11. Into the ruins

 夜が明ける頃、刹華が自室に戻ると、ベッドの上段から声が聞こえてきた。

「あの子、どうなったの?」

「事情を話して、頼りになる人にお願いしてきた。大丈夫だ」

「その『頼りになる人』って、レッダー?」

「レッダーじゃねえけど、子供に強いしあたしよりも喧嘩が強い」

「どんな人脈持ってるの……商店街の人達も刹華と仲良さそうだったし、刹華って、結構不思議な生態してるよね」

「お前には言われたくねえよ……あー、もう疲れた」

 そのままの服装で、刹華はベッドに倒れ込む。

「寝る前にちゃんとシャワーくらい浴びてよ。あんなのとやり合ったんだから、汗かいてるでしょ」

 羽月の言葉に対して、刹華は動こうとしない。

「起きたら浴びる。あんなのとやり合ったら、もうなんも残らねえよ」

「もう……」

 しばし静寂。そして、その静寂の中で羽月はふと思い出した。

「……刹華。あの蠍の子、なんか変じゃなかった?」

「……分かんねえけど、これまで見た奴とは明らかに違ってたな」

 夜の静寂しじまで荒れ狂う、甲殻。

「獣化が解けた時に殻が身体から外れたことに違和感を感じる。それに、なんというか……殻があの子の制御を離れて暴れていたような……」

「なんつうか……怯えてたんだよな」

「それは君を怖がってたんじゃないの?」

「……いや、多分そうじゃない」

 もっと深い、感情というよりも心の傷跡。そういったものを刹華は感じていた。が、感じていただけで何も分かってはいない。

「駄目だ。分かんねえから寝る。お前もさっさと寝ろ」

 捨て台詞のように吐き捨て、タオルケットを被る。

「はいはい、おやすみ。あ、月曜日はミサがあるからね。忘れ物しないように」

「面倒くせぇな。聖歌の本どこやったっけ……」

 そのまま、刹華の意識は薄れていった。




 午前十時、刹華は目覚めた。今日の夜はバイトが入っているが、まだ身体のだるさが取れていない。空腹をどうにかするよりも、眠気の方が先に立つ。

 ふと、眠気を抑えながらベッドの上段を覗いてみると、予想通りベッドの上段はもぬけの殻だった。午前六時過ぎまでは起きていたので、睡眠時間が四時間弱。

 止めても仕方のないことなんだろうなと、刹華は再び夢の中へと沈んでいった。






 数日が過ぎ、刹華は貧困なりに通常通りの生活を送っていた。今までと違うところといえば、授業を真面目に聞こうという意思を持っている点だろう。理解しているかは別として。

 とは言え、遅刻は今週に入ってから全くしていない。その進歩により、数人の生徒から不気味がられ、数人の教師から天変地異の前兆ではないかと心配され、約一名の生徒を通常見られない程喜ばせていた。

 金曜日のこの日も、刹華は遅刻することなく登校する。それもかなり早い時間に。それでも、刹華よりも早く登校している生徒が一人だけいる。

 烏丸羽月だ。

「今日も早いね。あんまり早起きし過ぎると、長続きしないんじゃない?」

「お前にだけは言われたくねえ」

 前日の復習をしている羽月の横に、刹華は鞄を置いた。

「……クマできてるぞ」

 刹華は目を合わせずに伝える。

「……おかしいな。昨日はちゃんと寝たんだけどね」

「二時間睡眠はちゃんと寝たに入らねえよ」

 返答はない。それから暫く、静かな時間が続く。刹華は教科書の最初の方を眺め、羽月は勉強を続ける。この一週間の早朝はこんな風景が続いている。

 刹華も、バイトが入っていない日やバイトの帰りに少しだけ捜索を手伝っていたが、恐らく毎日夜を徹してやっているであろう羽月の負担は比ではない。

「せっちゃん、おはよー。今日も遅刻してなくて私は嬉しいよー」

 葛森ゆうりはご機嫌にてくてく登校してくる。

「はーちゃんもおはよー。ん? はーちゃん、疲れてる?」

 ゆうりは羽月の顔を覗き込む。

「いつも通りだよ。昨日の復習してるだけだから、心配しないで」

 ゆうりからも、羽月が通常運転のようには見えなかった。

「……せっちゃん、ちょっといい?」

 刹華はゆうりに耳打ちされ、腕を軽く引っ張られながらゆうりの席へと誘導される。

「はーちゃん、なにかあったの? なんだかやつれてる気がするけど……」

 意外と鋭いところを突いてくるゆうりに、刹華は眉間に皺を寄せる。

「分からねえよ。あいつにも事情があるんだろ」

「……そっかー、せっちゃんも知らないなら分かんないねー。はーちゃんと一番仲がいいのはせっちゃんだしー」

 羽月とは刹華が一番仲が良い。刹華にはそれがにわかには信じられなかった。

「あたしが? あいつと? ……お前の方が仲良いだろ」

「んー。仲良くしては貰ってるけど、ちょっとだけ距離を置かれてる気はするなーって。はーちゃんはせっちゃんにだけは遠慮がない気がするよー?」

「それはあいつがあたしを気に入らねえだけだろ」

「そうじゃないと思うけどなー」

 刹華は上手く理解が出来ず、頭の上にクエスチョンマークが複数個浮かんでいた。

「せっちゃん。はーちゃんが困ってたら、できるだけ助けてあげてね」

 いつものゆうりのはずなのだが、今日は妙に断りづらい雰囲気があった。

「……出来るだけな」

 ゆうりと話をしている間に、生徒が少しづつ揃い始めてきている。まだまだ時間はあるので、本当に少しづつではあるが。

「あ、せっちゃんにお願いで思い出したけど、もう一つお話があったんだよー。この前送られてきたんだけどねー」

 ゆうりは自分の携帯電話を取り出し、動画を用意して机に置いた。サムネイルに見たことのある派手な人物が映っていたので、刹華は嫌な予感がしていた。

 ゆうりは再生ボタンを押す。

『諸君、急で悪いが重要な連絡だ。緊急といってもいい』

 教壇のような机に霧山美里が手を突き、叫ぶように語り始めた。

『これを観ている君達が善人であると見込んで、お願いがある。この男を見つけたら知らせて頂きたい。火神真也という指名手配犯だ。賞金もかかっている』

 彼女の友達に三百万円という大金が必要になっていること、それは急な話で地道に貯めることは叶わないこと、なので彼女はこの馬鹿馬鹿しくリスキーな手段に賭けているということ、その言葉を口にする彼女の目に嘘偽りはなかったこと、なので危険を犯さない範囲で目撃したら知らせて欲しいということ。美里の演説の内容はそんな内容である。

『私は感じた。彼女の目から悲壮な覚悟を! あれは恐らく、難病を患って死の淵に立たされている兄弟を助ける覚悟だ! ならば、私も腹を切ろうではないか! 彼女と君達の為に! 捕まえる為の決定的な情報をくれた者には、心ばかりではあるが、玄武タワーにあるあのビストロシマダでのお食事チケットを私から二人分プレゼントする! 当然、賞金が手に入った場合は、適切な方法に使われたという報告もきちんとする! みんな、安全第一で、よろしく頼むぞ!』

 色々突っ込みたいところが満載の動画を観終わると、あいつは女優か教祖でも目指しているのかと、刹華は心の中で思った。兄弟のくだりなど、美里の目からは涙が溢れていた。事情を知っている身としては、一周回って胡散臭い。

 その時、丁度教室に入ってきた美里と刹華の目が合った。美里は遠くから状況を察したのか、サムズアップをキメて自分の席についた。刹華はそれを見て複雑な気持ちになる。

「こういうことみたいだから、私達も協力しよー? 積極的には探さないけど、見つけたら連絡する、くらいでさー」

 ゆうりの呼びかけで、刹華は我に返る。ゆうりも心の底から信じてるところを見ると、美里は皆からそこそこ信頼されているのだろうなと思った。ゆうりがお人好しなのを差し引いても。

「あ、ああ。まあ、覚えておく」

「でも、美里ちゃんのお友達の家族、助かるといいよねー。ヒガミさん、見つかるかなー」

 その難病を患った兄弟を持つお友達が後方の席で予習をしていることは、隠し事が下手な刹華も流石に口にしなかった。そして、兄弟のくだりがデタラメであるということを思った上で、ふと、刹華は思い出したように考える。

 本当の理由はなんなのだろうか、と。






 事が起こったのは三限目のことだった。数学の演習問題を解いている時間に、羽月が先生に声をかけた。

「すいません先生。体調が優れないので、保健室に行ってもいいですか」

 いつもの羽月に比べると、覇気がないように刹華は感じた。それも、ここ数日で一番覇気がない。

 中年女性の教師から許可を取り、席から立ち上がろうとした羽月は、あろうことかふらついて倒れてしまった。

「烏丸さん大丈夫? ちょっと鬼ヶ島さん、保健室まで連れて行ってあげて」

 教師に言われるまでもなく、刹華はそのつもりだった。黙って羽月に肩を貸すと、保健室に向かうべく教室の後ろのドアを出た。

「……ごめん」

 羽月は小さい声で謝った。

「……うるせえ。余計な事考えんな」

 二人は、それ以上何も言わなかった。




 教室に戻っている時に、刹華は三限目終了のチャイムを廊下で聞いた。つまり、教室に戻るといつも通りの昼休みの時間が流れている。

 自分の気持ちとのギャップで、溜息でもつきたくなる刹華。だが、それを許さない人物がいた。

「鬼ヶ島さん、ちょっとよろしいですか」

 財前ざいぜん静栄しずえ、このクラスの清掃委員である。馬鹿真面目で有名な黒髪眼鏡。そして、あの高飛車お嬢様、栄花リオンの腰巾着。刹華にとってはそれだけの印象しかない彼女は、刹華の返事を待たずに腕を掴み、人気のない隣の特別教室へと無理矢理引きずり込んだ。

「……あれはどういうことですか? 烏丸さん、ボロボロでしたけれど」

「あたしが知るかよ」

「ルームメイトの貴方が、何故知らないんですか」

「知らないことなんて山程あるだろ。気にすんな」

「ふざけないでくれませんか。私が冷静でいられなくなります」

 もう既に冷静ではないように見える静栄。彼女から向けられる感情とその根源が何なのか、刹華にはよくわからなかった。

「……私達は、烏丸さんを高く評価しています。

それは先日、栄花様が仰っていたので、貴方も知っている所だと思います」

「同級生に様付けかよ……じゃあお前も、あたしみたいな馬の骨と親しくするのがなんとかって……」

「断じて違います!」

 強い口調で、刹華の言葉を遮る静栄。

「栄花様は違うかもしれませんが……私は、貴方をある程度認めています。私には烏丸さんの考えを理解出来ませんが、貴方の何かしらが彼女の琴線に触れているのだと理解しています」

 淡々とした口調でありながら、そこには確固たる意志があるように刹華は感じていた。

「烏丸さんは日に日に衰弱していくような様子でした。貴方も、それには気が付いていたでしょう。どうして止めなかったのですか」

「あいつにも色々あるんだよ。知らねえけど、無理をしないといけない時だとかで」

「体を壊しては元も子もありません。何をしているのかは分かりませんが、今まで無理して取り組んでいたことも出来なくなります。そんな簡単なこと、貴方だって分かっているでしょう?」

「だったら何だっていうんだよ。用があるなら短く言え」

 静栄は刹華の目を直視しながら、ゆっくり告げた。

「彼女の間違いを止められる、彼女の友人に相応しい人間になってください」

 静かな空間の中で、静栄の身体が小刻みに震えていることに刹華は気が付いた。

「……すいません。余計なお節介だったと思います」

 そう言い残すと、静栄は特別教室から出て行った。刹華といえば、並んでいた椅子の一つに乱暴に座った。

「何が余計なお世話だ……面倒くせぇな……」

 何故か、蠍を取り押さえた時よりも疲れたように感じていた。

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