第20話 Route666⑤
(1)
サンディが運び込まれてから数日が経過した。
ありがたいことに、警察が事情聴取や家宅捜査でこの家に押しかけてくることはなかった。あたしの懸念は杞憂に終わり、穏やかに日々を過ごしている。
『酷い風邪を引いてしまったから、しばらく仕事を休ませて欲しい』という嘘をアレックスが信じ込んでくれたお蔭で、あたしは心置きなくサンディの看病に専念できている。(アレックスにはちょっとだけ悪いと思いつつ)
けれど、サンディの容態自体は日に日に悪化していった。
ロイには偉そうに啖呵を切ってみたものの、所詮は車も男手もない女の二人暮らし。いくらあたしが男みたいに背が高くたって、女一人でサンディを抱え病院へ連れて行くのは相当に厳しい。医者を電話で呼び出して往診に来てもらうべきか、と悩む間にもサンディはどんどん衰弱していく。
「…………ねぇ、ロイは……。ロイは……何処、行った、の……。ロイ……、ロイ……」
膿んだ火傷痕による苦痛と高熱に蝕まれ、サンディはロイの名をうわ言で繰り返すばかり。
どうして、あんたはあいつの名ばかり呼び続けるのよ??
あんたが今、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているのは、あいつのせいなのに……
ねぇ、サンディ。
これ以上、あいつの名を呼ばないでよ。
あたしの名前を呼んでおくれよ。
今どこにいるのかすら分からないあいつじゃなくて、すぐ傍にいるあたしを呼んでよ。
ペースト状に誂えたミルク粥の皿を手に、依然ソファーに横たわったままのサンディの口の中へ少しずつ、匙で流し込む。飲み込む力が弱まっているせいか、白濁した液体が唇の端からつーっと漏れ出てしまう。慌てて、手にしていた布巾で汚れた口元や顎を拭いてあげる。
「…………どうしよう…………」
辛うじて摂れていた筈の食事すら、今じゃ満足に摂れなくなっている。
サンディはもう手遅れかもしれない。でも、助かったら助かったで火傷が治り次第、警察に逮捕されて死刑を宣告されてしまう。
どちらを選ぶにせよ、早いか遅いかの違いなだけで、そう遠くない未来でサンディの命の灯が消えるのは確実、だろう――
「……何で、こんなことになってしまったんだろうね……」
いつから、サンディの運命は狂い出したのか。
ロイの脱獄に手を貸し、二人で逃亡生活を始めた時から??
ロイに誘われるがまま、あいつが滞在するホテルで暮らし始めた時から??
ロイとパーティーで再会し、激しい恋に落ちてしまった時から??
アレックスの誘いで化粧品の宣伝ガールを務め、ロイの目に止まってしまった時から??
キャンプ場でロイと出会い、お互いに一目惚れしてしまった時から??
続々と浮かび上がってくる疑問に対し、答えはすでに用意されていた。
脱獄したロイがサンディを迎えに来た時、何が何でも止めれば良かったんだ。
ロイのホテルで暮らすと言い出した時もそう。
パーティーでサンディの傍から離れずにいれば。
元気づけるためとはいえ、アレックスの話を受けようなんて持ち掛けなければ。
アレックス達とのドライブに行くのを反対していれば。
サンディの運命の転機と言える場面には、必ずといっていい程、あたしが傍にいた。
あたしは心配する素振りを見せつつ、全てに見て見ぬ振りを決め込んでいた。
サンディが良いのであれば、それでいいんだと――
サンディが誰よりも大切だと言っておきながら、自身の弱さと狡さから徹底して傍観者に徹していた。だから、遂に大きな天罰を食らってしまったんだ。
この世で一番大切な人間を永久に失ってしまうという――
「……そっか、あたしのせいだね……。全部あたしが……。ごめん、サンディ……。本当にごめんよ……」
あたしは唯一綺麗なままのサンディの額や頬を、縋るようにしてそっと撫で回す。元々意識は朦朧としているのだが、いつの間にか眠っていたサンディは何の反応も示さない。
何度もサンディの頬を撫で回しながら、あたしはおいおいと声を上げて咽び泣いた――
(2)
どのくらいの時間が経過しただろうか。
気が済むまで泣き続けたあたしは、しがみついていたサンディの身体からその身を離した。サンディは相変わらず、魔法にかけられた眠り姫みたいに昏々と眠り続けている。
「……………………」
火傷の痛みで苦しんで死ぬのも、電気椅子に掛けられて死ぬのも辛いよね。
今まで散々辛く苦しい思いをしてきたんだ。
せめて最期くらいは楽に……
あたしはもう一度だけ、サンディの寝顔をこの目に焼き付けるように真っ直ぐに見つめた。
可愛い、可愛い、あたしのサンディ。
疲れただろうから、もうゆっくりおやすみ。
二度と醒めることのない、幸せな夢でも見てなよ。
一度止まった筈の涙が、再びあたしの瞳から零れ落ちる。
零れ落ちた涙は、人形のようなサンディの顔に次々と落ちていく。
サンディはそれでも目覚めない。
涙で視界が滲み、サンディの顔がはっきりと見えない。
むしろ、その方が好都合ってもんだ。
包帯を巻いた上からでも分かる程に熱を持ち、それでいて細く頼りなげな首筋に――
あたしは――
震えの止まらない両手を掛けた。
あたしの可愛いサンディは、永遠に醒めない夢の中へと旅立った。
身体をふらつかせて立ち上がると、もう一度だけ、サンディの穏やかな寝顔を食い入るように見つめた。枯れるまで流し続けたからか、もう涙は一滴足りとも出てこない。泣き腫らしてヒリヒリと痛む顔を、両の掌でパン!と思い切り叩く。
サンディが旅立った以上、あたしがこの家に留まる理由は一つも残っていない。
ソファーで眠るサンディを何度も振り返りながらリビング、さして広くない廊下を抜けて玄関を開ける。
そうだ、鍵だけはしっかりかけておかなきゃ。
あたしがいないのをいいことに、誰かが家に侵入してサンディに悪戯したら困るもの。
再び中に戻ったあたしは、鍵を取りに二階へ駆け上がる。自室から鍵を持ち出すとすぐに階下へ降りていく。今度こそ、この家から出て行こう。
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