第17話 Route666②

(1) 


 バンパーに足をかけながらショットガンを構える、咥え煙草の若い女。

 もしくは、同じ車の前で、身なりの良い若い男が、嬉しそうに微笑む女を抱きかかえている。


 先日、彼らが潜伏していたホリウッド州住宅街のアパートにて、警察が押収した撮影フィルムに収められていた一部だ。被写体として映るカップルは、突入してきた警官隊と激しい銃撃戦を繰り広げた後、アーリー・フォードV8に乗り込んで逃走してしまったという。

 事件当時、女は寝間着姿で狂ったように泣き叫びながらも二階の階段から階下の警官達目掛けてショットガンを乱射していたらしい。

 押収された二枚の写真、ホリウッド州での事件の顛末が掲載された新聞を読み終えると、あたしは深く長い溜め息を吐き出した。


 確か、ホリウッド州での事件の少し前にも若く衝動的な二人はアリスタット州の街バスキアからさほど離れていない、閑静な田舎道で保安官二人を射殺したとか。

 女はぬかるんだ泥の中、虫の息で倒れている保安官を、至近距離から銃弾を連射させたとか、ジャムにされた苺みたいな顔を見て腹を抱えて笑っていたとか――



「ただいま、フランシスさん。今戻ったよ」

 事務所に誰もいないのをいいことに、仕事の手を休めて新聞記事を読み耽っていたあたしの頭上に、外回りの仕事から戻ってきたアレックスの声が降ってくる。

「……お、おかえりなさい、コバーンさん」

 まずい、サボっていたことを注意されてしまうだろうか。

 アレックスは別段注意するでもなく、それどころか、慌てて新聞を閉じようとするあたしの肩越しで例の記事を読んでいる。

「あーあ、サンディちゃんってば、また派手にやらかしてしまったみたいだねぇ……。これで警察の捜査網がより厳戒態勢に入ってしまうな。そうなると、ここにもまた報道陣が詰めかける、か……」

 記事を一通り読み終えたアレックスはうーんと軽く唸ってみせる。

「ごめんなさい……、サンディやあたしを宣伝ガールに起用したばっかりに、コバーンさんや会社にも多大な迷惑掛けてしまって……」

「まぁ……、まさかこんな事態に陥るなんて夢にも思ってなかったし……。サンディちゃんはともかくとして、君は図らずも二人に巻きこまれてしまっただけの、完全な被害者なんだから気に病まなくてもいいよ。それよりも……、この資料のファイリングを手伝ってくれないかな」

 アレックスは、手にしていた分厚い紙束をあたしに手渡してくる。

「あぁ、それと……。夕方の四時頃に来客の予定があるから、コーヒーの準備もお願いするよ」

「……分かったわ」


 アレックスに言われるがまま、資料を抱えて彼のデスクへと近づいていく。

 あたしは現在、半年前にアレックスが家に訪れた際持ち掛けてきた仕事の話を受け、ダグラスにある、彼が働く事務所の雑用係として働いている。

 事務所と言ってもアパートの一室を借りただけの小ぢんまりた空間の中、玄関に程近い場所にはローテーブルを間に挟むように合皮製のソファーが二つ、その奥にはアレックスとあたしのデスク、壁に沿うように資料を保管する棚が三つ設置され、更に扉を隔てた奥には小さな流しとトイレがあるだけ。

 今までの仕事とは全く違う、慣れないデスクワークに、最初は仕事の要領を覚えるのに一苦労したものの、半年経た今では卒なくこなせるようになってきている。

 『国内で有名な逃亡中の犯罪者カップルの片割れと友人』という肩身の狭い身であるあたしを、以前と変わらぬ態度で接してくれ、仕事を与えてくれたアレックスには本当に感謝してもしきれない。

 例えそれが、彼自身の罪悪感を少しでも解消したいという、自己満足だとしても。


「ところでフランシスさん。終業後に、一緒に食事でもどうかな??」

「ごめん、仕事の後は疲れているから家でゆっくり過ごしたいのよ……」

「そっか……、残念だけど仕方ないね」


 心底残念そうな顔をするアレックスを見て、少しだけ、ほんの少しだけ胸がちくりと痛む。アレックスはあたしに気を遣ってか、時折食事の誘いを掛けてくることがしばしばあった。

 はっきり言って、彼の気遣いは迷惑とまでは思わないまでも、少し過剰だと思う。それに、あたしにはどうしても夜遅くに家を空けたくない理由があった。


「話は変わるけど……、この資料は少し古いものみたいだけど、これも保管しておけばいいの??」

「あぁ、それも一応ファイリングして保管しておいて」



 これ以上不毛な会話を続けたくなくて、あたしはさりげなく仕事の話に流れを戻す。手渡された資料を確認すると、アレックスはあたしの手の中にそれを返したのだった。






(2)


 終業後、シボレーで送ってもらっただけでなく、家の周辺にたむろしていた報道陣まで追い払ってくれたアレックスに礼を述べ、あたしは家の中に入った。

 『おかえりー、フラン!』と、無邪気な笑顔で出迎えてくれるサンディが居なくなってから、早半年。帰宅直後、玄関の扉を開けた時の、家中に漂う寂静感だけはいつまで経っても慣れやしない。

 世間でサンディのことは、強盗殺人を犯しながら愛人と共に逃走を続ける悪女と扱われる一方、犯罪者であるにも関わらず、若く美しい二人はビリー・ザ・キッドとアニーの再来か、と、一部の国民から英雄視されてもいる。

 どちらにせよ、サンディの真実の姿からは程遠いというのに。


 あの子は、心底惚れ込んだ男の傍を片時も離れたくなかっただけ。

 そう、どこまでもひたむきで純粋な愛情と情熱に突き動かされてしまっているだけなんだ。

 だから、半年前、サンディが脱獄を図ったロイの元へ走ったことも、実は脱獄に加担していたことも、あたしは許すことができたのよ。

 元を質せば、ディートンの拘置所に面会に訪れたサンディをそそのかしたのはロイの方だし、悪いのはサンディじゃない。全部ロイのせい!


 ロイはディートン出身で銃を持つ囚人仲間に脱獄の話を持ちかけ、そいつの自宅の鍵の在処や家の見取り図、拳銃と弾丸の保管場所を記した紙を、面会時にこっそりサンディに受け渡した。

 サンディはロイに言われるがままその家の留守を見計らって忍び込み、拳銃の持ち出しに見事成功。二度目の面会時に自らの服の中に銃を隠し、看守の目を盗んでロイに手渡したという――

 あの日、サンディがやけに挙動不審だったのは、脱獄が成功したらロイがあの子を迎えに来ると約束していた日だったから。

 あぁ、どうでもいい余談で、数人の囚人仲間と共に脱獄に成功したロイはすぐに逃走用の車を盗み出し、一旦ヒュージニア州からアリスタット州へと逃亡。(州境さえ越えれば、ヒュージニアの警察が自分達に手が出せなくなるから)

 食料及び日用品の小売店数軒を強盗目的で襲撃した後、サンディを迎えに行くために危険を承知で再びヒュージニア州へと戻り、この家へとやってきた。ロイと行動を共にしていた囚人仲間は、アリスタット州とヒュージニア州の州境付近でロイによって射殺されたらしい。


『ロイの脱獄はあたしも手伝ったの。だから、あたしももう引き返せないの。ごめんね、フラン』


 そう言ってあたしの制止を振り切り、サンディはロイの逃走車に乗り込んでこの家から再び出て行ってしまった。あたしは成す術もなく、煩い程の排気音と大量の排気ガスをまき散らして去っていく黒い車を、呆然と見送るしかなかった。


 サンディは天使の羽根を広げ、あたしの元から完全に飛び去ってしまった。

 到底手の届かない、遥か遠くへ――


 神様もロイもサンディも何もかもが憎くて堪らなかった。

 でも、サンディが警察に逮捕されて苛酷な獄中生活を送る姿――、最悪電気椅子に座らされる姿など、あたしは絶対に見たくなんかない。

 サンディ、あたしは……、例えあんたが何人殺そうと、あんたの唯一の味方で有り続けたいと思っている。

 だから……、もしも何かあったら、あたしを頼って……!!




 ――こうして、ロイとサンディの、州をまたがった逃走劇が始まった――



 ロイとサンディは強盗殺人を繰り返し、現在も逃走中。

 ロイは逃亡しながらも執筆を続け、出版社に原稿を送り続けている。

 あいつの財力を持ってすれば海外逃亡だって可能だと言うのに、あえてそれをしない理由――、サンディ曰く、常に危険に晒された極限状態での生活のお蔭で、素晴らしく筆の進みが良いから、だって!


 やっぱり、あいつは見掛けに寄らない、頭のネジが外れた気違い野郎だ! 

 そんなイカレ野郎であっても、サンディがあたしに電話をかけること、ごく偶にだけど、寂しさを募らせたサンディが警察の捜査網を掻い潜ってあたしに会いに来てくれることを許すくらいには、一応人の心は持ち合わせているみたい。

 サンディとの面会時間は一〇分にも満たない短いものだけど、あの子が無事で居るのをこの目で確認できる、貴重で大切な時間には変わりない。


 あたしは毎晩遅くまで起きていたり(サンディが来るのは決まって、何の前触れもなく突然夜遅い時間だったりする。アレックスの誘いを断るのはこのため)、警察が家の周辺を巡回している時は『警戒』の意味で二階の部屋に赤い豆電球を点けてみたり。警察や報道関係者が訪れればあえてサンディを罵倒し、自分は彼女と金輪際関わり合いたくない、と大袈裟なまでに誇示してみせる。



 しかし、サンディ達とあたしの綱渡りの危険な生活もそろそろ限界が近づきつつあることを、あたしもサンディもロイも気付いてすらいなかった。

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