最終章 Route666
第16話 Route666①
車窓から見えるのは、あの時と同じ、どこまでも無限に拡がる乾いた荒野だった。無言で運転するロイの隣で、同じく無言のあたしが助手席に座っていた。
あの時――、ほぼ一年前にロイに誘拐された時――、と違うのは、深夜の暗闇の中じゃなくて、やや陰りを帯びた初冬の太陽の下、猛スピードで車を走らせていること。ロイの美しい萌黄色の瞳は生気を失くし、人形のように虚ろなこと。
ごめんよ、サンディ。
あんたが居たかった場所を、あたしはあんたから奪った。
でも、これでいいんだ。これこそが本来あるべき姿なんだ。
今更だけど、あたしは気付いてしまったんだ。
待ち伏せしている保安官達に見つからなければの話だけど、このまま車を南西へ真っ直ぐ走らせていけばカルディナ山中へと続いていく。
あぁ、やっぱりあの時と同じだね。
自ら望んだ結果とはいえ、運命の皮肉に、もう笑いしか込み上がってこなかった。
(1)
カフェをクビになって以来、あたしは次なる仕事を得ようと躍起になっていた。とはいえ、サンディの件は狭いスウィントン中に広まっている為、スウィントンではなくダグラスなど近郊の都市部で職探ししていた。
「あの……、扉に貼ってあった張り紙を見たんですけど……、あたし……、私を、レジ打ちとして雇って欲しいんです!!」
スウィントンからバスに乗って約一〇分。ダグラスの外れの地域で見つけた、小さな食料小売店のレジ打ち兼店番募集の張り紙。それを目にした瞬間、あたしは迷わず木製の回転扉を勢い良く押し開き、店内で棚に品物を並べる店主らしき男に声をかけた。白髪頭にやや小太りな気味な店主は、眼鏡の奥から不躾なまでにじろじろとあたしの全身を眺めてくる。
「……あんた幾つだ??」
店主からの不躾な質問にあたしは一瞬だけ躊躇った。
「……もうすぐ二十九歳、ですけど……」
「亭主には許可貰っているのか??子供の世話は??……」
またか。
色んな場所で、何度となく繰り返されてきた質問に内心辟易する。
「あたしには亭主も子供もいないんです。だから、仕事にしっかりと専念でき……」
「二十九にもなって独り身だって?!
店主は野良猫を追い返すように掌をひらひらと振り、あたしを店から追い出しにかかった。全く取り付く島もない様子に大人しく引き下がるしかない。仕方なく、がっくりと肩を落として店の中から出て行く。
「……
いつだったか、サンディに教えてもらった口汚い罵り言葉が自然と飛び出した。こういった断り方をされるのは何も今回が初めてではない。
そもそも以前勤めていたカフェだって、サンディの口利きが合ったからこそ働くことができたし、素性を偽っている身ですんなりと仕事と住む場所と友人に恵まれたのが奇跡に近かった訳で。
今までが、余りに順調に物事が進み過ぎていたのよ。
仕事探しに奔走しつつ上手くいかない日々を送るにつけ、あたしはようやく厳しい現実と向き合わざるを得なくなっていた。
意気消沈しながらバスに乗り込み、ダグラスからスウィントンへと戻っていく。
途中、降りたバス停近くで報道関係者らしき奴らにしつこく追い回されたけど(それこそクソ野郎だわ!)、どうにか日が暮れる前には家に辿り着けた。
「フラン、おかえり!どうだった??」
扉を開けると、リビングにいたサンディが玄関まで駆け寄ってきて出迎えてくれた。
あたしにディートンへ行かせて欲しいと懇願した次の日、サンディはディートン行きの列車に乗って旅立ったが、三日後には無事家に帰ってきてくれた。サンディを信用して行かせたものの、正直なところ、もう二度と帰って来ないのではと危惧していたあたしは心の底から安堵したものだった。
「うーん……、今回も残念ながら収穫なしだねぇ……」
「……そっか……」
サンディは徐に項垂れる。そんなサンディの姿を見れば、あたしの方が申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
「サンディが気にすることじゃないよ。景気もあんまり良くないし、若い娘ならともかくあたしの年じゃそうそう簡単には……」
「ごめんね、あたしのせいだよね……」
「サ、サンディの事は関係ないよ!まぁ、まだ、化粧品ガールのモデル料も残っているから、当分はお金の心配しなくても大丈夫だし……。根気に職探ししていれば、いつかは仕事も決まるさ!!」
「…………」
サンディの沈痛な面持ちは変わらず、俯いた顔を上げようとしない。
「サンディ、あんたが傍にいてくれることが、あたしにとって何よりも大事なことなんだ。あぁ、そうだ!夕飯は美味しいパンケーキを作ってあげるよ!!特別に、あんたの大好きなメープルシロップとバタークリームをたっぷり塗ってあげるからさ!元気出してよ!!ねっ??」
落ち込んだままのサンディの気分を和らげようと、あたしは懸命に慰め続ける。
「さっ、そうと決まれば、さっさと台所へ行くよ!ほらほら、早く戻って!」
あたしはサンディの小さな肩を掴み、彼女の背中を押しながら廊下を突き進んでいく。サンディは戸惑っていたけど、自分よりも遥かに上背があるあたしに黙って押されるがままだ。
「……本当に、ごめんね、フラン……」
サンディらしくない、感情を抑えた声での謝罪の意味を、この時のあたしは全く見抜けずにいた。
(2)
夕食と後片付けを終えて、宵の刻もとっくに過ぎた頃だった。
先に風呂に入っているサンディを待ちがてら、暇つぶしにかけたラジオから流れる流行のジャズを聴いていると玄関の呼び鈴の音が飛び込んできた。
まさか、こんな時間にまで報道記者が??と、あたしは思わず眉間に皺を寄せる。一回、二回、三回……と鳴り続ける呼び鈴に対し、最初は無視を決め込み、テーブルの椅子から立ち上がることなく音楽に集中しようとしていた。
けれど、ひっきりなしに鳴らされる呼び鈴が次第に煩わしくなってきて、仕方なく重い腰を上げて玄関に向かう。さぁ、何て文句を言い募って追い払ってやろうか、などと意地の悪い考えを巡らせながら、扉を開け放す。
「…………」
「こんばんは、夜分遅くにお邪魔してすまないね」
扉の前で佇んでいたのは、あたしの予想に反した意外過ぎる人物だった。
「……アレックス??」
「久し振り、フランシスさん」
ぴしりとした仕事用のスーツを纏うアレックスは軽く頭を下げる。
「ちょっと、君に話があって……。仕事帰りに寄ってみたんだ」
「……は、話って何??長いの、短いの??」
「場合によっては長引くかもね。でも、もしも君が僕の話を聞きたくないくらい、僕の事を嫌っているなら……」
「……確かに。あんたが、あいつなんかの言う事を聞きさえしなければ、あたしもサンディも平穏な日常を送れていたけどね……」
「……ごめん、今となっては物凄く後悔しているよ……、って、やっぱりまだ怒って……」
「当たり前だろ?!」
思わず声を荒げれば、アレックスはビクッと大きく肩を震わせた。
「……でも、きっとあんたが何もしなくても、いつかあの二人はどこかで出会って、一瞬で恋に落ちていたかもしれないけどね……。まぁ、過去の出来事をあれこれ悔やんでもしかたないわ。で、あたしに用って何??お茶ぐらいしか出せないけど、とりあえず中に入りなよ」
追い返されるのも覚悟でここへやってきたのだろう。
アレックスはパチパチと細かい瞬きを繰り返し、あたしの顔をまじまじと見つめてくる。
「何だい、その、鳩が豆鉄砲食らったような顔は」
「……え??あ!いや、その……。まさか許してもらえるとは思って……」
「誰が許すって言った??勘違いしないでおくれよ。ただ、あんたの話に耳を傾けてあげるってだけの話だよ、いいかい??」
あたしがわざと目元を険しくさせて牽制すれば、アレックスは首を竦めてその場でかちこちに固まってしまった。話がしたいと言っておきながら、一向に中に入る様子の無いアレックスに業を煮やし、「ほら、何でもいいから、さっさと中に入りなって!」と、強引にも彼の手首を強く掴んだ。
えっ?!と驚きの声を上げるアレックスに、早くしなよ!と言いながら、あたしは彼を家の中へと引き入れた。
十五分に満たない短時間で話を終えるなり、すぐにアレックスは家から出て行った。彼自身はともかく、持ち掛けてきた話自体はとてもありがたいものだったので、玄関から後ろ姿を見送るくらいはしてあげた。そろそろサンディは風呂から出出てきただろうし、早く風呂に入らなきゃ、とか考えながら。
「わ、吃驚した!サンディ??」
いつの間にか、あたしの背後に寝間着姿のサンディが佇んでいた。
「フラン、今家に来たのは……」
「アレックスだよ」
「……何しに家に来たの??」
「ロイ……さんがやらかした殺人事件のせいであたし達まで大変な思いをしていないか、心配して来てくれたみたい。それと、あたし達が今現在無職だったら、彼の担当する事務所の雑用係として働かないかって」
「ふーん……、そっか」
「??」
サンディにしては、妙に反応が鈍いような気がする。
夕方の落ち込んだ様子といい、どことなく腑に落ちない。
「ねぇ、サンディ……。今日のあんた、何か変だよ??」
「……そ、そんなことないよ!!あたしは至って元気よ!!」
あたしの指摘に対し、サンディは慌てて取り繕うような笑顔と急に元気な声を上げた。いかにもな空元気さを見せつけるサンディの態度が、却ってあたしの中の疑念が首を擡げてくる。
「サンディ……」
「本当に何でもないし、大丈夫だってば!!フランは本当に心配性なんだから!!」
あはは、という、サンディの笑顔と笑い声の違和感ときたら!!
でも、頑なに強がってみせるサンディにこれ以上追及するのはまるっきり無駄骨にしかならない。余りしつこく食い下がっても嫌がられかねないし……。
この話題はもうよそうと思い、玄関に鍵をかけようとした、その時――
ドンドン!ドンドン!!
再び、扉を力一杯叩く音が外から聞こえてきた。
「アレックスってば、まだ話し足りないのかしら??」
軽く嘆息しがてら、もう一度扉を開けた次の瞬間。
あたしの心臓は跳ね上がると共に凍りついた。
あたしのすぐ後ろでは、サンディが大きく息を飲む音がはっきりと聞こえてきた。
扉を開けた先に立っていたのはアレックスじゃなく――、淡い金髪に萌黄色の瞳、端正な顔立ちの小柄で華奢な美青年――
ディートンの拘置所に収容されている筈のロイだった。
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