ヒトに告ぐ

騙り屋、火也々:Crows Clouds

01. Into the trouble

 生きていると、運という概念を感じてしまう時がある。それが良いものであれば素晴らしいが、それだけとは限らない。

 夜中の路地裏。数人分の人影が揺れている。

「はーい、ここは通行止めでーす。通りたけりゃ通行料を払ってねー」

 暗闇の中で、二人の男達の歯が光る。身長が頭半分程低い少女は、彼らに道を塞がれる形で立ち止まった。手にぶら下げているコンビニの袋が小さく揺れる。

「夜中に一人歩きなんて駄目駄目ぇ。夜中には俺らみたいな怖いヒトがウヨウヨいるんだからよぉ」

 歩行を止められた少女は面倒臭そうな足取りで、元来た道程を引き返し始めた。が、曲がり角から新たに三人の男が現れた。

「はいはぁい、ここでは通行料をカラダで払おうねぇ。ヒヒッ」

 路地の両側を塞ぐ形で、男達は笑いながらゆっくりと迫ってくる。

 少女は立ち止まり、溜息をつきながら空を仰いだ。建物に挟まれた空は狭く、月は見えない。今日の月はどんな形だっただろうか、などと考えているのかもしれない。

 生きていると、運という概念を感じてしまう時がある。それが良いものであれば素晴らしいが、それだけとは限らない。ただ、建物の上にて騒ぎを聞きつけた人影には、きっとこの出会いは幸運だっただろう。屋上から見下ろすその人影の背中から生える翼は、俗に不吉であるとされる黒いものではあったが、これが幸運であることに変わりはなかった。




 午前八時。白明学園はいつも通りの賑やかな朝を迎えていた。校門では挨拶を交わす生徒達。運動場や体育館には部活動の朝練習の声が響いていた。

 そして、二年四組の教室。生徒が揃いつつある教室の一番奥の一番後ろの席で、鬼ヶ島刹華きがしませつかは机に突っ伏していた。視線を横に向けた先には二つのコンビニおにぎりと小銭。冴えない頭で、それをどう使うか考えている。

「おはよーせっちゃん。今日はいい天気だよー」

 刹華の側に、クラスメイトの葛森くずもりゆうりがとたとたと寄ってきた。刹華は見向きもしない。

「ご飯のことで悩んでるの? もしかして、これ……全財産だったりする?」

 刹華は応えない。衰弱した獣のように、虚ろな目をしている。

「わ。このおにぎり、賞味期限切れてるよー。せっちゃん、これ食べるの? お腹壊しちゃうよー」

 カーディガンからはみ出た指でおにぎりのパッケージを転がしながら、ゆうりは危険性をアピールする。

「……三日までならいける」

 面倒臭そうにではあるが、刹華は口を開いた。

「それにー、いちにいさん……六百七十四円って、全財産だったら色々とまずいと思うんだけど……まさかだよね?」

「全財産。給料日まで大体三週間だから問題ない」

「それは死んじゃうよ……」

 心配するゆうりと、そっぽを向いたままの刹華。彼女達の会話はいつもこの調子だが、ゆうりはそんなことを気にしない。

「お腹減ってるよね。あのね、お弁当をちょっとだけ作り過ぎちゃったんだけど、それだったら分けてあげられるよ?」

「……いらん」

 ほんの少しの間を空けて、刹華はゆうりの提案を突っぱねた。

「でもー、お腹減ってるでしょ? そんな顔してるよー?」

 刹華は返事をしなかった。困った顔をしながら様子を伺うゆうり。そんな二人の沈黙を遮ったのは、ぐるるという音。俗に言う、お腹が鳴る音だった。

「ほらー。お腹さんがギブアップだって。私、ちょっと取ってくるからねー」

 羞恥で赤くなる刹華を他所に、ゆうりはパタパタと自分の席に戻っていった。

 面倒な奴に絡まれるようになったものだと、刹華は溜息をついた。鬼ヶ島刹華という少女は、優しくされることに慣れていない。そんな彼女に去年の五月頃、つまり一年前に突然なついてきたのが葛森ゆうりだった。面倒臭がって拒絶していた彼女ではあったが、意に介さずつきまとってくるゆうりに根負けした形で今の関係があった。

「きゃっ」

 悲鳴と大きめの物音に反応して、刹華は教室の前方向に視線を向けた。

「どこを見て歩いてるのかしら? 貴方がぶつかってきたせいで、わたくしの制服が汚れてしまいましたわ」

 尻餅をついているゆうりと、それを見下す金髪の女子生徒。栄花えいがリオンだった。

「ご、ごめんなさい……」

「ごめんなさい? 謝って済む話とそうでない話の分別もつきませんの? わたくし、貴方のせいで、今日一日の始まりから大変ブルーになってしまいましたわ。どうしてくれますの?」

 高圧的なリオンの態度は、葛森ゆうりをますます萎縮させる。

「……ごめん、なさい」

「謝ることしかできませんの? まったく、そんな風だからグズなんですのよ貴方は。どういう育て方をしたら貴方みたいなグズが……」

 リオンの言葉は、突然の大きな音に遮られた。その音は、刹華の拳が机に叩きつけられた音だった。

「……おい、もういいだろ。言い過ぎだ」

 ゆらりと立ち上がりながら、刹華はリオンを睨んだ。周りの生徒も、二人の不穏な空気を感じてざわつき始めた。

「あら、貴方。そんなに殺気立って、このわたくしと喧嘩でもなさるつもりですの? お名前は……何だったかしら。わたくし、不要な方のお名前は覚えない主義ですの」

 リオンはふてぶてしく刹華を挑発する。

「お前がそうしたけりゃ、喧嘩くらいいくらでもしてやる。病院の予約は済ませたのかよ」

「だ、ダメだよせっちゃん! 危ないよぉ!」

 ゆうりは必死に制止しようとするが、刹華は全く聞く耳を持たない。

 ただ、刹華が一歩踏み出そうとした所で邪魔が入った。

「おはよー。はーいみんな席についてー。ホームルーム始めるよー」

 担任の女教師が、何が起こっているか知らない風で教室に颯爽と入ってきた。それを見て他の生徒がいそいそと席に戻る中、リオンも、

「……もういいですわ」

 と、捨て台詞を吐きながら自分の席に戻った。ゆうりも刹華に向けてぺこりと頭を下げて席についたので、刹華も渋々腰を下ろした。




 退屈なホームルーム。刹華は頬杖をつきながらぼんやりと教壇を眺めていた。今日も退屈な一日が始まる。授業と称するわけのわからないことを喋り続ける教師を眺めて日が暮れる。そして、夜はアルバイト。そんな毎日は刹華にとって酷く退屈だった。

 ただ、今日という日は少し違っていた。正しさを追求しようとするならば、今日から彼女の生活は変わる。

烏丸からすま羽月はつきです。皆さんと楽しい学校生活が送れたら嬉しいです。よろしくお願いします」

 担任の横に立つ見慣れない顔の生徒は転校生だった。白銀のショートヘアーの彼女は、丁寧に一礼した。それに対して、一斉に拍手が起きる。

「じゃあ烏丸さんは……そうね、一番後ろの列が一人分空いてるから、そこに座ってね」

 羽月と名乗る少女は可愛らしく返事をすると、自分の机を刹華の横まで運んで座った。それが当然であるような振る舞いであったせいか、刹華はその様子に違和感を覚え、無意識に目で追っていた。転校生というのはこんな感じだっただろうか、などと思いながら。

 ふと、刹華と羽月の目が合う。

「よろしくね」

「……」

 羽月の愛想の良い挨拶に対して、刹華は面倒臭そうに視線を逸らした。




 授業といえば、鬼ヶ島刹華にとっては退屈な時間だ。ただ、退屈ではあっても無駄ではない。というのも、今日という日をどのようにやり過ごし、明日からどのように生きていくか、という計画を立てる時間であるからだ。それが行き詰まると、窓の外を眺めたり、居眠りをしたり、他のクラスメイトを眺めたりして頭を整理する。

 ただ、今日に限っては違った。烏丸羽月の机が刹華の机に接した上で、その間に刹華の教科書が置かれていた。なんでも、羽月の教科書がまだ届いていないのだとか。新入りが妙な距離にいるお陰で、刹華は落ち着いて思考することが出来ない。少しイライラはしていたが、八つ当たりは良くないと思い直し、刹華は教室をみわたした。

 一生懸命にノートを取る悪友、葛森ゆうり。金髪のお嬢様と言わんばかりのハーフ、栄花リオン。他にも、メガネに三つ編みの文学少女や、俗にギャルと呼ばれるような極彩色の髪色の少女。そして、隣の白銀の髪の烏丸羽月。黒髪の文学少女や茶髪のゆうりはともかく、風紀に関しては本当に緩い学校だよなと刹華は軽く溜息をついた。とは思うものの、彼女自身の前髪にも黒に白いメッシュが一筋入っているので、そんなことを悪く言うつもりもない。後方の席から眺めると殆ど後頭部しか見えないので、そんなことを改めて思ってしまっただけだ。そういう視点で見ても、隣の羽月はかなり目立つ。そんなのが隣にいれば尚更気になるというものだ。

 ただただ時間が過ぎる中、ノートをとり続けていた羽月が不意に、

「授業、聞かなくていいの?」

 と、小声で呟いた。

「……余計なお世話だ」

 刹華はいつもの調子でぶっきらぼうに返す。実際のところ、真面目に聞いたところでとっくの昔に授業の内容などついていけなくなっていたので、刹華には授業を真面目に聞くことに意味を見出だせていなかった。

「ふぅん。そっか」

 羽月は再びノートに向き合い始めたが、刹華はそんな羽月に何かを感じていた。野生の勘のような、嫌な予感を。




「いただきまーす」

「……いただきます」

 午前の授業が終わり、ゆうりと刹華は屋上で昼食の時間を迎えた。ゆうりが作りすぎたお弁当というのはお昼までお預けの形となったが、それを補うだけの分量があった。作り過ぎたどころではなく、二人分としても女子には少し多い位に。

 内容はサンドイッチだった。遠慮気味にゆっくりと手に取る刹華に向かって、

「遠慮しなくていいよー。残っちゃったら持って帰ってもいいからねー」

 と、ゆうりは笑顔で言うのだった。刹華は自分の口へとサンドイッチを運ぶと、久しぶりのまともな食事が身体に滲みるような気がした。

「今日はいい天気だねー。せっちゃんがここを知ってて良かったよー」

「見つかると𠮟られるけどな」

 本来なら立入禁止の屋上に何故二人がいるのかというと、鍵が壊れているからだ。それを知って以来、刹華がサボり場としてここを使っており、それを知ったゆうりがここに現れるようになったという成行だ。勿論、ゆうりに見つかったのは刹華にとってそこそこ不本意だった。

 ただ、太陽の下での食事というのは、彼女にとって存外気分の悪いものではない。心の中でだけ多少感謝をしながら、刹華は黙々とサンドイッチを咀嚼する。

「そういえばー、せっちゃんってまだ続けてるの?」

 ゆうりはなんでもない事のように刹華に尋ねる。

「……なにがだ」

「夜のお仕事」

 不意打ちじみた発言に、刹華はむせた。

「だ、大丈夫? ゆっくり食べていいからね?」

「……アルバイトって言え。まだやってる」

 ゆうりに背中を擦られながら、昨日のアルバイトを思い出す。続けて、帰り道に知り合いから貰った廃棄おにぎりをいつ食べようか等と考える。

「せっちゃん、やっぱり夜は危ないよー。最近、傷害事件とか起こってるし……噂で聞いたけど、犯人はレッダーなんだってー」

「……レッダーか」

 レッダー。突如現れた獣の力を持つ人類。存在は確認されているものの、正体は不明。その程度の知識は、噂やニュース等で流れている。都市伝説のような噂を耳にして以来、刹華はその情報を積極的に仕入れるのを止めた。

「……働くのを辞めたら、飯を食っていけなくなる。だから辞めねぇ」

 刹華には、選ぶ手段がなかった。それが危険な道であったとしても。

「でも……」

「心配すんな。大丈夫だ」

 宥める刹華にゆうりは不安そうだったが、それ以上は何も言わなかった。その代わりに、暫くの間を置いて、

「……あ、そういえばー、烏丸さんってどんな感じだった?」

 と、別の話題に切り替えた。刹華は、烏丸とは誰の事かと一瞬だけ考えた。

「分かんねぇ。特に深く話してねぇけど、髪の色の割にはまともそうな気もするし、なんとなくそうでもない気もする。勉強は出来そうだ」

「髪の色は関係ないよー。みーちゃんもすっごく派手だけど、結構いい人だよー?」

「……みーちゃん?」

 刹華の頭の中には、みーちゃんと呼ばれる人物が浮かんでこない。

霧山きりやま美里みりちゃん。人望厚いよ?」

「ああ。あの……アレがか?」

「うん。話してみるといい人だよー」

 刹華にはどうも想像できなかった。

「あっ、もうこんな時間。次の授業の準備しないと。私は行くけどー、せっちゃんは食べてていいからねー」

「ああ。ありがとう」

 ゆうりは立ち上がると、遅刻しないようにと言い残してとてとてと行ってしまった。

 残されたサンドイッチを見て、多少なら遅刻してもいいだろうとサンドイッチをつまみ続ける刹華であった。




 サンドイッチを全て平らげて教室に戻った刹華は、空っぽの教室を目の当たりにした。移動教室であることをすっかり忘れていたのだ。十分遅刻が十五分遅刻になってしまうと溜息を吐きながら、机の中から教科書を探す。

 と、その拍子にメモ用紙が落ちてきた。

「今日の放課後、バリーズコーヒー二年坂店でお待ちしております」

 名前は書かれていない。刹華には、このメモを入れるような人物が思い当たらない。首を傾げながら、ポケットの中にメモをねじ込んだ。

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