プロローグ7 記者会見

???暦???年??月??日 太平洋上?


見渡す限りの海原に、夜の帳が下りていた。横浜港より南南東へ約1500キロメートル。ここは太平洋の只中である。そのはずである。いや、そのはずであった。

「すごいな、これは」

一人の男が、水平線の他に遮るもののない文字通り満天の星空を見上げながら、そう呟いた。

「はい、先生。まさかこのようなものを目にする日が来るとは思いもよりませんでした」

かなり若い声が応えた。


彼らの見上げる夜空に、我々の知る星座はない。





西暦2020年8月12日 とある国会議員の事務所


『…変色海域は伊豆諸島に続き、本州太平洋岸の広範囲と四国の大部分、小笠原諸島を飲み込み、現在もなお拡大を続けています。海上自衛隊の護衛艦を含む複数の船舶が同海域周辺で行方不明となり、一部は未だ発見されていないことから同海域では船舶の航行が原則禁止されていますが、変色海域の拡大に伴いさらなる経済的損失の拡大が懸念されています。国土交通省や文部科学省などによる合同の調査チームが現在調査中とのことですが、現在に至るまで変色の原因や影響については不明とのことです。大塚 国土交通大臣は、…』

テレビが公共放送のニュース番組を流している。

「先生、これは陰謀ですよ!」

若い男が、目の前の机を叩くと同時に大声でそう言った。

「これはアジア、ひいては世界を戦乱へと導こうとするタカナカの陰謀に違いありません!なんとしてもこの事実を善良なる市民へ知らしめ、一致団結して高半政権を打倒し、民主自由党の一党独裁体制を打破しなければなりません!!」

続いて男の口は、いかにも某SNSにありがちな内容を呟き文語調から口語へ機械翻訳したかのような台詞を吐き出した。

「うむ、その通りだ保土君。我々はあの邪悪な高半内閣を解散へ追いやらねばならない。そしてこれは好機だ。こうして表へ出たということは、奴は何か失敗をしたのだ。ここまでの異常現象、おそらく原発事故以上に海洋環境に悪影響を与えるかもしれない。善良な市民の皆様へこの危険を訴え、最近の欧米をはじめとする世界の市民の革命運動にこの国も続かなければならない」

「はい!」

保土と呼ばれた若者が語りかけていた相手は、机の引き出しから数枚の紙を取り出すと、それを保土へ渡した。

「これが今回の指令書だ」

「おお!」

「いつものように皆で内容を共有したらこれは燃やすか、シュレッダーで処分しなさい。これは君たちのためだ。なにしろ私は悪辣な公安の連中、タカナカの手先共にマークされているからね。まかりまちがっても君たちが私と関係があると思われてはならない。私になにかあった時、君たちまで巻き込まれてしまうからね」

当然、逆のことも言えるわけであり、それこそが本音なのだが。しかし「先生」と呼ばれている男に心酔している保土はそんなことは露知らず。

「いつも言っていますが、私たちは皆先生を尊敬しています。タカナカに先生が狙われるようなことがあっても、皆命に代えても先生をお守りする覚悟はできています!」

無駄に忠誠心が高く、控えめに言って頭が回らないがために地味に「先生」の思惑を潰しかけた保土だったが、しかし「先生」はその程度のこと問題にもしなかった。

「そうは言うがね保土君、君たち若者が私のような年寄りのために命を投げ出してしまっては、私の意志を継ぐものがいなくなってしまう。それではだめだ。私たちは崇高な理念を実現するまで、命を投げ出すよりしぶとく生き延びて戦い続けなければならないんだ。それに君たちのような若者が戦争で命を投げ出すことのない国を作るのが私の役目だ。それが君たちのような若者を盾にしてしまっては、未来ある若者たちを徴兵し過酷な戦場で戦わせ自らは豪邸でぬくぬくと暮らし高みの見物を決め込むタカナカのような連中と同じになってしまうよ」

「そんなことはありません!先生はこの国に必要な人なんです!先生は守られるべき人なのです!もとより凶悪なタカナカと戦うと決めたとき、皆覚悟はしているんです!」

「ありがとう、君の気持ちは嬉しい。だがそれでも、私もまた君たちと同じ覚悟をしている。私も君たちと共に戦う者だ。そして私は年長者だ。後に続く世代の為、盾になるのは年長者の役目だ」

「そこまで私たちのことを考えてくださっているとは…私たちは、先生のような素晴らしい人の為に戦えて嬉しいです!きっと善良な市民たちもやがて先生の人柄に触れ、私たちに続くことでしょう!」

白々しい美辞麗句を並べ、「先生」は保土を誘導し、保土はより一層「先生」に心酔した。

「では、私はこれを皆の元へ持っていきます。それではまたお会いしましょう」

「ああ、また会おう」

「必ずや、タカナカ政権の打倒を!」

「…ああ、必ずや高半政権を打倒しよう」

保土は出て行った。

(…ふん、単純でいい。最も心酔させすぎて少し扱いにくくなってきたな。単細胞は単細胞らしく大人しく言うことを聞いていればいいものを、余計な気を回しよって)

「先生」と呼ばれていた男、社会労働党の国会議員である堀は心の中でそう呟くと、秘書に指示を出した。

「東沢委員長に連絡してくれ、今後の対応を詰めねばならん」





西暦2020年9月4日 東京都千代田区永田町 内閣総理大臣官邸 記者会見室


 多数の人間が集まり、広い部屋がざわざわとしている。お馴染みのあの部屋であるが、普段よく見る若干灰色がかったライトブルーではなく、濃い青のカーテンがかかっている。記者会見を行うのが官房長官ではなく、この建物の当代の主であるということだ。

 主役が入場する。と同時にざわめきは雨音のようなシャッターの乱射に掻き消される。主役は壇上へ上がると、国旗へ向けて一礼する。演台の前まで来ると、そのまま横を向いたまましばし停止、段の左側にいるカメラマン達が一通り写真を撮り終わるのを待って、合図と共に前へと向き直る。

「えーただいまから、高半内閣総理大臣の記者会見を始めます。始めに、総理から発言がございます。皆様方からの御質問は、総理の発言の後にお受けいたします。それでは総理、お願いいたします」

「『変色海域』と呼称される我が国太平洋側の海色の異常現象につきまして、調査の現状と今後の方針を国民の皆様、そして世界の市民の皆様へご報告致します」

 総理が、いつになく緊張した様子で話し始める。

「まず、当該海域における船舶の消失現象の原因についてですが、当該海域から外側の海域へと出る際、条件は不明ながら未知の海域へと接続する場合があることが判明いたしました。この海域は地球上のどこにも確認されていなかったものであり、また各種天体の配列や形状、各種衛星を含む地球上すべての場所および手段からの電波あるいは光学的な通信や信号の途絶、ならびに未確認の新種生物や未知の現象が多数確認されたことなど、複数の証拠から地球上ではない可能性が高いものと考えられます」

「「「「「「!?」」」」」」

 瞬間、場が凍る。ついでにテレビ中継越しに日本全土が凍土と化した。

(未知の海域だと…?)

(地球上ではない…!?)

(ついに気が狂ったか?)

(与党だって一枚岩じゃないんだぞ、止める奴も隙を突く奴もいくらだっているだろう)

 時が動きだすとともに、どよめきの大波が広がっていく。

「静粛にお願いします」

「「「「「………………」」」」」

 波は穏やかになっていった。総理は続ける。

「未知の海域における調査の結果、地球とほぼ同規模の地球型惑星である可能性が高いことがわかっており、またこの未知の海域には陸地が存在し、人類に近い知的生命体の生存と、この知的生命体による文明ならびに国家の存在を確認しています。4月末から6月初旬にかけて行方不明となっていた海上自衛隊のミサイル護衛艦「いぶき」を発見、保護し、我が国へと護送した『オージア連合王国』を名乗る国家と我が国は、先頃国交締結の交渉を妥結しました。同国による未知の海域での我が国船舶の捜索ならびに救助活動は現在も行われており、既に複数の船舶を発見、救助しています。これについて日本国首相として、深く感謝の意を表します」

 ネットの実況動画や掲示板の実況板、SNSの実況タグでは「異世界への門ktkr」「異世界キタ━(゜∀゜)━!」などのコメントが飛び交う。それはその情報を受け止めているというよりも、どこか疑い茶化し、あるいは投げやりに現実逃避しているようにも見えた。

 当然といえば当然である。少なくとも昨日までまともだった一国の首脳が、突然「宇宙人と接触した」だの「地球と彼らの母星がワープホールで繋がった」だのと言い出したとして、それをいきなり受け止められる人間はそうはいないだろう。

 しかしこれで終わるほどこの話は甘くはなかった。心なしか震えているような総理の声によって、すべてのまともな日本人の理性へとどめの一撃が放たれる。

「国交締結の交渉を行っていることからわかるように、この知的生命体とは意思の疎通が可能であり、既に実際に行っております。そして彼らからもたらされた情報により、『変色海域』内部は元いた惑星から切り離され、未知の惑星へと取り込まれる可能性が高いことが判明しました」

「「「………」」」

 恐ろしく嫌な予感。そしてそれは的中する。

「『変色海域』の拡大がどこまで続くかは不明ですが、『オージア連合王国』が未知の惑星の各地で行った調査のデータなどから、少なくとも


 


ものと推測されます」


「「「「「「「「「「「「!!!!!!!!」」」」」」」」」」」」

 凍り付いた世界は、次の瞬間砕け散った。

「静粛にお願いします!」

 内閣広報官の一喝で、場は一応の静けさを取り戻すが、動揺は広がったままだった。

「日本政府はこの事案を「国土転移災害」と命名、現在緊急災害対策本部設置の準備を進めており、関係省庁と連携し全力を以って対策にあたってまいります。転移の発生時期については今のところ断定はできないものの、半年から9ヶ月後と推測されます。その他詳しい情報は、この後設置される国土転移災害緊急対策本部から随時公表してまいります。日本国民の皆様におかれましては不安に感じられることと思いますが、可能な限り平静と同じように生活していただくことをお願い致します。私からは以上となります」

「」

 誰もが思考を放棄した。圧倒的なファンタジー現実についていけた者は、一人としていなかった。

「えーそれでは、皆様から質問を頂きます。質問は、所属とお名前を明らかにした上で…」


 この記者会見によって、日本が、そして世界が大混乱に陥った。信用不安から円も株価も大暴落し、かねてからの世界情勢の不安定化に伴う先行きの不安があったとはいえ、震源がウォール街でないにも関わらず、世界経済は世界金融危機を上回る大惨事となった。

 この日を境に日本政府は国土転移災害緊急対策本部を中心として、転移への備えを憚ることなく表立って行うようになった。それは否が応でも国民に、そして世界の人々へ「転移」を意識させた。現代科学の常識を遥かに超えた説明に、高半政権の正気を疑う者は少なくなかったし、あるいはその大いなる神秘に、科学を疑う声オカルトが強くなったり宗教や神への信仰が再び蘇りはじめたりもした。

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