03. Into the trouble
「……こいつは、なんだ?」
「見て分からない? 指名手配のポスターだよ」
胡散臭い成人男性の顔写真に男の特徴、男の犯した犯罪が放火と殺人であること、そして報酬三百万円の文字。まごうことなき指名手配のポスターである。
「そうじゃねぇよ。これで何をするんだって聞いてるんだ」
薄々気がついてはいるものの、刹華はそれを現実的な発想と思えず、羽月自らの口で述べることを促した。
「だから、この人を捕まえて三百万円貰うんだよ」
嫌な予感が的中し、刹華は天井を仰ぎ見た。しかし、羽月は話を続ける。
「
「……もう逃げてるんじゃないのか。この事件、確か三ヶ月前くらいのだろ。ニュースで見たぞ」
確か、人を沢山殺して教会を燃やしたんだったか。そんなふうに、たまたま見たいつかのニュースを思い出しながら、話半分で聞く刹華。
「ところがなんだよね。三日前にこの街、三田ヶ谷で目撃されてるんだよね。ネットで晒されててさ。つまり、この街にまだ三百万円が転がってるんだよ。一攫千金、悪くないでしょ?」
「それにしても、リスクが高過ぎる。バイトで稼いだ方が確実で安全だろ」
「成功すればこっちの方が早いよ。私には時間が無い」
「……やってられるか」
交渉の結果は決裂だった。刹華は立ち上がると、羽月に背を向けた。
「いいの? 私は君のこと通報しちゃうけど」
「勝手にしろ。ご馳走様」
出口に歩きながらぷらぷらと手を振ると、刹華はガラスのドアを叩くように押し開けた。
夕方。刹華は街を歩いている。宛もなく、ただぶらぶらと大通りを突き進む。鬼ヶ島刹華は、何かを考える時にこのような行動をとる。
変な奴が転校してきたものだと、烏丸羽月のことを思い出す。
頭の良さそうな奴だと思っていたが、とんだ買い被りだった。指名手配犯を探すなんて、ファンタジーの賞金稼ぎでもあるまいし。不可能だと分かりきった事だろうに。
確かに、あたしが賞金首もとい指名手配犯を見つけたら、捕まえる事は可能かもしれない。というか恐らく可能だ。相手がナイフか何か持っていたら多少危ないかもしれないが、その辺のヤンキーでもそういったケースはあった。多分いける。問題は、その相手が何処に居るのか分からないってところだ。この街に居るのか居ないのか分からない相手を探して時間を浪費するなんて、馬鹿げている。寝てた方がマシだ。ましてや、あたしのことを労働力くらいに見ているフシがある。独り遊びでやるなら勝手だが、そんな徒労に巻き込まれるなんてゴメンだ。本当は、働きたくなくて楽して金を得たいだけなのではないか。そんなの、警察沙汰になろうとやってられない。
赤信号に足止めされ、刹華は思考を止めて辺りを見渡す。少し遠くに来た事を教えてくれる町並みに、横にはくたびれたスーツの男。それが火神という指名手配犯ではないと確認して、さぞ仕事で絞られたのだろうと想像する。想像して、思い出す。
『私には時間がない』
烏丸羽月がそう言った時の顔を思い出す。刹華には真剣な表情だったように見えた。それまで見た表情の中のどれよりも。刹華は踵を返し、元のルートを戻り始めた。
三百万円。確かに、学生がその金額を準備するのは現実的ではなさそうだ。相場を知らないが、援助交際なんかに手を出したとしてもなかなか難しいのではないか。まさか、本当に時間がないのではなかろうか。何らかの事情があって、手段を選んでいられずにこんなギャンブルみたいな手段を選ばざるをえなかったのではなかろうか。あたしを脅迫してでも手に入れなければならないような事情。そんな事情があったのならば、あたしは情のない対応をしてしまった気がする。
大切な人が、昔に言っていた事を思い出す。
『その力は、困ってる人の為に使え』
……甘過ぎるだろうか。
とは考えるものの、その事情が思い当たらないまま帰路を辿る。ここからなら、脇道に入った方が近い。そう思って道を曲がろうとしたところだった。
「ひったくりぃ!」
人通りの少ない細い道、倒れたまま叫ぶ老婆、脇道に走り去る人影。状況が一発でつかめた刹華はその人影を追い駆けようとしたが、それと同時に四つ角のコンビニの前から鞄を投げ出して走り出すもう一つの人影を見つけた。
烏丸羽月だった。
烏丸羽月は偶然にも、ひったくりが起こった地点から一番近い場所に立っていた。だから、だからとは言えないかもしれないが、一番早く走り始めた。徒競走は遅い方でこそなかったが、それは女子高校生の基準での話だ。ひったくり犯は明らかに成人男性。速さの面でもスタミナの面でも、不利なのは明白だった。それでも、彼女は諦めなかった。
「止まりなさい! 止まれっ!」
そんな叫びに応じる訳もなく、羽月とひったくりの距離は無情にジリジリと離れていく。
「くそっ!」
羽月は覚悟を決め、走りながらジャケットを脱ぎ捨てた。そして、シャツをスカートの中から引っ張り出して、持ち上げようとした。
が、その行動が意味をなすことはなかった。原動機がついた乗り物のような速度で、羽月の脇を何者かが通り過ぎた。
「オラァ!」
猛スピードのそれはそのままひったくりに追いつくと、側頭部に回し蹴りを加えた。ひったくりは、その蹴りと進行方向を合わせたベクトル通りに吹っ飛んだ。
「お前、何やってんだ? 服脱いだ方が早く走れるとしても、たかが知れてるだろ」
二人分の鞄と羽月の上着を持ったまま、鬼ヶ島刹華は羽月に呼びかけた。先程までとは違い、脚には獣のような毛が生えている。
「……少しでも速い方が、追いつける可能性があるでしょ」
バツが悪いタイミングのような気がしながら、羽月はシャツから手を離して刹華に近づいた。
「まあいいけどな。婆さんのバッグも取り返せたし」
盗品のバッグを拾い上げる刹華。その隙に、ひったくりは起き上がり、這うようにして逃げようとする。刹華はそれを取り押さえようとしたが、羽月がシャツの襟を掴んで制止した。
「馬鹿。ここに警察があいつを捕まえたら、あんただって困るでしょ。その姿を見られてるんだから」
刹華はそう言われ、少し考えている隙にひったくりは逃げていった。
「いいじゃん。お婆さんのバッグは回収したし。早くそれを返しに行こう」
ひったくりを捕まえ損ねた事にはモヤモヤしていた刹華だったが、先程の言動から羽月が自分のことを警察に通報していないことを悟ると、なんとも言えない気分になった。
老婆にバッグを返すと、二人は大変感謝された。ひったくりの件を警察に通報しておくように言うと、刹華と羽月は用事があると言ってそそくさとその場を後にした。
「なあ、さっきの話だけどな」
夕焼けの中を歩きながら、刹華は語りかける。
「警察には通報する。それはあの時点で決まったことだから」
羽月は頑なだった。今から言おうとすることを考えると少しカチンときた刹華だったが、その怒りはなんとか堪えることが出来た。
「お前、あの指名手配犯の話はどうするつもりなんだ。一人で捕まえるつもりなのか」
羽月は少し考えながら、はっきりとした口調で返した。
「私一人でも捕まえる。私には三百万が必要だから」
意識してみると、その返事からは明確な意志を感じた。そういうことなんだろうなと、刹華は溜息をついた。
「……あたしも手伝ってやる」
「え?」
羽月は自分の耳を疑った。だから刹華は、きちんとした言葉で言い直した。
「あたしも、その犯人を捕まえるのを手伝ってやるって言ったんだ。やるからにはマジで捕まえるからな」
羽月の表情が明るくなるのを、刹華は感じた。
「本当にいいの? ありがとう! じゃあ、今日は帰ってからちょっとだけ打ち合わせするから、帰りに情報を整理する為のノートを買って、何が必要なのか書き出すホワイトボードとか貼れるメモとか買って、それから……」
「あっ、ちょっと悪い」
まくし立てるように話す羽月を刹華が制止する。腕時計を見ると、定刻は迫っていた。
「今からバイトだから、話はまた明日。じゃあな」
遅刻寸前だということで、刹華はバイト先のコンビニに駆け出した。
「えっ、あっちょっと待っ……」
それがあまりに急な展開だったので、羽月は何かを言い損ねた気分と共に置き去りにされてしまった。
まあ、協力してくれるなら構わないか。そう思い直して、羽月はとりあえず一人で必要なものを買いに行くことにした。
その日の夜。日付も変わろうとしている頃に、刹華は寮に帰ってきた。無許可でバイトをしている上に門限を大幅に過ぎている為、一階の角部屋である自室の窓から侵入することになる。が、カーテンから明かりが漏れていることに違和感を覚えた。明かりを付けたままだっただろうかと思い出しながら、古びたクレセント錠を開ける為に窓枠をガタガタと揺らし始める。
もう少しで開くというところで、突然カーテンが開いた。明かりに照らされている人物は数時間前に見た顔。烏丸羽月だった。
「……なんでお前ここにいるんだよ。あたしの部屋だぞ」
思わず声が大きくなる刹華と、開いた窓枠に頬杖をつく羽月。
「今日から私がこの部屋に住むことになってるって話、聞いてなかったの?」
「聞いてねぇよ」
「下見に来た時に置き手紙も残したし、寮母さんにも聞いてないの? 君、どんな生活してるのよ。門限とっくに過ぎてるし、もしかしてバイトも無許可なんじゃないの?」
「……ほっとけ」
窓枠によじ登り、部屋の中に侵入する刹華。転校生と一緒に住むことになるなんて全く聞いていなかった。
「あー! 土足で入るな! 早く靴脱げ!」
「うっせぇな。言われなくても脱ぐし、あたしの部屋なんだからいいだろ」
「今日から私の部屋でもあんの!」
羽月に怒鳴られつつ、エンジニアブーツを脱ぎながら部屋を見渡すと、羽月の荷物はボストンバッグと学生鞄だけで、まだ家財道具が入っていないようだった。
「……引っ越しが明日だからね。布団だけは借りられたけど」
よく見ると、物置代わりにしていた二段ベッドの上に置いていたものが床に並べられている。二人部屋を一人で使っていた身としては、片身が狭くなるのは億劫な刹華であった。
「まあ……これから暫くお世話になるし。よろしくね、鬼ヶ島さん」
神経質そうな羽月と一緒に暮らすとなると面倒臭そうではあるが、嫌々ながら一応挨拶だけは返す刹華だった。
「……よろしくな、烏丸」
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