。
「さようならだ、シンゾー」
「ええ、さようなら、ドナルド」
分かたれる世界、二人のリーダーが顔を合わせることはもう二度とない。
西暦2021年4月1日 北海道野付郡別海町 とある牧場
正午前。
「ねぇおとうさん、なんできょうはこんなにくらいの?」
この日は朝から夜のように暗かった。日の出を過ぎて太陽は確かに東の空に昇っているのだが、何故かおぼろ月よりも頼りない光しか出さなかった。
「うーん、なんでだろうなぁ」
白髪の女の子の疑問に、昼の休憩中の父親も答える術を持たない。
「テレビでもつけてみたら、何かやってるんじゃないか?この天気はおかしい、きっとニュースになってる」
「そっか、そうだね、ちょっとみてくる!」
ぱたぱたと娘が駆けてゆくのを、父親は微笑ましそうに見送った。
「なんかね、『てんい』のせいなんだって」
「ああ、『転移』か、そうか近いって言ってたけど今日なのか」
「ねぇ、『てんい』があったらどうなるの?」
「なんでも、別の世界へ国が飛ばされるんだって」
「べつのせかい…?べつのせかいってなに?」
「うーん、ちょっと難しいか…」
しばらくして突然、空が一切の光を失った。
「あ!まっくらになった!」
「おお、なんだ?」
完全な暗闇は、次の瞬間からは徐々に明るさを取り戻してゆく。
「あ!あかるくなったね」
「本当だ、いつも通りに戻ったね」
しかし、その陽光はそれまでの「いつも」とは全く違うものになっていた。
そして、その陽光はそれからの「いつも」になってゆくものだった。
西暦2021年4月1日正午「国土転移災害」発生。
日本は、異世界へと転移した。
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